« フューチャリスト宣言 | トップページ | きっと迷妄なんだよ »

2007/03/26

動物の系譜

地震があったのが私の畏友田森佳秀の
住んでいる金沢の近くだったから、
 心配になって何回か電話したら、
夕方になってつながった。

 「おい、地震、大丈夫か?」
 「うん?」
 「地震だよ、地震」
 「ああ、そういえば、すごく揺れたな。
あれは大きかったね。」
 「家具とか、倒れたりしなかったか?」
 「大丈夫だよ。地震対策してあるから。
ボルトとかで、何でも留めてあるから。」

 田森のことを知らない人には
わからないと思うのだけれども、
 この「ボルトとかで何でも留めてあるから」
というのがいかにも田森らしく、
 ボクはほっとするとともに
笑ってしまった。

 生涯で出会う人々のうちで、
 忘れがたい印象を残す人は
いるもので、田森はその一人である。

 「家族とか、元気か?」
 「うん、元気だと思う。しかし、オレは
このところ研究所に寝泊まりしているので、
よくわからない。」

 やはり、言うことが一つひとつ田森である。

 「地震」と「ボルト」と「田森」が奇妙に
ブレンドされて、印象深い日曜日の夕方
になった。

 以前、「マタイ受難曲」を聞き終えた
時の感動は、動物たちが暗く長い夜を
終えて朝日を迎えた時の感動と基本的に
同質なんじゃないかという問題を
考えたことがある。

 サバンナを行く草食獣にとっての不安は、人間の一見複雑な脈絡のついた社会的不安とさほど変わるわけではあるまい。バッハの『マタイ受難曲』を聴き終えた時の感動が、寒くて暗い夜を堪え忍んだシマウマが朝日を見た時の感動と質的に同じである、と仮定した時に見えてくるものを大切にしたい。
 野生動物にとっての不安とは、すなわち、生存の可否を巡ってのそれである。文明を打ち立て、自然を征服した現代人は、生存自体の不安はさほど感じなくても済むようになった。それでも、生きていく上での不安の総量が変わったわけではない。自然の不安を外に追いやったかわりに、人間は、胸のうちに文明化された不安を抱えることになった。それは、牛と生死をかけて戦う闘牛士ほど、明瞭な姿をしているわけではないが、確かにそこにある。
 文脈に絡め取られ、そこに安住するのが俗物であり、反抗し、独立しようと志向するのが純粋なる者であるとすれば、この世界には完全なる俗物も、完全に純粋なる者も存在しない。代助と父、兄との対立は、純粋なる者と俗物のそれではない。むしろ、俗物性と純粋性の間の往復運動のダイナミズムにこそ、魂の危機であり、創発であるところの「真実の瞬間」が立ち現れる現場がある。代助と三千代とて、永遠に恋愛の彫刻でいられるわけではない。代助は、すぐにも生活の心配を始めなければならなかった。
 自分が見つめている漢字の形が突如として分からなくなる「ゲシュタルト崩壊」のごとく、社会的文脈の揺らぎ、あるいはそこからの一時的逸脱が、私たちの精神を剥き出しにさせ、不安にさせる。しかし、その不安なくして、文学もあり得ないし、人生も成り立たない。

茂木健一郎 『クオリア降臨』 (文藝春秋)より

 人間の精神の最も崇高な契機が、
動物性と結びついているという
インスピレーションは大切に育みたい。

 人間が他の人間をいいなあと思う
のは、つまりは動物として良いと
思うのではないかと思う。

 理化学研究所での同僚時代、
食堂でそばを食べた後で歩き始めた時、
田森が突然走り出して、
研究棟の中に消えていった。

 どうしたんだろうと、研究室に戻って
から聞くと、
 突然気持ち悪くなったから
トイレに行って吐いたんだと言う。

 それまで普通に喋っていたのに、
突然走り出して、
 研究室に戻ったら、「ああ、びっくりしたなあ」
という感じでケロリとそんなことを言う
感じが、動物として好きだなあと思った。

 人間の好悪は、案外、動物としての
レベルで決まっているんだと思う。

 自分が一体どんな動物か、一人ひとり
振り返ってみるのが面白いのではないか。

 春の風の中をのっしのっしと歩いていると、
自分が縄文からさらに古代に通じる
動物の系譜に連なっていることがはっきりと
自覚される。

 しかしながら、むき出しの獣性というものは
耐え難いものである。

 非常に高度なプラトニックなコントロール
とけだものの力動が一つの生命体のうちに
共存しているというパラドックスの中にこそ、
最も魅力的な事態があるのだと思う。

 春風と戯れる素敵な動物になれたらいい。

3月 26, 2007 at 06:42 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 動物の系譜:

» 翻訳文学 トラックバック 御林守河村家を守る会
イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』は 当時のベストセラーでしたから、 多くの方々がお読みになったことと思います。 その本の中ほどに、 ロープシンの『蒼ざめた馬』の末尾の言葉、  われ、汝に暁の明星を与えん をひいて、その意味を解きあかしています。 ... [続きを読む]

受信: 2007/03/26 8:54:34

» 記憶のねじまげ装置 トラックバック 須磨寺ものがたり
「記憶のねじまげ装置」って一体どんな装置なのかな? この装置を持っているのは、作家角田光代さん。 角田さんが自分の思いを 解剖学者養老孟司へ伝える。・・3/26産経新聞朝刊「脳あるヒト心あるヒト」より... [続きを読む]

受信: 2007/03/26 13:45:54

» 地震・石川県能登地方地震について トラックバック 防災情報館
石川県能登地方地震発生から一夜が明けました。余震が,続き被災者の方々の不安を思うと心が痛みます。改めて,地震,災害の怖さを知らされました。いくら備えようと,心構えをしようと,地震は人も場所を選んでくれません。私たちは,地震が発生したときに,...防災情報館 館長... [続きを読む]

受信: 2007/03/26 18:02:38

» 人も動物の系統の一群ならば! トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@人間たちは、いま、高度に文明化された空間で呼吸し、ものを食べ、動いて、仕事をしている。そんな人間だって、所詮は動物の系譜に繋がる一群(それも末端の!)に過ぎない。 @森に住む猿から枝分かれして発生した人類の祖先は、そこからさらに枝分かれして、現在の私達ホモサピエンス・サピエンスになった。 @高度な文明・文化を拵え、その中に住むようになってから、我々人類は心の中に「文明化した不安」を抱き続けるようになった。人類が文化・藝術・宗教を生み出したのは、その「不安」をやり過ごすか、乗り越える為でもあったのだ... [続きを読む]

受信: 2007/03/26 20:20:32

» 人も動物の系譜の一群ならば! トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@人間たちは、いま、高度に文明化された空間で呼吸し、ものを食べ、動いて、仕事をしている。そんな人間だって、所詮は動物の系譜に繋がる一群(それも末端の!)に過ぎない。 @森に住む猿から枝分かれして発生した人類の祖先は、そこからさらに枝分かれして、現在の私達ホモサピエンス・サピエンスになった。 @高度な文明・文化を拵え、その中に住むようになってから、我々人類は心の中に「文明化した不安」を抱き続けるようになった。人類が文化・藝術・宗教を生み出したのは、その「不安」をやり過ごすか、乗り越える為でもあったのだ... [続きを読む]

受信: 2007/03/26 20:25:25

» 桜、さくら、サクラ To Ishikawa ! トラックバック この地球を受け継ぐ者へ †
石川県、能登半島沖地震で被災され、不安な時を過ごされている方へ たぶん、ウェッブなど見ている状況でも、通信状況でもないでしょうが、この画像を贈りますー! 北陸の桜もそろそろでしょうか。 不安と寒さと災いから 守られますように。... [続きを読む]

受信: 2007/03/27 0:42:16

コメント

誤解を恐れずに言えば、
インテリとバカは似ている。

どちらも、年中よく分からない事を
わめいて、人によく迷惑をかける。
オウムの幹部だって、インテリだらけだ。

知だけを追い求めれば、バカに近づく。
そう言っても過言ではない状況かもしれない。
まさにウーチーピーハン(物極必反)。

せめて、愛されるバカであれ。
可愛げのないバカ、しかもそれがインテリだったら
人に嫌われる事間違い無しだ。

言い方はきついがしょせん動物なのだから、
おどろおどろしい深海魚などより
野を舞う蝶や小鳥であれ。

何事も、一体の動物として人に嫌われた
段階で終わってしまう。
好かれない、賛同が得られない事には
何も始まれない。

人のネットワークを作る最大のコツは、
人に好かれる事なのかもしれない。

可愛げのないインテリバカにだけはならないように
心がけたい。人は誰でもよくその罠にはまる。
プライドが、自分の最後の敵として立ちはだかる。

言い方を変えれば、好かれる、好かれようとする
事は人のネットワークを作り出す重要な一歩だ。

好かれようとする事は、コネクションを作り出す
アクションそのものなのかもしれない。

一般人が意識せずに当たり前にやっている事に、
もの凄く苦労して辿り着く天才。
なかなか滑稽で自分でも笑えてくる。

真実はいつもそばにあって、当たり前すぎて見えにくい
だけなのかもしれない。

HogeHoge Worldより

投稿: HogeHoge | 2007/03/27 14:43:59

 「はて、前にコメントしたのはいつだったかな」
と、ふと気になり、調べていたらこんな時間。
ひえー、寝てないー!

 田森さん、良かったですね。

 茂木さん、いつも応援しているからね。

 あわわわ、はよ寝んと。あとでまたきます。いい?

投稿: 龍神 | 2007/03/27 6:27:15

花が咲くということは
桜の木にとって最も外に開く瞬間なのかしらん。

先生は週末一気に内側へ。

地中深くに置かれた
磨ききった宝石の強い輝きは見事で

「クオリア降臨」の一ページ分の中に
私含め昨日の皆様の感想のあらゆるやがあるあたり。
「いつも、とっくに考えてる」

「凄まじい思考の連鎖」>「複数の思考」は
見ていて小気味良く。


それでも、私は、
海に向けて窓を開き
体中に風を巡らせる先生の方が新鮮で、
喜びもはるか別種類。

まあどうせ杞憂だろなと
負けっぱなしの経験上。

今日は最後の2文で
ほらね、と。

最近先生は
気持ちよく外に心が向かわれていますね。

暗く長い夜にも怯えることはありませんように。
マタイ受難曲を聞くべきやの
春の夜だったのかもしれません。

それにしても、ふと思ったのですが、
ユダは優等生だったのではないかしらん。
ただ、なんとなくなのですが。

投稿: maya | 2007/03/26 23:21:07

ご畏友の田森さんが御無事でよかったですね。
それにしても家財道具をボルト等で留めておられたなんて、
まさに「備えあれば憂いなし」ですね。

人間は文明・文化を持った頃から、その内面に文明化した不安を
抱き続けるようになったというのは間違いない。

あらゆる藝術・数多の宗教は、その不安をやり過ごすか、乗り越える為に
人間自らが生み出したものなのかもしれない。

そんな文明化した不安を抱いて、自分が創り出した
世界に住まう人間も、
所詮は先カンブリア代からの、動物の系譜に連なる一群でしかない。

人間の好悪も動物レベルで決まるとは…。
まぁホモサピエンスなる我等現世の人類も、所詮は動物の一群ならば、
好悪もそういうレベルで決まるのだろう…。
ともあれ、茂木先生の言われるように、
自分自身が如何言う動物か、振り返って見るのも好いものだ。

現代は剥き出しの獣性をコントロールできない人々が多い。
だからいろんな嫌な事件が起こる。

我等は折角、動物の中で非常に高度に
発達した脳をもっているのだから、極めて高い
「プラトニックなコントロール」と
「けだものの力動」とが(ひとりの人間という)
一つの生命体の中にうまく共存させなくては
ならないのではないか。

己の獣性をプラトニックな理性によって
ほどよく制御できる人が
実は人間的に魅力的な人なのだろう。

桜がぼちぼち咲き始めている。
茂木先生の大好きなお花見の季節も
そろそろですね。

先生は、すでに桜花や春風と戯れる
素敵な存在であられます。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/26 19:59:45

能登半島地震は、余震が続いているそうで、お見舞い申しあげます。
私の住む福岡で地震が起きたときも余震が収まらず、
その疲労や恐怖は、人間としてというより、もっと、
動物としてのものだったと、あらためて思います。
夜が明けて明るくなっても、辺りは、しんとして、
鳥たちの声が聞こえず、馴染みの近所の猫も黙ったままでした。
そんな朝の光景が、しばらく続き、今でも脳裏に焼きついています。
「動物たちが暗く長い夜を終えて朝日を迎えたときの感動」、
と、茂木さんが表現されておられたバッハの「マタイ受難曲」は、
とても長くて、きちんと聴いたことはなかったのですが、
動物の私が動物として、地震で心身とも崩れそうになった記憶を
克服するのに、きっと効き目があるのでは、と思えてきました。
最後になりましたが、地震の被害が少ないことを祈っております。

投稿: フミ | 2007/03/26 19:00:30

茂木さんと同じ1962年生まれです。
未知なる、神秘的なことに興味があり、クオリア日記も、楽しみに拝読しています。

私が自分が動物なんだな・・・と感動した瞬間は、そう、15年前に長男を出産した後。自分の身体から母乳が出るという事実。頭では解っていても、すごく不思議で、神秘的で、大変でしたけど、日々すごく感動したのを覚えています。ある意味出産よりこれはすごい事だと思いました。生んだ後、その命を育てる為に身体から栄養を搾り出すという。。。動物以外にはない機能。これは、女性にしか解らない感覚だと思いますが、この経験は、自分が自然の一部、太古の昔から、Femaleという性に与えられた能力を思うと、感動以外なかったです。
人口の数だけ、この感動があるはずだと思うのですが、最近、悲しい事も多くて・・・ですね。

益々のご活躍、心より応援しておりまーす!

投稿: Mayu | 2007/03/26 16:36:52

「自分が一体どんな動物か」って、結構考えます。

肉食系、草食系、一匹狼系、群れる系、定住系、周遊系・・・。
陸・海・空でも分かれそうですね。

今、わたしの子どもたちが、宇宙の図鑑にはまっていて、
「好きな惑星選び」を熱心にしてるのを見ると、
案外、「自分が一体どんな惑星か(あるいは恒星か)」
っていうのもありかも?なんて思います。

人は、そこに混ざっている、ってことですよね。

投稿: こなつ | 2007/03/26 11:43:21

地震の被災経験を持つ者として
昨日の地震は、衝撃の再来であった。
地震の悲しみは
今年の記念日にも思い出すと涙が零れた。
でも 現実ではない。過去である。

同じ体験をすることは困難であって
報道を通じて 現実に起こっている事実を知る。
でも あの日の脅威は、余震と共に
空を舞うヘリコプターの爆音と振動であった。
傾いている家が倒壊するのではないかという恐怖。
迫り来る炎を煽っているのではないかという不快感。
空を飛ぶ人、事実を知りたいという人には計り知れない感情である。

渦中にいる人の体験は
いかなるものかと・・・・
心を巡らせ 痛みを覚える。

投稿: hi | 2007/03/26 9:48:12

習い事続いたためしが今までありません。えっへん。

やり始めは、誰にも負けない100倍強い勢いで始めるのに。

3日坊主どころかからすの行水くらいの短期間で終わるのが恒例です。

しかし、「クオリア日記」通信講座だけは、なんと

もう1周年を越えていました。

まだまだ楽しくて、毎朝が楽しくて続きそうです。

長く続く、お線香みたいな火じゃなくて、結構

どんぱちどんぱちと、心のなかで花火があがってます!

やけどいっぱい しいしい これからも 講座受講させていただきます。

どうぞ よろしく おねがいします。

投稿: 平太 | 2007/03/26 9:35:51

以前、風水の林秀靜という人の本に、人間を動物にたとえて、その性格や人生を占うというのがありました。個々の動物の習性、顔のパーツ、全体の雰囲気など、多数の項目に当てはまる動物から、1つ選ぶのですが、本当に当たっていました。私は「きりん」で、黒目が大きい、眉毛が太い、首、胴が長い、ふだんは温厚だが、何かあると力を出し、行動が機敏になる・・など。遥か何世紀も昔に、私はサバンナで毎日もっそりと気の上の葉を食べ、時にはライオンに追いかけられていたのかと思うと、楽しいです。

投稿: 菫 | 2007/03/26 7:48:25

コメントを書く