« Forgetting | トップページ | The tuna night »

2007/04/16

一つの非日常がもう一つの強烈な非日常に

東京大学理学部一号館で、
佐藤勝彦先生に「宇宙論」の話を
うかがう。

 佐藤先生は、ビッグ・バンに先だって
起こる「インフレーション」と呼ばれる
プロセスについての理論研究のパイオニア。

 佐藤先生の論文が出版されたのが
1982年。私が物理学科に進学したのが
1983年で、ちょうど新任で佐藤
さんがいらした頃であった。

 なぜインフレーション・モデルが
必要とされたのかと言えば、
 宇宙には、「因果的な結合がないのに、
相関を持っている巨大な構造がある」
という事実があるからで、
 ビッグバンに先立ちインフレーションが
起これば、そのような特徴を説明できると
考えられた。

 話題は「タイムマシーン」に至る。
アインシュタインの一般相対性理論に
「ループをなす時間」の解があることを
示したのは、「不完全性定理」で
知られるゲーデルであった。

 その後、Kip S Thorneたちが1988年に
Physical Review Letters誌にWormholeを
使ったタイム・トラベルの原理についての
論文を発表した。
 
 一般相対論で記述される時空に、
タイムトラベルを許容する解がある
ということは、何を意味するか?

 二つの可能性がある。実際に
タイムトラベルが可能である。
あるいは、一般相対論の理屈がどこか
間違っている。

 佐藤勝彦さんや、S. Hawkingは、
タイムトラベル、とりわけ「過去」
にさかのぼることを許容するような
世界線は不可能であると考える。
 なぜならば、過去にさかのぼって、
自分の祖父を殺してしまう「祖父殺し
のパラドックス」が生じて
しまうからだ。

 未来へのタイム・トラベルならば、
そのような矛盾は生じない。
 「未来にならば、どんどん旅して
ください」と佐藤先生は笑って言われた。

 もっとも、過去にタイム・トラベル
をするということも、
 「量子力学」の解釈の一つである
「多世界解釈」の下では、許容
される可能性がある。
 
 かつて、エヴァレット、最近では
David Deutschらが唱えている
多世界解釈では、世界は様々な
可能性へと分裂していくと考える。

 私が脳科学をやっている世界も
あれば、博士課程の時に一瞬考えたように、
molecular dynamicsをやってその専門家に
なっている世界もあった。

 量子力学の「多世界解釈」はさらに
激しい。
 電子の軌道の微細なふるまいまで、この
世を構成するありとあらゆる物質の軌道の
小さな差異までがどんどん分裂して
いくからである。
 そのような世界では、「タイムトラベル」
は許容されると言われても、
 一つの非日常がもう一つの強烈な非日常に
よって解毒されるようなもので、
 一体何が解決されているのやら、
よく考えるとわからない。

 しかし、ある理論的仮定があって、
そこから導かれる論理的帰結があると
すれば、それがいかに日常的感覚から
外れてしまっているとしても、
 その帰結が正しいと考えるのが、
物理学者たちの一つの偉大なる狂気である。

 佐藤先生の静かな語り口から
にじみ出てくる狂気は、
 科学が大衆化し、実際的な応用への
寄与ばかりが語られる現在において、
 大切な「知の牙城」であるように
思われた。

 佐藤先生の「インフレーション宇宙」
のモデルによれば、
 宇宙の誕生は「キノコ型」のワームホール
によるものであり、その「キノコ」の上に
さらにもう一つ「キノコ」ができる
というように、ぼこぼこ沢山の宇宙
(multiverse)ができてしまう。

 我々の住む「この」宇宙のスケールは
137億光年だが、そのような宇宙が
無数にできる。
 そんな「常識に反した」ことを言って
平然としていられるのは、それが
アインシュタンの一般相対性理論の
帰結だからで、「そうなっているから
仕方がない」ことなのである。

 もちろん、知っている人は知っている
ように、現代物理には一般相対性理論と
量子力学の統一の問題というやっかいな
未解決のエニグマがあり、
 最終的に何がどう転ぶかはわからない。
 
 実際、ホーキングは、ワームホールから
タイムマシーンができてしまうという
帰結を、量子力学的効果を考慮することで
解消してしまおうという試みを
している。

 佐藤先生の取り組まれている宇宙論は
極大のスケールを扱う分野だが、
最近では、極小のスケールを扱う
素粒子物理学、とりわけ超ひも理論や
超膜理論との関連性を強め、
宇宙論自体が素粒子物理学の理論的
予言を確認する場となっている。

 私たちの住むこの宇宙のマクロな構造
自体が、宇宙の創成期の量子的揺らぎを
そのまま拡大したものと考えられている
のだ。

 佐藤先生とのお話を終え、理学部一号館を
出る。
 今は建て直してしまって、新しくなって
いるわが母校。
 小柴記念ホールもできた。

 往年の面影はないが、
 古い建物も一部残っている。

 私の所属していた若林研究室の
生化学の実験室や、コンピュータの
マシーン・ルームがあった場所も
そのまま残っている。

 外を歩き、風に当たり、青葉を
見上げながら、遠いあの日々のことを思った。

 もし、タイムマシーンがあって、あの頃に
戻れたとしたら、私は一体何をして、
何を考えるのだろう。
 
 研究室の居室に椅子を三つ並べて仮眠をとって
いた、あの頃の私の夢と今の現実はどのような
関係にあるのだろうか。

 論理を突きつめる狂気が、明るい響きを
持つのならば、
 その光の中にこそ人類の未来はあるように
思われる。


旧理学部一号館。 二階に若林研究室の生化学の実験室があった。

4月 16, 2007 at 08:41 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一つの非日常がもう一つの強烈な非日常に:

» 残り桜 神戸・須磨寺 トラックバック 須磨寺ものがたり
今日午後より、数名の世話人で公園の花見ようの堤燈をとりはずし、 そのあと商店街の桜かざりのあとかたずけをした。 [続きを読む]

受信: 2007/04/16 16:45:29

» なんてこった・・・と思いかけて トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
   いつもの駐車場についた時間が遅めだったせいか    ウンと遠くの方にしか、空いたスペースがありません。    出入り口から遠い場所が嫌なのは    たくさん歩くことになる、というだけでなく…    そこに停まっている車のナンバープレートの「波」が    妙に気になって仕方ないからなのです。    ナンバープレートだけが浮かび上がり    数字が迫ってくる感じになるからです。    (疲れていると余計にね)       *          言葉というものは多彩なも... [続きを読む]

受信: 2007/04/17 0:59:19

» 「SONYらしくない」のが一番「SONYらしい」。 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@今更何を、と思われるかもしれないが、卓越した脳研究者・茂木健一郎博士について、独自に思ったことを書いてみようと思う。 @茂木さんは、いまや誰も知らない人はないほどに、著名人の仲間入りを果たしているが、そもそもは、東大を出て理化学研究所、ケンブリッジ大学留学を経て、SONYコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャー(主任研究員)をしている人である。 @茂木さんはこれまで、1997年に上梓した処女著作「脳とクオリア」(日経BP刊)を皮切りに、「生きて死ぬ私」(徳間書店刊/文庫版は筑摩書房より刊行... [続きを読む]

受信: 2007/04/17 19:48:59

コメント

はじめまして。このトピックとは全然関係ない内容の投稿をお許し下さい。

先日、「笑っていいとも」を拝見しました。その時に先生がおっしゃっていた、「共感覚」というお話にとても興味がありましたので、これを書かせていだたいています。

実は、私は昔から、どんな言葉を聞いても何となく頭の中に色が広がっていく感じがありました。といっても、先生がおっしゃっていたような、何万人に一人、というほどのレベルではないとは思うのですが。
それを自覚したのはある程度大人になってからなのですが、時々誰かに説明しようと、よく例えに数字を用いていたのですが、あまり人には理解してもらえずにいました。
この前の番組を観た時、「これが言いたかったんだ」と驚き、黙っていられませんでした。
とはいえ、先ほどもお伝えしましたが、恐らく私は軽いレベルのものだと思うのですが。

それをぜひお伝えしたく、これをお送りしました。

それでは、これからもご活躍なさいますよう、応援しております。

投稿: tomoe | 2007/04/23 20:13:08

i have somrthing in kwolgde,oh science
if you interested, take action for conversation.

投稿: isa toshihio | 2007/04/18 22:17:57

興味ある分野でしたので、楽しかったですm(´`)m

投稿: zero | 2007/04/17 19:46:08

ところで自分は学生の頃、共同研として、
生産研にお世話になっていました。
また別に、大岡山の東工大にも
お世話になっていました。
理化学研究所にも見学にいったことがあります。

ほとんど関係ないですが、ケンブリッジと
自分の大学で週一で教鞭をとってた先生に
(東大の物理学の先生でお名前忘れたのですが
あれ?もしやと思いました。)
ケンブリッジに見学においでと言われて、
ヨーロッパに渡りながら、結局イギリスまで
たどり着けなかったこともあります(笑)

些細にもなりませんが、
一度位すれ違っていたかもしれませんね。

自分はとても塩谷さんの代わりには
なりませんが、いつか川辺で二人で
酒飲みながら寝っころがって語り合いましょう!

あ、でも、酒に弱いんで、ヘロヘロに酔っぱらって
絡んできても、許してやってください(笑)

投稿: imomusikozou | 2007/04/17 16:09:06

宇宙のことがとても分かりやすいです。
いつも色々な宝物をありがとうございます。
ようやくインフレーションやホーキンス博士のやろうと
していることがつかめてきました。

極小から極大まで揺らぎが膨らんでゆくなんて
細胞と脳の認識の相対関係にも見えますね。
なんだかワクワクしてきます(笑)

今誰かと、思いつくままをワーーッと
語らいたい気分です。
あっているか、間違っているか、関係なしに
互いの勝手な思いつきで膨らましてゆく
学生の様なの自由な議論。
視点が変わっていて面白ければ
それで良いという風に。

自分の強みは無知さだなと思います。
何のバックグラウンドも評価も無いので
怖がる必要も失うもの無く
自由にイメージを語れます。
その自由を失うことになったら、きっと自分の
創造性も喜びも消滅すると思います。

事実自分は絵的な仕事を
選んだ為に自由に描く絵を失いました。
評価が怖いからです。業界連中が
絵を見る基準として、他者批判の「正当」と
する理由、デッサン、色使い、構成、
それら諸々の学が自分には全く無く、これら批判を
聞くのも講釈を受けるも煩わしくなったからです。

仕事である以上基準能力は必要ですが
只「正当」をこなした絵は作業です。では
自分の描きたい絵は何だろうと、ふと思いました。

自分を楽しませてくれる絵

すると、それが確実にあった10代を思い出し、
ほんとに気恥ずかしくなってきました。

なるほど、バカになってみるかな。

逆にこんなに経験知識のある10代なんて
最強かもしれません。
恐怖と「正当」とを忘れられるかなあ。
忘れられた先の、自分のことを信じてみよう。

そんな風に、毎日先生と議論している気に
なってる生意気なニキビ小僧のつもりです。

投稿: imomusikozou | 2007/04/17 15:59:09

未来にはタイムトラベル出来る可能性はあるが過去へはNO、という考えかたと、この宇宙を数多の世界に分けて考える世界、つまり量子力学による「多世界解釈」ならば「タイムトラベル」は許容されるという考えかたがあるというのは、このエントリーを見るまで知らなかった。

我等の住まうこの世界は、本当に色々と複雑に解釈されているのだなぁ。

「多世界解釈」では、この世の全てを構成する物質の細かな差異までがドンドン分裂する「一つの非日常がもう一つの強烈な非日常に」置きかえられていくことを唱えている、というわけか。

我々地球の存在する銀河系宇宙を含めた広大な宇宙を学問するとき、そこに様々な思考が存在する。世界は細かに分裂すると見るのが正しいのか、それとも過去には遡れないが未来には行くことが出来ると見るのが正しいのか、普通に考えるならば後者の考えかたに行きつくのが当然と言える。

ともあれ、マクロな宇宙論とミクロな量子力学とは、互いに裏表の関係にあるような気がする。(素人考えで申し訳ありません)


ただ、我々はイメージの世界では幾らでも過去の世界に遡ることが出来る。歴史文献や何十年前の写真などを見た記憶を手がかりに、アタマの中で幾らでも過去をさかのぼっていける。

アタマの中のイメージだけでの「タイムトラベル」で済んでいるのは、若し実際に「タイムトラベル」をしてしまった場合「祖父殺しのパラドックス」に陥るのを防いでいる、という面があるのではないか。

時間を過去へと遡り、自分の祖父を殺してしまったら、自分の存在というものが消えてしまうからなのだろう。


兎も角、我々の住まう地球を含む宇宙を論じるにせよ、脳のエニグマ(例えばクオリアの発生起源は何なのか)を論じるにせよ、その論理を突き詰める時に現われる「狂気」は、熟考よりも先に結論を求めたがる、あるいはこのエントリーで言われているような「科学の大衆化」現象に覆われがちなこの世の中で、極めて大切な「知の牙城」なのに違いない。

宇宙論にも量子力学にもそういう「知の牙城」がなくてはならない。無論脳科学にもなくてはならない。
そんな脳科学の「知の牙城」を守る人の一人がこの日記を書いている、茂木健一郎という人なのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/16 21:26:47

先生は本当に好奇心のカタマリなのですね。分野の異なるエキスパートとのエキサイティングな会話。複雑系を生んだサンタフェ研究所を想像させます。大学って本当は、そういう開かれた会話が発生する場所であることが理想なんでしょうね。
例えば、安田講堂前の大きなクスノキの下の石のベンチで理学部の学生と経済学部の学生が、サンドイッチをパクつきながら、進化について語り合っているとか・・・。
昔と変わらない理学部一号館の写真を見て、ふと、そんな空想が浮かんできました。
(私自身は精密の学部生でしたが、そのクスノキの下のベンチがお気に入りで、いつもそこでサボっておりました。15年ほど昔の話です。つい、懐かしくてコメントを入れさせて頂きました。)

投稿: 電気羊 | 2007/04/16 18:21:25

今回は知らないことだらけです
宇宙論は途方もない場所にいるのですね
学の浅い自分にはその欠片すら掴めません

タイムマシーン、未来には行けるけど過去へは戻れない
とは、現実感があります

それにしてもマクロ顕微鏡みたいなもので
宇宙を外から見てみたいモノです
無限のキノコ・・全く想像できないモノですから

投稿: 後藤 裕 | 2007/04/16 16:57:26

コメントを書く