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2007/03/29

寒い朝の温かい粥

松永澄夫さん、それに島田雅彦と
「哲学の現在」について話し合う。

 その時島田が言っていたことでなるほど
と思ったのが、現代における
lingua francaは英語であるという視点。

 当たり前のことのようだが、価値中立的に、
いわばパッケージとして全てを包み込む
メディアとして英語が機能しており、
それ以上内容に棹さした共通言語は
 もはや立てにくくなっている。

 物理学帝国主義ははるか遠くに去り、
全ての人間の活動を経済事象と見ても、
言語以外の何ものもないと嘯いて
みても、現代の複雑怪奇な事象が
そのような言説を裏切る。

 むなしい。

 ちょうど、インターネット上で
ブログやグーグルやユーチューブが
lingua francaを担保しているように、
 特定の価値の文脈から離れて
 流通を保証するのが
現代的共通言語なんだろう。

 松永さんとは初対面だったが、
感情のことを強調して話されていて、
 パトスの人だなと思った。
 
 島田と別れてから、
しまった、「お前、東京のなんとかという
映画に主演しているだろう!」と言うのを
忘れたと思い出した。

 やつは、「今度狩に行こう。その前に
焼き畑農業を経験しよう」など言って
いたようだが。

 波頭亮さんとお話する。
 最初は「プロフェッショナル」の話を
する予定だったのだが、
 どんどんずれて文化論になった。

 日本の社会の、
ちょっと変わった人がいると平均値に
引きずり下ろそうとする「ピア・プレッシャー」
は本当に困るという話をして、それから、
 ケンブリッジ大学の時に、
部屋中にオウムの
写真をベタベタ貼っている技官の人がいたなあ、
という話をした。

 あの「パロット・マン」どうしている
かしら。
 本当に懐かしい。

 そうしたら、波頭さんが、
 「どうせ個性とか言うんだったら、そこまで
いかないとダメだよ」
と言う。

 「日本人は、大した個性でもないくせに、
これが個性なんて言ってしまうから、ダメなんだよ。
 つまり、社会と向き合った上で、自分の個性を
鍛錬するということをしていないんだな」
と波頭さん。

 大量の文章を書かなくてはならなくて、
移動しながら必死に書いた。
 
 そうしたら、さすがに朝からずっと喋り詰め、
書き詰めだったんでアタマというものが
疲れた。

 ビールを一杯飲んだら、ちょっとほっとした。

 今朝になって何となく思い出したことがある。
 あれは小学校に上がるか上がらないかくらいの
時だったか、
 野草で「ノビル」というものがあって、
食べられるんだと聞いて、近所を探していたら
空き地にそれがあった。

 家にもって帰って、母親に見せたら、
油炒めにしてくれた。

 おいしいねと言いながら、何だか手柄でも
立てたような気持になって、
 何回もおかわりした。

 つまりあの時のようなほっとして
充実した感覚を求めているんだなあと
 私は思う。

 今読んでいる渡辺京二さんの本に、
人生の要諦とは寒い朝の温かい粥のような
ものだと書いてあるが、
 さすが私の尊敬する大学者である。

 忙しくても、「寒い朝の温かい粥」
があれば何とかやっていける。
 
 それは、
 今朝の私にとっては
ノビルのイメージだった。

3月 29, 2007 at 06:59 午前 |

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コメント

今週、電車の中で2つ、いいことがありました。

ひとつは、携帯を使っていたら、
じっと見つめる御年配の女性。

私と目があったら、にっこり優しく笑いかけてきて
御自分の胸をポン、ポン、と、ゆっくり二回叩かれました。

はっとして、すみませんと謝りながら
直ぐに電源を切りました。
優先席の前であることをすっかり忘れていたのです。

物凄く恥ずかしいことをした、と思うと共に、
素敵な注意のできる方だなあと物凄く感激しました。


もうひとつは、電車の中、きゃあきゃあと
走り回る二人の小学生の女の子。

ポン、と私の隣の席に座って、
きゃっきゃとジャレ合いはじめたのです。

靴がコートにあたるので、
そっと片手でその子の足にふれ
二人が驚いて私の顔を見たときに、
にっこり笑って、そっと、シーをしました。

すると、二人とも、
突然背筋を伸ばして、両足両手を揃えて
おりこうさんになったのです。

顔はいたずらっ子のままでしたが
私の様子をうかがいながら、とても楽しそうでした。
物凄くかわいらしかったです。

世の中は巡り巡っているんだなと思いました。
誰かに優しくしてもらえたら、してあげられる。


最初の頃に、私は先生からクオリアの種を頂きました。

まだ名も無い、適当な暴言存在の私に、
丁寧に、「ほっとして充実した感覚」を与えてくれました。
そのときに、この人はなんて当たり前の様に
物凄く優しいことをするのだろうと驚いたものです。

お母様との愛を受けて答えていたという幼い頃の日常に、
ああ、そこから巡っているんだな。
聞いてるだけで豊かな気持ちになれる。

おかげさまで、私はすっかり先生の日記を
「寒い朝の温かい粥」にしています。

たまに、苦いけど。

投稿: maya | 2007/03/31 22:57:00

生活の中で、闘いや辛抱の先に、見出すもの。
「ほっとして充実した感覚」は、私にとって、
どんなものなんだろう。いつか、きっと、
時間をかけて見つけたいと思いました。
お粥や、ノビルや、身近なものが尊いもので、
それを知って、これから、生きていけたらいいな。

野草の図鑑を見てみました。
ノビルの花は、初夏の頃に咲くんですね。

投稿: フミ | 2007/03/29 22:23:04

お疲れさまです。
「寒い朝の温かい粥」が、毎日、ありますように。

投稿: nana | 2007/03/29 22:10:59

自分が知ったことを認めてくれる。探してきたものを認めてくれる。受け止めてくれる。そのお母さんは素晴らしい人なんじゃないかと思います。ノビルのイメージがホッとして充実した感覚であり、「寒い朝の温かい粥」のようなものということは、母親が作ったイメージなんではないでしょうか。
忙しいと、ゆっくりできる時間が欲しいなぁと私はよく思いますが、「ゆっくりした長い時間」ではなく、「どんなに短くても心がホッとする、ギュッと緊張していた自分がボワ~ンとなれる瞬間」なんだと、読んで思いました。

投稿: 俊 | 2007/03/29 21:41:11

「日本人は、大した個性でもないくせに、
これが個性なんて言ってしまうから、ダメなんだよ。
…つまり、社会と向き合った上で、
自分の個性を鍛練するということを
していないんだな」

波頭亮さんのこの言葉、非常に同感できる。

現実の社会と真正面から向き合い、己の個性と格闘し、
それを普遍的な境地にまで徹底的に鍛練する。

これは特に日本のクリエイターには、必要だと思う。

大した個性のない日本人が、人として輝いていくには、
社会と格闘し、自分のやわな個性を
それが普遍的なものになるまで鍛え上げる。

そうしなければ、藝術作品としてよいものは生まれないし、
また一般人の生きかたとしても、その人を内面から
輝かせることなど出来ないだろう。

茂木先生、毎日、本当にお仕事ご苦労様です。
ご多忙を極めている日々にあっても
「寒い朝の温かい粥」のような
人生の要諦さえ見失わなければ、
なんとかやっていける…。

そんな先生のきょうの言葉の中に、
我等が忙しさに負けないための要諦を
見たような気がするのです。

野蒜(ノビル)…は私も1度は見た事がアリマス。
根っこが確か丸くなっているやつでしたっけね。

先生の御実家では油いためにされたとか。
私のところではゆがいて、味噌をつけて食べました。

それはさておき、
もうじき、3月も終わりですね。
いま桜はどこもホトンド満開になってます。
それでは、何卒お身体にお気をつけてくださいませ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/29 19:53:16

>忙しくても、「寒い朝の温かい粥」
>があれば何とかやっていける。

それがもし無かったら絶望的ですよね。
あるいはあっても、本人に実感できなかったら。

もう、自分のほうを病的にねじ曲げるしか
手段が無いのかもしれません。
可能ならの話ですけども。

何とかやっていって、それでどうするつもりでしょう?
答えなどありません。我々は無責任に
産み落とされ、その後始末に追われるだけです。

脳科学というアプローチの仕方で
その答えが出るのか、注目しています。

でも、茂木さんなら「もう脳だけではどうしようもない」
と気がつき始めているのではないでしょうか。
脳を突き詰める所には、数々の精神的罠が
待ち受けている事はもちろんですよね。

私もまだ突破口が見えずに苦しんでいます。


愛って一体、つまり何の事なんでしょうね?
茂木さんにはわかりますか?
生きなくてはいけない必然性というものが。

そんな必然性は、果たして本当にあるのでしょうか?
理論的には、もちろん無いんですよね。

投稿: HogeHoge | 2007/03/29 19:49:31

世の中は蜘蛛の巣

偽善の縦糸 えぇ格好しいの横糸がはりめぐらされている。

噴き出しかねない 自己愛をおもりに簡単にそこへ転落する。

偽善でもあり、えぇ格好しいでもあり、転落する虫でもある私。

いつの間にかそれが人間としての完成形になった。

わかってるのに壊すのが難しくなった。

投稿: 平太 | 2007/03/29 12:47:29

Konnichiwa. Mogi sensei no tsukuru mono wo korekaramo tanoshimini
shiteimasunode zehi mainichi nobiru no toki wo ajiwatte itadakitaku omoimasu.
Ramen,yoshigyu no jikan mo hitsuyouka to omoimasuga dozo jimi aru shokuji to karada no shinmade atatamaru mono mo mesiagatte kudasai!

投稿: katagiri naomi | 2007/03/29 8:56:52

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