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2007/03/19

『走れメロス』じゃあるまいし

合宿の間、
 手元に仕事を持っていったが、
学生たちの前で開く気になれなかった。

 出て行くものたちもいれば、入って
くるものたちもいる。

 あとからふりかえればきっとかけがえの
ない時間だから、手ぶらで「魂ぶらり」が
ふさわしい。

 三ツ石海岸で星野英一を待っていると、
崖の道をだーっと降りてきて、
満ち潮の海をためらわずに三ツ石まで
走っていこうとした。

 真鶴からタクシーで来いと言ったのに、
星野は駅から走ってきたらしい。
 『走れメロス』じゃあるまいし、困ったやつだ。

 移動の電車の中で、
関根崇泰と目が合った。
 
 私は今まで知らなかったのだが、
 関根の舌は耳や指とつながっている
らしく、
 関根が指で耳をつかんでくるくる
動かすと、舌も一緒に動いた。

 どんな仕掛けになっているのだろう。
解明したいと思って、動画で記録した。

http://www.youtube.com/watch?v=9GmuhmVJADk

Sekine's amazing tongue

 世の中には不思議なことがたくさん
あるものである。

 海を見ていると、全てのものが
「動く」と宿命付けられているからこそ
 生命もあり、意識もあるという
昨日の直観が、ますますきっと
そうなのだと
思えるようになってくる。

 何年経っても変化しないような
石やブロック塀といった「剛体」の
前で、
 「そんなものは動いても生きてもいない」
などと私たちはついつい油断してしまいがち
だが、一見変化のないように見える表面の
裏で、電子はぎゅわんぎゅわんと動き、
衝突し、素粒子は生成消滅している。

 凄まじいばかりの大混乱と「融和」と「別れ」と
「混迷」がそこにはある。

 波動関数の収縮をはじめとする
量子力学の概念装置は、結局は
 「万物が動く」という事態を
制度的に支えるために必要なのだろう。

 湯河原の
街を、ぽかぽかとした日差しに
照らされながら歩き、
 途中で見つけた店でその場で
コロッケを揚げてもらって
食べる。

 コロッケの温かさと太陽の
熱が私の中でうまく混ざって、
なんだかほっとした気分になった。

 無理もない。ここのところ、
次から次へと、目の前の仕事を
こなすということに追われてきたんだから、
 こういう無為で無策な時間を
過ごすこと自体が贅沢だ。

 波のうねりを見ていると、
海は、「万物は生きており、動いている」
という認識を確認するための最良の
鑑であることが了解される。

 大海原に向かい合っていると、
その分、人間社会に対して背を向けている
ようで、
 まあ、普段あれだけ付き合っている
んだから、少しくらい背を向けても
良いのではないかと思った。

 今朝になったら、背を向けて
いたはずの世間が追いついてきて
先回りをしており、
 海と太陽とコロッケの気分は
あっという間にふっとぶ。

 しかし、「その時」は確実にあったのだ。

朝露がやがて消えてしまうからといって
そのつややかな表面に映った世界までもが
その顔色を失うわけではあるまい。

3月 19, 2007 at 08:51 午前 |

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コメント

最近の茂木先生の思考の中心は、「生命の意味」にあるようです
ね…。春の息吹がそうさせているのかもしれませんね。

生命のあいまいさの上になりたつシステム…そこには摩滅と物理
法則に則った美しさが同居しています。そこに思索の力点を置く
と、万物流転など無限の哲学的広がりがありますよね。

ただ、生命をそんな難しいこととして考えるのでなく、純粋にそ
の躍動を愛でる…そんなことが今の私たちの日常には必要なのか
もしれませんね。

投稿: コロン | 2007/03/20 5:00:51

ちょっと補足しますが、普段は静かな夕方の海を見にいっていました。
台風の海というのは、これから台風が近づいて来るときの海です。本番の嵐の時はさすがに行きませんでした。
海の近くに住んでいる人はどれくらいが危険か大体分かるんですよ。
ちなみに、私の子供の頃は明るい子でした。孤独で海を見に行ったのは数年前のことでした。ちょっと、先生に顰蹙をかってしまったかも?

投稿: tachimoto | 2007/03/20 1:45:27

こんばんは。
私は子供の頃から海の近くに住んでいたので、今は違いますが、海は大好きです。
海を眺めていると、自分の中の汚れた心を洗い流してくれるような気がします。
寄せては返す波音と飛沫。煌めく青。考えてみれば、孤独であった時、海と対話していたような気がします。
地平線を見ていると、地球が丸くって、地球が動いているって感じます。
小学校の頃、台風が来ると、荒れ狂うテトラポットに打ち付ける波飛沫をこっそり見に行っていました。海には心地良い一定のリズムがあって、そのリズムが自分の体のリズムを整えるのでしょうか?人間の起源が海からだとしたら、海水の塩分と自分の血液の塩分と濃度が近いのかも? なんて考えたりして。塩分より鉄分かな? よく分かりませんが・・。

投稿: tachimoto | 2007/03/20 0:58:22

万物は動く…。

それは電子―陽子―素粒子といった
ミクロの量子学的単位において、
凄まじい程の躍動―衝突―生成消滅―融和―離別―混迷が
繰り返されるところから始まっている。

経年変化のないように見える石や鉄骨でも
その中では分子・原子・陽子・電子が
躍動と衝突を繰り返し、
素粒子が生まれては死んでいく…。


普段は気付きにくいこれらの真実よ。
生物であれ無生物であれ、
その内部では
量子力学的な生成消滅のドラマが
捲き起こっていることを
茂木さんは直感されたのに違いない。

まだ量子力学という物理学のジャンルが
見出されていなかった、遥かなむかし、
すべてのものものが「動く」ということを、
例えばヘラクレイトスは「万物流転」
(Panta Rhei)と呼び、
「平家物語」では「諸行無常」と呼んだ。

万物は常に固定してそのまま永遠に
不変ということはない。
すべては動いて、変わり続けている。

昔に建てられた建造物が
年を古る(ふる)につれ風化していくのも
万物が動くということの一つの例だ。

そのように宿命づけられているからこそ、
我等の生命も意識もあるという茂木さんの直感は
決して間違っていないと思う。

大海原をうねる波、その海水の一滴にも
量子レヴェルの躍動と変化が秘められている。

だからこそ、この世の全てはかけがえのない
大切なものだと、
思わなくてはならないのではないか。
水も大地も、草木も、
そして我等の思念と意識、生命も。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/19 18:45:53

 「動く」物に 
 どうしてこんなに 
 心惹かれるのでしょう?

 洗濯機の渦、水族館の魚、
 波、滝、雲、空、月、星、炎、、

 色んな所で見かける癒しのオブジェも
 変化を繰り返している。

 変化するものに 安息を覚える。
 表情のない人よりも
 コロコロと変わる子供の表情に心奪われる。

 日々 万物は変化している。
 変化しないと思う鋼鉄ですら
 酸化、劣化している。

 不確実なものに
 人は、視線を奪われ、凝視する。
 自分自身の時々刻々と変化する細胞の
 波動と関係するのでしょうか?
 
 世の中の全て、蠢いてる。
 地球、宇宙でさえ、 
 
 

 
 

投稿: hi | 2007/03/19 17:46:34

万物は動く
という言葉で僕は谷川俊太郎さんの詩の一節を思い出しました

「万有引力はひかれあう孤独のちからである」

僕には
物体は万有引力によってひかれあうために寂しさを感じるのか
それとも、物体は寂しいという意識があって他を引き寄せるのか
なぜ物体は万有引力を持っているのか
考えても分かりませんが
分からない事を考えるのは面白いものですね

投稿: 後藤 裕 | 2007/03/19 15:51:22

こんにちは。はじめまして。
朝7時。誰もいないオフィスで英語と中国語のウォーミングアップをした後、パンとコーヒーを頂きながら先生のブログを拝見するのが日課になっています。

先日、友人と湖畔のカフェで話していたとき、あることから友人が「波ひとつをみていても、大きな波や小さな波、岸壁に打ち寄せる波。みんなひとつひとつ違うから、見ていて飽きることはないですね。」と言いました。
波をゆったり眺めていることのできる心の余裕を持つことは、忙しい現代人にとってはなかなかできないことだなあとそのとき思いました。
今度海を目にする機会があったら、一瞬だけでもその気分をこの手につかもうと思います。

投稿: | 2007/03/19 9:12:58

茂木さんは、ほんっと素直に気持ちが出る人だなあ。
言葉に。

かけがえのない、魂のなかでやわらかな光を放つような素敵なお時間だったのですね。

よござんした。

そして、学生のみなさんにとっても。

投稿: 平太 | 2007/03/19 9:11:26

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