千利休の凄み
ヨミウリ・ウィークリー
2006年5月27日号
(2006年5月14日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第54回
千利休の凄み
抜粋
濃茶に続いて薄茶もいただき、しばらく談笑した後に「それでは」と茶室から出る時になって、千利休の成し遂げたことの深い意味に思い至った。
当時の最高権力者、豊臣秀吉に利休が重用されたことは良く知られている。当時主流だった中国伝来の「唐物」と呼ばれる道具を用いた豪華な茶会とは対照的な利休の「侘び茶」の精神は、秀吉にどのように映ったか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
5月 15, 2007 at 07:06 午前 | Permalink
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コメント
千利休は、茶の湯の世界で、命がけの「革命」を成し遂げた。それは、唐物といわれたきらびやかな茶の湯に代表される華美豪勢の価値観を粉砕し、わび・さびという、新たなる深遠な価値を創造したことである。利休のいわば「茶の湯革命」によって、茶道の世界に新しい宇宙が誕生したのだ。
これによって、秀吉によって切腹を命じられ、腹を切った千利休。
秀吉vs利休。利休は命を失った。しかし秀吉は彼の「革命」の前に「敗北」したのだと思う。
わび・さびの宇宙はまさに彼がその命と引き換えに生み出したものであった。
秀吉にとって、利休の生んだわび・さびの世界は、非常に魅力的なものであるだけでなく、己のコレまでの生きかたを相対化させる、彼にとっては自らの全てが丸裸となるくらいの、恐ろしいものであった、というのが茂木さんの見たてだ。この見たてに間違いはないと思う。
既存の強大な権威、常識に対して、捨て身の戦いを挑み、革命を成し遂げること、それが新たなる「宇宙」を具現させる。仮令その革命者が命を失うことになっても…。
茂木さんも脳科学者の立場で、既存の常識に向かって捨て身の戦いをいまなさっている。茂木さんの苦闘は未来には必ず報われ、評価されると確信している。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/15 19:12:16
禁句ですか?図書館で読みます。
投稿: tomoko | 2007/05/15 16:31:09
少し変わった視点から。
カラー・スペクトラムについて茂木先生に説明するのは釈迦に説法でしょうが、カラー・スペクトラムと呼ばれるものの他にネーム・スペクトラムと呼ばれるものが存在するらしいです。
利休の愛した茶碗の名前は「長次郎」という人名しでしたよね。
このことは、ウィンドウズのアプリケーションソフトのネーミングが極めて事務的、無機質的な印象を抱かせるのに対し、マックのアプリケーションソフトの名前が動物を連想させるのと似ている気がします。
最近のソニー製品のネーミングが不統一であることにはちょっと不満があります。ソニー内部の混乱がこの点にも現れているといえませんか。
投稿: naritoku | 2007/05/15 13:33:04