何もなくても遊びは工夫できる
ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月25日号
(2006年3月13日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第46回
何もなくても遊びは工夫できる
抜粋
私自身、缶蹴りについては今思い出してもわくわくするような体験がある。仲間たちと示し合わせて、着ている服を交換して、塀の陰からそこだけ出すというのはよくやった。鬼が騙されて、「なんとか君!」と言うと、「なんとか君じゃないよ、服を換えたんだよ!」と飛び出してからかう。
数人で、一斉に物陰から飛び出すというのも時々やった。鬼があわてて名前を全部言おうとするが、間に合わない。
言い終える前に、スコーン! と蹴ってしまうあの爽快感と、ほんのちょっぴりの罪悪感がたまらなかった。
傑作だったのは、服を頭の方にめくりかえし、一列になって前の人の腰に手をあてて、芋虫のように歩いていった時である。鬼が名前を言おうとすると、「顔が見えていないのにどうしてわかるんだ」と抗議して、とうとう芋虫のままもそもそと歩いていって蹴ってしまった。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
3月 13, 2007 at 07:32 午前 | Permalink
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コメント
初蝶や みゆる心に 仏あり 蒼い月
まさに、こんな気分の日でしたね。モンシロチョウが飛んでいましたよ。
投稿: 蒼い月 | 2007/03/13 22:33:51
子供はそもそも、「創造性」のカタマリであるし、また「偶有性」を楽しむように出来ているのだ。
そういう子供達の創意工夫で新たなる遊びを生み出す能力をスポイルしてはならないだろう。
子供には出来合いのTVゲームなぞ与えないほうが好いだろう。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/13 18:41:36
最近、子どものころの遊びで懐かしく思い出す一つに、
コマ鬼があります。
独楽を手の上で回している間は、動くことができて、
鬼にタッチされたら鬼が変わります。
安全地帯があって、そこまでいくとタッチされません。
最近、子どもが手の上で独楽が回せないようで、
自分の頃は誰でもやってたのになあと少し寂しくなります。
教えれば、できると思うけれど・・・・。
遊びって、なんかいいですよね。
投稿: しーさん | 2007/03/13 10:42:39