« そこにフォーカスを与え続けると | トップページ | ボクが小学校の時には »

2007/04/05

現代と「単連結」にだけは

朝、コーヒーを飲みながらバッハの
『コーヒー・カンタータ』
を聴きながら、やっぱりこのような
曲は好きだなあと思った。

 娘がコーヒーに夢中になって、
「お父さんごめんなさい、私はどうしても
コーヒーがやめられないの」
と言い、父親が
 「困ったやつだ。そんなことを続けていると
大変なことになるぞ」
などと問答をする脱力した歌詞の
曲だけれども、
 メロディーと相まって何とも言えない
雰囲気をかもし出している。

 バッハの曲の中で、何が一番好きか
と言えば、
 やはり私にとっては『マタイ受難曲』
や『ゴールドベルク変奏曲』あたりが
上位に来るのだろうと思う。

 それに対して、『コーヒーカンタータ』
はきっと上位にはランクインしないだろう。
 「無人島に持っていく一枚」にも
ならないだろう。

 しかし、だからと言ってこの世に存在しなくても
良いかと言えば、そんなことはなくて、
他のもののでは代え難いユニークな
存在感を持っている。

 世界は、「これとこれではどっちが
良い?」
という勝ち抜き戦ではない。

 あえて比べれば、どちらが良いか、
というような判断はあるかもしれないが、
「比べる」ということがそもそも
一つの強制力、暴力性の
現れである。

 世界のほとんどのものは、比べられもせず、
お互いに無干渉で、勝手に息づいているのだ。

 多様性とは、実は断絶の問題でもある。
 
 グーグルのページランクはインターネットの
世界を単連結のグラフ構造と見て、その
単一クラスターの中での比較をする。
 それは明らかに便利だが、劇薬でも
あるということを銘記すべきだろう。

 生物の歴史を見ると、繁殖集団として
隔離された時に進化が進む。
 単連結なポピュレーション・ダイナミクスには
脆弱性があるのだ。

 だからこそ、we agree to disagreeということが
大事である。

 東京芸大を今週卒業してアーティスト
活動を始めた杉原信幸からメールが
きた。

 「高野山、仁徳天皇陵、天理教会、三鳥居神社
奈良の前方後円墳など
とてもおもしろい旅でした

石、巨石の文化
白い石の美しさから
桜も霞んでしまうほどでした」

とある。

 毎日追われているオレから見たら、
ファンタジーのような生活で、うらやましいな
と思いつつ、
 いや、オレも、現代と「単連結」にだけは
絶対にならないぞと
春霞に改めて誓った。

4月 5, 2007 at 07:27 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 現代と「単連結」にだけは:

» MIYAKOのことなんか、誰も知らないくせに トラックバック ★けむりん@プチブルBLOG★
4/24放映予定のNHK「プロフェッショナル」に、バレリーナ吉田都が登場する。プロフィールにあるように、また何度もエントリーしてきたように、俺様とそしてワイフの二人は、大のMIYAKOファンだ。 俺たちにとって彼女の記憶は別格中の別格。メモリーボックスの中でも最上級の... [続きを読む]

受信: 2007/04/05 14:01:14

» 山岡鉄舟の鉄扇(7) トラックバック 御林守河村家を守る会
反応がすくなかったので、 名作『剣』のUPはいたしません(プンプン)。 山岡鉄舟の話しにもどります。 山岡鉄舟がどんなにすごいか、 このエピソードだけで充分でしょう。 というのは、 勝海舟が江戸城を無血開城すると決したことを、 駿府までせまっていた東海道先�... [続きを読む]

受信: 2007/04/06 6:17:20

» 世界は勝ち抜き戦ではない トラックバック My little corner of England
茂木さんの昨日のブログの中で、バッハのコーヒー・カンタータについての記述が面白く [続きを読む]

受信: 2007/04/06 20:52:46

コメント

世界というのは「これとこれどっちがよいですか」
なんていう勝ち抜き戦ではない筈なのに、
実際の世間を見ると、どれがいいですか、
なんていう“比べっこ”ばかりが流行っている。

茂木先生はきょうのエントリーで

“「比べる」ということがそもそも一つの強制力、
暴力性の表れである”

と、言われているが、
物事、人間の優勝劣敗を比較すると言うのは
まさしく一種の暴力性だろう。

この島国の世間ではそういう暴力性が
まかり通っていることが多い。


よく他人の子供と自分の子供とを比較して、
自分の子はどこそこがあの子より優れている、
という物言いをする親をみかけるが、
それこそ他者の子を貶め、
自分の子を優れていると標榜する、
世間にありがちのひとつの「暴力」である。

ホトンドの物が「比べられもせず、お互い無干渉で
勝手に息づいている」のが世界の一つの実相であり、
それが多様性の一つの大きな本質なのだろう。

我々現代人はあまりにも現代と
「単連結」してはいないだろうか。

グーグルのように単一クラスターの中で
物事を比較するような現代の風潮には
私もなびきたくないし、足を絡め取られたくは
ないと思っている。

現代と繋がって、仲良くなり過ぎては、
比較によって物事の優勝劣敗が決まってしまうような
現代の罠に足を取られてしまう。

私達は現代に生きつつも
その罠からは距離を置きたいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/05 19:17:17

こんにちは、
毎朝日記を拝見しています。

とりあえず

生物の歴史と
解釈の為の数々のロジック
 ↓
多様性の分断
 ↓
おのおののロジックが平行の線で
事象という面とのそれぞれの交点が意味になる。
 ↑
脅迫的な成長要求
比較の暴力

の思考プロセスを全部逆から持っていかれた感覚です。
自分の数時間の思考が簡単にうわーって感じです。
思わずスゴイなコワイなと言わざるを得ない。
しかも更に「単連結」ですか。何でも出てきますね。

言語と生命論ってどこか似ていますね。
同じ表象を別の言い回しで言っているような感覚。
進化のロジック案を色々読むのは面白いと思う反面、
もっと俯瞰で何かをみないと、
しかもこれらは断絶していないような。

そういえば生命生殖は月の周期で恒常を保ちながら
揺らいでいますね。
このエンテレキーは何なんだろう。

投稿: bone | 2007/04/05 19:11:05

インターネットをはじめ、マスコミの力点にも、<便利だが、劇薬でもあるということを>感じる。目指しているものは、面白い絵とそれに伴う広告収入である。ジャーナリズムも易きに流れる。

以前、ジャワ地震津波のときに、「経済効果は少ない」との記事が出たときは、心底あきれた。今回のソロモン大地震についても、どうも報道がボケている。経済効果は少ない地域だから? もし、これがカリフォルニア沿岸の都市のことであれば大報道合戦になっただろう、何せ経済効果が莫大なので。

投稿: fructose | 2007/04/05 13:11:29

自己における、現実世界と仮想世界との整合性をつくること----これが、おそらく重要なこと。

投稿: S | 2007/04/05 7:45:15

この記事へのコメントは終了しました。