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2007/04/02

現代人としてのたしなみ

念のために申し上げたいが、
昨日の日記(「信じる力が足りない」)
は「エイプリル・フール」
である。

 イギリスにいる時に、かの地の新聞
やテレビが、実に真剣に四月馬鹿に
取り組んでいるのを見て心を
動かされ、
 爾来、年に一回虚構を考えるのが
習い性になっている。

 エイプリル・フールというのは、
実際には悪ふざけとともに魂がひんやり
する不条理でもあると思う。

 この宇宙は、本当は人間のことなど
気にもかけていない。
 地球温暖化の問題など、人間は
とかく愛や自然保護などといった
お題目を考えて心を温かくしようとするが、
この宇宙は、本当は心が温かくなろうが
寒くなろうが、そんなことは
気にしていないのだ。
 
 四月馬鹿は、そのようなひんやりとした
宇宙の不条理と関係があるような
気がしてならない。

 日々の生活において、あんぱんを
食べたり、ビールを飲んだり、桜の
花がちらちらと散るのを眺めたり、
友人と語り合ったり、憤慨したり、
さまざまなことをする中で、
本当は宇宙にとっては全ては
同じことで、要するにどうでも
いいんだと知ること。
 それは、きっと、現代人としての
たしなみです。

 しかし、不条理の通奏低音を
聴きながらも、私たちは、なおも
愛や甘美をもとめざるを得ない
存在である。嗚呼。

 至上の芸術に触れて魂が感動する。
 その時にこそ、宇宙内存在の不条理と
それを突き抜ける何らかの救いへの
契機が顕れる。

4月 2, 2007 at 05:03 午前 |

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» この人、大好き。 トラックバック 上海生活
念のために申し上げたいが、 昨日の日記(「信じる力が足りない」) は「エイプリル・フール」 である。 (茂木健一郎『クオリア日記』より) (笑) この人、大好き。 [続きを読む]

受信: 2007/04/02 11:58:39

» クオリアな人のエイプリル・フール トラックバック straycatの人間観察
茂木 健一郎さんのエイプリル・フール記事.http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/04/post_c3f5.html すてきすぎる.ロマンチスト.まるでアルセーヌ・ルパンみたい.おまけに,これが「エイプリル・フール」ネタなんて.優雅すぎる.http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/04/post_5296.htmlで言明されてなければ,到底分かりませんでした(幻想小説ふう,とは思ったけれど,... [続きを読む]

受信: 2007/04/05 16:25:17

» 宇宙と人間。 トラックバック 「パンドラの函」の裏書き
 人間が、どんなにジタバタ、ドタバタしていたって、宇宙というやつはそれには関係なく動くもの。月も星も、空も雲も、地面も海も、すべては人間の思惑なんてお構いなしに運行されゆくものなのだ。宇宙は不条理なものだ。  地球温暖化にうろたえ、少子高齢化に怯え、教育崩壊に怯え、格差社会にうろたえる…そんな人間たちの右往左往とはまったく関係なく、宇宙は常に動いている。そこにある種のひやりとした不条理の感触がある、とはとある学者の説。  人間の思惑とは関わりなく宇宙は動くもんだ、だから宇宙は不条理なもの、と知る... [続きを読む]

受信: 2007/04/05 19:25:54

コメント

少なくとも、初老の紳士&淑女のたしなみ ・・なんじゃないの?

風のモバイラーは(07年モンダイ)について田舎の田圃道で

考えました(↑上空ひばり)

まあとにかく、巷間いわれているところの、いわゆるテクノデリック

(懐かしいなあ)、2007年問題は、煎じ詰めれば、かの中国の

幾何級数的経済成長というファクタァにも起因する・・と思われる、

地球温暖化>>砂漠化(昨日黄砂大量飛来す)が、僕たちの想像を

遥かに凌ぐレヴェルで進行している。・・のと同じでさあ。

煮てさ、焼いてさ、苦ってさ。

老害モンダイ!!・・に他ならない。これってとても言い難い

ことではあるけれど。この際、冥土のみやげに言い渡す。

一粒の麦、もし地に落ちて死なずば・・ なのよ。

さんざん楽しんだじゃない。お祭り騒ぎしたじゃん。

勝手にシラケテただろ。ブラザー もう十分だろ、BABY。

はやく枯れてくれよ、頼むぜ。


つい、先日も・・

気晴らしに、まあマスターズ・オブ GOLF も近いし、打ちっぱなし

の練習場へ出かけたのでございます。

そこで私が目にしたのは!!

できれば見たくない光景。すこしゾッとした、のでございます。

ここにもまた、07年モンダイが!!と思うとさ。なんだか。

私は怒りと戦慄を覚えながらも、A型の血か、隣の上手なお父さん

にSHOT の手解きを受けながら、気持ちのいい汗をかいて練習場を

後にしたのでございます。されど、ゴルフは楽し。やっぱこの

GAME=スポーツを考えた、英国紳士>>流石!!


ともかく、この 年寄りの冷や水!!モンダイ・・心臓に悪いって

・・ならぬ07年問題は、静かにしかし確実に遍在し、

死に至る病い にもにて・・ヤバイ。


by 風のモバイラー

投稿: 野村 和生 | 2007/04/04 21:38:43

「信じる力が足りない」が、エイプリルフールとは!?
改めて、茂木さんの才能とロマンティックな感性に脱帽!
その上「この宇宙は本当は人間の事など気にかけていない」・・・とは、リアリスティックで、う~ん、幅を見せ付けられた感じです。

投稿: Mayu | 2007/04/03 11:05:55

April Fool’s day に素敵なお話をありがとうございました。
昨日、そうではないかと思いつつ自信がなかったのは、茂木さんが記事をお書きになった時刻が午後だったからです。

エイプリル・フールのお話をしてもいいのは、お昼の12時までですよ。

投稿: Kaori | 2007/04/02 19:48:45

昨日の日記、私も実は毎年恒例の
「エイプリル・フール」として、楽しませていただきました。
なかなかにロマンティックな虚構の物語で、
とても心が和みました。
おかげで、ここ数日蓄積していた精神的疲労も、
いっぺんで吹っ飛びました。

有難う御座いました。

閑話休題、

宇宙というのはおっしゃるとおり、不条理なもので、
我々人類が、いま地球温暖化だからCO2を減らしましょうとか、
世界同時株安だから景気減退がこわいとか、なんとか
わらわら騒いでいても、まったく関係なく、
リズムに乗って動いているのだ。


四月馬鹿の日の虚構は、そういう宇宙の不条理と
やはり何処かが重なっているような気がする。
この世の不条理は、きっと宇宙のそれと繋がっているんだ。
繋がっているからこそ、ある種の「通奏低音」として
聞こえてくるんだ。

我々はそんな宇宙の不条理の通奏低音をいつも耳にしている。
そして、ドンナに我々がこの地上でドタバタ、ジタバタしていても
星々や銀河や地上を覆う緑を含めたこの宇宙は
関係なく動いているだけなんだ。

それが21世紀を生きる我等のたしなみというわけか。

でもそれだけじゃあ、我々の心は落ち着かず、潤わない。
もう一つ言うなら、救われない。
そこで「藝術」の力が必要となるのだろう。

“至高の藝術に触れて魂が感動する。その時にこそ、
宇宙内存在の不条理と、それを突き抜ける何らかの救いの
契機が顕れる。”

いまの我々は、安っぽい通俗小説、オタクアート、漫画などで
満足してはいないだろうか。

それでは、不条理を突き抜け、救いの契機を垣間見れはしまい。

我々が宇宙の不条理を突き抜け、真の魂の感動と救いを得るには、
天才たちが長い人類史の中で生み出していった、
宇宙の普遍を込めた至高の藝術に触れる以外にない。

…と、言いつつ、宇宙の不条理のひんやりした感じに
魂がふらふら揺らぐ自分がいる。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/02 19:05:09

『草枕』の非人情に傾倒したグレン・グールドが英訳の漱石に感じたのも、きっと「至上の芸術に触れて魂が感動する。その時にこそ、宇宙内存在の不条理とそれを突き抜ける何らかの救いへの契機が顕れる」ことだったでしょう。

それにしても、そんなに昔でもない『草枕』の日本語を、解説、ルビ抜きで読めない日本人が、私も含めて多数派と思う。

100年前の文士の古典の教養を引き継いだ湯川秀樹のような科学者は今何処。

投稿: fructose | 2007/04/02 18:21:22

4月馬鹿っていいですよね。
空言を堂々と言えるのって快感。
人を傷つけないウィットの効いた年に一度の緩衝剤。
気づくようで気づかなくて
「エイプリルフールだよ」って笑うのが最高。

「信じる力が足りない」は、
「う~ん、もしかして飛蚊症?」って心配し、
何度か読み返して、違うみたいだなぁって思い直し
科学者から 童話作家に転向かと・・・

今日の解説に 苦笑。
信じすぎた私には、不条理である。。。

ユーモア好きなのを忘れてました(アハッ)

投稿: hi | 2007/04/02 15:20:11

一昨日、花見を楽しんでいる景色を眺めながら、明日はエイプリルフールで、昨年の四弁桜につづいて茂木さんの日記が楽しみだなと思いながら、なんだか、突然、色々とリサイクルの嘘やら、温暖化の問題やらを、友人にまくし立てて話してしまった。
せっかくの花見なのに友人は迷惑だったろうに。

その裏には、温暖化が進むと、桜の景色も変わってくるだろうし、人の心も変わってきてしまうのかなという不安と怒りのようなもの、かってな思いがある。

人間は強いから、ソレにあわせて郷土の料理や、文化も変わっていくのだろうけど、変わるには早すぎるよな。僕にはまだ見て感じていないものが沢山ある。

切干大根の柚子コショウ和えを口に含んで、その歯ごたえと、ピリッとした辛味で、ちょっと怒りは収まりましたが。

投稿: 田村友則 | 2007/04/02 15:12:27

以前、授業の中でフェイク・ストーンという課題を与えられたことがあります。
それは、粘土と絵の具で作った石のあるべき場所を探して設置するという課題でした。
人間が存在していることではじめてその存在が確認できる。
それを考えると、人間が生きてることもそんなに悪くないのかなと思えます。

投稿: alp | 2007/04/02 15:10:13

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