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2007/04/26

人生というくるくる回るコマ

思春期などには、自分というものが
不安定になる。
その不安定さは、つまりは、
「成長しつつある」ということの
証しであり、
不安定であることは、つまりは成長に
伴って避けることのできない
トレード・オフである。

一方、いい大人になってしまってから
往々にして
見られる現象であるが、
とりたてた成長の徴候なしに不安定になる
ことがある。

そのような不安定は、本人を、そして周囲の
人を、予想の付かないカオスの中へと
巻き込み、その中でかえって、永遠に
続く日常のようなものが演出されてしまう。

不安は、どのようにも精神を彫啄
できる、メスのようなものなのだ。

街を歩いていて、時折、言いようの
ない存在の不安とでもいうべき「発作」
に襲われることがある。
そのような時、これは自分の精神の
変化にとって大切な何かであろうと
直覚する。

自分の人生が、生きている限り止まることの
ない不断ナル運動に巻き込まれている、
よき証し、好ましき徴候であるとそれを
受け入れる。

江村哲二さんとの共著『音楽を「考える」』
(ちくまプリマー新書)、及び
梅田望夫さんとの共著『フューチャリスト宣言』
ができあがって、その見本を頂く。

 書店に出回るのは連休明けであるが、
それぞれに思い入れのある本であり、
感慨がわく。

筑摩書房の福田恭子さん、伊藤笑子さん、
ありがとうございました!

 本もまた、人間と同じように
成長するものなのではないだろうか。

 できあがったばかりの本は、
何だか地上に降り立ったばかりのような、
不安定で落ち着かない姿をしている。

 どんな風にもなり得るんだ。
ずさりと地面深く刺さるかもしれないし、
遠い成層圏に飛んでいってしまうかも
しれない。

 不安定さをうまく生かす、
ということが、人生というくるくる回る
コマの「調教」において
不可避の命題だと思う。


できた! できた! もう一つおまけにできた!

4月 26, 2007 at 07:51 午前 |

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コメント

不安定さ。
茂木さんが良く書いておられる
万物がうごめいていることに由来している?

動く物の上で 安定することはしごく困難。
常時 バランスを取って
自分の軸がぶれないように
どんな状況にも対応し、
また、変化を予測し備え無ければ
ほおり出されてしまう。
だから、不安は、不可欠で
経験とともに自信に変化するんだと思う。

ただ・・・
不安と恐怖の違いは
対象物がはっきりしているのが恐怖で
なんだか解らないけど・・・っていうのが不安らしい。
なんだか解らないものが 
どおでもいいものや 今でなくてもいいもの
やがて解決するものであって欲しいと願う。

投稿: hi | 2007/04/27 8:42:58

人間の感情に無駄な、あるいは忌避すべき感情というのはないと思う。全ての感情は人間を生かす方向、あるいは今まで人間を進化させてきた原動力だったのではないか。人間のもつ感情は、人間が自然というある意味困難の中で生き抜いてくるために必要不可欠のものだった。不安という感情がなく、楽しさや楽”しか”なかったら、人間の進化はどれほどだっただろうか。
そういったことを考えると、不安を忌避することを考えることはもったいないと思う。それを避けるのではなく、それに前面から向き合い、不安が伝えるメッセージをしっかり受け止め、それを次の自分の方向性に生かしていくというのが結局は自分の成長につながっていくことではないだろうか。嫌と思われることから逃げれば逃げるほど、逃げてはいなくて、寧ろ嫌なものから首を絞められているということに気がついたほうがいい。

投稿: おはし | 2007/04/27 7:14:07

不安、というと、如何も普通“びびり”と共に
「これは受け入れたくない!」
という精神的免疫が働きがちなのだが、

人生は死の瞬間までとどまらぬものであるならば、
不安を否定的に捉えるよりも、
寧ろ肯定的に捉えた方が、人生を生きる上でプラスになるのだろう…。

生きることは不安定とワンセットになって、
時間、空間を進んでいくことなのだということを
キモに銘じたいものだ。

不安定さは心に抱きがちな不安とおそらく、
一つなのだ。

その不安定さと不安とをワンセットとして、
うまく活かすことが、人生という「コマ」を
「調教」する上での不可避の命題と、
このエントリーではいわれているが…。

しかし、現実問題として、多くの現代人は、
この“人生ゴマ”を調教するために
“不安”という「技巧」をうまく活かして
扱うことがままならず、
目の前の現実に敗北し、結果、
“人生ゴマ”のバランスを崩してしまいがちだ。

如何すれば、くるくる廻る人生ゴマの
バランスを崩さぬように、不安定さを
活かすことが出来るだろうか。


きわめて月並みなことではあるが
(茂木先生もきっとそうなさっていることだろう)、
古今の哲人・賢者の格言に耳を傾けることを
まずは心がければ如何であろうか。

そこに、人生ゴマの調教に
不安さあるいは不安定さをうまく活かす
ヒントが隠されているのではないか。
少なくとも私はそう思いマス。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/04/26 19:32:49

いつも楽しく拝見しております。
人間にとっては不安は生きるためには不可欠だと思います。それがあるから人間は現実を直視しようとするし、自分自身と対話しようとする。それが気づきや悟ったりにつながる。そして人間は成長できる。不安は嫌だと思うけど、不安とうまくつきあうことができれば、不安をエンジョイできると思うし、成長の糧にできる。だから、不安は嫌だと思うのは損だと思う。この世の中は全て二面性をもつと言っても過言ではないのじゃないでしょうか。この二面性をどう咀嚼し対応していくか。
しかし人間はよく出来ていますね。不安や楽しさが交互に心の感情の中に満ち潮や引き潮のごとく表れる。自然の人間に対するアメとむちという感じもする。あまり不安ばっかりさせるのもいけないし、かといって楽しさばかりでも人間は駄目になる。

投稿: おはし | 2007/04/26 13:23:41

いつも拝見してます。ご出版おめでとうございます。

投稿: F | 2007/04/26 12:02:31

茂木さん、さっそく写真までアップしてくださり、有難うございます!
嬉しい一日のスタートとなりました。感激です。

補足情報というか初コメント、筑摩書房より失礼致します。

ちくまプリマー新書『音楽を「考える」』
ちくま新書『フューチャリスト宣言』

ともに、5月9日には、書店に並んでいることかと思います。
(首都圏ですと、少し早めの5月8日には並んでいることと思います。)
ネット上の書店では、5月7日から「発売」とありました。

皆さまご愛読のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: 伊藤笑子 | 2007/04/26 10:52:46

不安はややもすれば成長の兆しになるのですね
その微細な変化に着目すれば
不安ただ恐れるだけのものではなくなる
心にとめて頑張ろうと思います

「フーチャリスト宣言」は密かに楽しみにしていたので買います
インターネットの可能性
それとは逆に社会に悪影響となるかもしれない問題
非常に興味があります

投稿: 後藤 裕 | 2007/04/26 9:05:25

 とりたてた成長の兆候もなく不安定になる。
 まさにいいようのない、沸々と沸き起こる心のざわつき・・・。そんな時、己の未熟さをつきつけられているような気になり、「何をおたおたしているのか。いけない、いけない、動揺するな、強くなれ、強くなれ」とそればかり自分自身に言い聞かせてきました。
 まず、「よき証し、好ましき徴候」と受け入れればいいんですね。
 目からウロコとは、このことです。無駄な力が抜けて軽くなりました。
 茂木先生に感謝します。ありがとうございます。

投稿: 尾野桂子 | 2007/04/26 9:03:13

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