Wittgenstein's cat
4月 30, 2007 at 10:39 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
重松清さんとお話する。
宝島社の田畑博文さん、西山千香子さん
がお目付役。
「茂木さんが、この前、ブログで、
ボクが原稿書き専用のハイヤー
を手配していると書いたでしょう。」
「はあ。」
「あれで、困っちゃったんですよ。さる
大物作家に会った時に、シゲマツ君は
最近そうなんだってねえ、と言われて。」
「ははは。どなたですか?」
「それは言えませんよ。」
「それにしても、当時は月産600枚
でしたが、最近はどうですか?」
「最近は、800枚ですよ。」
「800枚。うわあ。」
「何でもないですよ。」
「しかし、書かない日もあるとして、
30枚くらい書く日がかなりないと、
達成できませんね。」
「30枚くらいだったら、何てこと
はないですよ。ちょちょいのちょい」
「ひええ。」
あな恐ろしや。
重松さんは、あのパワフルな身体から、
がしがしがしと猛スピードで完成原稿を生み出すのであろう。
今までの流れを受けて、
涙について話し、やがて感情教育の
問題に至る。
どのような時に涙を流すかということは、
文化的に条件付けられたことである。
赤ちゃんが流すような涙もあれば、
聖書に「ジーザスは泣いた」
とあるように、神の子が流す涙もある。
どのような時に涙を流すか。
これは、感情教育の問題である。
知的な笑いがあるように、
知的な涙もある。
涙のしきい値は、高い方が価値がある。
簡単に涙を流さない、nil admirariの
精神にも涙を流させること。
たとえば、この宇宙で起こることは
およそ全て知ってしまっている
はずの、創造主たる神その人に
涙を流させること。
「神の涙」こそが、全ての表現者の
究極の目標ではないか。
お話の後、中華料理屋でご飯を
食べる。
作家論になる。
「本当に偉い作家はね・・・」
と重松さん。
「作品を書いていないのに、あの人は作家だ、
作家以外の何ものでもない、と思わせる人
ですよ。
あの人はあの作品とこの作品があるから、
立派な作家だ、というようでは、まだまだ
ダメだ。
あれ、あの人どんな作品があったっけ、
と思い出すことができないのに、
誰が見ても作家以外の何者でもない、
そう思わせるようになったら、
それは本物の作家ですな!」
そんな話をしている
重松さんの様子を記録しておこうと、
写真をパチリと撮ったら、
鏡に、カメラを構える私の姿も映っていた。
重松清さん
帰り道につらつら考える。
最近の私の人生の課題は、実に、いかに
集積度を上げるか、密度を濃縮していくか
ということにある。
もし、全ての仕事が原稿用紙の枚数に
換算できるならば、
原稿用紙換算月産600枚、800枚の
仕事を、ずっと続けなければなるまい。
様々な要素が、ぎゅうと濃縮することで、
不思議な反応が起こって新しいものが
生まれるはずだ。
そして、
夜の間に、脳の中でせっせと記憶の整理を続ける
小人たち。
今朝もまたヴィヴィッドな夢を見た。
4月 30, 2007 at 09:36 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
「シュレディンガーの猫」をご存じか。
量子力学の不思議さを説明するための
思考実験で、
箱の中に猫と毒薬と放射性元素がある。
放射性元素が崩壊すると、毒薬が
こぼれて猫が死ぬ。
しかし、量子力学によると、
放射性元素が「崩壊」した世界と、
「崩壊していない」世界は
重ね合わされていて、
「観測」するまでわからない。
だから、箱を開けて観測するまでは、
毒薬のせいで「死んだ猫」
と「生きている猫」が重ね合わされて
存在していることになる。
実に不思議なことである。
一体どういうことか、
コペンハーゲン解釈、
多世界解釈、
量子重力理論などの諸説紛々、
まだ決着はついていない。
しかし、量子力学の不思議さを
説明するためとはいえ、
「死ぬ」と「生きる」が重ね合わさる
のではあんまり猫がかわいそうだ
というので、
しばらく前に「ヴィトゲンシュタインの猫」
というものを考えた。
猫が、ヴィトゲンシュタインに
難解な哲学を聞かされている。
5分後、果たして猫は目を輝かせて
聞いているか、
それとも眠ってしまっているか。
量子力学によれば、「聞いている猫」
と「眠っている猫」が観測するまでは
重ね合わされていることになる。
これが、「ヴィトゲンシュタインの猫」
である。
肝心なのは、猫が眠っているか、聞いているか
に関係なく、ヴィトゲンシュタインは
blah blah blah(ペラペラペラ)と話し続けている
ということ。
お好みによって、「塩谷賢の猫」「池上高志の猫」
「郡司ペギオ幸夫の猫」などとしても良い。
「ヴィトゲンシュタインの猫」
「科学大好き土よう塾」の収録。
福井茂人さんにお誘いいただいた。
ボクは、小学校5年の時放送委員会で
スタジオのカメラマンをやっていたことがある。
だから、カメラにはなんとなく馴染みがある。
スタジオでも、カメラの様子をふらふらと
見てしまう。
子どもたち(りん、まいほ、なおき)や、
中山エミリさん、室山塾長と
楽しく話した。
2007年5月26日(土)に放送予定。
科学大好き土よう塾のスタジオ。
終了後、近藤浩正さんと、電子顕微鏡の
話をする。
走査型電子顕微鏡で、どのようなおもしろい
ことができるだろうか!
最近は個人でも買えるモデルが出てきて、
養老孟司さんも500万円くらいのを
買ったという。
土に向かって難解な哲学をひとしきり
話したあとで、
微生物が眠ってしまっているか、それとも
起きているか、
そっとのぞいてみたい。
4月 29, 2007 at 08:24 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (1)
筑摩書房
『フューチャリスト宣言』
特設ページ
http://www.chikumashobo.co.jp/special/futurist/
梅田望夫さんのコメント
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070427
4月 28, 2007 at 09:27 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (12)
とにかく、沢山のものを、人生の
中に詰め込んでやろう。
そして、ぎゅうと凝縮してやろう。
そしたら、色とりどりの玉どうしが
結びつき始めるだろう。
臨界に達して、不思議な光を放ち
始めるだろう。
ただ心配なのは、自分の人生で
起こることを、すべて覚えていられるかなあ、
ということ。
面白いこと、深いこと、憤慨したこと。
胸を甘美な思いで満たしたこと。
昔読んだ小説に、「たくさんのことを
忘れた猫」というのが出てきた。
ぼくはやがて「たくさんのことを忘れた猫」
になってしまうのだろうか。
つくばエクスプレスに初めて乗る。
ずっと仕事をしていたので、沿線の景色は
あまり見ていないけれども、
「つくば」の一つ前の駅で平野が広がっていて、
そこを大規模に開発していて、
びっくりしたなあ。
物質・材料研究機構に
木戸義勇先生を訪問する。
木戸先生は、強い磁石をつくる方である。
現在世界最強の磁石はアメリカにあって、
約45テスラであるが、
木戸先生のチームは一時期世界記録を
持っていた。
強い磁石があると、たとえばMRIで
計測するとき、より高い分解能が得られる。
それだけでなく、強磁場での中では、ふだん
私たちが目にしないような物性が現れる。
たとえば、「反磁性」
強力な磁石をトマトに近づけると、
トマトは逃げる。
トマトの中の水が反磁性をもっているから
である。
従って、理論的には、強い磁場の中では
人間は反磁性によって浮かぶことが
できる。
強い磁場の中の物性には、まだまだ未知の
領域があり、
木戸先生はそのような未知の物性を強磁場を
つくることで研究されてきた。
この宇宙にある最強の磁場は、中性子星で
あるという。
だいたい、10の11乗テスラほど
あるらしい。
「中性子星に行くと、困るでしょうね」
「はあ」
「強力な重力場で、引きつけられる。一方、
反磁性で、反発される」
「それで、どうなりますか」
「最後はばらばらになって落ちていくでしょう」
そのような話をする時の木戸先生は、とても
うれしそうだった。
強力な磁石をつくるということは、つまり
磁束を封じ込めるということであり、
中性子星の場合は、重力場がその役割を
している。
地上の実験室で強力な磁石をつくろうと
すると、封じ込め、大電流、発熱などが
問題になる。
液体ヘリウムを用いて、超伝導コイルを
使う場合もある。
そのコイルをつくるための構造で、
ビッター・プレートというものが
あって、これがきれいだった。
穴の開いたプレートを少しずつずらして
重ねることで、コイルをつくるのである。
美しい。
アメリカの物理学者、Francis Bitterが
発明した。
木戸先生がビター・プレートを前に
にこにこと座っているところを、
写真にぱちりと撮った。
ぼくの記憶の中に、また一つの美しい石が
しまい込まれた。
ビター・プレート。
木戸義勇先生。ビター・プレートを前に。
筑波大学へ移動。
山海嘉之先生の研究室を訪問。
山海嘉之先生は、手足の動きをパワーアシスト
するロボットスーツHAL(hybrid assistive limb)
の研究開発などで知られる。
運動補助へのアプローチとしては、
大脳皮質の運動野の神経活動を拾って、
解析するというものもあるが、
山海先生のアプローチはより非侵襲的
かつシンプルである。
お話をうかがっていてなるほどと
思ったのは、時間的な遅延の
問題である。
普通に考えると
HALのアクチュエーターの動作が
遅れてしまうようにも思えるが、
人体において実際の筋電位が生じてから
筋肉が収縮するまで、ある程度の
delayがあるので、
筋電位を拾ってアクチュエーターを
動かすHALの動きはそれに
遅れるするどころか、むしろ
少し先回りするほどであるという。
注視点の動きを拾って、提示する
画像を変えるヴァーチャル・リアリティの
アプローチでは、常に時間的な遅延が
問題になる。
それを避けるために、注視点の動きを
予想して、画像を先回り表示しようとするが、
難しい。
どうしても不自然さが残る。
注視点の移動した後で、意識に上る
視覚情報がアップデートするまでに
それほどの時間を要しないからでる。
ロボットスーツは、当然、身体
イメージを変える。
人間の脳の、感覚・運動フィードバックに
おける時間的一致の検出精度は高く、
もしアクチュエーターの動きに遅れが
あれば、身体感覚に不自然さが
伴うだろう。
山海先生のアプローチは、筋電位
から筋収縮への時間的遅延という、
自然の身体の条件に根ざした、
まさにコロンブスの卵的発想
であるように思われた。
山海先生は、人工心臓も研究
されていて、
埋め込む際、人工心臓側を変にアダプティヴ
にしてはいけないということが
経験則上わかってきたのだという。
脳や身体の方が、すぐれた適応性を
持っている。
HALにせよ、人工心臓にせよ、
リーズナブルな特性を持たせたら、
あとはそれを安定させて、生体側が
適応した方が良い。
人工心臓側もアダプティヴにしてしまうと、
生体との間で適応の無限ループのような
ものができて、生体側を消耗させてしまう
のである。
この話は、スタンドアローンの人工知能
か、それともグーグルのような全く
異なる原理に基づく補完システムか
という問題にもつながる、
大変深いテーマを提起している。
とてもとても楽しそうな
雰囲気の山海研究室を後にする。
筑波大学の構内を歩いていると、
フラッシュバックした。
ここは、つくばマラソンではあはあぜえぜえ
しながら走る、あの道ではないか。
苦しかったなあ。足が痛かったなあ。
もらったバナナがおいしかったなあ。
そのままへたり込みたかったなあ。
マラソンで苦しかったことだったら、
「忘れた猫」になってもいいや。
その一方で、木戸先生や山海先生と
話したことは、ずっとずっと忘れない
猫でいたい。
4月 28, 2007 at 09:13 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (3)
古田貴之 × 茂木健一郎
2007年4月27日(金)24:40〜
TBS『R30』 「無謀な研究」コーナー
4月 27, 2007 at 08:34 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の取材で、
来日中のGoogleのCEO、Eric Schmidt
さんに話を聞く。
渋谷のグーグル日本支社で
住吉美紀さんと一緒にエリックと
向き合った。
有吉伸人さん、小山好晴さん、
生田聖子さん、鷹馬正裕さん
が現場に。
エリックは、グーグルは創造的
企業であり、創造的であるためには
情報はある程度自由に共有されて
いなければならないのだ、と言った。
創造的企業におけるトップ・マネッジメント
において大切なのは、何よりも
「聞く」こと。
どんなに賢い人ひとりよりも、
集団の方がさらに賢い。
人は、よく聞くことで、多くの
ことを学び、創造することが
できる。
何か自分の意見を言って、
それから、異論が出るのを待つ。
どちらが正しいか、議論が
進むのを聞いていることで、
多くのことを学ぶことができる。
もちろん、CEOとして、最終的には
自分が意思決定をする必要があるが、
その前のプロセスで、議論を
闘わせるのを聞いていることが
大切である。
グーグルは、様々な新しい企業文化を
生み出しつつあることで
知られているが、
そのグーグルを2001年以来
引っ張ってきたエリックの言葉は、
自由で柔らかかった。
トークの内容は、近日放送予定。
研究室のゼミ。
大学の教室で、前に一人ずつ
立って、先生のように解説する。
今回の担当は、星野くん、張さん、
田辺さんであった。
インターネットは遠い場所どうしの
人を結びつけたが、
その一方で、教室という物理的な
限定の中で、チョークを黒板にカチカチカチと
ぶつけて語り合う、そんな時間も存在する。
この二つのベクトルの間で引き裂かれて
あるということが、
これからしばらくの人間のあり方の
基本的条件なのだろう。
エリックは、グーグルのような企業
にとってのチャレンジの一つは、
世界のオペレーションにおいて、
いかに時差を乗り越えるかという
ことであると言った。
地球がくるくると自転するという
物理的制約自体が問題になる
時代に来ている。
「今、ここ」の限定も、情報空間における
仮想的な「神の視点」をいったんは
経由することでよりよく
照射されるようになっていくのだろう。
4月 27, 2007 at 05:17 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (0)
思春期などには、自分というものが
不安定になる。
その不安定さは、つまりは、
「成長しつつある」ということの
証しであり、
不安定であることは、つまりは成長に
伴って避けることのできない
トレード・オフである。
一方、いい大人になってしまってから
往々にして
見られる現象であるが、
とりたてた成長の徴候なしに不安定になる
ことがある。
そのような不安定は、本人を、そして周囲の
人を、予想の付かないカオスの中へと
巻き込み、その中でかえって、永遠に
続く日常のようなものが演出されてしまう。
不安は、どのようにも精神を彫啄
できる、メスのようなものなのだ。
街を歩いていて、時折、言いようの
ない存在の不安とでもいうべき「発作」
に襲われることがある。
そのような時、これは自分の精神の
変化にとって大切な何かであろうと
直覚する。
自分の人生が、生きている限り止まることの
ない不断ナル運動に巻き込まれている、
よき証し、好ましき徴候であるとそれを
受け入れる。
江村哲二さんとの共著『音楽を「考える」』
(ちくまプリマー新書)、及び
梅田望夫さんとの共著『フューチャリスト宣言』
ができあがって、その見本を頂く。
書店に出回るのは連休明けであるが、
それぞれに思い入れのある本であり、
感慨がわく。
筑摩書房の福田恭子さん、伊藤笑子さん、
ありがとうございました!
本もまた、人間と同じように
成長するものなのではないだろうか。
できあがったばかりの本は、
何だか地上に降り立ったばかりのような、
不安定で落ち着かない姿をしている。
どんな風にもなり得るんだ。
ずさりと地面深く刺さるかもしれないし、
遠い成層圏に飛んでいってしまうかも
しれない。
不安定さをうまく生かす、
ということが、人生というくるくる回る
コマの「調教」において
不可避の命題だと思う。
できた! できた! もう一つおまけにできた!
4月 26, 2007 at 07:51 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
詩人の吉増剛造さんにお目にかかる。
話をしながら、手元の紙に
キーワードをメモされていく。
「はあ、そうですか、面白いですね」
と言われて、赤字がどんどん増えていく。
天空から
地上に降り立った不思議な鳥の
足跡のように、吉増さんの筆跡が
踊った。
ブラジルの話をした。
詩のことを話した。
現代について、未来について話した。
ふわっと柔らかな空気の中に
手を入れて、
その感触を味わいながら
回しているような、
そんな不思議な方だった。
世界がある見え方としてあるとして、
その色を全部変えてしまおうと
思ったら、
『不思議の国のアリス』の最後に
出てくるトランプの兵隊たちのように、
ペンキを持ち、刷毛を手に
「いそげ、いそげ」と走り回らなければ
ならないだろう。
世界の色を変える、もう一つの方法がある。
自分の意識の色を変えることである。
私たちは、自分の心の彩りを通して
宇宙の全てを把握する。
意識の色を変えれば、
その瞬間、世界全体ががらりと変わる。
詩は、そのような内なる革命に
属する。
世界の見え方が変わるという意味において、
全ての学問、そして人生の実践には
詩的側面がある。
全ての事柄は、散文的かつ詩的な
存在の二重性においてからりんからりんと
回っていく。
4月 25, 2007 at 08:56 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (2)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第49回
自分を信じる強さを持て 〜バレリーナ・吉田都〜
世界的バレリーナ・吉田都(41歳)。29歳のとき、最高峰の英国ロイヤルバレエ団の最高位・プリンシパルに日本人女性として初めて就任、世界の観客を魅了してきた。昨年から日本のバレエ団に移籍し、東京とロンドンを往復しながら活動を続けている。今年1月には英国バレエ界のオスカーとも言われる英国批評家協会の最優秀女性ダンサー賞を受賞した。 その吉田の日常は、驚くほど地道で過酷だ。毎日変わらぬストレッチに、徹底的な練習。舞台に立つときも、「ジンクス」や「お守り」にあえて頼らない。必要なのは自分を信じる強さ、と言いきる。 今年2月、吉田はかつて封印した、ある難役に挑んでいた。バレエの人気演目、「白鳥の湖」。背を大きくそる白鳥のポーズがもたらす腰への負担、そして初めてペアを組む相手とのコンビネーション。過密スケジュールの中、舞台は刻一刻と迫っていく・・・。 知られざるバレエの舞台裏に密着。その華麗で過酷な「仕事術」に迫る。
NHK総合
2006年4月24日(火)22:00〜22:44
4月 24, 2007 at 07:06 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (7)
武者小路千家の次期家元、千宗屋
さんのお招きで、京都武者小路の
官休庵を訪ねる。
アレンジしてくださったのは、橋本
麻里さん。
上田義彦さん、永井一史さんが
同客。
橋本さんが「お詰め」をしてくださった。
官休庵は新緑や苔が目に美しく、
座っているだけで現代とは違ったところに
心が飛んでいくような気がする。
まずは、控えの席に座っていると、
千宗屋さんが座敷を箒で清める音が
聞こえてくる。
「正客」をつとめさせていただいた
私が、門のところで千さんと御挨拶。
すべては無言のうちに。
いったん控えに戻って、それから
茶室に入った。
ほの暗い茶室に上田さん、永井さん、
橋本さんと一緒に座して待つ。
千さんがいらして、炉をあらためる。
掛け軸は、千利休の手紙。
新茶が採れたから・・・
というような内容。
「こうして、最初に火を
皆で囲むという時間が設けられている
ことに、意味があると思います」
と千さん。
「まずはお参りを」
ということで、千利休の
像に拝礼する。
座を改め、お料理をいただく。
ご飯、汁物、先付け、酢の物、
お椀、香の物、おこげの入った
お湯、お酒。
「緊張と弛緩のリズムが、茶事には
うまく取り入れられています」
と千宗屋さん。
全ては、クライマックスである
「濃茶」へ向かって高められていく。
茶室に戻る。
掛け軸は花にかけ替えられている。
千利休が自ら切り出した、竹の花生け。
千宗屋さんが入って来られて、
「濃茶を差し上げます」
と言って、所作が始まった。
千さんが半眼に入る。
凛とした緊迫感が走る。
目に見えない刃が
やりとりされている。
戦慄した。
千利休その人が、そこに甦って
いるのではないかという錯覚に囚われた。
長次郎の赤楽茶碗でいただく。
生命そのものの源であるところの
濃い緑色をした、泥状のもの。
それまでに味わった全ての
食事、お酒、お菓子を消し去るほどの
深い一撃があった。
「そうでなくては困るのです」
と千さん。
ほの暗い茶室に身を寄せる
4人の客と亭主が、母の胎内で
息をひそめる兄弟姉妹たる
胎児の群れであるように思われてきた。
官能を通して歴史が継続していく
とは、何たることだろう。
2007年4月23日。武者小路の官休庵にて。
4月 24, 2007 at 07:01 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (2)
NHK文化センター主催の講演会で
けいはんなに来た。
講演開始直前、張り紙を見て
びっくりした。
「6月10日 放送予定」
などと書いてある。
言われていたのかもしれないが、すっかり
忘れていた。
「文化講演会」としてラジオで放送
されるらしい。
「編集して1時間にしますから、それ以上
話してください」と念を押される。
私は、「粗相の無いように」といつもよりも
気をつかって、お話をさせていただいた。
二日連続で非常にヴィヴィドな夢を
見て、その内容はあまり覚えていないのだけれども、
その中に出てきた人が強い実在感を
持っていたことだけは覚えている。
現実の世界で、たとえば池上高志とか、
郡司ペギオ幸夫とか、塩谷賢とか、
白洲信哉とかが持っている実在感に近い
なにものかがそれらの「夢中人物」には
まとわりついていた。
一体どういうことなのかと、しばし
考える。脳内現象としては、実は全てが
可能なのだと思わざるを得ない。
神秘体験をした人が、人格ががらりと
変わってしまうのもむべなるかな。
ただ、脳内カオスダイナミクスの帰結で
それが訪れるか否かという偶然に依存する
ということなのであろう。
日々、自分の脳内神経活動が一体
どれくらいの潜在的分岐を迎えているか
と考えると、恐れおののく。
自分はああであったかもしれないし、
こうであったかもしれない。
そんな、死んじまった可能性の
束として、今ここに私はある。
4月 23, 2007 at 06:35 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (2)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年5月6−13日号
(2006年4月23日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第52回
選挙に必要な「本気力」
抜粋
私は今までに一度だけ選挙で選ばれる側に立ったことがある。中学生2年生の時、クラス代表として推されて生徒会長の選挙に立候補した。体育館に全校生徒が集まって、一人ひとりが演説をした。
正直言って、勝ち目があるとはとても思えなかった。女の子に圧倒的な人気を誇る、かっこいいK君が出馬している。剣道部の主将で、ちょっと不良っぽいY君も出ている。K君はほっそりとした長身の美男子で、陸上部の練習に出ると、女の子から黄色い歓声が飛んだ。Y君は、いつも剣道の防具を小脇に抱えていて、バレンタインデーにチョコレートを沢山もらう。そんな二人に、人気の上で対抗できるはずがないと思った。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
4月 22, 2007 at 05:45 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
朝の少し冷たい空気の中で、
公園の森の梢を見て、
カラスがカアカアと鳴いているのを聞く。
もう少ししたら、あの森の下を走って
やろうと思う。
そんな時間を心地よいと感じる自分。
最初に「心地よい」環境があって、
その中に自分が生まれ落ちたと考え勝ち
だが、
むしろ、所与の時空を「心地よい」
と感じるように進化、発達してきたのだ。
木星の86%が水素、13%がヘリウム
からなる分子組成の大気が、ぐわんぐわんと
渦巻く環境を「心地よい」と感じる
存在もあるだろうし、
地球の地殻とコアの間にあるマントル層の、
モホロビチッチ不連続面を心地よいと
感じる存在もあるだろう。
常に仕事に追われ、情報がぎゅうと
圧縮されて猛スピードで行き交う、
そのような状態に自我をさらすことを
「心地よい」と感じることも
きっとあるはずだ。
千葉工業大学のFUROに古田貴之さんを
訪問する。
かって、古田さんが作った
Morphを見た時には驚いた。そのスピード。
古田さんは幼少期をインドで育って、
それから大病をして、ある種の生命哲学を
得た。
小さい時に鉄腕アトムを見て、
小学校の時から機械設計製図便覧を
眺めていた。
大学でロボット工学にはまり、
ご本人によると「一ヶ月で10時間しか
眠らない」集中ぶりで、
体重が30キロ減ったのだという。
ロボットをやることがオプションの
一つなのではなく、まさにそのために
生まれてきたとでもいうべき古田さん。
その熱やキラキラが一緒に行った
柳川透や野澤真一にもよき感化作用を
与えたようだ。
津田沼駅前でカレーうどんの専門店を
見つけ、昼食。
汐留に移動。
『世界一受けたい授業』の収録。
Segwayに乗って登場するという演出。
Segwayは、カリフォルニア工科大学の
近くでぎゅわーんと走っているのを
見たことがある。
うらやましくて仕方がなかったが、
ついに乗る時がきた!
つま先をちょっと乗せると前に動く。
もどすと止まる。
慣れてくると、ぎゅわんと曲がる
ことができる。面白い。
思い切り深く、濃く、考えて
行動してやろうと思う。
カレーうどんにさらにトウガラシ粉を
かけるがごとく、
いちご大福にあんことイチゴを
うんうんと詰め込むがごとく、
サンゴ礁の中で、驚いた魚たちが
色をまき散らすががとく。
どんな境遇でも、それを心地よい
と感じることは原理的にできるはずだ。
4月 22, 2007 at 05:39 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (5)
最近、「習慣」ということについてよく
考える。
もし、自由と可能性を強く求める
のならば、自分の人生における習慣
の問題に、より自覚的になるべきなの
ではないだろうか?
日本語を喋るというのも一つの
習慣である。
ものが下に落ちる重力空間に適した
身体運動をしているというのも、
一つの習慣である。
自分の名前が「茂木健一郎」
だと思っているのも、一つの習慣である。
これらの習慣の一つひとつは、「私」
を支える大切なインフラであると同時に、
かのワシリー・カンディンスキーが書いた
ような、色とりどりが虚空に浮かぶ
あのやさしくも激烈なる表現とは
遠い世界に私の魂を囲い込んでしまうのだ。
半ば規則的で、半ばランダムなのが
「偶有性」だが、
自分の人生を半ば習慣的で、半ば習慣的
ではない方向に追い込んでいかねばならない。
そうでないと、生きている甲斐がない。
サントリー音楽財団の佐々木亮さんが、
江村哲二さんのスコアを持って現れた。
おお!
私は感動してしまった。
私の書いた英詩を織り込みながら
マエストロによって書かれた音符たち。
これらの音符たちは、私たち生命を
束縛するあらゆる習慣から自由な場所に
住んでいて、
そして、人間の手によって引き寄せられ、
かき集められ、今まさに
ふしぎなかたちを取った。
江村さんに電話して、
「コングラッチュレーションズ!」と
申し上げる。
精神の川を、小石がたくさん
水に流されごろごろと転がっていって、
今まさにカチン! と当たったような。
表現とは、畢竟「自由」と「習慣」
の境界面のことではないか。
今日もまた、カチン、カチンと当たる
音がする。
4月 21, 2007 at 08:47 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (2)
2007年4月20日(本日)
「脳と創造性」第一回
朝日カルチャーセンター新宿
18:30〜20:30
4月 20, 2007 at 10:31 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
佐藤勝彦 × 茂木健一郎
対談 タイムマシーン、宇宙論
2007年4月20日(金)24:40〜
TBS『R30』 「無謀な研究」コーナー
4月 20, 2007 at 10:18 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
インターネットの時代の
問題点の一つとして最近考えているのが
「スケーラビリティ」の問題である。
友人というものには、適切なサイズが
あるのだと思う。
一人ひとりと、「その人ならでは」
という形で向き合わないと、人間の
コミュニケーションが持っている本来の
豊饒に出会えない。
私が「ソーシャル・ネットワーク・サービス」
(SNS)に懐疑的なのは、この
スケーラビリティの問題をクリアして
いないと考えるからである。
生命の愛おしさは、「今、ここ」
という限定から逃れられないという
ことの中にこそある。
もし、「今、ここ」の自分の精神と身体が、
世界に散らばった何億もの可能態の
一つでしかないとしたら、一つひとつの
アップダウンなど、それほどの関心事で
はなくなってしまうであろう。
神にとっては、この世の生きとし
生けるものは、チェスの駒に過ぎないかも
しれないが、
私たちが救われるのは、
たった一つの小さな生命の喪失を
世界全体が哀しんでいると感じる
時ではないか。
意識なんてものを持ってしまったから、
私たちは死を恐れるが、
しかし、だからこそ、「今、ここ」の
このちっぽけな命を少なくとも「私」
だけは愛おしんでくれる。
あるいは、他人との共感のうちに。
盛田英粮さんにご依頼を受けた、
Young Presidents' Organization
の来日メンバー向けの講演。
銀座のソニービルにて。
タイトルはThe Creative Brainで、
脳の創造性の基礎と、不確実性の
存在下でのdecision makingの話を
させていただく。
アメリカを始めとする各国からの
参加者はとても熱心で、
質疑応答も活発で私にとっても
面白かった。
「英語モード」は実に愉しい。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録の後、六本木に移動。
六本木スタジオにて、
松本人志さんとお話する。
松本さんは、何かを語っている
時に、自分自身で「ふふふ」
と笑ってしまうことがある。
これが、松本さんの芸の本質を
解き明かす一つの鍵であると
私は以前から思っていた。
松本さんは、「ボケとツッコミ」
の「ボケ」の方であるはずだが、
発言内容としては、実は世間の常識というもの
全体に対して「ツッコミ」をしている
ようなもので、
本来「ツッコミ」であるはずの
松本さんが「ボケ」として成り立っている
ところが、また面白い。
松本さんの笑いの背後には、「怒り」
があるという。
小さな子どもの時、三日連続で
雨が降った時、
松本さんは天に向かって「馬鹿野郎」
と叫んでいて、兄に、「お前は何をしているんだ」
と言われたそうである。
普通は、世間に対して怒って
批判する人は、ただ空気を冷えさせる
だけなのに対して、
松本さんの場合は、本人が怒って言っている
ことが笑いになってしまうのだ。
ちょうど、触れるものが全て黄金に
なってしまった古代ギリシャのミダス王
のように、松本さんは触れるものが
全て「笑い」になってしまう。
「時には真面目にとられたいことは
ないんですか?」
と聞くと、松本さんは
「それはありますよ!」
と答えた。
そのやりとりが、またもや
笑いとなってしまう。
ご一緒した有吉伸人さんと
「いやあ、面白かったですね」
と感想を言いながら歩く。
何となく一杯飲みたくなって
実に久しぶりに「もぐらのサルーテ」
に行った。
塩谷賢と学生時代に通った店である。
有吉さんの京都大学時代の後輩の
小松純也さん(フジテレビ)は、松本人志さんと
大変親しい。
そんなこんなを有吉さんと話しながら、
カウンターにて楽しんでいると、
マスターに意外なことを聞いた。
「もぐらのサルーテ」は、今月の28日
で閉店するというのである。
「えっ!」
と驚いて、それから、私が愛した、あの、
もぐらがグラスを挙げている意匠に
触れられなくなるのかと思い、
とても寂しい思いがした。
世にバーは数々あれど、「もぐらの
サルーテ」は特別である。
何かに引き寄せられるようにふらふらと
入って良かった。
「今、ここ」を引き受ければ、目にする
ものは全て黄金になるのではなかったか。
私の愛した「もぐらのサルーテ」
六本木スタジオにて、有吉伸人さんと。
4月 20, 2007 at 08:49 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (8)
タモリさんは、となりに座って話して
いて、とてもやわらかく温かい
印象の人だった。
舞台裏で待っている時に、広報の中谷さんが
写真をとってくださった。
沢山のお花や、電報をいただきました。
皆様のご厚情に心から感謝いたします。
CMの間に話していたことは、脳には
「取り扱い説明書」がないし、
一人ひとりの個性は違うので、
人生は結局自分の脳がどのような個性を
持っているかを見つけるプロセスである、
タモリさんもそうではありませんでしたか、
ということだった。
タモリさんも、「ぼくもわからない時期が
ありました」と言われていた。
むろん、個性は周囲の人との行き交いや、
様々なものに感化される中で変わっていく。
それでも、どうしても自分なりの感じ方、
切り取り方というものあるものである。
自分と志向性が違う人に会うことで、
かえって自分の個性が逆照射される。
だから、多くの人々と会った方が良い。
スタジオにいる人たちに向かって、
「みなさんがここにいる人たち全てと
自分を比べたら、それだけで自分の個性が
わかるはずです」
と申し上げた。
英訳の『悲劇の誕生』の中には、次のような一節
がある。
At the very climax of joy there sounds a cry of horror or a yearning lamentation for an irretrievable loss. In these Greek festivals, nature seems to reveal a sentimental trait; it is as if she were heaving a sigh at her dismemberment into individuals.
この処女作には、苦痛と喜びの関係とか、
「世界の個別化の原理」についての
紛れもないニーチェのユニーク
な思想が現れていて、その後の生涯は
その個性を陶冶する過程であったように
思われる。
(「悲劇の誕生」のドイツ語原文は
Project Gutenbergのサイト
http://www.gutenberg.org/dirs/etext05/8gbrt10.txt
で読める)
私自身、いろいろな形で世界と関わり、
様々な方と向き合うことで、
かえって、自分がどのような存在なのか、
少しずつわかってきたように思う。
ここのところ一週間くらい、
朝近くの公園を走っている。
雨模様の中を、木立の斜面を駆け上がる
といった無茶をするが、今のところ
すべって転んで「おお痛」という
ことにはなっていない。
一人になっている時と、誰かと向き合っている
時のコントラストが、
吸って吐く息づかいのように、徐々に
自分というものを変えていく。
4月 19, 2007 at 08:43 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (8)
急ぎ足で行く街をつつむ空気が
さわやかだから、
アタマの中で様々な事々が渦巻いて
いる時間の流れの中で、基本的に気持がいい。
授業を終えて、聖心女子大学の
キャンパスを歩いていると、
向こうから来る男の人が手を挙げる。
はて、誰だろう、と近づくにつれて、
青年のようなその人の姿が次第に
明らかになってきた。
船曳健夫さんであった。
「目が悪いの?」
と船曳さんが言う。
「いいえ。なんだか、印象が違って。
なんだかセイネンみたいでした。」
「茂木クン、ここで授業しているんだっけ?」
「ええ。脳科学を。船曳さんは?」
「ボクはね、演劇論をやっているの。」
「もう長いんですか?」
「27年になるよ。」
船曳さんの普段の姿は東京大学の教授である。
聖心のキャンパスで27年も授業を
していると一体どんな地層が心の中に
できるのか。
「27年!」
という言葉の感触を舌の上で転がせる。
国際学会に出す、学生たちのアブストラクトの
面倒を見るのが終わって、
最後に自分のを書く。
物理法則による世界の記述
におけるさまざまな「異常項」
が、意識の存在という「異常項」
とどのような関係にあるか。
そのカルキュラスについて
考察する。
NHKで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
「笑っていいとも」出演中の
辰巳琢郎さんから電話が来る。
最後に「いいとも」と言ったら、
「目の前で誰かがいいともと言っているところを
初めて見た」
と有吉伸人さんや須藤ユーリさんに言われた。
上野の東京芸術大学の美術解剖学教室で、
今春布施英利さんの研究室に進学した学生
さんたちや、関係者たちと話す。
私の東京工業大学の研究室の学生も
くる。
ボクの研究室は、マルチプル・キャンパス制
をとっている。
もちろん、ベースはすずかけ台にあるのだが、
五反田のソニーコンピュータサイエンス研究所、
(ほぼ)毎週美術解剖学の授業がある
東京芸術大学、親友池上高志のいる
東京大学駒場キャンパス、相澤洋二先生や
三輪敬之先生のいらっしゃる早稲田大学。
郡司ペギオ幸夫のいる神戸大学。
そのような様々な学問の場に
総合的に触れることで、
自らの内面を涵養してほしいと
思っているのだ。
芸大の学生たちと、
東工大のボクの研究室の学生たちが
すっかり親しくなっているのを見るのは
とても心地よいもので、そのような汽水域から
なにかが生まれてきてくれればいいと
思う。
布施研究室に修士一年で入った
ノブクニさんが、卒業論文を読ませて
くれた。
レオナルド・ダ・ヴィンチを極北とする
芸術論を志向しつつ、量子力学などを引きながら
意識の本質を論ずる大変本格的なもので、
驚いた。
粟田くんは、英語で書いたという
評論文を読ませてくれた。
ところどころ文法的、リズム的に背骨が
外れているが、目指しているところは
格調が高い!
ボクたちが、そのようにして、
「芸術とは何ぞや!」
「現代において、認知的衝撃を与えるような
表現はいかに可能か!」
「アカデミズムの形式には、どのような可能性が
あるのか!」
と風雅かつ力強く語り合っていると、
「ちわす!」
と言って、植田工がやってきた。
植田は、布施研究室を今春出て、
りっぱに就職したのである。
「お前、スーツすっかり板に着いている
じゃないか」
「いつやめるんだよ」
「なんだか、おじさんくさくなったなあ」
などなどと、先ほどまでの風雅なバロック
空間は急に現代の「飯場」的
粗放的精神の発露大会となり、植田は
「いやあ、会社って大変すね」
と言いながらお腹の肉をびろびろと
震わせてみせた。
ボクは、そうか、これがニーチェの
言うアポロンとディオニソスの二元論に
おけるバッカス的要素か、と一瞬思ったが、
いや、やっぱり全然違う、
これはやはりウエダタクミだ、
とすぐに冷静になったのだった。
4月 18, 2007 at 08:22 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (0)
本日「笑っていいとも」(フジテレビ)に
ご出演の辰巳琢郎さんから、私に
「友だちの輪」が回ってくる模様です。
つきましては、明日(2007年4月18日)に私が出る
際にご紹介できるよう、「電報」や「お花」を有志の方から
謹んで承ります。
茂木健一郎拝
4月 17, 2007 at 07:49 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (5)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第48回
イヌは人生のパートナー 〜盲導犬訓練士・多和田悟〜
世界的にも、その名を知られる一人の盲導犬訓練士がいる。多和田悟(54歳)。映画にもなった盲導犬・クイールを始め、これまで200頭以上の盲導犬を育ててきた。国際盲導犬連盟が認めた世界で30人しかいない査察員の一人でもある。 多和田は「魔術師」との異名をとる。どんなやんちゃな犬も、その手にかかれば、たちまち喜んで従う。秘密は、「犬語を話す」という多和田の犬への接し方。一瞬の表情の変化も見逃さず、犬の心を読み解く。そして「グッド」というほめ言葉を巧みに使い、犬を楽しませながら教えていく。 現在、多和田は、横浜市郊外にある盲導犬訓練士学校で責任者を務め、学生の指導と盲導犬の育成を同時に手がけている。今年2月、多和田は、学生たちとともに、一人の視覚障害者に盲導犬を引き合わせる作業に臨んだ。期間は3週間。多和田たちは、無事、盲導犬を引き渡すことができるのか? 人の命を預かる盲導犬を育成する多和田の現場に密着、その流儀に迫る。
NHK総合
2007年4月17日(火)22:00〜22:44
4月 17, 2007 at 05:47 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (3)
お台場のノマディック美術館で
Ashes and Snow展を開催している
Gregory Colbertに再び会った。
http://www.ashesandsnow.org/jp/index.php
Gregoryの場合、10年のギャップ・
イヤーがあり、その間、一切作品を
発表しなかった。
「何をしていたのか?」
と聞くと、
「働いていた」という。
自分の持ったイメージを追い、
調査し、それを実現するために
10年間で27の探査旅行が必要だったと
いうのだ。
グレゴリーは、何よりも、魂の
孤独(solitude)が必要だったと
言った。
現代人は、あまりにも多くの
情報に串刺しされて日々を過ごして
いるが、孤独に浸って初めて
わかることがある。
グレゴリーの作品は、動物と人間の
間の共感(empathy)を描く。
グレゴリーの写真の中に表出するような
深い共感も、それに呼応する
魂の孤独があって初めて可能に
なるのかもしれない。
グレゴリーの今回の来日は約一週間で、
ニ、三日でタイ北部の現場に戻る。
インターネットもないような
地方に住む人々とのコラボレーションでは、
過去に自分がどのような栄誉を受けたか、
作品がどのように評価されてきたか
ということは全く役に立たない、
「今、ここ」にいるその存在感
だけで勝負しなければならないと
グレゴリーは言う。
考えてみれば、野生動物には「社会的地位」
や「名声」などない。「今、ここ」
の肉体の放射するものしか、
動物たちには見えない。
グレゴリーの仕事は、動物の
「今、ここ」の存在と人間の
「今、ここ」の存在を「瞑想」
の魔法でつなぐことで、現代文明に
対するすぐれた批評性を獲得している
のだろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチの住んだ
ルネッサンスの時期は、古代ギリシャ・ローマ
の精神を復興しようとして、かえって
ただ過去に戻るのではなく、新しいものを
創造した。
現代の人類は、自然と人間の関係がより
調和的だった頃にさかのぼろうと志向
することで、単に文明を否定して時間の
流れを逆にするというのではなく、
新しい何かを生み出すことができるの
ではないか?
そんなことをグレゴリーに言ったら、
目が輝いた。
「知っているかい? ソクラテスが刑を受け、毒を
飲んで死ぬ前に読んでいたのは、『イソップ童話』
だったんだよ。」
えっ。
私は、驚いて、「プラトンがそう書いて
でもいるのか?」とグレゴリーに
聞いた。
グレゴリーははっきり答えなかったが、
後で確認すると、確かに、『パイドン』
の中に、ソクラテスが獄中で「イソップ童話」
(紀元前6世紀頃成立)を読んでいた
という記述がある。
「またギリシャ時代か!」
と私は笑って言った。
グレゴリー・コルベールの写真や映像は、現代の
『イソップ童話』だったのである。
4月 17, 2007 at 05:40 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (3)
東京大学理学部一号館で、
佐藤勝彦先生に「宇宙論」の話を
うかがう。
佐藤先生は、ビッグ・バンに先だって
起こる「インフレーション」と呼ばれる
プロセスについての理論研究のパイオニア。
佐藤先生の論文が出版されたのが
1982年。私が物理学科に進学したのが
1983年で、ちょうど新任で佐藤
さんがいらした頃であった。
なぜインフレーション・モデルが
必要とされたのかと言えば、
宇宙には、「因果的な結合がないのに、
相関を持っている巨大な構造がある」
という事実があるからで、
ビッグバンに先立ちインフレーションが
起これば、そのような特徴を説明できると
考えられた。
話題は「タイムマシーン」に至る。
アインシュタインの一般相対性理論に
「ループをなす時間」の解があることを
示したのは、「不完全性定理」で
知られるゲーデルであった。
その後、Kip S Thorneたちが1988年に
Physical Review Letters誌にWormholeを
使ったタイム・トラベルの原理についての
論文を発表した。
一般相対論で記述される時空に、
タイムトラベルを許容する解がある
ということは、何を意味するか?
二つの可能性がある。実際に
タイムトラベルが可能である。
あるいは、一般相対論の理屈がどこか
間違っている。
佐藤勝彦さんや、S. Hawkingは、
タイムトラベル、とりわけ「過去」
にさかのぼることを許容するような
世界線は不可能であると考える。
なぜならば、過去にさかのぼって、
自分の祖父を殺してしまう「祖父殺し
のパラドックス」が生じて
しまうからだ。
未来へのタイム・トラベルならば、
そのような矛盾は生じない。
「未来にならば、どんどん旅して
ください」と佐藤先生は笑って言われた。
もっとも、過去にタイム・トラベル
をするということも、
「量子力学」の解釈の一つである
「多世界解釈」の下では、許容
される可能性がある。
かつて、エヴァレット、最近では
David Deutschらが唱えている
多世界解釈では、世界は様々な
可能性へと分裂していくと考える。
私が脳科学をやっている世界も
あれば、博士課程の時に一瞬考えたように、
molecular dynamicsをやってその専門家に
なっている世界もあった。
量子力学の「多世界解釈」はさらに
激しい。
電子の軌道の微細なふるまいまで、この
世を構成するありとあらゆる物質の軌道の
小さな差異までがどんどん分裂して
いくからである。
そのような世界では、「タイムトラベル」
は許容されると言われても、
一つの非日常がもう一つの強烈な非日常に
よって解毒されるようなもので、
一体何が解決されているのやら、
よく考えるとわからない。
しかし、ある理論的仮定があって、
そこから導かれる論理的帰結があると
すれば、それがいかに日常的感覚から
外れてしまっているとしても、
その帰結が正しいと考えるのが、
物理学者たちの一つの偉大なる狂気である。
佐藤先生の静かな語り口から
にじみ出てくる狂気は、
科学が大衆化し、実際的な応用への
寄与ばかりが語られる現在において、
大切な「知の牙城」であるように
思われた。
佐藤先生の「インフレーション宇宙」
のモデルによれば、
宇宙の誕生は「キノコ型」のワームホール
によるものであり、その「キノコ」の上に
さらにもう一つ「キノコ」ができる
というように、ぼこぼこ沢山の宇宙
(multiverse)ができてしまう。
我々の住む「この」宇宙のスケールは
137億光年だが、そのような宇宙が
無数にできる。
そんな「常識に反した」ことを言って
平然としていられるのは、それが
アインシュタンの一般相対性理論の
帰結だからで、「そうなっているから
仕方がない」ことなのである。
もちろん、知っている人は知っている
ように、現代物理には一般相対性理論と
量子力学の統一の問題というやっかいな
未解決のエニグマがあり、
最終的に何がどう転ぶかはわからない。
実際、ホーキングは、ワームホールから
タイムマシーンができてしまうという
帰結を、量子力学的効果を考慮することで
解消してしまおうという試みを
している。
佐藤先生の取り組まれている宇宙論は
極大のスケールを扱う分野だが、
最近では、極小のスケールを扱う
素粒子物理学、とりわけ超ひも理論や
超膜理論との関連性を強め、
宇宙論自体が素粒子物理学の理論的
予言を確認する場となっている。
私たちの住むこの宇宙のマクロな構造
自体が、宇宙の創成期の量子的揺らぎを
そのまま拡大したものと考えられている
のだ。
佐藤先生とのお話を終え、理学部一号館を
出る。
今は建て直してしまって、新しくなって
いるわが母校。
小柴記念ホールもできた。
往年の面影はないが、
古い建物も一部残っている。
私の所属していた若林研究室の
生化学の実験室や、コンピュータの
マシーン・ルームがあった場所も
そのまま残っている。
外を歩き、風に当たり、青葉を
見上げながら、遠いあの日々のことを思った。
もし、タイムマシーンがあって、あの頃に
戻れたとしたら、私は一体何をして、
何を考えるのだろう。
研究室の居室に椅子を三つ並べて仮眠をとって
いた、あの頃の私の夢と今の現実はどのような
関係にあるのだろうか。
論理を突きつめる狂気が、明るい響きを
持つのならば、
その光の中にこそ人類の未来はあるように
思われる。
旧理学部一号館。 二階に若林研究室の生化学の実験室があった。
4月 16, 2007 at 08:41 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月29日号
(2006年4月16日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第51回
「退屈の効用」を教える入学式当日の思い出
抜粋
そもそも、自分の身体をどのような姿勢に保っておけば良いのかがわからない。先生が一生懸命話しているのだから、真面目にしていなければいけないくらいのことは当然わかっていたのであるが、何だか持てあましてしまったのである。
ついつい、机に肘をついて、ほおづえをしながら聞いてしまった。しかも、身体の姿勢が傾いで、かなり「深く」寄り掛かってしまった。そうやってぼんやりしている私を、先生の目が見逃すはずがない。
「ぼく、退屈しちゃったかな?」
先生が、私の方を向いてそう言った。はっと気がつくと、クラス中の視線が私に集まっている。教室の後ろに立っていた父兄も、私のことを見ている。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
4月 15, 2007 at 10:16 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
日経サイエンス編集部で
理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
の上田泰巳さんの話を伺う。
上田さんのご専門は、システム生物学、
特に体内時計。
「環境に存在している何らかの情報、
パターンが、生体内に取り込まれていく
プロセスが存在し、その際に起こっていることは
脳の認識のプロセスに似ている」
上田さんとの話の中で、そのような
描像が浮かんできた。
細胞レベルの時計にかかわっている
遺伝子として、約20の要素が同定
されているとのこと。
「24時間というタイムスケールを
生化学反応系で実現するのは大変
なのではないか?」
と伺ったところ、
そのためにターンオーバーの遅い
酵素が見つかっているということ。
興味深いのは、通常の24時間の
生体時計の場合でも、gene regulation
が関与しているということ。
朝型、昼型、夜型の発現パターンが
あり、それぞれ、ある特定のシークエンスが
認識されて転写される。
遺伝子という「インフラ」が、生体時計
という日々繰り返されるリズム生成に
関与しているという事実は、生体にとって
遺伝情報とは何かという問題を考える
上で興味深い論点を提起する。
ここまで生物学が進んだのは、
計算過程の要素が不均一な
生体高分子であるため、
ある生体高分子がどのような役割を
果たしているかということが、その
分子構造という「自己同一性」
でかなりの程度確定できるからである。
その一方で、生体高分子の
時空間的なパターンが計算に
どのようにかかわっているかという
研究は、様々な理論的、実験的
困難によってあまり進んでいない。
一方、脳の計算原理は、分子構成的には
ほぼ均一な神経細胞のネットワークに
おける時空的パターンそのものが
まさに問題になっており、
生体内の化学反応系についての
現在の議論と、ちょうど「dual」
な関係になっている。
脳を扱うことの難しさ、面白さは、
生物学における時空的反応パターンの
意味の解明の難しさ、面白さと
通底している。
そんなことを、上田さんとのエキサイティング
な対論を終えての移動中に思った。
上田さんとじっくりお話したのは
初めてだったが、大変excellentな人だった。
しかも、フランクで気持が良い。
今後の生物学のリーダーの一人
であることは間違いないだろう。
お台場に移動し、仕事の合間に
散歩にでかけると、みんなが商業施設や
「自由の女神」が見えるボードウォークの
上で太陽やキラキラ人工照明を受けて
笑っている。
「特に目的もなくぶらぶら歩く」
という時間がほとんどなくなっているので、
Plazaの売り場などをぼんやり眺めている
と、なんだかとてつもない贅沢を
しているような気がして、
ドキドキしてしまった。
シネコンの切符売り場の前で、列を
つくって「何の映画を見よう」などと
品定めしている。
あいつらいいなあ、
と思いながら階段を下りていくと、
なんだか浮ついた調子の若者の一群と
すれ違った。
歩道を歩き始めて、脈絡もなく、
「ああ、そうだ、バカになるんだ!」
と思った。
無知であるということは偉大なことである。
だって、それだけ多くのことを、これから
学ぶことができるのだから。
賢い人は呪われている。
なぜならば、頭の中にもはや空白が
ないのだから。
もちろん、賢い人でも、大いなる空白を忘れない
人もいる。
たとえば次のような言葉を残す人。
I do not know what I may appear to the world, but to myself I seem to have been only like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself in now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
ニュートンのように、「私は無知だ。
無限の空白が、私の前に広がっている!」
と思うことができれば、
人生はいつまでもティーンエージャー
である。
自分の中に空白があるゆえに、
精神のニキビなんかができてしまって、
照れくさくてニヤニヤ笑っている。
そんなやつは実にいい。
4月 15, 2007 at 09:32 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (1)
京都で日高敏隆さんに
お目にかかった。
ユクスキュルの「環世界」
は、動物ごとに、それぞれの見る
世界が違うという概念である。
日高さんは、中学の時にユクスキュルの
著作に出会い、共鳴した。
しかし、その思想の中核を、公に
口にすることはなかなかできなかった。
日高さんは、アゲハのさなぎの色が
どう決まるかということを例にとる。
アゲハのさなぎの色は、とまった
枝の太さや、表面がざらざらしているか
どうか、植物固有の「におい」がするか
どうかなど、5種類のパラメータに
よって決まっている。
細くて、つるつるしていて、
においのする枝にとまった場合には、
「緑」になる。
そのようなものは若枝が多いから、
結果的に「緑」と「緑」で保護色になる。
カモフラージュとしての
機能を果たすためには、色のマッチングが
必要である。
しかし、色の決定に関与するパラメータ
は、実はどれも色自体とは関係がない。
「神の視点」から見れば、あたかも、
「環境」の色に合わせてサナギの色を
決めているように見えるが、
実際にはそうではない。
蝶のサナギにとっての「環世界」
の中に、「色」はない。
案外人間も同じことではないか。
たとえば、店に入り、自分が買う商品を
選ぶ。
本来は「商品特性」というパラメータ
をもとに選択が行われるのが合理的だが、
それはあくまでも神の視点から見た
理屈であって、
店の雰囲気とか、店員の態度とか、
その時の自分の気分とか、商品特性に
直接関係のないパラメータを通して
私たちは選択しているのかもしれない。
つまりは、商品選択における「環世界」
は、未解明の無意識的広がりを持っている。
ライフワークの選択、誰が好きか嫌いか、
無限の人生の可能性から、何を選ぶか。
すべて、「神の視点」から見れば
あるアルゴリズムが好都合なのかも
しれないが、
私たちは、自分たちが切り取ることの
できる世界の側面=環世界から、ある無意識的
仮説を組み立てるだけのことである。
日高さんは、いわゆる「環境問題」には
興味がないと言われる。
どんな生物にとっても共通の、客観的
存在としての「環境」などないと
考えるからだ。
人間の考えることは、すべて
そもそも幻想だ、と日高さん。
先日私たちの研究室にいらした時、
お化けの話をされた。
タクシーの運転手が、お化けを乗せた
と思いこんでいた。
しかし、よくよく調べてみると、
何のことはない、合理的な説明が
できるとわかった。
お化けというものはそういうもので、
中途半端な時に現れる。
もちろん、「合理的な説明」ができた
と思いこむその世界観も、また、「お化け」
によって支えられているかもしれない。
しかし、それを言うならば、そもそも
人間の世界認識の中には「お化け」しか
ないのであって、どちらのお化けが
どちらよりもマシである、という
ことでしかない。
日高さんは、「真理」とか「普遍」とか、
そういうものも
お化けに過ぎないと言い切った。
午後の茶室に、もののけが
一瞬現れて、空気がひんやりした
ような気がした。
外に出ると、苔の上をなにかが
動いている。
クモかな、と思って見ると
ああら不思議。
間違いなくアメンボである。
そりゃあ、アメンボだって
水の上だけでなく地面の上も歩く
であろう。
しかし、その様子をわが人生で初めてみた。
横にある池を眺めてみると、
鯉の大群がいる。
大きな口をぱくぱくさせて、
水面下を泳ぎ回っている。
ひょっとするとあの
アメンボ君、「鯉口地獄」から
こりゃあたまらぬ、くわばらくわばらと逃げて
きたのかな。
足の下で自分をいっぺんに十くらい
飲み込めそうな怪物がパクパク動き回って
いたら、生きた心地はしないだろう。
かも川の桜がきれいだった京都。
「現在」から「未来」へと時が進み、
様々なものがあっという間に「過去」
になってしまう現実というものの不思議
な作用の中で、お化けが出て、アメンボが
苔の上を這った。
人生にお化けはいろいろあれど、
我それゆえに、人生を愛す。
4月 14, 2007 at 08:34 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (5)
ゼミの後、修士2年の石川哲朗
が浮かぬ顔をしているので、
一体どうしたのかと聞くと、
「脳科学は、こういうタスクを
やらせるとここが光るとか、
そういうことばかりやっていて
甘い」
と言う。
「勉強することは楽しくないのか?」
と聞くと、
曖昧な顔をしている。
石川は物理学出身である。物理出身者
から見ると、今の脳科学が甘い
というのはよくわかる。
一般相対性理論、量子力学のような
偉大な理論の水準から言うと、脳科学には
特筆すべき成果がないことは
事実である。
だから、今の認知神経科学は、
ニュートンやアインシュタインというよりは、
様々な経験的事実を総合して
新しい概念を提出するダーウィン型の
仕事を必要としていると
思っている。
ダーウィンは、自分自身の観察
事実だけでなく、当時の様々な文献を
総合して種の起源についての
仮説を出した。
似たようなことを今やろうと
思えば、「こんなタスクをやらせて
ここが光った」といった類の
研究も、楽しく読めるんじゃないかな。
あと、思い切って、勉強の対象を
広げてしまってはどうかしら。
ボク自身は、今、勉強が楽しくて
仕方がないけれども、
それは、ジャンルを切らないで
ありとあらゆる初学を渉猟しようと
しているからで、
何も脳科学だけに付き合う必要は
ないと思う。
経巡ってきて、脳科学を眺めると、
また見え方が変わるはずだ。
夜、NHKの有吉伸人さん、
フジテレビの小松純也さんと会食。
有吉さんは、言わずと知れた
われらが『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のチーフプロデューサー。
小松さんは、数々のヒット番組を
手がけてきたフジテレビのエース。
お二人は、京都大学時代、
「劇団そとばこまち」で先輩、後輩の
関係にあった。
プロデューサーならではの、
偶有性に満ちた話がおもしろい。
偶有性はさまざまなスケール、
内実にあるのであって、
その中で生きる人の顔は
間違いなく生き生きとしている。
「ああ、生きている」と感じられる
ような時間は愉悦を与えてくれる。
石川に戻れば、脳科学に今どのような
面白い偶有性があるかということだろう。
ボクは偶有性はあると思っているし、
その中で手足を伸ばしてひたることを
本当に楽しいと思う。
こんどそんな話をゆっくりしましょう。
4月 13, 2007 at 07:57 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (1)
白洲信哉さん、新潮社の池田雅延さんとの
「三人会」。
白洲邸にて。
白洲明子さん、白洲千代子さん、
MIHOミュージアムの金子直樹
さんも同席。
着いてすぐ、私は信哉に言った。
「実は、私は今週は週刊新潮の「食卓日記」
のための記録をしなければならない。
今まで逃げ回っていたが、ついに
出なければならなくなった。
ついては、その中に今日のここでの
ご飯のことも書かねばならない。
しかし、ここではいつもたくさんご馳走が
でるから、とても覚えきれない。」
「何を出したか、あとで送るよ」
と信哉は言った。
言葉に違わず、今朝、信哉
が献立を送ってきてくれた。
・蚕豆
・河豚の卵巣の干し物
・鯛刺身
・鯛シャブ
。蛍烏賊シャブシャブ
。あとはいろんな魚の肝
・この子 にぎり
熊谷守一の「喜雨」
という、カエルが三方向に跳ねている
掛け軸がかかっている。
私を喜ばせるとともに、
悔しがらせようというのだろう。
ビールをよして、お酒に入る時に
お猪口を選ばされた。
「おっ、井戸を選んだな。お猪口の
王様だ。」
何だか知らないが、ひん曲がって一筋縄
ではいかないところが気に入った。
御用向きというのは、つまり、
小林秀雄の文から、とりわけ「生命哲学」
的な含意のあるものを選んで英訳
しようということ。
Henri BergsonやBertrand Russelなどの哲学者が
ノーベル文学賞を受けていた時代は良かった。
昨今の小説というものは、今ひとつ
信用できない。
その時々の最高の知を引き受けて書いている
とはとても言えないからだ。
池田雅延さんが編集した
『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』
という新潮新書が今月出る。
「今までも、川端康成が参画した
アンソロジーのようなものはあったんですけどね」
と池田さん。
「全集を何度も網羅的に読んで、その
中からセレクションしたものは初めて
です。」
長年小林さんの担当編集者で、
その後も最新の「全集」や「全作品集」
の編集にたずさわって来られた
池田さんでなければできない企画だろう。
416の珠玉の言葉から、一つだけ
引用。
どちらを選ぶか、その理由が考えられぬから
こそ、人は選ぶのである。そこまで人は
追い詰められなければならぬ。
(『白痴』についてII)
池田さんによると、信哉の酒癖の
悪さは、小林秀雄ゆずりだという。
小林さんは、酒席で、「これ」
という人を決めると、「お前の最近の
作品はこうだ」と、1時間でも2時間でも
絡んで、批評し、ついには相手は気持の
良い涙を流してしまうのだという。
「私も一度やられました。小林先生が、
池田雅延という男を批評してくださったのです。」
信哉の場合は、批評よりもゲバルトへの
傾向があると思われるが、
本人は常々頑強に否定している。
そして、あろうことか、昨日は
確かにジェントルマンであったのである。
信哉のおじいちゃんの105回目の誕生日だった。
4月 12, 2007 at 08:57 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (4)
聖心女子大学の授業が始まる。
研究所の、年に一回の「レビュートーク」
がある。
またも季節がめぐり、春が濃くなって
きた。
「忘れること」の効用はいくつか
あるが、
そのうちの一つは、
課題になっていることがあったら、
今までの経緯は無視して、
とっとと始めろ、という
ことを自分に課すことができる
という点にある。
人間というものは、
ある課題を放っておいた、
ということがしばらく続くと、
自己嫌悪に陥ったり、
その「先延ばし」自体が
一つの慣性になったりしてしまう。
そのような惰性を破るためには、
「1秒」あればよい。
「よし、この瞬間から態度を
変えて、とっととやってしまおう」
と即時実行してしまえば良いのだ。
わかりましたか、関根崇泰くん。
部屋で関根を見かけた。
関根は、論文を書くネタはあるのに、
書いていない。
その一方で、「論文を書く」
ということ意外のことだったら、
実にいろいろなことをやっている。
手元でいろいろとやっているのは
いいんだけれども、肝心の論文を書くという
課題はどうしたのか。
関根の気持ちはよくわかる。
いわゆるprocrastinationという
やつである。
先延ばしの心理的自己撞着に
陥ってしまっているんだな、
これが実に。
一秒で過去を忘れて
とっととやってしまいましょう。
脳みそをどうこうするまえに、
手を動かしてしまえばいいんだ。
机に座って、さっと書き始めて
しまえば、
あら不思議。ずっと前から書き続けて
いたような、そんな気分になれる。
手は、一秒で脳内状態を革命できる
アルキメデスの支点なのである。
研究所のレビュートークは、
30分の予定が1時間になり、
所眞理雄さんや北野宏明さんと
議論できて、楽しかった。
意識の問題も、procrastinationでは
なくて「今すぐ」やるよ。
「今すぐ」やるを10年くらい
続けていれば何とかなるでしょう。
procrastinationから逸脱せよ。
「逸脱」でいいんだ。
「逸脱」は、心身を活性化してスピード
アップするのに素晴らしい作用をもたらす。
自由意志とは、実は逸脱のことである。
4月 11, 2007 at 07:52 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (9)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第47回
“負ける”ことから独創が生まれる 〜建築家・隈研吾〜
アジアはもとより欧米でも高い評価を受け、世界各地から設計の依頼が殺到する日本人建築家がいる。建築家・隈研吾(52歳)。多いときには40をこえるプロジェクトを同時に手がけ、和紙を外壁に使った公共施設、石だけを使って空間を構成した美術館など、型破りな素材を使い、斬新ながらも周囲の環境にとけ込む建築を生み出す。 隈が目指すのは、「負ける建築」、予算や敷地の条件などに打ち勝とうとせず、積極的に受け入れ、その制約の中から独創的な建築を生みだす。 一月初め、隈は北京の街の再開発計画、その中核施設、ホテルの顔となる巨大な吹き抜け空間の設計を進めていた。クライアントは香港最大手の不動産会社だ。一度、提案したプランがクライアントから却下された。再プレゼンは、1か月後、隈はどんなプランでプレゼンに臨むのか。 番組では、世界を舞台に、新しい素材と格闘しながら、常に独創的で有り続けようとする建築家・隈研吾の仕事の流儀に迫る。
NHK総合
2006年4月10日(火)22:00〜22:44
4月 10, 2007 at 06:52 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (6)
ここのところ、朝走っている。
時間崩壊の中、どれくらい続くか
わからないけれども。
ひんやりとした空気の中をだーっと
疾走していくと、いろいろな
ことが昇華していく。
人生、澱のようにたまってくるものが
あるが、
だーっと走って解消できないもの
などないんじゃないか。
ある時期、「こわいランニング」
などと称して、それに適した場所に
くると突然前触れもなく「だーっ」と
走っていくクセがあった。
鬱屈してうつうつしている人間ほど
やっかいなものはない。
ひとさまに迷惑をかける前に、
だーっと突っ走って自分で消しちまえば
いいんだよ。
講談社のビルの最上階に初めて行った。
護国寺は森がたくさんあって
散歩するには良いところだ。
中村うさぎさんと、脳の話をした。
苦しいことがあって、それに
耐えていて、あるリミットを
超えたり、リリーサーが機能したり
すると、脳内麻薬物質が出る。
これがどう作用するかで、
偉大な学者にもなるし、
奇妙な人柄にもなる。
しかし正常と非正常などという
ものはないんであって、
「典型的」なものと「非典型的」
なものがあるだけのことである。
価値は社会における他者との関係で決まる。
どんなに困った人も、無人島に行って
勝手にやってくれているんならば
害も益もない。
たった一人の個として宇宙や神や
時間の流れに向き合えば、
大抵の人はそこに無垢なる魂を
見いだすのではないか。
雨の降り方が気持良かった。
霧のように上から舞い降りてくる。
たとえ晴れている時でも、
そのようなかすかな水気の落下であれば、
毎正時、15分ごとに歓迎する。
オレンジの香りが加わって
いれば言うことはない。
4月 10, 2007 at 06:48 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (2)
写真というものができて、
視覚的イメージはある程度固定、再現
できるようになったがために、
私たちは過去というもの、
少なくともその一部を、フリーズして
おけるように思っていて、
そのことが時間の流れという
ものに対する一つの対抗軸となるように
心の中で担保しているけれども、
実際には写真があろうが、なかろうが、
時間というものはどうしょうもなく流れて
いて、
今目の前にあるものは二度と還って
来ない、そのような覚悟が必要である
ことには変わりがないのではないか。
「記録」と「記憶」というものは
およそ異なっていて、
いきいきと想起している時の
「記憶」は、実は「現在」であり、
その「現在」の心的表象が過去の
ある時を「志向」している
だけのことである。
しかも、この「志向」の対象は、
本来曖昧模糊としていて、
「確かにそういうことがあった」
という過去の事蹟も確かにないことはないが、
むしろ立ち返る度に姿を変える
「ソラリスの海」のような存在
として、一部の過去の記憶はある。
歩きながら、ふと、昔のことを
振り返る時、心理的時間のあり方として
とてつもなく不思議なことが起こっている
という感覚があり、
それは意識を夢中にさせるような
類のことで、その喜びに比べたら、
現代的な、乾いた機能主義的な文脈で
割り切るテーストのものは全て
色を失って退場していく。
確か、小学校2年生の時、クラスで
潮干狩りに行ったことがあったのだと
思う。
その集合写真が、白黒であった
ことも記憶している。
写真は、印画紙の上の粒子のパタン
として今でもきっとどこかにあるのだろうが、
その潮干狩りの日は、はるか彼方
の恒星と同じくらい遠い場所に行って
しまった。
人間の精神の作用としては、たどり着けない
ものを思うことが、本来的なポテンシャル
なのではないかと考える。
現代に生きている以上、現代に付き合わなければ
ならぬけれど、本当は出家でもしたい
気分である。
たどり着けない遠いものの方が、
リアリティを持つように感じるのだ。
朝から晩まで現代と付き合い、
デジタルの海を泳ぎながら、
「ほの暗さ」や「かそけきもの」
が心を占めてならない。
そのうちのいくつかは、
還ることのできない過去に属する。
4月 9, 2007 at 06:05 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (2)
When we look up to the cherry blossoms
The Qualia Journal
8th April 2007
4月 8, 2007 at 10:44 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月22日号
(2006年4月9日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第50回
不安な時は課題の中に逃げ込め!
抜粋
迷っている自分から逃れようと思ったら、没我の境地に達するしかない。取り組んでいることと自分との間に壁があるうちは、人はなかなか向上することができない。自分と対象が一体となって、「我」を忘れるくらいでないと、本当の意味での変化を経験することはできないのである。
なかなかうまくいかないと悩んでいる時には、大抵、自分と対象の間に距離を置いてしまっている。だから、悩んでいる自分の扱いに困ってしまって、ため息をついたり、迷走したりする。課題に向き合うのがイヤだからと逃げ回っているうちに、時間は徒に経ってしまい、ますます状況は悪化する。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
4月 8, 2007 at 09:49 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
京都から帰ってきて、
汐留で打ち合わせ。
有意義な時間であった。
上野の国立博物館に。
レオナルド・ダ・ヴィンチの
『受胎告知』を池上英洋さんと
一緒に見る。
先日、NHKの番組の収録の
ときにもじっくり見ることが
できたが、今回も30分ほど、
絵の前に立って動かなかった。
池上さんは、東京芸術大学での
布施英利さんの後輩。
西洋美術史、特にレオナルド・
ダ・ヴィンチをご専門としている。
「レオナルドは、当時の一般的な
画家とは異なって、
自分の技法に自信がなかった、というか、
迷いに迷ったあげく、一筆だけ
描いて、その日を終わる。そんなやり方を
していたという記録が残っています」
と池上さん。
レオナルドの『受胎告知』には、
このテーマについて
当時描かれていた様々な絵の技法とは
明らかに異なる方法が採用されており、
さまざまな画期的イノベーションが
含まれているという。
私は、前回この絵を見た時に、
アカデミズムの最高の精華、
すなわち、人間とは何か、生命とはなにか、
宇宙とは、神とは、人間と神の関係とは
といった様々な問題について、徹底的に
考え抜いた人でなければできない表現
となっているということを思ったが、
見れば見るほど、その叡智は
永遠に解かれぬ謎として絵の中に
込められているように感じられる。
100年、200年、1000年
経ってもわからない。それどころか、
そこに謎があることにさえ気付かない
ような、そんな謎のあり方は、
ちょうどこの宇宙の有り様と似ている。
ニュートンが気付くまでは、私たちは
地上のものは落ちるという現象の背後
に秘められた謎に気付かなかった。
意識の謎も、気付かなければ
そのままで通り過ぎてしまう類の
ものであろう。
名残惜しかったが、
絵の前を離れて、レオナルドの手稿
(精巧な複製)や、科学技術研究についての
モデル展示を見る。
レオナルドが鏡文字を書いていた
ということは知っていたが、ここまで
徹底していたとは知らなかった。
池上さんによると、他人に読ませる
ための文章以外は、全部鏡文字で
書いているのだと言う。
はっと気付いたのは、鏡文字で
文章を書くと、アラブ文字と同じように
右から左へと書くことになると
いうことである。
最近、レオナルドの母はアラブ系で
あったという説が発表されているが、
そのことと、レオナルドの鏡文字への
執着の間には、何らかの関係が
あるのだろうか?
レオナルドの手稿に表れた拡散的思考と、
絵画におけるすさまじいまでの凝縮の
コントラストに改めて驚く。
いろいろなことに関心を持ち、
試みる。
そのような「様々な方向に散っていく」
志向性と、生涯手放さなかった『モナリザ』や
『洗礼者ヨハネ』のように、一つの絵が永遠に
完成しないかのような手業を積み重ねていく
執念と根気は、レオナルドの中でどのように
両立していたのだろうか。
現代においては、様々な方向に散って
いくことはインターネットの発達によって
簡単にできるようになっている。
困難なのは、「これ」と定めた何かに
ずっと集中し、蓄積していく執念を保つ
ことであろう。
しかし、死んだ後でアイコンとして
残るのは結局は凝縮と集中の方である。
「メメント・モリ」は、生きている
間の選択と集中の倫理としてはたらく。
最後に、池上さんと、レオナルド・ダ・
ヴィンチにおける知の総合性とは何か
ということについて話し合った。
絵を描くということは、世の中にあるものを
ただ単に写し取る「写実」であると思われ
がちだが、レオナルドが目指したのは、この
宇宙自体をキャンバスの上にもう一度創造して
しまうということではないか。
総合的知性の最高のものは、この宇宙を
創造した神の知性である。
ビッグ・バンによって宇宙が誕生し、
それ以来の歴史的発展の中で、やがて生物が
誕生し、我々人間が進化し、こうして、私と
池上さんが、国立博物館の中でレオナルドの
天才の本質について話し合っている。
そのようなことが可能であるように
全てあらかじめ設計しておくことは、
最高の知性の顕れである。
レオナルドは、つまり、絵画の中に
全宇宙を再創造するために、宇宙についての
全てのことを知らなければならなかった
のであろう。
「最高の総合的知性は、クリエーター
(創造者)であることと一致する」
という言明の論理的な裏付けが、ここにある。
だから、アーティスト諸君は、本当は
諸学を学ばなければならないし、
逆に、学者は、論文だけがアカデミズム
の形態だと思っていると、道を誤るよ。
神が予定した宇宙の秩序の中には、
私たちの意識があり、クオリアがあり、
観念がある。
そのような形而上学的表象と、
物質界の関係を問うのが「心脳問題」
である。
レオナルドは、永久機関のスケッチを
描いた。
もちろん、実際にはこの世界には
永久機関は存在しないが、「永遠」とか、
「無限」といった概念が、目の前の物質
と無関係であると思うのではなく、何らかの
形で関連しているはずだと信じて、具体的な
作業を行う。
人間の精神にとって最も高貴な
業である。
職人の栄光と、心脳問題に対する
感性の実践的作用は、同じ場所にある。
その時、
私たちの「手」は、永遠と「今、こ
こ」を結びつける一つのメディアとなる。
レオナルドと向き合って、ふくよかな
疲労を感じながら西門から外の夜風の中に
出ると、
自分を包む暗がりが無限の宇宙と一つながり
であることがはっきりと直覚された。
4月 8, 2007 at 08:58 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (1)
ここのところ梅田望夫さんが
「明るい狂気」という言葉を時々使われる。
新幹線に向かう時にそのことを
考えていて、
そもそも意識がある状態が「明るい
狂気」ではないかと思った。
何もないところに意識が生まれると、
その中にさまざまなクオリアが生まれる。
鮮やかで、たおやかで、輝く様々な
ものが生じる。
そもそも、私たちは「明るさ」や「輝き」
というものを、本当は意識を通してしか
しらない。
してみると、「明るい狂気」という
ことは、人間精神の部分集合ではなく、
無意識や全意識に連なる全領域を
覆う言葉になるのだろう。
新潮社の金寿煥さんと西へ。
サントリーの山崎醸造所で、
輿水精一さんにお目にかかる。
NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』
に輿水さんがゲストとしていらして以来。
久しぶりにお目にかかった輿水さんは、
相変わらずダンディーで、素敵だった。
樽の貯蔵所には、私が生まれたのと
同じ、1962年に原酒が詰められた樽
があった。
同じ原酒を、同じ時期に、同じような樽
で仕込んでも、異なる性質の原酒となる。
蝶がはばたくとハリケーンが発生する
「蝶のはばたき効果」のように。
輿水さんとお話していて、
ウィスキーの原酒は近代の規格化を目指した
工業製品とは全く異なるもので、
つまり制御不可能なのだと改めて悟った。
まるで生きもののように、うごめき、
うねり、変わっていく。
生きものの定義を、「制御できない
もの」としたらどうか。
ウィスキーはもともと「生命の水」
と言う。原酒は制御できない。生きている。
ついでに、ウィスキーを飲んだ人間も
制御できないものになる。
より生き生きしてくる。
冗談はさておき、自分の内なる
制御できないものをいかに出すかが
生きることだと考える。
子どもは「制御不能」のかたまりである。
大人になるとだんだん分別がついてくる。
便利なようだが、それだけじゃあダメだ。
モーツァルトの音楽の本質は、制御
の不可能が奇跡のように一つの美の
秩序になることだろう。
「生命とは制御できないもののことである」
と考えることで、ぱっと視野が広がって、
様々なことの本質が見えてくると思う。
山崎醸造所の周囲には桜が美しく
咲いていて、風があちらこちらからそよいで、
そのカオスの海がいかにも心地よかった。
このような場所でゆっくりと
した時間(ウィスキー・タイム)を
積み重ねてきた輿水さんは幸せだと
思う。
仕込んでも、結果は10年後にしか
でない。
100年後、200年後の樽作りの
ために、今日ミズナラを植える。
ドッグ・イヤーだけがこの世の
真実ではない。
特に、学問のコアはそうである。
ウィスキー・タイムをドッグ・イヤーへの
対抗軸とせよ。
4月 7, 2007 at 09:31 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (8)
朝起きてから、ずっと仕事をして、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
でNHKに着いてからも、
ずっと仕事をしていた。
空き時間に筑摩書房の
伊藤笑子さんに西口玄関で
江村哲二さんとの対論本
『音楽を「考える」』の
ゲラをわたした。
最後の方は終わっていなかったので、
伊藤さんに待っていてもらって、
その場でペンを入れていった。
急いで部屋に戻り、着替えて、
メークをしてもらい、
スタジオに入って、仕事を
始めた。
そのような移動の時に、
量子力学の非局所性と、意識の
それがどのようにかかわっているのか、
そんな問題を考えていた。
スタジオの椅子に座ってさあ
これから、と思ったときに、
そうか、オレは最近小学校の
時のことばかり思い出して
いたけれども、
今の人生の状況は、
小学生のようなヤケクソな
エネルギーがないと乗り越えられない
ということなのかと合点がいった。
今自分がどのような文脈に置かれているか
ということを忘れてしまうような
「集中」。
頭の芯がかっかとするような、熱い
時間の流れ。
自分のふるまいがみっともいいか
悪いか、そんなことを気にしないで
ただ手足をバタバタと動かしている。
そんな小学生でいいと思うよ。
分別はもちろん大事であるが、
同時に分別は敵であると思う。
人間、もっともらしいことばかり
言うようになってしまっては
おしまいだ。
逸脱こそが、生命の本質だからだ。
思うに、生命体というものは、どんどん
逸脱しようとする傾向をなんとか丸め込もうと
四苦八苦しているうちに、いつの間にか
それが創造性とかポジティヴな価値に
結びついた、そんなプロセスだったの
だろう。
どうやら、そのあたりに、
インターネットというメディアの
躓きの石があるのでは
ないかという直覚がある。
ネットは、囲い込みではなく、
逸脱のための装置
にならなければ、きっと反生命的作用
をもたらすようになってくるだろう。
ボクが小学校の時には、
インターネットはなかった。
4月 6, 2007 at 07:45 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (2)
朝、コーヒーを飲みながらバッハの
『コーヒー・カンタータ』
を聴きながら、やっぱりこのような
曲は好きだなあと思った。
娘がコーヒーに夢中になって、
「お父さんごめんなさい、私はどうしても
コーヒーがやめられないの」
と言い、父親が
「困ったやつだ。そんなことを続けていると
大変なことになるぞ」
などと問答をする脱力した歌詞の
曲だけれども、
メロディーと相まって何とも言えない
雰囲気をかもし出している。
バッハの曲の中で、何が一番好きか
と言えば、
やはり私にとっては『マタイ受難曲』
や『ゴールドベルク変奏曲』あたりが
上位に来るのだろうと思う。
それに対して、『コーヒーカンタータ』
はきっと上位にはランクインしないだろう。
「無人島に持っていく一枚」にも
ならないだろう。
しかし、だからと言ってこの世に存在しなくても
良いかと言えば、そんなことはなくて、
他のもののでは代え難いユニークな
存在感を持っている。
世界は、「これとこれではどっちが
良い?」
という勝ち抜き戦ではない。
あえて比べれば、どちらが良いか、
というような判断はあるかもしれないが、
「比べる」ということがそもそも
一つの強制力、暴力性の
現れである。
世界のほとんどのものは、比べられもせず、
お互いに無干渉で、勝手に息づいているのだ。
多様性とは、実は断絶の問題でもある。
グーグルのページランクはインターネットの
世界を単連結のグラフ構造と見て、その
単一クラスターの中での比較をする。
それは明らかに便利だが、劇薬でも
あるということを銘記すべきだろう。
生物の歴史を見ると、繁殖集団として
隔離された時に進化が進む。
単連結なポピュレーション・ダイナミクスには
脆弱性があるのだ。
だからこそ、we agree to disagreeということが
大事である。
東京芸大を今週卒業してアーティスト
活動を始めた杉原信幸からメールが
きた。
「高野山、仁徳天皇陵、天理教会、三鳥居神社
奈良の前方後円墳など
とてもおもしろい旅でした
石、巨石の文化
白い石の美しさから
桜も霞んでしまうほどでした」
とある。
毎日追われているオレから見たら、
ファンタジーのような生活で、うらやましいな
と思いつつ、
いや、オレも、現代と「単連結」にだけは
絶対にならないぞと
春霞に改めて誓った。
4月 5, 2007 at 07:27 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (3)
ボクが好きな話の一つに、次のようなものが
ある。
畏友郡司ペギオ幸夫がシンポジウムで
しゃべっていた。
会場にいた相澤洋二さんが、手元のノートに
しきりに何かを書いていた。
休み時間になって、郡司が、相澤さんに、
「相澤さん、何を書いていたんですか」
と尋ねた。
のぞき込んだ相澤さんのノートには、
ペンでぎっしりと「相澤洋二、相澤洋二・・・」
と繰り返し書かれていた。
「どうしてこんなもんを書いたんですか」
と郡司が聞くと、
「いやあ、郡司クンの話を聞いていたら、
自分が何ものなのか、不安になって、
それで何回も自分の名前を書いてみた」
と相澤さんが答えたという。
何回も同じことを書くと、
「ゲシュタルト崩壊」が起こる。
慣れ親しんできた文字が、ほぐれて解体し、
見なれぬ異界の模様のように見えてくるのだ。
この世に生を受けて以来慣れした親しんで
きたはずの「私」という自我の意識さえも、
そこにフォーカスを与え続けるとゲシュタルト
崩壊する。
崩壊して起こる運動が私たちをどこに
連れていくのか。
そこにあるのは明るい狂気か、
あるいは暗い膠着か。
いずれにせよ危険な道であることには
変わりない。
ある会にて、
電通の佐々木厚さんが肝入りで、
田中洋先生とつくった『欲望解剖』
にたくさん署名をした。
いささか真面目なる文脈であったので、
ぜんぶ同じ絵柄にしてこれ相務めていたら、案の定
ゲシュタルト崩壊を起こし始めた。
目の前が
何が何やらよくわからなくなる。
当たり前だと思っていたことが、
不可思議に見えてくる。
かのアルベルト・アインシュタインは
時間や空間の本性について長年うんうんと考えた。
その結果、当たり前だと思われていた
ことを解きほぐし、宇宙観に新風を吹き込んだ。
つまりは同じ問題を執拗に考え続けるしか
ないらしい。
私がクオリアの問題を考え始めてから
13年が過ぎた。
部分的なゲシュタルト崩壊はあるのだが、
全面的な雪解けには至らない。
そうこうしているうちに、外の
世界では何度も春がめぐってきた。
(ココログのメンテナンスのため、
アップが遅れました)
4月 4, 2007 at 06:52 午後 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (5)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第45回
人の中で 人は育つ
〜中学教師・鹿嶋真弓〜
いじめや学級崩壊のないクラス作りを進める一人の教師が、今、教育現場で注目を集めている。東京都足立区の公立中学の教師・鹿嶋真弓(48)だ。 鹿嶋の特色は、「エンカウンター」という生徒同士の関係作りを促す授業にある。もともとはアメリカで開発された考え方を、日本の教育心理学者が 持ち込んだ。鹿嶋は、それを現場で実践した先駆者の一人だ。たとえば、「愛し愛される権利」「きれいな空気を吸う権利」など10の権利の中から、どれがもっとも大事な権利かを生徒たちに話し合わせる授業。生徒同士のコミュニケーションを深めるきっかけを作るのが狙いだ。この他にも、鹿嶋はさまざまなプログラムを駆使し、クラスをまとめていく。絆の生まれたクラスは、いじめが起こりにくく、成績も向上するという。現在、鹿嶋が抱えているのは受験を控えた中学3年のクラス。初めて迎える人生の大きな試練を前にした緊張と不安、そして、プレッシャーから生じる生徒同士の関係のきしみ。鹿嶋はどのようにクラスの舵(かじ)をとっていくのか。本番直前、鹿嶋はある思い切った行動に出る。熱い教師と36人の生徒達の心のドラマに2か月間密着!
NHK総合
2006年4月3日(火)22:00〜22:44
4月 3, 2007 at 09:02 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (6)
朝一番で、やや重い仕事を
終わらせた。
将棋会館で、羽生善治さんに
おめにかかる。
先日の渡辺明竜王とコンピュータの
将棋ソフトボナンザの対戦などの話を
する。
「コンピュータとやると、自分の
将棋が変わりそうだから、ボクはやらない
んです」
と羽生さん。
コンピュータと人間の未来の関係を
めぐって羽生さんと交わした会話は、
ずしりと来た。
いい人なのである。
お昼の時間に、代々木公園へ。
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のスタッフのお花見。
しかしながら、手元で、私はひたすら
英文を読み、直し、打っていた。
4月1日締め切りの国際会議の
アブストラクトがあり、
研究室のメンバーがドラフトを
次々と送ってくる。
アメリカ時間の4月1日のうちにと、
必死でfinalizeの作業をする。
ものによっては、かなりの部分を
書き変えなければならない。
その時電話が鳴った。筑摩書房の
福田恭子さんだった。
「あの、茂木さん、梅田さんとの対談本の
ゲラですが・・・」
忘れていた! そういえば、NHKの人たちと
お昼を食べながら花見をするので、その場で
ゲラをお渡ししますと言ったような
かすかな記憶がある。
「すみません、実は忘れて
いました・・・」と言うと、
「とにかく行きます」
と福田さん。
福田さんが来て、となりで小山さんや
赤上さんと話し始めても、
私はひたすらアブストラクトを
直している。
ランチタイムが終わり、NHKの
局内に移動し、福田さんがゲラを見ながら
ちらちらとこちらを見るその視線を
痛いほど感じつつも、私はひたすら
アブストラクトを直している。
8個めのアブストラクトが終わり、
あと一個、9個目で終わりだ、
とsubmissionしようと思って
学会のホームページに行って驚いた。
なんと、締め切りが4月15日まで
延びている。
延長は国際会議ではしばしばあることであるが、
8個のアブストラクトをfinalizeする
間は4月1日のままだったのに、
花見もせず、ゲラを手にした福田さんの
視線にも耐えて一生懸命ひたすら
書いたアブストラクトだったのに、
あまりにタイミングが良すぎる。
まるで、アメリカから遠隔カメラで
私の様子を観察していて、
「あやつはそろそろ最後の
アブストラクトを必死になってfinalizeし
終える頃だから、このタイミングで
締め切り延長の告知を出してからかって
やろう」
と集団謀議が行われていたかの
ようである。
花見もできなかった今までの
時間は何だったのかと意気消沈しながら、
移動する。
福田さんも許してくださったわけではない。
移動しながら、ゲラの疑問点をチェック。
「まあ、茂木さん、4月中旬に
「ああ、あの時がんばってよかったなあ」
と思えますよ」
と慰められた。
桜もそろそろ散りそうだ。
自由意志の不可思議について考えた。
果たして、人間には未来を自由に選び取る
余地があるのか。
古典的決定論、量子力学的確率論、
神経認知科学。非線形力学。カオス。
諸学の成果に照らし合わせて、
自由意志はありやなしや?
私はそもそも、未来を選び取れた
のだろうか?
辰巳琢郎さん、中村うさぎさんに
おめにかかる。
雨は確実に桜を散らすだろう。
徹したロジックの人は、一見狂人に見える
のではないか。
正気とは、精神の成分をやさしく
分離しておくことを意味するからだ。
自由意志についての論理を貫く時、
人の精神は異界に遊ぶことになるのだろう。
4月 3, 2007 at 08:08 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (2)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年4月15日号
(2006年4月2日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第49回
花見と感性
抜粋
ヤマザクラは、葉が出るのと同時に花が咲く。現代人が「桜」と聞いて思い浮かべるイメージと、ヤマザクラのそれは違う。宣長がヤマザクラに見ていた美とは一体何だったのか。現代の私たちが「ああ、桜は綺麗だなあ」と感じるその脈絡とは異なるかたちで、宣長はヤマザクラに美しさを感じていたのだろう。
ソメイヨシノに対して、私たちが培ってきた感性は大切なものである。葉が出る前にぱっと咲いて散る、その姿を美しいと思う気持ちには切実なものがある。その一方で、自分の感性が絶対的ではないかもしれないという疑いも大切にしたい。
イギリス人にとっての「保守主義」は、自らの危うさを自覚することと結びついているという。桜の何に美を感じるのかという問題を突きつめると、伝統を守ることの大切さと難しさが見えてくる。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
4月 2, 2007 at 05:11 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (3)
念のために申し上げたいが、
昨日の日記(「信じる力が足りない」)
は「エイプリル・フール」
である。
イギリスにいる時に、かの地の新聞
やテレビが、実に真剣に四月馬鹿に
取り組んでいるのを見て心を
動かされ、
爾来、年に一回虚構を考えるのが
習い性になっている。
エイプリル・フールというのは、
実際には悪ふざけとともに魂がひんやり
する不条理でもあると思う。
この宇宙は、本当は人間のことなど
気にもかけていない。
地球温暖化の問題など、人間は
とかく愛や自然保護などといった
お題目を考えて心を温かくしようとするが、
この宇宙は、本当は心が温かくなろうが
寒くなろうが、そんなことは
気にしていないのだ。
四月馬鹿は、そのようなひんやりとした
宇宙の不条理と関係があるような
気がしてならない。
日々の生活において、あんぱんを
食べたり、ビールを飲んだり、桜の
花がちらちらと散るのを眺めたり、
友人と語り合ったり、憤慨したり、
さまざまなことをする中で、
本当は宇宙にとっては全ては
同じことで、要するにどうでも
いいんだと知ること。
それは、きっと、現代人としての
たしなみです。
しかし、不条理の通奏低音を
聴きながらも、私たちは、なおも
愛や甘美をもとめざるを得ない
存在である。嗚呼。
至上の芸術に触れて魂が感動する。
その時にこそ、宇宙内存在の不条理と
それを突き抜ける何らかの救いへの
契機が顕れる。
4月 2, 2007 at 05:03 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
都会からは自然が消えつつあるが、
それでも、
最近は、鳥の数が少しずつ
増えているのではないか。
そんなことを、しばらく前に
考えていた。
気付いたきっかけは、
天体望遠鏡を買ったことだった。
地上の生活が忙しすぎるから、
できるだけ「現代」から遠く離れたものをと、
月を見上げることにしたのである。
ある夜、あかあかと輝く月面の上を、
何やら黒い点が動いていく。
何だろうと凝視していると、どうやら
それは鳥のようだった。
ある時には一つ、またある時には
二つ、三つと、その微かな点は動いて
いく。
リーダーのような存在があり、
編隊を組んで移動していくのである。
私は鳥たちに恋をした。
なかなか望遠鏡をのぞく時間も
とれないのだが、
今日は月が輝いているなと思ったとき、
時間をやりくりして焦点を合わせる。
いつ通り過ぎるだろうかと辛抱強く待っていると、
まるで私の乾いた心に水がしみ込むように、
鳥たちが通り過ぎていく。
そうこうしているうちに、不思議な
ことに気がついた。
鳥たちは右側から現れて、左へと
消えていく。
必ずそうである。例外がない。
これはおかしい。空間の中は、どこから
どこへ赴こうと自由である。
右から左へ行くのと全く同じ
権利と確率を持って、左から右へと
行かねばおかしい。
右から左へばかり行っていては、
右の方の鳥たちが払底してしまうではないか。
どうしたことだろうと、一生懸命
考えた。
そもそも、月齢や天体望遠鏡を
のぞく時間帯によって、月のある場所は
異なる。
それにもかかわらず、鳥たちは
必ず右から左へと飛んでいく。
一つの可能な解釈は、鳥たちが、私の
家の周囲をぐるぐると左回りに旋回している
ということであるが、それはいかにも
おかしい。
地球の上で、私の住むこの場所が鳥に
特別な作用を与えて、
そのような特異な行動をとらせる
ということは考えられない。
ここに至って、さすがの私も、
これは何かしかけがあるに違いないと思い始めた。
ひょっとしたら、鳥たちは
オレが想像しているだけなのではないか
と気付いたのは、見始めてから
三ヶ月くらいたった頃のことである。
何もない所に動く点が見える。
そのような視覚効果は知られている。
周囲が暗くて、そこだけ明るい領域を
ずっと見ていると、黒い点が動いて
いくのが見えるのである。
刺激の単調さに耐えきれず、脳がそのような
幻覚をつくり出す。
かのジョン・C・リリーが行った
感覚遮断の実験以来、比較的よく知られている
事実だ。
月の前を横切る鳥たちが、私の脳の
つくり出した幻覚であるということまでは
良いとして、むずかしいのはなぜ右から左へと
横切るのかということだった。
月は視野の真ん中でとらえているから、
鳥たちが右から左へと移動するということは、
つまり、大脳皮質の左半球から右半球へと
その活動がシフトしているということになる。
私は、いつも右目で望遠鏡をのぞいている。
右の体性感覚は左半球で処理される。
ああそうか、望遠鏡に接触
しているその感覚が、脳内で幻覚の種となり、
それが脳梁を通して左半球から右半球に
伝わっていくんだなとにらんだ。
ある夜、初めて左目で望遠鏡を
のぞき込んだ。
鳥たちが現れて、月の前を左から
右へと移動していってくれたら、
仮説は正しいことになる。
ところが、鳥たちはなかなか現れない。
待てどくらせど、鳥たちは月の前を横切らない。
それどころか、その夜を境に、鳥たちは完全に消えてしまった。
もとに戻して、右目で天体望遠鏡を
のぞいても、鳥たちはもう現れない。
どうやら、鳥たちは二度と帰って
こないらしい。
その事実に気付いた夜、
私は落胆して、ソファに崩れ落ちた。
現れなくなってみると、かつての
鳥たちの優美な姿が思い返され、
月の前を鳥たちが横切るのを
見つめるその時間の流れが、
私の人生の中でも最も大切な、そして
かけがえのない印象であったと、そのこと
ばかりが胸に迫ってくるのである。
下手な詮索など、しなければ良かった。
ただ、自分の体験を、ありのままに、
そのまま受け取っていれば良かった。
正体を見極めようとあれこれと探索すると、
かえって消えてしまう大切なことが
人生にはある。
鳥たちは、私にそのことを教えるために
現れ、そして儚く消えていってしまったのでは
ないか。
落胆しただけ、賢くなることができた。
それでもまだ、かけがえのなさの残り火のような
ものが、私の胸で燃えている。
夜、一人で通りを歩いている時など、
手で輪を作り、右目にぎゅっと押し当てて、
希望を込めて月を見上げてみる。
ちらちらと黒い点が動いていくような
気がする時もあるが、
それも結局まぼろし。
どうやら、信じる力が足りない。
知ろうとするな、ただ全身全霊で思え。
そう言い聞かせても、後の祭りである。
4月 1, 2007 at 12:53 午後 | Permalink | コメント (20) | トラックバック (4)
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