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2007/03/04

ひんやりと

時間に追われている日中は仕方が
ないけれども、
 夜眠る前のわずかな時間でも、
現代から離れたものに接すると、
熱を持っていた魂がひんやりと
冷えていくようでほっとする。

 昨日は、外に出でやる
仕事が二件あって、
 それが思いの外時間がかかり、
家に着いた時にはへとへとに
なっていたけれども、
 歯を磨きながらPlatoのSymposiumの
一節を読んだら、一気にイメージが
ふくらんだ。

 ギリシャ人の議論の仕方はある種の経験主義
に基づいている。
 この世で新しいものを生み出す原動力
となっているものは何か?
 生物の世界を見ればわかるように、「愛」
こそが新しい生命をもたらす。
 してみると、精神運動においても、
 新しいものを生み出すのは「愛」なので
はないか。

 ボクは、まったくその通りだなと
思って、
 歯磨き粉をくちゅくちゅと
ゆすぎながら、
 自分が信じる精神的価値を心の
そこから愛しようと思った。 
 そうすれば、きっと創造の神は微笑んで
くれるだろう。

 「愛」を意味するギリシャ語は、erosとphilia
とagepeである。

 精神運動における「愛」の本質とは何か。
 議論し始めれば延々と続く。だからプラトンは
『饗宴』を書いた。

 高校の時、親しい友人とエロスとアガペーの
差について議論した。
 思えば、浮世離れしたティーンエージャーだった。

 時々浮き世を離れてこそ、浮き世をよりよく
愛することができるように思う。

3月 4, 2007 at 09:51 午前 |

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» 愛は確かに全てを救う(前回の続き) トラックバック "HogeHoge World" The Internet Museum.
つまり、 「より良く存在してほしいという願い」 ではないかと思う。 最終的に、茂木健一郎さんの最新のクオリア日記を 読んでいてそう思った。 この図書室でさんざん繰り返し述べてきたが、 「世界は思い込みしだい」なのだから、 せっかくなら良いほうに思い込むのがベス..... [続きを読む]

受信: 2007/03/04 11:42:57

コメント

愛という言葉を無我という言葉で置き換えてみると。
そこには無限のエネルギーが係わり合いの中で生み出されていくように思えました。

なぜならあなたは私のよすがだから。
汝の存在が私を動かす。

pity is akin to love

という言葉も思い出しました。

投稿: | 2007/03/06 1:35:46

先生の日記を読んで
毎日ほっとさせて頂いています。

太陽のポカポカ感
夜のひんやり落ち着く感
先生の言葉の音が
ふわりと大切な日常にたたずませ
すとんと思考へ落としてゆく。

呼吸を合わせたくなるのは当然で
だって心地よいのですから
思考を委ねてたゆたう快楽。

そういえばニーチェの原文読み終わられたのですか。
私はお風呂の中で少しずつ読んで
むー、と考えて
ふと眠ってしまって
かの人の本はすっかりクタクタです。
それでもかの人はめげずに勇ましく
色々なことを教えてくれています。


ところで、せんせー
少し休んでみませんか。
耳にタコがウヨウヨだとは思うのですが。

ウチの父がよく言うとったのです。
「東大の同期は半分過労死しおった。
できるんじゃけ。やるんじゃけ。
気づかずゆきよる。」

全力疾走で、エネルギーを使い切ったわけではないのに
筋肉が動かなくなるのは、乳酸が溜まって
酸性値があがって、生体反応ができなくなるからで

過労死はたとえ体力が残っていても、
過労で内蔵に疲労物質が溜まって
生体反応がおきなくなって、内蔵機能不全が
突然起こるメカニズム。

過労死まで言うのは言い過ぎですが、
怖がらせているのかと言えば
怖がらせています
だって怖いもの。

以前先生が講義で魚の社会認識の論文を
取り上げられたときに
昔飼っていたセキセイインコを思い出しました。
すねたり、嫉妬したり、抱きついてきたりと
物凄く愛らしい駆け引きをしてきたものです。
系が違うのにこんなにも愛情に共通した
進化を遂げているのかと驚きました。
そして、ふと、「何かなもの」を感じたのです。

先生は私が感じた「何かなもの」にいずれ触れようと
している人なのではないかなと思ったのです。
それともあの講義自体がそれを言いたかったのかしらん。

ちょっと大げさな言い回しではありますが
これを期待してもいい人がいるんだと感心したのです。

休んでくださいは消極的なお願いで
働いてくださいは積極的なお願いで

今は仕事の神様や精神の神様や
科学の神様が先生をとりあいっこしていますが

私もちょっと混ざって
せんせー、休んでみませんか?と言ってみる。
最近先生がよく思い出す自然の神様も
先生を呼んでいるような気もするのです。

耳にタコがウヨウヨペタペタだとは思うのですが
体はちょこっと壊れただけで
色々な弊害が連続して起こりうるものなのです。
私は学生時代結構寝たきりだった身なので
あたりまえの様に動ける今の体のメンテナンスを
とても大切に思っています。

いずれ先生が「何かなもの」をあたりまえのように語る音に
たゆたってみたいなあと思うのです。

投稿: | 2007/03/05 14:58:37

トークショーお疲れ様でした。

住吉さん、チーフプロデューサーの有吉さんとか、拝見出来て嬉しかったです。住吉さんは、テレビよりも本物の方がずっと可愛いですね。助け船もさすがプロだなぁと。

一つの番組を作るというのは大変なことなのですね。チームワークのたまものですね。
横井さんのお話も参考になりました。部下の能力を引き出す極意を分かっているなぁと。仕事を楽しんでいますよね。

終わって、「脳内現象」と「仕事術」を買ってレストランで食事中に読みました。仕事術の方は、茂木先生の回の放送時見そびれたのですが、写真付きで仕事ぶりが載っていたので楽しめました。

朝起きて、直ぐ仕事が出来るというのが凄いな。私は朝は色々試したけれど、起きて2時間しないと脳が働きません。音楽を掛けているのは同じだけれど。
自宅に帰ったら疲れて、少し横になっていたら、けたたましいコメディの笑い声で目が覚めました。
ショートコントのコメディを最近夜中にやっているみたいです。あれイギリスのじゃないかしら?

高校の時、エロスとアガペーについて語ったなんて、普通じゃなかったんですね。私が愛というものについてそれがどんなものか解ったのはずっと後でした。高校生の頃は友人と何を話していたんだろう? 

投稿: | 2007/03/05 2:57:46

先生の文章は美しいですね。
絵を見ているようにイメージが浮かびます。

最近ブログを拝見するようになりましたが、
すっかり私のおやつの様です。

時々むずかしい言葉を使うので、
硬い糖衣に包まれて、カリッと噛んでみると
ジュワーっとジュースが溢れるような幸せ感があります。

それがガチャガチャの様に
毎日ゴロンと目の前に転がってくるのです。

お忙しそうですが、楽しみにしています。
お体ご自愛ください。

投稿: | 2007/03/04 23:05:05

愛って、むずかしい。いったい何なのか。
自分なりのとらえ方はあっても、それを正しいと言い切れるか。
もちろん、自分の中では、自分の言葉で進めるを得ない。
愛。
私も、いま、大事にしたい一つ。

私の高校時代は、ひとりでいつも何かを悩んでいた。
そんな私をある友人は、
青年哲学おっさんと呼んでいました。

投稿: | 2007/03/04 20:45:55

「愛」は、共有と錯覚が潜んでいる。
今日、NHKのドキュメントでがん患者さんが語っていた。

『医師と患者と向き合えることはできるのか』

患者さんは、医師へ自分と同じように体験し、判ってほしいと望む。
でも、医師は どんなに真剣に向き合ったとしても
同一の体験は不可能である。
患者さんが胎内に誕生し、今までの体験は
全く知り得ようもない。
なんら問題ないと思うささいな一言が
突き刺さる言葉であるかもしれない。

ほとんどの場合、自分自身が
自分のことを一番判っていない。
傷ついて 初めて知ることかもしれない。
だって 人生って永遠に自分探しなのだと思うから。

だから クオリア。脳で感じる質感。
これこそが、お互いの行き違い、錯覚を救い
お互いの理解へとつなぐのでは。
患者さんと医師の関係だけではなく 人間関係の軋轢にも
活用できるのかも・・・と、
そこにある「愛」が歪まないのかも思った。


投稿: | 2007/03/04 17:25:33

雛流し

ちいさいお舟にのせられて、静かな旅のはじまり。

浮世の悲しみ髪に散りばめ、はかないみだれ髪。

美しい横顔に、こみあげる涙。

投稿: | 2007/03/04 15:34:13

「愛」と言う言葉が自分の中で借り物になってしまう私がいます。私にとって「愛」って日本語でないような使いこなせない、使うのに勇気の入る言葉なのです。
今頃バックナンバーを掘り起して読ませていただいていて、ダビンチの「リッタの聖母」見つけました。題名が解らないままいつからか、家の洗面所の脇にピン止めしてあり、毎日いい絵だなって一日が始まっていました。名前が知れて嬉しい。いい絵ですね。
ダビンチの風景の線画と雪舟の水墨のあいだに共通点があるように思うのです。 愛かな?
若冲の墨描きの絵が心の中でこなせなくて、問いかけられていた作品があるのですが、謎解きのヒントも掘り起こした中から見つけました。
感謝いたしております。
今日は光合成してしまいそうないいお天気です。

投稿: | 2007/03/04 12:07:08

語呂合わせではないですが、今朝の新日曜美術館は「よみがえる昭和の広重~東海道五拾三次復刻物語」でした。浮世絵というのは、その当時の様子そのままを顕わしたものなんだと再認識すると同時に、現代の浮世絵も見てみたいなあ、という思いがフツフツとわいてきました。

投稿: | 2007/03/04 11:28:35

毎日、浮き世(憂き世)に密着していると、如何もずっと魂が熱を持ったままになっているのかもしれない。でも何時までもそれだとまずいから、浮き世から離れたものに触れるのが大事なんだろうな。

そうしてヒートアップした魂をクールダウンする。それが精神にとっては一つの大事なことなのかもしれない。

新しい生命の誕生に「愛」がかかせないように、精神運動においても「愛」は必須条件だ。かのStrum und Drunk運動もその根底には躍動する「愛」の奔流があったはずだ。

ひょっとしたら、宗教の布教もひっくるめて、全ての精神運動には「愛」が根底にあったのではないか…。

「精神運動における『愛』の本質とは何か」?仏教で説く「慈悲」とその「愛」の本質は違うのか同じなのか、自分にはまだ分からない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/04 11:21:19

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