ドリフのコントのようなこと
米本昌平さんとの対談を終えて、
ジュンク堂近くの店で懇談していた。
その店は奇妙な作りになっていて、
平土間からさらに階段で上がったところに
席がある。
梁が飛び出していて、かがまなければ
くぐれないことは認知していたが、
トイレに立つ時についつい忘れて
頭をゴツンとぶつけた。
いてて。
情けなくも腹が立つ。
ぶつける人が多いのだろう。
梁には、ソフトな梱包材の仕立てがしてあった。
それで、中学校の時の部活を思い出した。
私は中学一年がテニス部、中二が卓球部、
中三が水泳部という朝令暮改ぶりだったが、
テニス部の時、中庭で往復ダッシュを
やっている時にその一件は起こった。
三方をコンクリート壁に囲まれた
その狭い場所で、ダッシュして方向転換
してまたダッシュするという往復運動を
しているうちに、勢い余って頭を
壁にぶつけてしまった。
自分でもびっくりするくらい
血が出た。
職員室に行って、先生が驚いて
車で医者に連れていってくれた。
結局、十何針縫った。血が出た
ことに比べれば、縫う痛みは何でも
なかった。
その頃、アブドーラ・ザ・ブッチャー
という流血レスラーがいて、よく額から
血を出していたが、
噂を聞きつけた仲間たちからブッチャー
だとからかわれた。
まいったのは、一ヶ月くらいネットを
頭に巻いていなければならなかった
ことである。
その頃から髪の毛が乱れていたので、
ネットを付けてちょうど良い、という
説もあったが。。。
頭を打ったら、そんなことを思い出した。
ドラマの設定などでよくそんな筋があるが、
私の方はそんな民間心理学とは関係なく、
本物の連想記憶だった。
席に戻り、落ち着きを取り戻し、
内心の動揺を抑えてからお酒をいただいた。
ドリフのコントのようなことを
やらかした後のお酒はしみじみと情けなく
おいしかった。
頭を打っても、米本さんと喋ったことは
ちゃんと覚えている。
外に出ると、金曜の夜でたくさんの人が
歩いていて、みんなもう花見をしているかの
ような勢いだった。
3月 10, 2007 at 10:24 午前 | Permalink
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ドリフも泣いた…「弟分」も植木さんの死を悼む
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070328-00000099-sph-ent
植木等とドリフターズは、兄弟分だったんだね。
クレージーキャッツの映画にも出演したり、音楽を一緒にしたりと
親交が深かった両グループ。
このクレージーキャッツ、ドリフターズが高度成長期からの
音楽&お笑...... [続きを読む]
受信: 2007/03/28 23:55:40
» ザ・ドリフターズのビートルズ来日公演の前座 トラックバック のこぶろぐ
THE BEATLESは1966年6月に初来日し、ライブを行いました。その日本武道館での公演で前座を務めたのがいかりや長介さん率いるドリフターズでした。・・っていう有名なこの話、実話だったんですね(笑)加藤茶さん(若い!)がドラムを叩いています。志村けんさんは、まだこの頃加入していなかったそうで、武道館の客席でこのライブを観ていたそうです。...... [続きを読む]
受信: 2007/04/01 20:41:24
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コメント
あらら。
茂木さんにも、頭をぶつけた思い出があったのですか。
・・・しかも、流血とは・・・。
実をいうと私も、小学生の時、自宅近くの公園で、独り乗り用のブランコに乗っていて、あまりおもいっきりこいだものだから、はずみで足が台から外れて、ブラブラになったところへ、その外れた台が脳天をガガーン!と直撃して、案の定流血し、結局近所の病院でやはり十何針縫ってもらった。しばらくは頭に包帯を巻かざるを得なかった。
あれから自分の「変人」への道が始まったと思っている。
ブッチャーで思い出したのだが、あるゲームソフト発売記念のイヴェントだかなんだかで久しぶりに来日していたそうだ。しかもザ・デストロイヤーといっしょに!
それはともかく、米本さんとのすてきな語らい、とてもすばらしいものであったとお察しいたしております。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/10 15:05:34