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2007/03/08

アカデミズムの最高の結晶

山崎太郎さんとお話しているときに、
ワグナーの作品は、フロイトやユングに
先駆けて無意識の重要性を示していたり、
あるいは近代のエコロジー思想に連なる
要素もあるんじゃないかと言ったら、
山崎さんも同意してくださって、
 幾つかの興味深い指摘をくださった。

 そのことがずっと引っかかっていて、
昨日歩いている時に、インスピレーションが
来た。

 一つの芸術作品が、アカデミズムの
最高の形態であるということはあるのでは
ないか。

 人間とは何か、世界とはどのように
できあがっているか?
 人間はいかに生きるべきか?
 人生の喜びや哀しみは何に
由来するのか?

 そのような問題についての、
ありとあらゆる学問の最先端、
最深を押さえ、引き受け、
それを論文という形で表現するの
ではなく、
 一つの芸術作品として提示する
ということはあり得るのではないか。

 ニーチェの詩的な作品は、
やはりアカデミズムの最高の結晶の
一つなのだろう。

 プラトンの「饗宴」もまた。

 ひとりの人間の生き方の
中に、叡智が結晶するという
こともあるのだろう。

 そう考えることは、生きることの
可能性を大いに広げ、燃え立つような
勇気を与えてくれるように思われた。

 世の中は、きっと最初から
そのようにできていたのである。

3月 8, 2007 at 07:21 午前 |

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受信: 2007/03/09 22:43:44

コメント

芸術は人生の本質を啓示してる…。つまり製作者は自分の中に脈
々と流れている人生哲学を表現する。見る側は一時的に自分の生
から逸脱するも、自分の人生経験と照合しつつ、新たな人生認識
を吸収し、再び実生活へと戻る。そこには同質性の論理が息づい
ている…。

芸術によって体得できる高次の認識は実生活へと還元できること
を考えれば、最良の教科書とまさに言えるんでしょうね。

投稿: コロン | 2007/03/09 8:24:53

先ず申し訳ありませんでした。
私は本当に足りていませんでした。

実は昨日、LINUSさんとお会いしましてお話ししました。
不思議な、とても包容力のある方でした。

人に、天性の感性で追求するタイプと
自己葛藤で追求するタイプがいるとしたら
私は自己葛藤タイプだそうです。
少女時代を取り戻そうとしているようにも
見えるそうです。

そして、本日、LINUSさんから
「あなたの道を歩んでください」
という旨のメールをいただきました。

ああ、もの凄く
もの凄く嬉しいなと思いました。

そうか、こういうことなんだ。
またも、自分が情けない。
私は実に足りていませんでした。

先生は科学者で審美眼を追求し
求道者でそして詩人であろうとしています。
そんなのみんなとっくにわかってる。
しかもそれらがファッションでない。
本当に純粋に。
そしてキラキラしています。

羨ましいし
悔しいし
では見てみよう
それを期待して毎日日記を読んでいるのです。

私だって自分が色々吸収したら
どうなるか知りたくてジタバタして
限界だからこそ毒づいて降参してを繰り返して
いつでも噛みつこうとしています。

心配を理由にするのはただセンチメンタリズムの解消。
積み重ねられた私の安心感が
果たして何になるかしらん。

先生が自分の道を歩むのはとても美しいと思います。
どうか自由に羽ばたいて。

一般論の幸せの方法論も
真理で本質かもしれないけれど
ほんと余計なお世話で
自分で見つけるし押し付けられたくもない。

自分の真理を見つけるこそが人生そのもので
最初の一手、一番わかりやすい所ですら
奪おうとするのは小さなおせっかい。

だからニュースだって本質である必要はないと思うのです。
見分けるのは視聴者の仕事でもある。
視聴者を信じて、安心してニュースを読んでくださいと
お友達に是非。

ではダイジョウブなのかといえば
そのために見守ってくれる人達がいる。
討論会の中沢先生は先生に対してとても父性的でした。
色々と柔らかく問いゆさぶりながら、
そして見守っている。
そういう近しい人が沢山いて見守っている。
だから先生はダイジョウブ。

ほんと、色々足りなくて、
余計な口出し申し訳なく思っています。
そして気づかせてくれたLINUSさんに大感謝。
私は今色々な人に引き上げてもらっています。

またもや長くなりました。
それでも最後に感謝をもう一つ。

三味線と太夫の話があまりによかったので
最強のカンを持つ友達に話しましたら
彼女は
「究極だ!前頭葉が熱くなる!」

そして、
「そういう話をするの2、3年ぶりですね、
最近楽しそう。
おかえりなさい。」
と言ってくれました。

友達のこういうセリフは
信じられないくらい心を満たすものなんですね。
私を見守ってくれている人がいる。
そして竹内先生のセリフもふと思い出しました。

先生の姿勢も情熱も人を前向きにしてくれる力が
あると思います。
そして心を豊かにする嬉しい変化も与えてくれています。
ほんとに感謝しています。

先生、自らの道を追求して
どうか頑張ってください。
先生がどのように進化していくのか
心の底から見つめていきたいと思っているんです。

投稿: sumimasen | 2007/03/08 23:05:44

ひとりの人間の生きかたの中に叡智が結晶される…。

そうだ、きっとそうに違いないと私も斯く思う。

人間とは?世界の構成は如何?
人生の喜び、哀しみの由来は何か?

そうした事柄に関わるあらゆる学問の最先端や
最深の部分を引き受ける行為を藝術としてあらわす。

ここにこそ、人間の営為の中で最高の一つがあるような気がする。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/08 18:52:04

       太宰治  『饗応婦人』

     クオリア・ 自由意志 ・こころ


   ☆ アカデミズムの最高の結晶 ・・・  主婦編

               太宰の憂愁  ほれぼれ

 

               

投稿: 一光 | 2007/03/08 9:41:21

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