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2007/03/25

0=無限大

やることがあって、
ずっとそれをしていることの
弊害の一つは、「空白」の悔恨と
甘美な希望を味わえなくなって
しまうことではないか?

 ここのところ、本当に時間の隙間が
なくずっと走り回っているが、
 ほんの一瞬、「もうまあいいや」
と放棄して精神の空白をつくると、
実に甘美な胸の揺動が感じられることも
いきいきと蘇り、時々そのことを思い出してみる。

 疾風怒濤の思春期、ロマンティック・
アイロニーの中に無為な時間を
過ごした後で、
 「そうだ、オレはこんなことを
やっている人間じゃないんだ。これから
疾風怒濤の大活動をするんだ。その
中では何でも可能なんだ。世界には
terra incognita
が無限に広がっている。
 その中を、オレは、蒼き狼のごとく
走っていくのだ!」
という熱き思いにとらわれたものだった。

 心理的には、「0=無限大」である。
 生まれたばかりの赤子には、
何でも可能であるように思えるではないか!
 この人生の機微には、薬理作用もあれば、
中毒作用もある。

若者で、「0=無限大」のトラップにはまって
しまって、いつまでも自分の生の固有の
制約から抜けきれずにもがいているのは
端から見ていてもつらいものであるが、
その一方で、あまりにも目白押しに
活動が詰まってしまって、「0=無限大」
の心理的甘美を味わえないのも
哀しいことである。
 だから、私は、時々真空地帯をつくって、
その虚無の底知れない恐ろしさにうち震え、
それでも内側から沁みだしてくる希望に
満ちたものの気配に耳を傾けようと思う。

 早い話が、ぼんやりと春の風の中を
歩いたり、
 ソファでうとうとしていれば
良いのさ。

 自分が何事もなさないという事態の
恐ろしさと希望に、身を堕として
魂を震わせよ。

 そんな時間を、少なくとも時々は持つように
しよう。

 希望的観測としてはね。

3月 25, 2007 at 08:26 午前 |

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受信: 2007/03/25 12:42:25

コメント

自分=0
この世の果て(宇宙の果て)=∞

全ての事象は0から∞の間の出来事であり、0にも∞にも結局は到達することは出来ないんじゃないかと個人的には思ってしまってるのですが、主観とは一体何なのか、解明に向けて突き進んでください。応援してます。本も買ってます。(笑)

投稿: Mr.0 | 2007/03/25 22:43:57

こんばんは
1週間目の敗北宣言です。

本日は会社を休むことにしました。
このままでは倒れるところ。
倒れなかったら
倒れたフリをするところ。

他人の為に食事時間を削れても
自分の為の時間も作れないのは
意気地無しだと自分にあきれはて

昨日コマ的仕事は後輩に全フリしました。
自分で自分の為の時間を作らなくては。
オモシロイのは受動的なコトより
能動的なコトにある。

沸き上がる好奇心や喜びは
めったにないこと。
オモシロさも確かにですが
タノシクテタマラナイが至上。

第三者的には、
好きなことをしたいので
結論先行で行動理由を探しているところです。
カッコ良く生きるなんぞできません。

第一者的には、
自分がどうしたいのかちゃんと気づいて
いることがとても嬉しく。
となると行動理由が成立する前から
方法論をカツオ君のように模索するのみ。


昔から優等生根性で
自分の中の第三者が勝ちっぱなしの人生で
世の中の既成理由から結論を解いてゆく。
いつも自分がどうしたいのかもわからないまま
今でも残念ながらその傾向。

だから何がなんだかわからないまま苦しくて
たまにバカして切り替える必要があったのですが
もしかして尾崎やゴッホが優等生だったら
きっと同類。

それならばゴッホからカツオ君へと
人類も嘆くような凄まじい進化を遂げるつもりです。
きっと春の嵐が為せる技。

今日のお昼はものすごい嵐でした。
夜になって雨もやんでようやくに穏やかです。

お気に入りのベッドに横になって
先生の甘さに浸りながら
うとうととコメントを書くことにしました。


投稿: maya | 2007/03/25 20:15:18

このところ 茂木さんのクオリア日記を読み 一日が始る。

茂木さんの日記は、ポジティブでいて
豊かな時間の隙間がある。

そして
芸術、お笑い、文学、科学・・・
本当に「無限大」に
ありとあらゆる世界の広がりがある。

行間からは
身近な空や自然、
宇宙を感じ、豊かな気持ちになって
感性が研ぎ澄まされていく。

ほら 今日も春のそよ風が
頬をなでていった。

なんだか、素敵なことが待ってる日になりそうで
ワクワクする。

投稿: hi | 2007/03/25 19:18:00

そんな時間が多すぎた者です。
一言で言うと「怖かった」ですよ。
もうすぐ終わりですけども。

「その辺り」は本当に人にとって
(脳にとって)ある意味一番危険な
エリアで核に近い部分かと思いますから、
十分に気をつけてくださいね。

ありふれた言葉で申し訳ないですが・・
「深淵を見つめる時、深淵もまた
こちらを見つめているのだ」

その「やつ」は怪物です。
私はそれから逃げるために、
安全な領域を考えて、業界の制止を
振り切って福祉に身を投じようというくらいです。

あまり魔法のささやきに耳を
貸しすぎると、脳が瓦解しかねません。

茂木さんは今脳的に危険なエリアに居る気がします。
余計なお世話かもしれませんが、
くれぐれも脳の健康にお気をつけてください。

投稿: HogeHoge | 2007/03/25 17:04:28

ある日、ふと○という図形を見て、
「何だこのパーフェクトな図形は!」
と驚きました。

さらに直径と円周の長さの比(π)について、
「何なんだこの比は!!」
と驚く。

そして疑問に思う。なぜ円周率は無理数なのか。
円周率が無理数じゃなかったらどうだろう?
そしてふと思ったのは、

「有理数だったら、人間の想像力には限界があるのかもしれない。」

と根拠もなく直感的にそう思いました。根拠もなく。

そういうような感覚を持ちはじめたら、興味シンシンになったら、
急に幾何学に興味が出てきました。
昔は強要され、あんなに苦痛でしかなかったのに。
私の中で図形のイデアが輝きだしたかのようです。

投稿: pteron | 2007/03/25 13:41:12

何もしない日々が続き過ぎるのもつらいが、
何科してばかりで「暇」「空白」がないというのも
人間にとっては苦しいものだ…。

何時までも「0=無限大」のトラップに嵌りこんでいる
若者たちも憐れだが、
やらなければならない事がキュキュキュ、
という感じで詰まっていて
「無限大」の甘美な作用が感じられないのも哀しいものだ、
という茂木先生のお気持ち、何だかとてもよくわかる気がする…。

無限の空白がありすぎても、
またなさすぎても、
人間は精神の絶妙なバランスを失ってしまうのだろう。

日々のイソガシさのなかに丁度好い空白が
自然に有れば好いのだろうが、
キュキュキュといった感じで毎日のスケジュールが
詰まってしまっているなら、
茂木先生のように「よし!」と一大決意をして、
敢えてささやかなものでも好いから
「真空地帯」をスコッ!とこしらえてしまうのが
最良の方法だと私も思いマス。
ソファや布団に寝転がったり、
春の公園でぼおぉ~っとしていたり…。

自分が何も為さないという事態の恐ろしさと希望に
身を堕として、魂を震わせよ…。

何もしない空白の時間、というのも
かけがえなき人生のためには
大切なことの一つなのだ…!

春本番に近づきつつある今、
出歩きも何もしないで、「0=無限大」の恐怖と
甘美を味わうのもいいもんだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/25 12:54:38

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