ああであったかもしれないし
NHK文化センター主催の講演会で
けいはんなに来た。
講演開始直前、張り紙を見て
びっくりした。
「6月10日 放送予定」
などと書いてある。
言われていたのかもしれないが、すっかり
忘れていた。
「文化講演会」としてラジオで放送
されるらしい。
「編集して1時間にしますから、それ以上
話してください」と念を押される。
私は、「粗相の無いように」といつもよりも
気をつかって、お話をさせていただいた。
二日連続で非常にヴィヴィドな夢を
見て、その内容はあまり覚えていないのだけれども、
その中に出てきた人が強い実在感を
持っていたことだけは覚えている。
現実の世界で、たとえば池上高志とか、
郡司ペギオ幸夫とか、塩谷賢とか、
白洲信哉とかが持っている実在感に近い
なにものかがそれらの「夢中人物」には
まとわりついていた。
一体どういうことなのかと、しばし
考える。脳内現象としては、実は全てが
可能なのだと思わざるを得ない。
神秘体験をした人が、人格ががらりと
変わってしまうのもむべなるかな。
ただ、脳内カオスダイナミクスの帰結で
それが訪れるか否かという偶然に依存する
ということなのであろう。
日々、自分の脳内神経活動が一体
どれくらいの潜在的分岐を迎えているか
と考えると、恐れおののく。
自分はああであったかもしれないし、
こうであったかもしれない。
そんな、死んじまった可能性の
束として、今ここに私はある。
4月 23, 2007 at 06:35 午前 | Permalink
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彼らは、お揃いのスーツを着て、颯爽と出国手続きへ・・・
*
空港の建物は、天井高が相当にあるためか
彼らのようなスポーツ選手が集団で通っても、
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受信: 2007/04/24 2:23:48
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コメント
茂木先生
昨日ははるばる東京からけいはんなまでお越しくださいまして
ありがとうございました。
走り書きで書き留めた昨日のお話、印象深い沢山のフレーズを
読み返しながらあれこれ考えを廻らせる楽しみに耽っております。
人間って、人間の脳って本当に面白いですね。実に奥が深いです。。。
世界においてOne and Onlyでいらっしゃる茂木先生の”生”
のお話を聴ける機会は(とくにここけいはんなにおいては)
めったに無いことです。あの場にいることができた私はなんて
ラッキーだったのかしら!と思わずにいられません。
(おそらくあの場にいらした皆さまも同じ思いだったのではない
でしょうか・・・)
ひとつ心残りなのは・・・せっかく質問させていただいたのに
緊張して本当に伺いたかったことを聞きそびれてしまったことです。
(その場でいただきましたアドバイス、もちろん私にとっては
宝物です!)
ともあれ、来月のラジオ放送もとても楽しみです。
ありがとうございました。
投稿: 空色 | 2007/04/24 1:50:35
夢の中に出て来た人が、実在感の強い人物だった…。そんな夢を見せる脳の神経活動は如何なるものか、ここに脳というものの複雑さと不思議さがある。
思えば自分も、非常に「実在感」「実感」の伴った夢を見る事がある。20年ほど前に見た夢のことはいまでもアタマの片隅にある。
その夢の中に出て来た人物は、茂木先生が夢でであった人物とは若干ニュアンスが違うけれど、極めて実在的かつ実感的で、実物の人間を触ったような感触があった。
夢見る時の脳内現象は、何と不思議な感触を残してくれるものだろうか。
脳内のニューロン活動における潜在的な分岐はこれから数えきれないほど迎えるかもしれないし、ああだったかもしれない、こうだったかもしれない!と考えているうちに、いたずらに人生は流れて、私達は年をとって行くものなのだ、
そうして生きていく中で、いくつかの「死ぬかもしれない可能性」を捉え、いかに人生の中でそれに賭けて行くか。そこに人生の不思議さと妙味があるのかもしれない。
追伸:文化講演会のラジオ放送が楽しみです。茂木先生の熱いトークが聞きたくなってきました。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/23 19:08:04
西田幾多郎は「生物に、眼ができたから物をみるようになったのではなく、物を見るために眼というものができたのである」とお言った。
人間が原始的な生物として存在していた時代に夢を見た。それは「眼で見る」世界である。ここに、私は明らかに意志によって多次元世界の収束によって取捨選択しようとする生命を感じるのである。
投稿: とーます | 2007/04/23 18:23:57
西田幾多郎は「生物に、眼ができたから物をみるようになったのではなく、物を見るために眼というものができたのである」とお言った。
人間が原始的な生物として存在していた時代に夢を見た。それは「眼で見る」世界である。ここに、私は明らかに意志によって多次元世界の収束によって取捨選択しようとする生命を感じるのである。
投稿: とーます | 2007/04/23 18:23:23
西田幾多郎は「生物に、眼ができたから物をみるようになったのではなく、物を見るために眼というものができたのである」とお言った。
人間が原始的な生物として存在していた時代に夢を見た。それは「眼で見る」世界である。ここに、私は明らかに意志によって多次元世界の収束によって取捨選択しようとする生命を感じるのである。
投稿: とーます | 2007/04/23 18:22:53
6月10日の放送、楽しみにしております
それにしても、意識を考えている人間に特異な夢を見せるとは
運命は何と味なモノなのでしょう
これはその他諸々の事を考えきたことへのご褒美なのでしょうか
そしてそれがきっかけで何か重大なことを発見して
何で、そんな理論が証明できるのだ!とか言われたら
「クオリアさんが言ったから」
とか言うとエピソードとしては完璧なのですが
流石にバカバカしい話ですね
書いてて思いました・・
投稿: 後藤 裕 | 2007/04/23 17:29:27
>>.. 。
袖擦れ合うも 他生の 縁 の巻。
僕と茂木さんとの えにし というのは・・
あとにもさきにも
・・そう 長屋の宿六・・じつは零落して傘張り内職をしつつ
晴れて!髪結いの亭主(パトリス・ルコントって知ってます?)
となった 私 が
吉原からの朝帰り
公園を煙草をふかしながらボオーーっと歩いていると
同じくたまたま 偶然 隣の部屋で朝まで呑んじゃった
夜遊び帰りの 志生(古今亭!)が向うから
中村仲蔵のネタを ぶつぶつと 稽古しながら
私 のヨコを通り過ぎていった・・
なんだあのヘンな野郎は・・ と思うまもなく
傍らを ミョーに元気はつらつなジョガーーが
風のように奔りぬけていった!!
・・ というような ふぜい
そんな なにげなさこそ につかわしい
好ましいのである。
後日談として
私が 二階に 厄介に なってる 長屋の(二階建てで
存外 瀟洒な洋館・・めぞん一刻館 と書いてある)
家主だった・・
ということを 横丁のご隠居から聞き
じゃあ 憧れのマドンナ音無響子さん(じつは美爾子 スペルチェックプリーーズ!・・の化身)との関係は???
なんて 仮想する そんな
シンクロニシティっぽい
袖振り合うも他生のえにし な関係性こそ。
と思うのだけど >> ついにレッドソックス vs
ヤンキース戦 プレイボ-ル!松坂 2点失う!!
勝負はこれからだ。
>>つづく
投稿: 野村 和生 | 2007/04/23 9:31:40
>>on どんな境遇でも>>の つづき
へえ!?けいはんな・・茂木先生はおけいはん!(関西在住の人向けで
す)
するってえとまたしてもシンクロニシティが!ってはなしに
なるのだけど・・きょうやすみだしな>>じゅっかいのみのうえの
おいらとしてはあいさつしておくのもいいのかもな
やちんもはらったことないわけだし・・
うんうんいいかもなそうだなふむふむ
珈琲冷めるわよさっきからずーーーっとせなかむけて
なにやってんの?なににやにやしてんのやーよあさから・・
ふ ふざけんじゃないよ
>>つづく
投稿: 野村 和生 | 2007/04/23 8:13:58