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2007/03/05

聴くということの価値

ぽかぽかと暖かい陽光の下、
家を出るのも何だか心愉しい。

ユング心理学会に出る前に、
筑波大学附属小学校の露木和男先生、
鷲見辰美先生にお目にかかって
理科教育についていろいろと
お話する。

問いを立てることと、欲望を持つことは
同じことである。
なぜならば、どちらもその中を充足
すべき空白をつくる出すから。

問題は、空白をつくり、それを育むことが
大事であるということが、世間では
あまり認識されていないことだ。

露木先生に、すばらしい方法を伺った。
授業の最後に、問いを立てて、
その答えを与えずに、次の授業の
時にその問いから始めるのだという。

空白を抱きながら時を過ごすことの
豊饒にもっと多くの人が気付けば。

ユング心理学会のプログラムには、
4時間とってあって後は何も書かれて
いなかったが、
本当に特にそれ以上のタイムテーブルは
ないらしく、
そのゆるやかな
アフリカ的時間感覚はすばらしいと
思った。

私がまず最初に90分ほど提題させて
いただき、続いて織田尚生先生、
河合俊雄先生、川戸圓先生が討論なさった。

精神分析は、現代社会の日常からは
隠蔽されていることを扱っている。
川戸先生は青春期に小林秀雄を耽読された
そうで、その「気合い」の入った勢いの
ある語りは耳に心地よかった。
まるでタブーなどないがごとく
ポンポンと普段は隠されているような
事柄に言及される。
そのテンポが
精神分析の本来を示して余りあった。

河合先生は、関係性の重要性から出発
して、しかし、そのすべての有り様を
描くことは不可能であるから、
むしろある印象的な夢など、
単一の事項を徹底的に記述することで、
あたかも朝露の一粒に周囲の世界全体が
映るがごとくに、さまざまな事柄が
明らかになるということを目指されて
いるとされる。
記述の中に自分が入った時に生じる
難しい問題をいかに扱うか。
内部観測は本質的な視点だが、
その核を裏返すのは本当に困難である。

織田先生は、精神分析家は
あまり喋ってはいけないのだと言われた。
患者の話に耳を傾ける。
そのことが大切であると。
他人の声に耳を傾けることは、
自分の内なる声に耳を傾けることに
通じている。
精神の変調をきたす人には、自分の内なる
声に耳を傾けることができない人が多い。
聴くということの価値を、現代人は
もう少し見直すべきなのではないか。

その他、ここには書ききれないくらいの論点が
あった。
ユング心理学会の方々とは、もっとも
深いレベルで問題を共有していると
感じる。

ユングが何を考えたかなどということは、
よほど慎重に検討しなければならない問題だ。
世間で流通している手垢の
ついた概念の数々は、近いものだとしても
きっとまだ正鵠を得てなどいない。

孔子の『論語』は、孔子の死後200年
以上後にまとめられたとされる。
ユングの思想についても、私は同じような
イメージを持っている。

あまりコンテンポラリーなものに
囚われすぎてはだめなのである。

とても心豊かな気持で
小川町を後にした。
東京の街を照らす日の光が、やはり
やわらかい。

3月 5, 2007 at 08:03 午前 |

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曽野綾子さんが、ご主人であり作家である三浦朱門さんにその昔、プロの作家をめざしていた頃にこうきつい一言をいわたと今朝の産経新聞「曽野綾子の透明な歳月の光」・・楽できるブロは存在しない!・・に掲載されていた。本文より引用します。... [続きを読む]

受信: 2007/03/05 13:36:48

コメント

わかる、ということが個人独自の脳内情報ネットワークにおいて
情報同士の明確な関係づけが起こるということ、
また情報ネットワークの枠組みが新たに広がること、
という他者が干渉できない主観的な出来事だと知っているならば、
教える側の者ができることはせいぜい啓発(憤ぜずんば発せず)すること
だということに行き着くと思います。
フィロゾフィーレンすることは誰にも教えることはできないと言い換えてもよさそうです。

問いのない答えなどあるだろうか。いやないでしょう。
学びはまず疑問に思うことからはじまるのでしょうね。
自分で問題を見つけて自分でその答えを探す。
主観という脳内地図の道路工事は主観主体が主体的に行わなければ
成果がない。
脳はいつでも大冒険の準備はできている。
その際、問題について深い関心を持っていることも大事でしょうか。
「情」報の記銘保持想起は情緒の場と深く関わっているから、
好奇心を持って、ワクワクする楽しい気分で、もしくは真剣な問題意識を持って。
いつまでもセンスオブワンダー、
もしくは少し熱い倫理観を持ち続けたいものです。

しかしながら独りだと独善に陥る可能性がありますから、
やはり他者との楽しい対話により触発し合うのが理想なのでしょうね。
くらいと危うい。
古代ギリシャアテナイのアゴラで行われた哲学的対話のような。


ところで今日読んだ本の中で、
良心と意識の語源が一緒で、その語源は「共に知る」ということに驚きました。
ふと夜中に目が覚めて久しぶりに先生のブログを見たくなったら、
今日自分が学んだことと関連することが書かれていて、思わず書き込みたくなりました。


***

→正鵠を射る

投稿: pteron | 2007/03/06 1:16:44

茂木健一郎様

初めまして。清田と申します。メールにて大変失礼致します。

先日の「日本ユング心理学会公開シンポジウム」に一般参加でお話を拝聴させて頂きました。
# ご挨拶させて頂きたかったのですが、その後もご予定がおありとのことでしたので
# 失礼させて頂きました。

「プロフェッショナル」をふとみたことがきっかけで茂木さんを知り、
いつか実際に生でお会いしてお話をお聞きしたいと思っておりましたので
昨日はとても楽しみにしておりました。
そして、実際に直接お話をお聞きした感想は、「クオリアブログどおりの方!」で、
お話をお聞きして、いろいろな意味で深く/(いい意味で)アヤしい方(笑)だと思いました。

昨日のお話で一番印象に残ったのは、
「切実なモノは仮想でしかない。目に見えないモノをいかに信じられるか?」でした。
最近は、「見える化」と称して、なんでも分かりやすく見える形にしなければお話にならない、といった風潮があると思います。
シンプルで分かりやすいこと自体はよいことだと思うのですが、それに乗じてモノを考えずに、すぐ「ノウハウやマニュアル」を求める人が多くなったと感じております。

小生は、企業向け情報システム構築会社の現場向けスタッフとして、開発時に使用する手法やツールを現場に対して推進する立場にありますが、現場からはWhatは分かったからHowを教えろ、言った声が多いのが現実です。
どこまで支援をすればよいのか/本当にそれをこちらがしなければならないのか。。。と、いつも疑問に思っておりました。

ですが、茂木さんのお話をお聞きして、
・「成果物自体に価値はない。成果物を創るプロセスこそに価値がある」。
・どれだけノウハウを提供したとしても、その人の成長には役にたたない。
・支援するとしても、全てを見せるのではなく、本人が自分で気づくようにうまく隠蔽する
ことが大事であると学ぶことができました。
小生にとっては、とても重要な発見でした。本当にありがとうございます。

組織の文化といったものはすぐには変わらないと思いますが、少しずつでも
変われるよう、これからも自分の理念(それは、皆がHappyになること、です)
に沿ってに、日々努力していきたいと思っています。

茂木さんがお話する姿やブログを拝見して、心のそこから人生を楽しんでいるいらっしゃると感じました。
いつか、茂木さんのような素晴らしい方となにかでご一緒できたらと
そんな希望を抱いております。

#お忙しいとこぼしておられましたが、どうぞお身体にご自愛ください。
乱筆大変失礼いたしました。

投稿: 清田学 | 2007/03/05 21:29:16

あれから・・隼雄先生はいかがお過ごしなのでしょう?軌跡が空白のまま広がってゆきます。
聴くという価値。人にとって、はじめての母国語も聴く事から始まるのでしょうね。
ずっとずっとそうしてつながり着たのかな。くりかえしくりかえし。自分を生ききるために、最期まで。
廃版になってしまった絵本!マーシャブラウン・谷川俊太郎訳の
「めであるく」「かたちをきく」「さわってみる」の写真絵本の三部作
たいせつな事 子ども達に やわらかな大人の方々に・・

投稿: 井上良子 | 2007/03/05 19:57:40

世間に流布しているコンテンポラリー
(現代的)な概念のいろいろは、
しかし、すでに手垢がついていて、
ユングや孔子の思想の核心に迫っていないというのは、
私も同じく思うところです。

「他人の声に耳を傾けることは、自分の内なる声に耳を傾けることに通じている。…聴くということの価値を、現代人はもう少し見直すべきなのではないか」。

他者の声を聴くことは、自己の内なる声を聴くことに通じる…。

ここに「真の」聴き上手になる大きなヒントが
隠されているように思う。


私はユングについてはいまいち暗いが、精神の問題とクオリアの問題とは深いところで底が通じているのではないか。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/05 18:22:33

茂木先生。
ユング心理学会の様子をアップしていただき、ありがとうございます。各先生のポイント、興味深く拝読しました。
 「ユング心理学会の方々とは、もっとも深いレベルで問題を共有していると感じる。」
 私は「共有」などおこがましいのですが、以前ユングクラブの会合後の懇親会で、先生同士が話されているのを聞き、普段私などが絶対に考えることのない次元で、コンテンポラリーないろいろな「こころの問題」を大変な現実感を以て捉えられていて、私自身「はっ」とすることがあり、何といったらよいか、ちょっとシャーマン同士の会話をきいてしまったような・・、自分がききみみずきんをつけてしまったかのような(うーん・・)、不思議な感じを持ったことがあります。

 (「まるでタブーなどないがごとくポンポンと・・・」 川戸先生のお姿が目に浮かぶようです^^。) 
 本当にありがとうございました。

投稿: 武蔵野跋渉同盟 | 2007/03/05 10:21:40

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