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2007/04/28

たくさんのことを忘れた猫

とにかく、沢山のものを、人生の
中に詰め込んでやろう。

そして、ぎゅうと凝縮してやろう。

そしたら、色とりどりの玉どうしが
結びつき始めるだろう。
臨界に達して、不思議な光を放ち
始めるだろう。

ただ心配なのは、自分の人生で
起こることを、すべて覚えていられるかなあ、
ということ。

面白いこと、深いこと、憤慨したこと。
胸を甘美な思いで満たしたこと。

昔読んだ小説に、「たくさんのことを
忘れた猫」というのが出てきた。

ぼくはやがて「たくさんのことを忘れた猫」
になってしまうのだろうか。

つくばエクスプレスに初めて乗る。

ずっと仕事をしていたので、沿線の景色は
あまり見ていないけれども、
「つくば」の一つ前の駅で平野が広がっていて、
そこを大規模に開発していて、
びっくりしたなあ。

物質・材料研究機構に
木戸義勇先生を訪問する。

木戸先生は、強い磁石をつくる方である。
現在世界最強の磁石はアメリカにあって、
約45テスラであるが、
木戸先生のチームは一時期世界記録を
持っていた。

強い磁石があると、たとえばMRIで
計測するとき、より高い分解能が得られる。

それだけでなく、強磁場での中では、ふだん
私たちが目にしないような物性が現れる。

たとえば、「反磁性」

強力な磁石をトマトに近づけると、
トマトは逃げる。
トマトの中の水が反磁性をもっているから
である。

従って、理論的には、強い磁場の中では
人間は反磁性によって浮かぶことが
できる。

強い磁場の中の物性には、まだまだ未知の
領域があり、
木戸先生はそのような未知の物性を強磁場を
つくることで研究されてきた。

この宇宙にある最強の磁場は、中性子星で
あるという。
 だいたい、10の11乗テスラほど
あるらしい。

「中性子星に行くと、困るでしょうね」
「はあ」
「強力な重力場で、引きつけられる。一方、
反磁性で、反発される」
「それで、どうなりますか」
「最後はばらばらになって落ちていくでしょう」

そのような話をする時の木戸先生は、とても
うれしそうだった。

強力な磁石をつくるということは、つまり
磁束を封じ込めるということであり、
中性子星の場合は、重力場がその役割を
している。

地上の実験室で強力な磁石をつくろうと
すると、封じ込め、大電流、発熱などが
問題になる。
液体ヘリウムを用いて、超伝導コイルを
使う場合もある。

そのコイルをつくるための構造で、
ビッター・プレートというものが
あって、これがきれいだった。

穴の開いたプレートを少しずつずらして
重ねることで、コイルをつくるのである。
美しい。

アメリカの物理学者、Francis Bitterが
発明した。

木戸先生がビター・プレートを前に
にこにこと座っているところを、
写真にぱちりと撮った。

ぼくの記憶の中に、また一つの美しい石が
しまい込まれた。


ビター・プレート。


木戸義勇先生。ビター・プレートを前に。

筑波大学へ移動。
山海嘉之先生の研究室を訪問。

山海嘉之先生は、手足の動きをパワーアシスト
するロボットスーツHAL(hybrid assistive limb)
の研究開発などで知られる。

運動補助へのアプローチとしては、
大脳皮質の運動野の神経活動を拾って、
解析するというものもあるが、
山海先生のアプローチはより非侵襲的
かつシンプルである。

お話をうかがっていてなるほどと
思ったのは、時間的な遅延の
問題である。
普通に考えると
HALのアクチュエーターの動作が
遅れてしまうようにも思えるが、
人体において実際の筋電位が生じてから
筋肉が収縮するまで、ある程度の
delayがあるので、
筋電位を拾ってアクチュエーターを
動かすHALの動きはそれに
遅れるするどころか、むしろ
少し先回りするほどであるという。

注視点の動きを拾って、提示する
画像を変えるヴァーチャル・リアリティの
アプローチでは、常に時間的な遅延が
問題になる。
それを避けるために、注視点の動きを
予想して、画像を先回り表示しようとするが、
難しい。
どうしても不自然さが残る。
注視点の移動した後で、意識に上る
視覚情報がアップデートするまでに
それほどの時間を要しないからでる。

ロボットスーツは、当然、身体
イメージを変える。
人間の脳の、感覚・運動フィードバックに
おける時間的一致の検出精度は高く、
もしアクチュエーターの動きに遅れが
あれば、身体感覚に不自然さが
伴うだろう。

山海先生のアプローチは、筋電位
から筋収縮への時間的遅延という、
自然の身体の条件に根ざした、
まさにコロンブスの卵的発想
であるように思われた。

山海先生は、人工心臓も研究
されていて、
埋め込む際、人工心臓側を変にアダプティヴ
にしてはいけないということが
経験則上わかってきたのだという。

脳や身体の方が、すぐれた適応性を
持っている。
HALにせよ、人工心臓にせよ、
リーズナブルな特性を持たせたら、
あとはそれを安定させて、生体側が
適応した方が良い。

人工心臓側もアダプティヴにしてしまうと、
生体との間で適応の無限ループのような
ものができて、生体側を消耗させてしまう
のである。

この話は、スタンドアローンの人工知能
か、それともグーグルのような全く
異なる原理に基づく補完システムか
という問題にもつながる、
大変深いテーマを提起している。

とてもとても楽しそうな
雰囲気の山海研究室を後にする。

 筑波大学の構内を歩いていると、
フラッシュバックした。
 ここは、つくばマラソンではあはあぜえぜえ
しながら走る、あの道ではないか。

 苦しかったなあ。足が痛かったなあ。
もらったバナナがおいしかったなあ。
 そのままへたり込みたかったなあ。

 マラソンで苦しかったことだったら、
「忘れた猫」になってもいいや。

その一方で、木戸先生や山海先生と
話したことは、ずっとずっと忘れない
猫でいたい。

4月 28, 2007 at 09:13 午前 |

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本日のセレンディピティ:「ビター・プレート」と強力磁石の話。\(^o^)/ えへ。 実は、今年の春先にググっていたのですが、記事にしてなかったので、 物理ネタ・ひでりの今、あげさせてもらいます。\(^o^)/ 「凡人おやじのググり魂」に火をつけた記事がこちらでした。\(^o^)/ クオリア日記2007.4.28 by 茂木健一郎氏 「たくさんのことを忘れた猫」より:ビタープレート http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/04/post_... [続きを読む]

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コメント

灼けた黄色いHONDA beat の下の猫


此処・・そう長屋というには存外瀟洒な洋館 めぞん一刻館

nouveau の敷地内、正面の玄関に向かって右側、長屋の右奥の

古井戸のそば が おいらのご主人 風のモバイラーの旦那が

最近乗り回して遊んでいる車の定位置なんだけど。

おいらその下で涼んだりして

キツイ真昼の紫外線をやり過ごしてて・・

でも午前や日が傾き始める頃からは とても気持ちがいいんだ

緑が滴るような庭を眺めながら、まどろんでいるのが

この季節の過ごし方だと思うけど


ご主人はそうもいかないみたいで、朝早くから子供たちの世話を焼いて

ちょっとイライラが募っているみたいで おいらまでそのとばっちり

を喰う始末でさ・・ 

この ごくつぶしの、ひまつぶしの、かつおぶしの

馬鹿猫が!!とか・・

おめえ 灼けたトタン屋根の上の猫 を知ってるか?

芝居観たことあるか ビビアン・リーってどう思う?

とかいきなり話しかけてきて、おいらが無視していると

いやがらせ 腹いせに・・

ああ 目に青葉、庭のバカ猫、発情期 ってか 

ほれ 初鰹食うか?うめえなあほんと・・なんていって

横目でおいらの様子を見ながら美味そうにビールを

グビグビと・・さすがのおいらも喉鳴らしちゃって

それ見て ガハハ・・だなんて これってパワーハラスメント

だろ!!ニャロメ

そうかと思うと 明日はアイルトン・セナがイモラ・サーキットで

天に召された日だぜ・・ってやけにしんみりしちゃって

おいらにも煙草すすめてくれたっけ・・

ほんと 難儀で感傷的な僕のご主人さま なのである


風のモバイラーに弄ばれた猫 from nomgroove.com

投稿: 風のモバイラー&野村和生 | 2007/05/01 3:13:09

ビター・プレート
じ・・・っと見ていると、なんだか曼荼羅のようですね。

投稿: ettoo | 2007/04/29 19:29:54

マラソンだなんて凄いですね。
文武両道。
私は今や毎朝会社迄800mも走覇できません。

それでも昔は体育会のバスケ部に所属していて、
筑波大には練習試合で行ったことがあります。

自衛隊がパラシュート降下訓練を
していた記憶があるのですが、
あっているのかなあ。あやふやな猫。

昨日一輪のミニひまわりを購入しました。
寂しげに咲くので、隣に座って
ずっと一緒にいたくなります。

カモミールとラベンダーは三月から
未だにずっと花をつけ続けています。

花を育てるのは今年初めての挑戦でしたが
慈しむと、こんなにも長く、次々と
蕾をつけて、咲き続けてくれるのですね。
嬉しい驚きです。

花が終わることは毎日心配しています。
心配がはじまったら、はっとして切り替えようと
思うのですが、あれれと不思議な感じです。
めったに心配しないタイプなのになあ。
ふっと物思いに浸ってしまっています。

でもとても可愛いし、いとおしいし、
咲いている花を今は楽しもうと思うのです。

年齢を重ねると共に堅くなる心が
花咲くことによって、素直に微笑んで
懐かしいような照れくさいような気持ちに
なれることが新鮮で

昔あたりまえだったことが幸せなことで
幸せはささやかなことにあるものだと
つくづく思っています。

ところで書いている最中に
睡眠の世界に落ちてしまいましたw
さて今日は自転車直してからお仕事です。

投稿: hiruoumu | 2007/04/29 10:33:07

我々が、若し、そのままの姿で中性子星にいたら、なるほど、はじけてバラバラになってしまうのに違いない。マグネット関係の研究はまことに奥深い。
ビター・プレート、何とも面白くまたきれいなものですね。月並みな意見で申し訳ないですが、これをみていたら、ゴールドディスクに見えてきました。ハイ

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/28 18:44:03

人は死ねばすべてのことを忘れたようになっているが、過去の経験したことや習い覚えたことは、すべて「業」(カルマ)として残るということが、仏説には説かれているという。

仮令、頭脳的には自分自身の「自我」を初め、今まで自分が生きてきた軌跡をすべて忘れても、カルマとなって生命自体に蓄積されることを思えば、瑣末でよけいなこと、忘れてもいいようなことは「忘れた猫」のようになってもいいと思っている。

機械と生身の脳と身体との適応性の差を比べてみれば、確かに生体の脳や肉体のほうがあらゆるシチュエイションへの適応性に優れているのは自明の理だ。

だから、人工心臓やその他の人造臓器、ロボットスーツなどのいわば「精密人体補助具」は、リーズナブルな特性をもたせたら、あとはその特性を安定させて、生体側に適応させるのがベストなのだろう。

しかし、若し、自分がそういう精密人体補助具のお世話になる時がきたら、どのような思いにとらわれるだろうか?・・・きっと、機械の進歩次第では、拒否するか、受け入れるか二択に一択の決断を迫られるだろう、当然ながら。

「フューチャーリスト宣言」が早くとも連休明け、いよいよ店頭に並ばれるそうで・・・。

上掲書の紹介ページを拝見しました。組織に縛られる生き方は古いとありますが、組織にもいろいろございます。なかんずく構成員が、一人一人自立(自律)した個人からなる組織・・・しかもこういう組織は個人の魂の自由を束縛しません・・・はこれからの時代も生き残ると思います。

まぁ、少なくとも、自分は一般的な「組織」という枠には束縛されたくはないのですが。
それでは。

茂木先生のGWがとても自由で充実したものになりますように・・・。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/28 12:15:19

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