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2007/02/24

ジャングルの中に密かに咲くランの花のように

先日、沖縄の「万国津梁館」で
講演をしていた時のこと。

 風邪を引いてはいたが、私は本番は
ヤケクソのバカ力を出してしまうので
えいやっと話し終えて、
 質疑応答に移ってすぐ、
 一番後ろの方に座っていらした
実直そうな紳士の方が、立ち上がって、
「あのう、私は、先生の
『生きて死ぬ私』を拝読したのですが・・・」
と切り出された。

 当日、参加者の机の上には『すべては
脳からはじまる』が一冊ずつ置かれており、
私は、何となくそれと取り違えておられるのかな、
などと思っていた。

 「それで、私は解説をまっさきに読むのですが、
この本に関する限り、解説が一向にわかりま
せんで・・・」

 そのあたりまでうかがって、「ああっ」
と思った。
 やはり、『生きて死ぬ私』のことである。
そして、その解説を書いているのは、
 内藤礼さんだ。

 「実はですね・・」
私は、とまどいながら話し始めた。

 「あの本の解説を書いていらっしゃるのは、
アーティストの内藤礼さんで、内藤さんは、
つまりその、たいへん繊細な方でいらっしゃい
まして、私などは早い時には一時間で原稿用紙
10枚を書いてしまうのですが、内藤さんは、
1枚の原稿を書くのに1週間かかるという
方なのであります。」

 思うに、私に質問した方は、大変
すぐれた感性をお持ちだったのだろう。
 確かに、現代の文庫本の解説で、
内藤さんのような文章に出くわすことは
まずない。
 「これは何か変だ、普通ではない!」
と思ったその方の感性は正しかった。

 沖縄にて、内藤さん、発見される。

 金曜日。
 朝から、「今日は絶対に無理だ。どう考えても
乗り切れない」と思いながら目が覚めた。

 それでも、ヤケクソになってだーっと
やっているうちに、どういうわけか
予定していることが全部できた。
 
 なんという奇跡なのだろう。
 ボクは神に感謝したなあ。
 でも、夜にはエネルギー切れに
なってしまったよ。コトン。
 
 朝一番で、イラストレーターの
安西水丸さんと対談した。

 安西さんは、私のエッセイ
「最初のペンギン」が教科書に掲載
されるに当たって、イラストを描いて
くださったのだ。

 居合わせた編集の方に、
「同業他社の話ですみません!」
とお断りしてから、
 「安西さん、実は、今、幻冬舎から
『最初のペンギン』という本を
書いているのですが、ぜひイラストを
お願いできませんでしょうか!」
とご依頼すると、快く引き受けて
くださった。

 うれしい。

 「すばる」編集部の岸尾昌子
さんのご紹介でお目にかかった
京都大学名誉教授の日高敏隆さんが
ゼミに来てお話くださる。

 日高さんの御著書『チョウはなぜ飛ぶか』
を中学生だった私は夢中で読んだ。

 その後、数多くの御著書を拝読してきたが、
一杯食ったのは大学院生の時に
翻訳出版された『鼻行類』である。

 巻末の参考文献を探しに
わざわざ医学部図書館にまで出かけたものだ。

 「どうやらウソらしい」と気付くまでの
トワイライトゾーンは、しみじみ
味わい深かった。

 ボクは、日高さんのような巨きな学者の
話を直接聞くことによって、学生たちに
何事かを感じて欲しかった。
 
 本当の学問という文化的遺伝子は、
ジャングルの中に密かに咲くランの花の
ように、探し求めなければ出会えない希少な
贈り物なのである。

 日高さんは、私たちの飲み会にも
お付き合いくださった。
 柳川透が独り占めして何やら
話し込んでいた。

 終了の挨拶を柳川にやってもらおうと
思って指名したら、
 「ぼくたちが、『環世界』と「クオリア」
を結びつけます!」
と宣言した。

 その言や良し。しかし、実行は至難の
わざであるぞ。

 明けて今朝。風邪で苦しみ、超絶スケジュールの
一週間を何とか通り抜けた後遺症で、
 目が覚めても呆然としてまた眠った。

 その後も、たまりにたまった活字を
読んでいたら時間が過ぎて、
やっと先ほどスイッチがかちっと入った。

 あまりにもあまりな一週間だったので、
これくらいは神様、ご容赦ください。

2月 24, 2007 at 02:05 午後 |

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昨日の茂木さんの「クオリア日記」を読んでいたら、茂木さんが沖縄の「万国津梁館」で講演をしていた時、「生きて死ぬ私」の解説文について講演参加者の方から、難解な文章であったと、その人が言ったと書かれてあった。... [続きを読む]

受信: 2007/02/25 10:23:56

コメント

はじめまして、こんにちは。
クオリア日記、拝読する度に、パワーを頂いています。

眠る前に少しずつ「生きて死ぬ私」を読み、今朝目覚めてから、最後の内藤 礼さんの解説を読みました。
ひんやり冷たい孤独と、微かに温かい希望が同時に立ち上がるような文章に、なんだか涙が出そうになりました。
私はまだ茂木さんの本文の内容をきちんと理解してはいませんが、内藤さんの文章は確かに茂木さんの「生きて死ぬ私」に呼応した返歌である、という事はわかりました。
きっと音にしても綺麗な言葉でしょうから朗読された音声が聞いてみたくなりました。

投稿: | 2007/03/05 9:43:25

真に「学問をする」というのは、このエントリーの題にもあるように、実はジャングルの中に未知のランを探しにいくようなもので、キッと困難を伴うものなのだろう。

しかるに、いまは、イージーな感覚で「学問をする」という姿勢が目立ち過ぎているような気が如何してもする。まるでそこらへんの町で買い物をする感覚で“お気軽・お手軽”に、学問をしようとする。

しかし本当は、密林で未知の花を見つけ出そうとするのと同じように、真に学問を究めることは、そして物事の本質を見極めようとすることは、傍目の想像を絶するほどの艱難辛苦を伴うことのはずである。


茂木さんは、そんな艱難辛苦をものともしないで、寧ろそれと真正面からぶつかりながら、クオリアや意識の起源を探り当てようとしておられ、かつ、物事の本質に立ち向かっていっているのだ。学生さんにしても、そういう志を持たれているに違いない。

そして、そういう志のある人が、物事の本質を探り当てるのに違いない。
深い密林の奥で未知の美しいランに出会うように。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/02/25 10:52:34

茂木先生、お疲れ様でした。

先生の多忙極める中で、体調を崩され、大変だったと思いま
す。でも1日の生活の中で、その瞬間瞬間に感じたクオリア
を大切にされている姿勢が、先生のブログの記事から伝わっ
てきました。

クオリアは生もの…その生ものをすぐさま活字に替えて、ネ
ットの流動性を利用して、私たちとの対称性を意識してくだ
さる姿勢にはいつも感謝いたしております。これからもお体
に気をつけて頑張ってくださいね。

投稿: コロン | 2007/02/25 4:15:44

今、私もふくめて、風邪がとても流行っていますね。
喉をやられるウィルスみたいです。

自由に休みが取れない茂木先生には、
大変に辛い体調かと思いますが、
それでも日記の更新をお休みされない姿勢に
こちらも励まされています。ありがとうございます。
ひどくなると気管支をやられるようですから、
どうかご無理なさらず、お大事に。

投稿: とてちとて | 2007/02/24 21:13:59

『最初のペンギン』
経済新聞に載っていた茂木さんのそのエッセイを
小学校でやっている文庫の「トトロ文庫だより」に載せて
紹介させていただきました。
その時に、六年生の子どもがイラストを書いてくれたのを
思い出しました。とっても可愛い絵でした。

安西さんのイラストを見るのが今から楽しみです。

風邪が早く治ります様に、手と手をくんでお祈りしています。
もう一息、頑張ってください。

投稿: sakagutinoriko | 2007/02/24 15:04:28

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