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2007/03/16

居心地の悪い場所

NHKのスタジオ102横で、
The Japan TimesのEric Prideauxさんと
お話した。

エリックは来日12年目。
日本語はとてもうまくて、最初は
日本語でやろうとしたが、
どうせ記事は英語で書くんだからと、途中
から英語で喋ることにした。

NHKのプロフェッショナルの話や、
脳科学の話、
そして、自分の人生の話などをした。

後半になって、エリックが、
「あなたのクオリアに対する関心は、
Zenと関係しているんじゃないか」
と聞いた。

 このような質問に対しては、
できるだけ正確に答えるのが良いと
思って、次のように言った。

 私は仏教をゆるやかに継承している家に
生まれたが、私は仏教を能動的に
実践しているわけではない。

 福井の永平寺には何回か行って、
感銘を受けたが、本格的に座禅したり、
瞑想したこともない。

 複数の人に、クオリアは「唯識」に
関係しているのではないかと言われたことも
あるが、華厳経をきちんと勉強したことも
ない。

 あなたが先ほど指摘したように、私は
青春時代はカントやニーチェ、ベルクソン
など、ヨーロッパの思想家を中心に読んでいた。

 しかし、日本という国に生まれ、この社会で
育ってきたわけだから、自分が気付かないうちに、
無意識のうちに伝統や文化からさまざまな
影響を受けていて、その中にはあなたの
言う「禅」も入っているかもしれない。

 だから、そのような無意識の影響を
意識化していくことが、きっと
大切なのでしょう。

 日本近代の知識人が、
「あなたの言っていることは禅と関係してい
のか?」
と西洋人に聞かれた時のある種の居心地の
悪さをどのように着地させるか?
 
 この問題は、私が最近考えているいくつかの
ことと関連している。

 居心地の悪いこと、とまどうこと、
どうしたら良いかわからないこと。
 そのようなやっかいな領域の中にこそ、
考え抜くべき真の課題があると思う。

 だから、人は、時々自分を居心地の
悪い場所に置く必要があるのだ。

3月 16, 2007 at 07:41 午前 |

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コメント

 日本近代の知識人が、
「あなたの言っていることは禅と関係してい
のか?」
と西洋人に聞かれた時のある種の居心地の
悪さをどのように着地させるか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は知識人ではないので分からないのですが
なぜ居心地の悪さを感じるのでしょうか?

ある種、日本人=禅、とくくられた感が不快なのか
一般の日本人と一緒にされた感が居心地の悪さなのか?

以前福井に住んでいたので(小さい頃)
親戚が来るとよく永平寺に行っていましたが
それが我が家の(敢えて言うなら、の)宗教と知って
もっと真剣にお坊さんの話を聞いておけば良かったと思ってました。
たまに仏壇に般若信教を唱えながら、理由無く幸せ~と感じるのですが
茂木さんもしや曹洞宗?と思うと、理由あって幸せです^^

ただそれが伝えたくてのコメントです。
いつもの様に茂木さんお読みになったら削除して下さいませ。

今日、エアコンが届き、そしてその後ベッドを買いに大阪まで行きました。
毎日が選択、という事を
今は物質で感じている今日この頃です。
0から一つ一つ揃っていくたびに
物やそれに携わる人々に感謝感謝、その連続です。
暖かい部屋で、だからこそ出来るという自由に
今日は思いっきり幸せを感じています♪

 ではでは、暖かい冬のあと、まだまだ寒い春が続きそうです
 くれぐれもご自愛下さいませ。

投稿: aiko | 2007/03/17 22:21:42

 「zen」と関係しているといった外人君は 随分とするどい
 つっこみですね。


 クオリアcafeで半年間、楽しませて頂いておりましたが、
 気になることが・・・。

 以前、Sさんの書き込みに「チェーンソー」という表現が
 あったんですよ。それって、かなり危険。しかも、最近
 ご自身の顔写真UPされましたよね。
 cafeの
 みなさんは 自分に「闇」がある事に全く気づこうとしない。
 他者に「投影」する行為が なくならない。

 私は ただの一般人ですけど、40代の人が どんな
 思考回路なのか、だいたい わかりました。

     では、遠くよりご活躍お祈り致しております。

              失礼いたします。Aより。

投稿:  A | 2007/03/17 12:42:13

        
            居心地の悪い場所

 なんだか なぜだか  結構居心地の悪い場所にいる事が多い

 基本 自由気儘な ひとりが 好きなのか

 公が嫌いな訳でもない  時と場合による

 最近思うに  対処能力に欠けている   と

 ひとり あれこれ 巡らすのが        たのしい

投稿: 一光 | 2007/03/17 11:58:27

茂木先生が常に対称性を意識されて人と接していることが
十二分に伝わってくる日記ですね…。

私もクオリアという質感の概念に出会ったとき、人間の脳
機能の一部である記号化がなされる前がどのようなものな
のか…漠然とではありますが、何か答えを得た感じがしま
した。

その後、中沢新一氏の『対称性人類学』との出会いから、
華厳経の無自性の概念を知り…『部分と全体』の認識しか
持たなかった自分の目からウロコが落ちました…。

茂木先生の対称性で物事を捉えてみたい…という考えに興
味を覚え、”関係性”に関連する本を読みつつ、自分なり
の考えていますが、どうも読んでいる本は西洋文化に偏り
があるようです。

先生がココログのインタビューで話されていた『もののあ
われ』…その日本的美意識から対称性を見てみたいと思い
ます。そのことが自分を見つめなおすいい機会となりそう
と直感したので…。(人間の直感は脳内で今までの経験な
どを無意識に検証した結果生じる、コンピュータにも勝る
働きであることを信じて…)

投稿: コロン | 2007/03/17 5:00:17

私にとってはZENという表現が非常に居心地の悪いものですね。
禅でないと、ピンときません。

日本語(特に漢字)というのは文字を見ただけでもその意味が伝わってくる、と思います。
そういう意味で、このZENというものには一種の斬新さは感じますが、それと同時に「フンッ、東洋をわかったつもりの西洋人が!」とも思ってしまいます。

この西洋人、東洋人という分け方が非常に稚拙ですが(笑)

投稿: tomusu | 2007/03/17 3:18:12

究極の哲学と、究極の科学と、究極の宗教は、同一になるしかない、と考えています。
この世界を理解しようとする意思は、どのみち、同じこの世界を理解するわけで、耕す道具あるいは分析する顕微鏡の種類が違っても、究極同じものを対象にするかぎり、同じ答えに到達すると思います。
ブログの内容は、僕にとって、とても素晴らしい禅とクオリアを描いた風景でした。

投稿: 内嶋 善之助 | 2007/03/17 1:35:06

「居心地の悪い場所、とまどうこと、
どうしたらよいかわからないこと。
 そのようなやっかいな領域の中にこそ、
考え抜くべき真の課題があると思う。
 
 だから、人は、時々自分を居心地の
悪い場所に置く必要があるのだ。」

…この社会では、
人々はなぜか“居心地のよい場所”に自分を
半永久的に置こうとしてばかりいる。

しかし、それでは、本当の意味で
真正面から向き合うべきまことの課題を
考え抜くことが出来ないまま、
一生を終えてしまうだろう。

居心地の悪い場所…とまどうこと…
如何したら好いか分からないこと…。

おそらくそれは…、
死と宗教の問題や、歴史の問題や、
いまだ残る各種差別の問題、
人間如何に生きるかの問題、
今の科学では捕らえきれない
意識、クオリア、ひいては生命の本質の問題…。


出来る事ならば避けたい、哲学の絡む
ヘヴィーな問題だらけだが、
これらの中にこそ「考え抜くべき真の課題」が
秘められている。

我々はそれについて、自分の頭で真剣に考えて
明確な答えとは言えなくても、本質的なものを
掴む努力をしていかなくてはならないのではないか。

そこにいるだけで居心地が悪くなる場所に
哲学すべきことが隠匿されている。

その隠匿されたものを開いて
真剣に、これは如何なることなりや、
と考えることが、
我々現代人には、特に大切なのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/17 0:05:38

『あなたの言う「禅」』

この一言に集約されているように感じた。

はてさてどういたしましょうか。

はっ、仕事中だった。また考えます。

投稿: 平太 | 2007/03/16 17:14:34

禅に関係しているのではと異国の人に問われた居心地の悪さ…
なんとなくわかる気がします。
わたしのなかでかってに文系理系のお話に結びついてしまいました。

たしかにぬるま湯のなかでは深く考えるということはすくないですよね。

隈さんの建築の、制約というのにも通ずるおはなし。。
できましたらてきどにお休みをとりつつ…がんばってくださいませ。

投稿: M | 2007/03/16 12:22:53

数多い宗教の中で仏教は一番宗教らしくない、哲学的な思想だと感じております。禅とクオリアの研究が、一本の道でつながっているように思われるのは、そのような理由からでしょうか。

以前、フランス人シェフで、よしもとばななさんとの共著があることでも知られる、パトリス・ジュリアンさんの『禅のヒント』を読みました。日本人である自分が、フランス人から[禅]を逆輸入して、それが
日本のお坊さんのお話より、わかりやすかったりする。これって、一体何なんでしょうね。

最近買った平べったいデザインのやかんは、フランスのメーカーで、その名も[zen]です。

あえて自分を、居心地の悪い場所に置いてみて、そこから見えてくるものを考える・・という技は、究極の高みにいる大人ならではの、考えですね。何故か、冷たく力強い滝に打たれる、茂木さんの姿が見えました。ハックション!

投稿: 菫 | 2007/03/16 10:41:38

お水取りも終わりましたね。もう桜が咲いているのです。
風土に育てられるのかしら、私たちも草や木と変わらないのでしょうか?全身全霊で開花の時期をはかっているいるはずの桜さえ環境に流されてしまうのですね。桜が正しいのでしょうが・・。人が勝手な暦を持っているので・。違和感ある心地悪さを感じています。

墨跡から感じられることばに出来にくいものは、何でしょう?描かれたものの意味ではなくそれをはらんだ、漂い迫まり来るもの。禅の用途はわからなくても、確かにある何か?それに一喜一憂している禅からは外部の私がいます。それはこの島国に生まれた必然なのか、ここから遠い果てで生まれていても湧き上がる感覚なのでしょうか?

投稿: 井上良子 | 2007/03/16 9:54:30

居心地の悪い場所ですか.....その人がまだ上手く処理できない問題が、きっとそこに潜んでいるのだから、そこにその人を成長させてくれる要素が含まれているという事でしょうか。

投稿: ろぶ はりふぉーど | 2007/03/16 8:20:05

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