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2007/04/03

諸学の成果に照らし合わせて

朝一番で、やや重い仕事を
終わらせた。

 将棋会館で、羽生善治さんに
おめにかかる。

 先日の渡辺明竜王とコンピュータの
将棋ソフトボナンザの対戦などの話を
する。

 「コンピュータとやると、自分の
将棋が変わりそうだから、ボクはやらない
んです」
と羽生さん。

 コンピュータと人間の未来の関係を
めぐって羽生さんと交わした会話は、
ずしりと来た。

 いい人なのである。

 お昼の時間に、代々木公園へ。
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のスタッフのお花見。

 しかしながら、手元で、私はひたすら
英文を読み、直し、打っていた。

 4月1日締め切りの国際会議の
アブストラクトがあり、
 研究室のメンバーがドラフトを
次々と送ってくる。

 アメリカ時間の4月1日のうちにと、
必死でfinalizeの作業をする。
 ものによっては、かなりの部分を
書き変えなければならない。

 その時電話が鳴った。筑摩書房の
福田恭子さんだった。

 「あの、茂木さん、梅田さんとの対談本の
ゲラですが・・・」

 忘れていた! そういえば、NHKの人たちと
お昼を食べながら花見をするので、その場で
ゲラをお渡ししますと言ったような
かすかな記憶がある。

 「すみません、実は忘れて
いました・・・」と言うと、
 「とにかく行きます」
と福田さん。

 福田さんが来て、となりで小山さんや
赤上さんと話し始めても、
 私はひたすらアブストラクトを
直している。

 ランチタイムが終わり、NHKの
局内に移動し、福田さんがゲラを見ながら
ちらちらとこちらを見るその視線を
痛いほど感じつつも、私はひたすら
アブストラクトを直している。

 8個めのアブストラクトが終わり、
あと一個、9個目で終わりだ、
とsubmissionしようと思って
学会のホームページに行って驚いた。

 なんと、締め切りが4月15日まで
延びている。
 延長は国際会議ではしばしばあることであるが、
8個のアブストラクトをfinalizeする
間は4月1日のままだったのに、
 花見もせず、ゲラを手にした福田さんの
視線にも耐えて一生懸命ひたすら
書いたアブストラクトだったのに、
 あまりにタイミングが良すぎる。

 まるで、アメリカから遠隔カメラで
私の様子を観察していて、
 「あやつはそろそろ最後の
アブストラクトを必死になってfinalizeし
終える頃だから、このタイミングで
締め切り延長の告知を出してからかって
やろう」
と集団謀議が行われていたかの
ようである。

 花見もできなかった今までの
時間は何だったのかと意気消沈しながら、
移動する。

 福田さんも許してくださったわけではない。
移動しながら、ゲラの疑問点をチェック。
 
 「まあ、茂木さん、4月中旬に
「ああ、あの時がんばってよかったなあ」
と思えますよ」
と慰められた。
 
 桜もそろそろ散りそうだ。

 自由意志の不可思議について考えた。
 
 果たして、人間には未来を自由に選び取る
余地があるのか。
 古典的決定論、量子力学的確率論、
神経認知科学。非線形力学。カオス。

 諸学の成果に照らし合わせて、
自由意志はありやなしや?

 私はそもそも、未来を選び取れた
のだろうか?

 辰巳琢郎さん、中村うさぎさんに
おめにかかる。

 雨は確実に桜を散らすだろう。

 徹したロジックの人は、一見狂人に見える
のではないか。
 正気とは、精神の成分をやさしく
分離しておくことを意味するからだ。

 自由意志についての論理を貫く時、
人の精神は異界に遊ぶことになるのだろう。

4月 3, 2007 at 08:08 午前 |

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» 自由意思というものは… トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
  厳密に言えば、人には真の自由意志は無いのでしょう。   むしろ、人は「自分は自由である、自立(律)的である」と   「思いたい存在」なのだろうと言うことはできると考えます。   現実には、意識しようがしまいが   外部からの制約や影響があるのであって   それでもなお「自由意志に基づいて」いると思いたいし、   また、そう思えればそれはそれで良いのです。   *   ついさっき、スーパーに買い物に行って   途中の草花に吸い寄せられて、信号を一回多く待つことになったのも、... [続きを読む]

受信: 2007/04/04 23:34:28

» 夜桜納め-季節を追うこと- トラックバック この地球を受け継ぐ者へ †
(追記) 本日、夕方、東京は雪。 確かに雪を見た。冷たい雨が降っていて、桜の花びらが舞っているのかと思った。 でも寒さが尋常ではない。耳がピリピリする寒さ。 雷も鳴る。雪が降った。 その中、4時間も外で仕事・・・・とは(笑) --------------------------------... [続きを読む]

受信: 2007/04/05 11:56:05

コメント

ココログのメンテナンスは結構時間がかかるもんなんですね。
きょう、訪れましたらコメントや
トラックバックを受けつける機能が復旧していて、
本当によかったです…。

“私はそもそも、未来を選び取れたのだろうか?”

…人間は未来を選べない。
未来は実は「選び取るもの」ではなくて、
「今、ここで創っていくもの」だと、私は思う。

現在、現在、今、今…の積み重ねの中で
自分が如何言う行動をしてきたかが、未来を決めるのだ。

個々の人間の未来は、彼等自身が
自由に選び取るものではなく、
彼等が現在においてその礎を
自由に創った結果、現れるものなのだ。

過去の因を知らんと欲せばその現在の果を見よ、
未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ、
とは東洋のさる聖哲の言葉だ。

未来も、過去もその因は現在にある。

だから私達人間は、よりよい未来を望みたければ、
今ここで賢明に頑張る以外にないのではないか。

爛漫と咲いていた東京の染井吉野も、
ここ2日間の花冷えと共に降り頻る雨で、
大方散ってしまったようだ。

茂木さんも、お花見が思うように出来なくて
さぞや残念でありましょう。

でも染井吉野の次は里桜(八重桜)だから、
それのお花見を楽しみに為さるのは如何でしょう?

きょうのコメントは多少生意気なものに
なってしまったようです。申し訳ありません。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/04 18:48:05

もし、運命のようなものがあって
万物全てが運命の手に委ねられているのだとしたら
全ての行動はおろか、精神や意志の働きにすら自由はないのでしょう

しかし、そう言いきってしまったときの不快感は何のでしょう
何か間違っている気がします
素直に受け入れざるものが潜んでいるのではないか
そういう感覚的に拒絶する何かがあります
それをただの個としての反発と捉えるには
些か人というモノは不思議なモノに囲まれているようで
もしかしたら、人は知らず知らず無意識のうちに何かを知り得ているのかもしれません
(それは無意識ではなく本能の様なモノなのかもしれませんが)

また運命の手は一つだけなのかという疑問も消えません
頂点に唯一絶対の法則が存在しているのか
はたまた、相互作用している幾つかの大きな法則が
いつもイレギュラーを起こしているのか

我々には空間は一つであるのでしょうが
その実は分かりません
異次元にある運命にすら干渉する何かを否定できませんが

よくよく考えてみれば、そういうモノは人間に掴めるはずもなく
我々は自由意志があろうと無かろうと
自由であるが様に振る舞い
無知で無様なのでしょうか
今日も、がむしゃらに生きています

投稿: 後藤 裕 | 2007/04/04 15:49:47

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