一つだけ引用
白洲信哉さん、新潮社の池田雅延さんとの
「三人会」。
白洲邸にて。
白洲明子さん、白洲千代子さん、
MIHOミュージアムの金子直樹
さんも同席。
着いてすぐ、私は信哉に言った。
「実は、私は今週は週刊新潮の「食卓日記」
のための記録をしなければならない。
今まで逃げ回っていたが、ついに
出なければならなくなった。
ついては、その中に今日のここでの
ご飯のことも書かねばならない。
しかし、ここではいつもたくさんご馳走が
でるから、とても覚えきれない。」
「何を出したか、あとで送るよ」
と信哉は言った。
言葉に違わず、今朝、信哉
が献立を送ってきてくれた。
・蚕豆
・河豚の卵巣の干し物
・鯛刺身
・鯛シャブ
。蛍烏賊シャブシャブ
。あとはいろんな魚の肝
・この子 にぎり
熊谷守一の「喜雨」
という、カエルが三方向に跳ねている
掛け軸がかかっている。
私を喜ばせるとともに、
悔しがらせようというのだろう。
ビールをよして、お酒に入る時に
お猪口を選ばされた。
「おっ、井戸を選んだな。お猪口の
王様だ。」
何だか知らないが、ひん曲がって一筋縄
ではいかないところが気に入った。
御用向きというのは、つまり、
小林秀雄の文から、とりわけ「生命哲学」
的な含意のあるものを選んで英訳
しようということ。
Henri BergsonやBertrand Russelなどの哲学者が
ノーベル文学賞を受けていた時代は良かった。
昨今の小説というものは、今ひとつ
信用できない。
その時々の最高の知を引き受けて書いている
とはとても言えないからだ。
池田雅延さんが編集した
『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』
という新潮新書が今月出る。
「今までも、川端康成が参画した
アンソロジーのようなものはあったんですけどね」
と池田さん。
「全集を何度も網羅的に読んで、その
中からセレクションしたものは初めて
です。」
長年小林さんの担当編集者で、
その後も最新の「全集」や「全作品集」
の編集にたずさわって来られた
池田さんでなければできない企画だろう。
416の珠玉の言葉から、一つだけ
引用。
どちらを選ぶか、その理由が考えられぬから
こそ、人は選ぶのである。そこまで人は
追い詰められなければならぬ。
(『白痴』についてII)
池田さんによると、信哉の酒癖の
悪さは、小林秀雄ゆずりだという。
小林さんは、酒席で、「これ」
という人を決めると、「お前の最近の
作品はこうだ」と、1時間でも2時間でも
絡んで、批評し、ついには相手は気持の
良い涙を流してしまうのだという。
「私も一度やられました。小林先生が、
池田雅延という男を批評してくださったのです。」
信哉の場合は、批評よりもゲバルトへの
傾向があると思われるが、
本人は常々頑強に否定している。
そして、あろうことか、昨日は
確かにジェントルマンであったのである。
信哉のおじいちゃんの105回目の誕生日だった。
4月 12, 2007 at 08:57 午前 | Permalink
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» お茶しながら「サイエンス」 トラックバック 須磨寺ものがたり
「サイエンスカフェ」と呼ばれる場所で、
気軽にお茶しながら「科学」談義が交わされる
いい話じゃないですか。 [続きを読む]
受信: 2007/04/12 14:01:39
» 茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』読者の方へ トラックバック 御林守河村家を守る会
これは、拙著『蒼天のクオリア』をお読みになった方でないとわかりません。
結城秀、という登場人物を憶えていらっしゃいますか。
結城秀には実在のモデルがいて、彼は私が学生のころの友人でした。
文学仲間として、ともに切磋琢磨していたころのことです。
結城が、ふ... [続きを読む]
受信: 2007/04/13 6:35:42
» 茂木健一郎先生序文『蒼天のクオリア』読者の皆様へ(2) トラックバック 御林守河村家を守る会
『蒼天のクオリア』、あれは実話ですか?
と先日も聞かれました。
実話です。
結城秀(仮名)も実在の人物です。
彼が主宰していた「しらとり」という同人誌も、
一冊私の手もとに残っています。
真っ白な表紙に、しらとり、と彼の自筆で書かれています。
あれは結城�... [続きを読む]
受信: 2007/04/15 6:59:23
» 茂木健一郎先生序文 『蒼天のクオリア』 読者の皆様へ(3) トラックバック 御林守河村家を守る会
結城から郵便がとどきました。
原稿用紙にして二百八十枚ほどの小説原稿に、
五枚ほどの手紙がそえられていました。
もちろんその内容は明かせません。
ただその手紙の中に、
僕等の輝いていたあの時代
と書かれていて、私はそのひと言で充ち足りました。
三十五年一... [続きを読む]
受信: 2007/04/16 8:34:02
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コメント
人間は、憎悪し拒絶するものの為には苦しまない。
本当の苦しみは愛する者からやって来る。
(「ランボオⅢ」)
…にもズシンときました。
こんな苦しみから逃れる避難場所があればいいのですが。
自分も「愛する者」も安心して過ごせるように。
くすん。。。(←ちょっとかわいこぶっていて、ごめんなさい!)
投稿: まり | 2007/04/24 23:26:06
買いました。
読んでいて驚くことばかりです。綴るということの美しさ、考えるということの削ぎ落とし。まるで木を削るように発せられる言葉の数々。言葉とは美しいのだと思わせてくれる一冊です。毎日声に出して読みたいほど。
投稿: Kom | 2007/04/17 17:48:10
最近、小林秀雄さんのエッセーを読み返しているのですが、どんな小論も小林さんの切実な体験がにじみ出ており、読めば読むほど味わいが出てきますね。
もうこれだけの文章を書く人は、出てこないのではないでしょうか。
その位、その一言一言には小林という一人の男の生き様が刻印されているのです。
例えば最近、再読した「お月見」というエッセーには、次の言葉がありました。
・・意識的なものの考え方が変っても、意識出来ぬものの感じ方は容易には変らない・・
池田さんの「人生の鍛錬」にもそのような小林さんの凝縮された言葉掲載されているのでしょう。
投稿: 渡邊隆 | 2007/04/13 23:49:02
1902年4月11日に、
小林秀雄さんがお生まれになったんですね。
「人生の鍛錬」、是非、拝読したく存じます。
熊谷守一さんの絵を初めて見たのは、中学生の時、
倉敷の美術館に展示された「陽の死んだ日」で、
いつまでも心から消えない絵になりました。
投稿: フミ | 2007/04/12 23:39:21
小林秀雄の言葉に無辺の闇の中の方丈の理性というのが あるようですが 出典の確認ができずにいます。こんどの本に出ているでしょうか?楽しみに探してみます。また 茂木さんの名画というものは 万物を生き生きと描くことという フレーズその通りだと思いますので 私の個展の案内に使わせてください。最後に 風と熱と土と水とで成り立つこの世界には、悪意は存在しないということだろう、と感想を付け足しました。小林秀雄の鎌倉の家で雪景色の庭に座る姿を 九州での公演の録音を聞きながら描いてみました。6月の紀伊国屋画廊です。時間でもあれば 見てください。
投稿: クロード | 2007/04/12 23:24:18
そうだったのですか。
きのうが白洲信哉さんのおじいちゃま、
つまり、小林秀雄さんのお誕生日だったんですね、105回目の。
生誕105周年、おめでとう御座います…。
熊谷守一はトコトンまで事象の簡潔化に命をかけていた画家だった。
TVの鑑定番組でも彼の作品が時折出品され、
高い鑑定額がついている。
もののカタチが簡素化された守一の作品には、
しかし、生命にそなわる“普遍”の姿もしくは
生命哲学が隠されているのではないか。
茂木さんが小林さんの文から、
「生命哲学」的な含みがあるものを
選んで英訳されようとするのは、
いまやほぼ、世界じゅうに蔓延してしまった、
「ヲタク」「アニメ」などのサブカルチャーだけが
日本の「Cool」な文化だと思われかねない今日の文化的流通状況に、
「日本の本当のクールな文化・藝術は、それだけじゃないよ!」
という一石を投じる、まさに画期的にして重要な仕事になると思う。
何卒頑張って欲しいと思います。
「どちらを選ぶか、その理由が考えられぬからこそ、
人は選ぶのである。そこまで人は、
追い詰められなければならぬ」という小林さんの言葉は、
私達がもの・ことを選ぶ時は如何いう状態になるかが、
まさに言い当てられているようである。
流石は小林秀雄である。おそろしいほどに、鋭い。
たしかに大抵の場合、人はものやことを選ぶ時、
何故それを選ぶのかという理由などは眼中になく、
最終的には二者択一性にまかせて、その、もの・ことを選んでいる。
茂木さんが引用された上の小林さんの言葉は、
まさにその状態をズバリと言い当てているのだ。
そんな鋭い洞察力をもっていた小林さんが、御酒の席で、
御酒を飲まれるときにも、相手の作品を徹底的に批評するとは、
そして作品を批評されたほうは、気持ちよい涙を流すとは。
批評家の中の批評家は、まさにこういうものだ、という
お手本を見せてもらった気がする。
時折書店を訪れて、小説の単行本の表紙を見ただけで、
自分などは読む気も失せるのは、そこにその時々の
最高の知性と、深い哲学を引き受けているように見えない、
というわけではないが、如何にもこうにも、
根底の思想の薄さを感じるのだ。
今ドキの、特に日本の小説家は、何故、最高の知性と深い
哲学を引き受けようとしないのだろう。
そういう知性と哲学とを引き受けることから
逃げているんじゃないか。
もしやそうなら何時までも、逃げていてはいけないと思う。
茂木さんは処女小説「プロセス・アイ」を書くとき、
心のどまんなかか、どこかで、その最高の知性と哲学を
引き受けながら書いていたのではと、今になって思う。
つまるところ、茂木さんは、最高の知性と生命哲学から
逃げずに小説を書き上げたのだ。
本物の、今ドキの小説家は、哲学や知性から逃げていては、
深い味わいと崇高な輝きを放つ作品は著せないだろう。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/12 20:11:58
読む前から、魂がゆすぶられるであろうこと確実と思われます。 「小林英雄の言葉」
今、私の救いの著、「感動する脳」です。きっと近いうちもう1冊救いの著が増えそうです。
近い人が、ここのところ救急車の世話によくなります。
心の問題で。
要因、原因、周囲でおきる出来事に関して、VS自分 vs他者ではなく、良いも悪いも私の一部と思うようになりました。
腹立たしい人も、憎い人もきっと一部。VS自分ではない。
いろんなことにおいて、起こるできごと全てにおいて、自分もその中の一部であると思う。良かったことも悪かったことも。
そう思いはじめてから楽になれたし、自由になれたように思う。
投稿: 平太 | 2007/04/12 17:07:18
その本、新潮社のメールマガジンで出ることを知りました。
小林秀雄さんの文章は、高校のときの教科書でしか読んだことがないので、「入門篇」として、その新書はぜひ読んでみたいと思っています。
投稿: サイン(koichi1983) | 2007/04/12 16:08:32
どちらを選ぶか、その理由が考えられぬから
こそ、人は選ぶのである。そこまで人は
追い詰められなければならぬ。
(『白痴』についてII)
個人にとって対処すべき真の課題を持て。 という風に私には思える言葉です。I choose it simply because the reason why which I choose as is not thought about.(前半by Yahoo翻訳)。
小林秀雄らしい表現が選ばれていますね。
以前は、こういう文章のヒネリを楽しみながらの読書がありました。文学でも科学論文でも、内容と形式の両立が必須やなあ。
なお、河豚の卵巣の干し物???!!!トキシック&デンジャラスではないのかな?
投稿: fructose | 2007/04/12 10:38:09
面白そうな本の紹介、ありがとうございます
とうとう知の輸出が始まるのですね
陰ながら応援しております
「昨今の・・」はよく分かりませんが
時代の流れとは別に温故知新は今とても大事なことだと思います
投稿: 後藤 裕 | 2007/04/12 9:21:37