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2007/02/05

学士会講演会  『脳と人間』

学士会夕食会、講演会

茂木健一郎 『脳と人間』

2007年2月9日(金)17時30分〜
学士会本館

http://www.gakushikai.or.jp/event/index.html

2月 5, 2007 at 07:01 午前 |

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最近、京都などでまた耐震偽装問題が報道されている。 この種の問題は根深いものと思うが、さらに根本的な問題を提起しているような気がする。 NPO「構想日本」代表で慶大総合政策学部教授の加藤秀樹氏の講演の中に、次のような話がある。 「効率というと、それは効率がいいと、みんなそう思っていますが、効率の中身というのは実はよくわからない。 法隆寺の棟梁をやっていた西岡常一さんが唯一内弟子に取った方で、小川三夫さんという方がいらっしゃいます。この方自身が今中心になって昔の伝統工法を守る若い大工さ..... [続きを読む]

受信: 2007/02/05 21:03:48

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受信: 2007/02/06 8:21:10

コメント

脳が好きな素人です。

最近「飽きる」メカニズムがどうなっているのか知りたくてしょうがありません。

先生のほうでなにかいい書籍(素人でもわかるような)があれば教えていただければと思います。(ニューロンとか強化学習とかの書籍は読んだことがあります。)

あつかましいお願いですみません。

投稿: | 2007/02/06 20:06:14

恥ずかしい、とは一体どういうことなのだろう。
と昔よく考えていました。
具体的にはロボットに恥ずかしいという感じを
持たせるにはどうしたらいいだろうと。

人はみな自分とはこうだ、という自己像をたぶん持っている。
この自己像は一定ではなく、常に刷新されうるもの。
この自分が持っている自己像が何らかの刺激を受けて揺らぐと
防衛本能がはたらき、何らかの情緒となって現れてくるのでしょうか。

人間が自分という存在が有限であるということ知っている
ということも大きいかもしれない。

人は赤子から成長する過程において、母親との
我=汝であるかのような愛らしい関係世界において、
自分を相手に重ねて考える効率的なコミュニケーションの
手段を自然に、無意識に身に着けている。

この他者に自分を重ねて考える思考の方法が、人間の複雑な
精神構造のベースとしてあるように思います。

「他者の視線は私に無を分泌させる」
とか何とかサルトルは言っていたそうです。
しかしフランクルは
「虚栄と誇りは違う。虚栄を満たすには他者を必要とするが、
誇りは他者を必要としない」
と言っていたそうです。

自分の描く自己像の揺らぎが他者を契機にしているのか、
それとも理想を契機にしているのかの違いのなのでしょうか。


・・・って何を書いているんでしょうか私は。。
はじめはこんなこと書くつもりはなかったのに。
あれこれと考えているうちに脳内の情報たちが新たなつながりを持ち、
思いがけず新しい意味のまとまりができるところが学びの楽しいところですね。

ここでプラトンの言葉を脳みそが拾ってきてくれました。

魂の内において魂が自分を相手に声を出さずに行なう対話(ディアロゴス)
―まさにこれが我々によって思考(ディアノイア)と呼ばれるようになったのだ。


・・・何を言いたいのかわからなくてスイマセン。。

投稿: | 2007/02/06 8:13:45

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