もう一つの方法
詩人の吉増剛造さんにお目にかかる。
話をしながら、手元の紙に
キーワードをメモされていく。
「はあ、そうですか、面白いですね」
と言われて、赤字がどんどん増えていく。
天空から
地上に降り立った不思議な鳥の
足跡のように、吉増さんの筆跡が
踊った。
ブラジルの話をした。
詩のことを話した。
現代について、未来について話した。
ふわっと柔らかな空気の中に
手を入れて、
その感触を味わいながら
回しているような、
そんな不思議な方だった。
世界がある見え方としてあるとして、
その色を全部変えてしまおうと
思ったら、
『不思議の国のアリス』の最後に
出てくるトランプの兵隊たちのように、
ペンキを持ち、刷毛を手に
「いそげ、いそげ」と走り回らなければ
ならないだろう。
世界の色を変える、もう一つの方法がある。
自分の意識の色を変えることである。
私たちは、自分の心の彩りを通して
宇宙の全てを把握する。
意識の色を変えれば、
その瞬間、世界全体ががらりと変わる。
詩は、そのような内なる革命に
属する。
世界の見え方が変わるという意味において、
全ての学問、そして人生の実践には
詩的側面がある。
全ての事柄は、散文的かつ詩的な
存在の二重性においてからりんからりんと
回っていく。
4月 25, 2007 at 08:56 午前 | Permalink
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» 自然の恵みの中で… トラックバック なんでもあり! です 私の日記!!
頂いた筍で、木の芽和えを作りました。
庭に出て、山椒の木のトゲトゲをよけるようにして
柔らかい芽のついた小枝を手で折ります。
*
考えてみると、
こんなトゲトゲした山椒の木の芽が食べられるということに
人間が気付いた、そこにある種の驚きを感じます。
何が食べられて、何が毒があって危ないか…
もしかしたら、昔々の人々の少なからぬ犠牲(?)の上に
つまり、初めて食した人の勇気やチャレンジ精神のもとに(?)
得てきた知恵... [続きを読む]
受信: 2007/04/25 23:18:41
» 変われるという可能性 トラックバック セレンディピティ 〜まだ見ぬ君へ〜
上手く行かないことに直面すると、
すぐに後悔する人。
やり始めても、途中で投げ出してしまう人。
困難や面倒が苦手で、
ピンチに怯む人。
これは、ある特定の人に特化した傾向ではなく、
誰しもそんな場面に出くわしたり、
経験したことがあるのではないだろうか....... [続きを読む]
受信: 2007/04/26 8:07:18
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コメント
クオリア日記を知って、だんだん強くなってきたように
思っていたけれど本当は人に甘えることを覚えて
弱くなっていたのかもしれません。
人に助けてもらえるようなことではないし、
自分でなんとかするしかない!とわかっていたのに
「今日は世界がこんな色に見えてしまった」と
誰かに話を聞いてもらえただけで安心してバラ色になってしまう。
「不安定さをどうしたらよいのか」という治療方法を
聞き出すことが目的ではなかったりする。。。
(どうしたらよいのでしょう?などと言うくせに!)
だから、同じことが起こった時にまた不安を感じてオロオロする。
私は、いつまでもこんなことを
続けていてはいけませんね。。。(笑)
投稿: まり | 2007/04/26 21:37:34
詩は心軽やかにしてくれるので
好きですよ。
さらりと不思議な心の浄化をくれます。
行動の実践は難しく
失った時を惜しむばかりに。
内なる革命を突然できるほどの
度胸が無いことを知り
でも詩的に世界が変わるものなら
眺めてみたいものですね。
以下は知っているかもしれませんが
ゲシュタルト心理学のダブスの詩です。
こう革命あれたならばなと思います。
「パールズを超えて」
曰く 我は我がことをなし 汝は汝のことをなす,と
されど それのみならば 我らの絆,失わるること明白なり
我が生くるは 汝の期待にそわんがために非ず
されど,我 かけがえなき汝の存在に脱帽せんとするものなり
そしてまた 我も汝に脱帽の礼をうけんと欲す
我ら相互に 心とこころふれあいしときのみ
我らここに在り,と宣言すべきなり
汝との絆失わば 我すでにおのれを喪失したも同然なり
我らの心ふれあいしは 偶然にあらず
心を尽くし思いをこめて 求めあいしがゆえに
心通うに至りしなり
いたずらに,事の流れに おのれをまかしたるに非ず
内に期するところありしが故に 心ふれあうに至りしなり
然り,事の起こりは 我が発心なり
されど 我が発心のみにて 足れりとするに非ず
真理のきざしあるは 我と汝と 共にあるときなり
投稿: natumikan | 2007/04/26 3:18:45
はじめまして。
中国古代の字書『説文解字』の叙文には「蒼頡という人物が鳥獣の足跡を見て、その紋様によってそれぞれを区別できる事を悟り、初めて文字を造った。」とあるそうです。これは造字伝説とされていますが、茂木さんも文字に対して同じようなイメージを持たれたんですね。はっとさせられました。
ご活躍をお祈りしています。
投稿: ここやし | 2007/04/26 2:41:03
“私達は、自分の心の彩りを通して宇宙の全てを把握する。意識の色を変えれば、その瞬間、世界全体ががらりと変わる。…詩は、そのような内なる革命に属する。”
古(いにしえ)から、人は詩という文字による芸術的手法を用いて、内なる革命を成し遂げ様としてきた。詩は、文字による魂の歌であり、心の彩りの美しき記録である。
歴史に名を残す偉大な詩人たちは、そうした内なる魂の革命を志向してきた。
ホメロス、ペトラルカ、タゴール、ゲーテ、中原中也、宮沢賢治、谷川俊太郎…。
詩人は文字を用いつつ、自らの「心の彩り」を伝え、変わる「意識の色」を伝え、我々の魂を震わせてきた。
吉増さんは、そうした古今の優れた詩人達の系譜に繋がるのに違いない。
そういえば、茂木先生が、ほぼ毎日更新してくださるこの日記も、ある種の
生き生きした“詩”のようである。
うむ?…そうか!この「クオリア日記」は、茂木健一郎という独りの人の「心の彩り」の記録、すなわち「詩」なのだったのか!
詩を通じて意識の色を変え、世界の見方を変えるなら、暗い絶望的な方向にではなく、どうせなら明るく力強い、希望の光に満ちた方向に意識の色を変え、それを詩として表現したい。
この世はあまりにも暗い悲しいことがらが多過ぎる。みんなが仮令、詩というものを通じて意識の色を明るく変えられたなら、悲しみと憎悪に満ちたこの世界を少しずつでも明るい希望にあふれる世界に変えていけるだろう…。
茂木先生の言われるように、意識の色をよいものに変えていけば、世界はよく変わると思う。世界を変えるには、人の内なる革命が必要なのだ。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/25 19:01:39
モロッコの人々の暮らしを最近映像でみたのですが、
強烈に詩的なものを感じました。
なぜだか自分の周囲や日常は、詩的に見えないんだなあ・・。
投稿: 平太 | 2007/04/25 12:39:32
>>
へえー 江戸ってすごい時代だったんだ
ごめんなさい・・ ただいまNHK総合 でシーボルトの
FAUNA JAPONIKA (ふぁうな やぽにか)のお話しを
驚きをもって・・不意打ちだなあ・・ みていますが
その細密な>>とくに魚類の図版は いまも
貴重な博物学上の文献として 使われているているのだ、と
まさしくそれは いのちを宿した様にリアルだ
神は細部に宿る >> それを書いた謎の絵師 トヨスケ
とは?
(まあね、NHKっていろんなこといわれてるわけだけど・・
その番組制作のクオリティにおいては比類がないよな
僕らの知的好奇心を刺激して止まない )
トヨスケ という人物が 当時の長崎・出島で非公式の
つまりは幕府の御用絵師=唐絵目利(からえめきき)ではなく
オランダ人の注文に応じて描いた 出島出入絵師 による
ものであり、そんな腕のある 「名もなき絵師」が
唯一 自らの作であることの証 として「或る絵」に
残した痕跡 ・・
それは 筆を持つ「手の指」 であった・・
これってまさしく 極私的に素敵な詩的宇宙・・だよね
>>つづく
投稿: 風のモバイラー&野村和生 | 2007/04/25 11:21:39
対談といえば、椎名誠さんとの対談は印象的でした。
なんとなくお二人は似ているような感じだったのが・・・・
投稿: おかだだれだ | 2007/04/25 10:14:36