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2007/03/23

つまらないからこそおもしろい

生理学会の「若手の会」主催
シンポジウムで、栗本慎一郎さん、
丸山篤史さんと
ご一緒する。

丸山さんをはじめとする生理学会の
若手の会のひとびとは、「気合い」
が入っていて好きだ。

「気合い」さえあればそれでいいという
わけではないけれども、活気ある人生を送るための
必要条件ではある。

丸山さんがまだ高校生の時に、
栗本慎一郎さんの『意味と生命』
を読んで、ポランニーの暗黙知
理論とそれを受けて展開される栗本さんの
思考に触発されて、生命科学者を志した。

時が流れて、その思いが
今回の「若手の会」のシンポジウムに
結実したわけで、そういう話は
私はとてもとても好きである。

シンポジウムの前、会場近くの
食堂で味噌ラーメンを食べた。

いかにも大阪らしい店で、惣菜が
並んでいて、セルフサービスになっている。

食べ終わって出る頃になって、龍の
刺繍の付いた派手なトレーナーを着た
おじさんとその友人が入ってきた。

なんだか、気持がふわっとふくらんだ。
土地の風を受けるとは、こういうことか。

栗本さんのお話を初めて身近で伺ったが、
言葉に力のある人だなと思った。

一つひとつの発話に込められる生命力の
ようなものは偽装することが不可能で、
そこにその人の持つ磁力のようなものが
顕れるのだが、
意味以前のそのような人格の放つ感化力に
結局世界は動かされるのではないかと思う。

新潮社から送っていただいた小林秀雄の
講演の録音は、『白鳥の世界』
『小説について/ゴッホの手紙』であり、
私は解説を書かせていただく。

なんだかうれしくて、わざわざ遠い駅で
降りて夜の街を講演を聞きながら歩いた。

小林秀雄の新しい講演テープの出現は、
かけがえのない宝物が見つかったような
もので、
どんなものだろうとわくわくしながら
聞いたが、やはり圧倒的に面白く、
ボクはこの人がとても好きだなあと思った。

正宗白鳥について、白鳥の生まれ故郷の
岡山で語っているテープは、
いっしょに座談会に出て、酔っぱらって
車で帰る時に、目的地に着いて
いるのに小林秀雄が白鳥にまだあらこれと
喋っていて、運転手が困って待っている
様子や、小林が電車に間違って乗って
沼津まで行ってしまって
鎌倉まで帰る様子、
座談会のゲラが上がってきて、
その表紙に白鳥が「内容浅薄なり」
と書いてあって、読んでみると
確かに内容浅薄なので、
編集者に、「こんなもんは出さない方が
良かろう」と言って困らせる下りなどが
ユーモアたっぷりに語られていて、
聴衆が爆笑し、まるで本当に
志ん生の落語のようであった。

ある人をいいなあ、と思うのは、知識や
教養ももちろんのことだけれども、
その人の大きさのようなものに惹かれる
んじゃないか。
その時に、ものを知っていないと
大きくはなれないということはもちろん
あるけれども、志の大きさや、遠くを見つめる目、
それでいて、自分が卑小な、弱々しい、
いつ死んじまうかわからない存在であることを
わかっていることとか、
とにかくそのような総合的な何ものかとして
人間の魅力はある。

小林秀雄という人は、そのような意味でとてつ
もなく魅力的で、得難い人だったのだと
改めて思う。

正宗白鳥が、自分よりも若いのに生意気な小林
秀雄のことを、「つまらんやつだが、つまらない
やつはつまらないところがおもしろい」
と許容してくれていたのではないかと、
本人が謙遜して言う。

世の中のやつはたいていつまらないものだが、
そのつまらない点にその人だけがもつ
おもしろさがある。
つまらないからこそおもしろい。

そんなことを語る小林秀雄の口調と、
その背後にある正宗白鳥との交流に、
ぼくは実に久しぶりに温かくて大きい
人間の心のようなものを感じた。

一足先に、心の中の桜の花が咲いた。

3月 23, 2007 at 07:56 午前 |

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» 桜と偉人。 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@人としての魅力と大きさ…。それが「偉人」といわれる人を本当に「偉人」たらしめる、大きな条件なのに違いない。 @知性や知識、教養の深さ具合などに惹かれるのは勿論、その人物の人間性の大きさ、人としての情の温かさに、人は一番惹きつけられるのではないか。 @小林秀雄の本を購入し、読んでみた。最初はとっつきにくくて、こりゃ非常に難しい、と思っていたが、読み終わってみると、いや~、小林さんという人は、本当に極めて緻密な知性を持ち、繊細な感性をもっている人なんだなァ、と思った。もちろん、人間として非常に大きい人... [続きを読む]

受信: 2007/03/23 19:42:22

コメント

不自由からの自由って前、茂木さん(茂木健一郎先生)がおっしゃっていたけど、
わかったことは、自由から逃れるために自由になる創意工夫が
自由への道だと考えたこと、それによって、
不自由を辿りなおすことができる楽しさです。
面白いものをたくさん見たいと思いました。
大切な人々が沢山教えてくれます。
先生のおっしゃることは科学するというか、
考えたらよりわかるのか。
つまらないことだけど、報告します。
おやすみなさい

茂木健一郎先生へ

投稿: | 2007/03/24 23:40:32

心から敬愛する偉人の言葉を聞いて、
フラワーピッグの胸に春風とともに歓喜の桜が咲く…!

茂木さんて、本当に心の底から、小林秀雄さんがお好きなんですね。

小林さんの、人間的に大きなところに惹かれ続けているんですね…。
きょうのエントリーを読んで、改めて茂木さんの小林さんに対する、
尊敬と思慕の深さを思い知らされました。


“ある人をいいなあ、と思うのは、知識や教養も
勿論のことだけれども、その人の大きさのようなものに
惹かれるんじゃないか。”

茂木さんにとっては、小林秀雄という人は、
途轍もなく大きな存在なのに違いない。
大きく暖かく、茂木さんを包む魅力的な存在として
小林さんはあるのだろう。

それは丁度、私達「クオリア日記」の常連(の多く)が、
茂木さんを途轍もない大きな存在として
捉えているのと同じことなのに違いない。

小林さんも、そして茂木さんも、
大きく高い志、遠くを見つめる眼と、
それでいて自己の卑小さと弱さを凝視する心眼をもち、
また、何時死んでしまうかわからないという存在であるかを
解っている人だと思う。

どちらも得難い、それでいて
総合的に人間として大きく、温かく、
そして非常にチャーミングな
人だと思っている。

ほんに世の中は“つまらないやつ”が多いのだが、
その“つまらない人のつまらない点に
その人しかないおもしろさがある”というのは、
人間誰しもがその人にしかない「ユニークさ」が
あるのだろうということなのに違いない。

“つまらないからこそおもしろい”のが
人間の一つの実相なのだろう。

正宗白鳥との交流を、志ん生の落語のような
調子で語る小林さんも人間的に大きく魅力的だが、
それを「つまらんやつだが、つまらないやつは
つまらないところがおもしろい」と許容していたという
その正宗さんも、
そして、小林さんのその語りを聞いて歓喜する茂木さんも
人間として、深く素晴らしい魅力を持つ、
大きな温かい心の持ち主なのだ。

そしてお3人とも、人としてなかなかに得難い、
稀なる存在なのだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/23 19:09:08

「土地の風を受けるとは、こういうことか。」いい表現ですね。詩的な描写ですね。

私は大阪の風に吹かれて50年。このなじみの感覚は、深く、深く根付いていて、出張で頻繁に行った東京でも、下宿していた京都でも、違う風に晒されているという違和感がぬぐえなかった。

日本人の書く本があっさりしているのは、日本の風のせいでしょうか。詩的な表現で多量の散文と等価な表現ができるからでしょうか。

昔(昔が多くて恐縮ですが)桑原武雄さんの講演で、ロシアの長編をフルコース、日本の私小説を小鉢物にたとえていましたが、序文だけで何十ページも書かねばすまない欧米の著者のエネルギーは、大阪うどんを愛する身には、想像を絶するものがあります。

小林秀雄で、繰り返して読むのは「近代絵画」です。
小林はそのモーツァルト観を高橋悠治さんの「ロベルト・シューマン」で「批判」されて、それが鮮烈だったので、一時期読まなくなった。

また、吉田秀和さんが「本居宣長」を「私には理解できない」と書いたのは比較的最近ですが、吉田さんとは読み込みのレベルが違いますが、「論理的」ではない文章の展開が難解でした。
でも、私も喋りは聴いてみたい。

投稿: | 2007/03/23 16:31:02

栗本慎一郎氏はお元気なんですね。ずいぶん前になりますが、氏の本をわくわくしながら読んだことを思い出します。幅広い読者に向けて、「知の叩き売り」とか言われながら、本質的な問題を分かりやすく届けてくれました。出し惜しみしないという点でイメージが重なる茂木先生からは、まさに現在進行形で多くのことに気づかせていただいています。

投稿: 竜宮の乙姫 | 2007/03/23 9:54:04

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