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2007/04/01

信じる力が足りない

 都会からは自然が消えつつあるが、
それでも、
 最近は、鳥の数が少しずつ
増えているのではないか。
 そんなことを、しばらく前に
考えていた。

 気付いたきっかけは、
天体望遠鏡を買ったことだった。

 地上の生活が忙しすぎるから、
できるだけ「現代」から遠く離れたものをと、
 月を見上げることにしたのである。

 ある夜、あかあかと輝く月面の上を、
何やら黒い点が動いていく。
 何だろうと凝視していると、どうやら
それは鳥のようだった。

 ある時には一つ、またある時には
二つ、三つと、その微かな点は動いて
いく。
 リーダーのような存在があり、
編隊を組んで移動していくのである。

 私は鳥たちに恋をした。
 なかなか望遠鏡をのぞく時間も
とれないのだが、
 今日は月が輝いているなと思ったとき、
時間をやりくりして焦点を合わせる。

 いつ通り過ぎるだろうかと辛抱強く待っていると、
 まるで私の乾いた心に水がしみ込むように、
鳥たちが通り過ぎていく。

 そうこうしているうちに、不思議な
ことに気がついた。
 鳥たちは右側から現れて、左へと
消えていく。
 必ずそうである。例外がない。

 これはおかしい。空間の中は、どこから
どこへ赴こうと自由である。
 右から左へ行くのと全く同じ
権利と確率を持って、左から右へと
行かねばおかしい。
 右から左へばかり行っていては、
右の方の鳥たちが払底してしまうではないか。

 どうしたことだろうと、一生懸命
考えた。
 そもそも、月齢や天体望遠鏡を
のぞく時間帯によって、月のある場所は
異なる。
 それにもかかわらず、鳥たちは
必ず右から左へと飛んでいく。
 一つの可能な解釈は、鳥たちが、私の
家の周囲をぐるぐると左回りに旋回している
ということであるが、それはいかにも
おかしい。

 地球の上で、私の住むこの場所が鳥に
特別な作用を与えて、
 そのような特異な行動をとらせる
ということは考えられない。
 ここに至って、さすがの私も、
これは何かしかけがあるに違いないと思い始めた。

 ひょっとしたら、鳥たちは
オレが想像しているだけなのではないか
と気付いたのは、見始めてから
三ヶ月くらいたった頃のことである。

 何もない所に動く点が見える。
 そのような視覚効果は知られている。
周囲が暗くて、そこだけ明るい領域を
ずっと見ていると、黒い点が動いて
いくのが見えるのである。
 刺激の単調さに耐えきれず、脳がそのような
幻覚をつくり出す。
 かのジョン・C・リリーが行った
感覚遮断の実験以来、比較的よく知られている
事実だ。

 月の前を横切る鳥たちが、私の脳の
つくり出した幻覚であるということまでは
良いとして、むずかしいのはなぜ右から左へと
横切るのかということだった。

 月は視野の真ん中でとらえているから、
 鳥たちが右から左へと移動するということは、
つまり、大脳皮質の左半球から右半球へと
その活動がシフトしているということになる。
 私は、いつも右目で望遠鏡をのぞいている。
 右の体性感覚は左半球で処理される。
 ああそうか、望遠鏡に接触
しているその感覚が、脳内で幻覚の種となり、
それが脳梁を通して左半球から右半球に
伝わっていくんだなとにらんだ。

 ある夜、初めて左目で望遠鏡を
のぞき込んだ。
 鳥たちが現れて、月の前を左から
右へと移動していってくれたら、
 仮説は正しいことになる。

 ところが、鳥たちはなかなか現れない。
 待てどくらせど、鳥たちは月の前を横切らない。
 それどころか、その夜を境に、鳥たちは完全に消えてしまった。
 もとに戻して、右目で天体望遠鏡を
のぞいても、鳥たちはもう現れない。

 どうやら、鳥たちは二度と帰って
こないらしい。
 その事実に気付いた夜、
 私は落胆して、ソファに崩れ落ちた。

 現れなくなってみると、かつての
鳥たちの優美な姿が思い返され、
 月の前を鳥たちが横切るのを
見つめるその時間の流れが、
私の人生の中でも最も大切な、そして
かけがえのない印象であったと、そのこと
ばかりが胸に迫ってくるのである。

 下手な詮索など、しなければ良かった。
 ただ、自分の体験を、ありのままに、
そのまま受け取っていれば良かった。
 正体を見極めようとあれこれと探索すると、
かえって消えてしまう大切なことが
人生にはある。
 鳥たちは、私にそのことを教えるために
現れ、そして儚く消えていってしまったのでは
ないか。
 落胆しただけ、賢くなることができた。
 
 それでもまだ、かけがえのなさの残り火のような
ものが、私の胸で燃えている。
 夜、一人で通りを歩いている時など、
手で輪を作り、右目にぎゅっと押し当てて、
希望を込めて月を見上げてみる。
 ちらちらと黒い点が動いていくような
気がする時もあるが、
 それも結局まぼろし。

 どうやら、信じる力が足りない。
 知ろうとするな、ただ全身全霊で思え。
 そう言い聞かせても、後の祭りである。

4月 1, 2007 at 12:53 午後 |

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下手な詮索など、しなければ良かった。  ただ、自分の体験を、ありのままに、 そのまま受け取っていれば良かった。  正体を見極めようとあれこれと探索すると、 かえって消えてしまう大切なことが 人生にはある。  鳥たちは、私にそのことを教えるために 現れ、そして儚く消えていってしまったのでは ないか。  落胆しただけ、賢くなることができた。 (茂木健一郎『クオリア日記』より)... [続きを読む]

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楽しみに読んでいるブログに「クオリア日記」がある。 4月1日のブログ”信じる力が [続きを読む]

受信: 2007/04/02 17:21:09

コメント

こんばんは。

わたしも、月、雲、陽、空の色、鳥たちをよく眺めます。
不思議なことに、茂木さんの恋した鳥たちのお話を読んで、『ねじまき鳥クロニクル』を読んだときに浮かんだ感覚と、おんなじ感覚が胸の中にまた湧き上がりました。自分のものすごく近くに気配を感じるけれども、どんなに懇願しても決して姿を見せてくれない鈍色で妖しい艶をまとった鳥の存在を感じました。お解りいただけるでしょうか。
信じる力が足りない。わたしに欠けている点だと自覚しています…。信じることは大事ですよね。真実か虚実か、または錯覚かだなんて本当はどうでもいいことが多い気がします。
それにしても、なんて素敵なお話なのでしょう。もちろん今は茂木さんの書かれたものを一番読みたい気持ちですが、村上春樹の小説をまた読みたくなりました。

投稿: 才寺リリィ | 2008/04/02 22:36:01

 茂木先生の書かれている言葉、話している言葉が砂にしみこむ水のように素直に入ってきます。
 以前家族揃って望遠鏡でよく空を見つめていた時期がありました。「土星だ」「月だ」と皆で喜んでいました。
時は流れましたが、今でも家族それぞれが別の場所で空を見上げて星や月を見つめていれば嬉しいです。
ただ一瞬でも視線を上に転じてくれるだけでいいと思う。
自分の頭上にいつも変わりなく広い宇宙があると感じてくれるだけでいいのです。人生には楽しいことや嬉しいことだけではない。特にそんなときに。これからも茂木先生のブログも読みたいと思います。楽しみにしています。少し寒いですが毎日桜を眺めて春を感じています。

投稿: パンドロ | 2007/04/04 23:14:42

「私は落胆して、ソファに崩れ落ちた。」というところで気づき、ハッとして心臓がドキドキしてしまいした。信じる力が足りないとはこういうことか!
僕はちょうど去年、茂木さんを知り、四弁桜の話ですっかり騙されてしまったのですが、今年は途中で気づいてしまいました。
今年も素敵なお話で、面白かったです。
「正体を見極めようとあれこれと探索すると、かえって消えてしまう大切なことが人生にはある。」
という、真理が心に響きました。

投稿: hiroyasu | 2007/04/03 2:10:44

脳科学者が、脳の幻覚にまつわる嘘を書いていいんですか!?

私は日記を読み始めて まだ半年程度なので、
例年のことなど全く知りませんでした。
私の日常文化活動に エイプリルフール は含まれていない上に、
科学者がエイプリルフールをする という頭が一切なかった
ものですから、
その日の午後 日記を読んで 出かけて、
夜 帰宅して掲示板を覗いてみるまでの数時間、
茂木先生も「幻覚」を見るのだと 信じ込んでいました。
言葉では容易に触れられない としか表現できないような、
弦の響きを感じていました。

もし私が、ここに嘘が書かれることもある、という先入観をもって
日記を読んでいたら、
私は、そこまでの 清冽な美しさを 味わうことはなかったのですね。
でもそれらが、幻と消えるなんて。

「右の方の鳥たちが払底してしまう」のあたりは
ちょっとオカシイとは思いましたが、
ユーモアなのだろう、と気にしませんでした。
月を三ヶ月も見ていたのなら 今までの日記に登場してもよいはず。
あとづけで考えればいろいろ疑わしかった。

全部が嘘ではないところが、
あまりにも手の込んだトラップではないですか?
感覚遮断の話は本当ですよね?
幻覚の種の部分はどうなのですか?
仮説と検証については?
信じる気持ちが失われると、統合失調症による幻覚でも
見えなくなるのですか?

非常に不愉快です。
茂木先生に対してではなく、
そういう基礎知識がない自分に対してです。

美しさと、苛立ちとを、同じくらい残して、
忘れがたい日記となりそうです。
つかの間でも 信じられた人のほうが、少しだけ幸せなのですね。
嘘と知って読んだとしても心動かされるのですから。

投稿: u-cat | 2007/04/03 2:10:19

解釈病ですが、今回は要素が多すぎて
わかりにくさは前回どころではなく。

完全な中庸は存在しないからこそ
そのゆらぎが言葉の意味。
最後の作用因は相手の価値。

以前にも言いましたが

先生は感受性の先が瞬殺思考ではなく開いていて
とっくに考えていると知り敗北したこと。
箱書きの感性に感激したこと。
海や太陽のかけらに喜んだこと。

でもこれも既に述べたこと。

素敵な月の鳥ですね。
でも彼らは一度きり。
桜は毎年ですね。
では何故私は桜に一生をかけるのかしらん。

敗北は尊敬です。
だからこそ成長しては挑むのです。

ああ、すごいなあ、空即是色だったんだと
ようやく気づきました。
それが今年の満開の桜。

でも今はそれが問題ではないみたい。
ずっと「信じているを信じる」価値を頂けない。

全身全霊で見てないって
もしもそんなことを先生に言う奴がいたら
本当に完全に無視した方がいい。

でも全身全霊も見抜くことも私にとっては同一線上。
敗北に気づくことにも、幻であることにも
気づけば自分の経験知識の全力が投影されている結果。
与えられる意味は、ただゆらいでいるだけ。

まあ、たしかに尋常ではないですけれどね。
こうやって悩んでいるとも書くことも
なんだかんだで好きみたい。

判例なんか読み漁らずに
フランス文学やっとけばよかった。
ほんっと直球かわいくない。

でも色々考えていたら頭がぼーっと疲れてきました。
眠くなったので寝ます。

投稿: maya | 2007/04/02 12:08:54

( ̄Д ̄;)
エイプリールフールに騙されましたが、騙された私が何だか少しはずかしいく、可愛いらしように思えました。

絶対渡り鳥だと思った!

投稿: K | 2007/04/02 9:09:46

月よりもお日様ぽかぽかのイメージが強かったので
「あれ?」と思ったら…4月1日でした(笑)。

「正体を見極めようとあれこれ探索すると、かえって消えてしまう
大切なこと」が『御伽草紙』などの「異類婚」のみたいだ!と
また読み返したくなりました。。。

グレーゾーンを楽しませていただきました。
ありがとうございます。

投稿: まり | 2007/04/02 6:47:36

茂木さんは、ファンタジックな世界にも生きているんですねー!
私も月をみつめてみたくなりました。
ナンダか、私の視界にも現れそうな気がします。
あとは、信じる力かな?
竹内薫氏の「99.9%は仮説」の本も、思い出しました。

「下手な詮索など、しなければ良かった。
 ただ、自分の体験を、ありのままに、
 そのまま受け取っていれば良かった。
 正体を見極めようとあれこれと探索すると、
 かえって消えてしまう大切なことが
 人生にはある。
 鳥たちは、私にそのことを教えるために
 現れ、そして儚く消えていってしまったのではないか。」


・・・ここのところが、すごく素敵!
本当にそうですね。ありのままに受け取る事、大人になると、
面倒くさい時以外、あきらめてしまう時以外しなくなってしまっている様な気がします。
それで好奇心や、新鮮な興味とは違い、愉しむ事を忘れてしまっているように思います。
いい気づきになりました・・・。

投稿: Mayu | 2007/04/02 3:36:30

信じる力が足りない。
このテキストを読んで、ふと、サンテグジュペリ『星の王子さま』を思い出した。
そして、じーんとこころに沁みていくのを、かんじた。

他人から発せられる情報をかき集め、賢くなったつもりになり、失敗を避けようとする、この合理社会に慣れてしまった自分。
自分の洞察力を信じて、人生設計しようとおもう。
ま、思い通りに設計できないものではあるけれど。

投稿: 鈴木里美 | 2007/04/02 3:31:04

まるで、ひとつの物語を読んでいるかのように、
映像が鮮やかに浮かんできました。

切ないですね。
ほろ苦さや 切なさ、それらも 大切な、
人生の彩りのひとつであるようにおもいます。
モザイクのように綾なされ、織りなされ、
一人ひとりの人生に、深い輝きと、
温かな拍動をもたらしてくれる。。。

「月」は満ちて欠け、また満ちて、
何かを、私たちに語りかけ 投げかけます。
「太陽」は、本当に偉大だとおもいますが、
やはり、心惹かれるのは「月」です。

投稿: suzaku | 2007/04/02 3:29:50

この記事へのコメントをもう一つ。

このお話、ロマンティックでもあり、切なくもあり、不思議でもある、なかなかに味わいぶかいお話で御座いました。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/01 23:22:41

今では見ることが出来ない鳥たちがもう一度現れてくれないか、
茂木さんと一緒に祈るような気持ちで読み、少し時間を置いて
「ひょっとして・・・April Foolではないか」という想いがむくむくとしてきましたが、どうでしょう。

そうでなかったら、私こそが信じる力が足りていないですね、すみません。

投稿: Kaori | 2007/04/01 22:54:59

もし、それが本物の鳥だったなら、
「じゃあ、渡り鳥でしょう」と、たった一言で終わってしまう。
渡りの時期、日本を離れ、定められた方角に向かって、
古くから決められたルートに沿って群れは移動し始めて、
まったく見えなくなったときは、鳥たちの全部が渡り終えたとき。
季節が巡り、また帰ってくるときは、左側から右へ。
でも、鳥ではなかったとしたら・・・?
鳥、のようなもの、だったとしたら?
やっぱり、もう戻ってこない、羽ばたいていったもの、
だったとしたら、簡単な答えでは終わりませんね。

小学校の通学路は、子供だった私には長い道のりで、
山を切り崩した住宅地で、木々が残っていて、
いろんな野鳥がいて、新しい種類の鳥を見つけるのが私の
日課になっていました。誕生日に鳥類図鑑を買ってもらい、
初めての鳥の名を調べて、しばらく眺めていました。
子供は子供なりに人付き合いやら、辛いこともあり、どっか、
飛んでいってしまいたかったんでしょうね、たぶん。
時は過ぎ、今では三十代後半、結婚せず、子供もいない、
フリーランスの物書き業をしています。生活は不安定で、
このまま死んでいくんかな、と、ふっと思ったりします。
朝が来たとき、絶望感で、いっぱいになる自分に、これは、
なんとかしなければ、と方法を考えていたら、
ある日、偶然、このクオリア日記と出会いました。
子供のとき、とてもきれいな鳥を見つけて、おどろいたような、
茂木さんの文章が綴られていて、子供時代を思い出したりして、
心が軽くなれました。お身体に気をつけて過ごされますように。

投稿: フミ | 2007/04/01 22:50:36

「なぜ雪は白いのだろう。」

あるとき考えました。そして、

「赤や黒じゃなくてホントよかったなぁ。」

と心底思った瞬間、

「ああ、、これは私自らが雪を心地よいように認識しているのだ。
白がいいから白なんだ。
おそらく人間はそう認識するように進化してきたのだろう。
空の青もまた・・・」
リアルな認識のコペルニクス的回転の瞬間でした。

___

あるとき、

「どうして地球は回っているの?」

と僕がたずねたら、

「回っていなかったら片面だけまる焦げになっちゃうでしょ。」

とある人が教えてくれましたた。

「・・・そう言われるとそうだなぁ。」

と思いつつ、僕はトルコの伝統料理、ドネルケバブを思い出しました。

誰かが地球をまるかじりするのでしょうか。

投稿: pteron | 2007/04/01 20:55:34

鳥はもしかしたら渡り鳥だったのではないですか?

投稿: K | 2007/04/01 18:26:16

昨日の世界一受けたい授業見ました!!
面白かったです!!

投稿: 露華 | 2007/04/01 18:14:14

去年の「四弁桜」に引き続き、
すてきなお話をありがとうございます!(にやっ)

漱石の「夢十夜」のような、
夢幻の中に自己批評のスパイスがそこはかとなくただよいます。

きょうのエントリーに恋しました。

投稿: zitterbewegung | 2007/04/01 14:25:47

望遠鏡で夜空をのぞいていたら、鳥達の大群と遭遇し、
その優美な姿に恋してしまったフラワーピッグ。

でもそれは、彼の脳内から生まれでた
幻覚なのに過ぎなかった…。

脳から生まれた幻覚が鳥というのは、
如何にも天性のロマンティストである茂木さんらしいと思われるが、

自分の脳からうまれた幻覚が、実物のように感じられることはときどきある。

あれは2年前のことだ。

床についていたら、何者かが私の布団の廻りを
ぐるぐる廻っているのが感じられた。

うつらうつらしていたら、そのうちに、
へへへ…といった下卑た笑いと共に
私の傍に近づいて来た。

私は声を挙げた、「失せろ!」と

したらそいつは、あっと言う間に
脱兎の如く、私の前から逃げ去っていった。

その瞬間、目が醒め、あたりをみたら
始めからだれも居なかった。
居るのは、白河夜船状態の家族だけであった。

自分の体験をありのままにそのまま受け取ると言う事…。
夢の世界だけでなく、現実世界でも大事だけれど、
時には嘘というものがあるから、
それを見破る眼も持ちたい。

それにしても幻の鳥に恋するなんて、
とっても素敵だな…。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/01 14:05:10

今年はどんな話をしてくれるのだろうかと、心待ちにしておりました。

投稿: おんぶ | 2007/04/01 13:16:28

漱石の探偵嫌いも、こういうことなんだろうな。と思う。
今日も、深く考えてしまいたくなるお題をいただきました。
ありがとうございます。
仕事はきっとはかどりません。

暗闇できらきらと縦横に不思議な動きをする、「ブルーの星」がいつも見えるんだけど、そのなぞが今日、解けた。そういうことだったのか。

あ~長年の不思議が今日わかった。面白い脳の現象。

投稿: 平太 | 2007/04/01 13:12:10

この記事へのコメントは終了しました。