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2007/02/19

私たちは本当は一つに

福島から「スーパーひたち」
で帰り、そのまま大手町の
日経サイエンス編集部へ。

上野駅でタクシーに乗る。

日本初の大型市民参加マラソンとなった
東京マラソン。

「交通規制は、もう解除されたんですか?」
「ええ、思ったより早かったですよ。
上野駅前は、午後4時30分くらいまで、
と言われていたけれども、その前に
解除されていましたから。」
「見たかったなあ。」
「ふだんの日曜日も、もともと、タクシーは
少ないけど、今日はほら、あまり走っていない
でしょ。最初から出ない人が
多かったからね。」

 雨の中を走り抜け、曇天が
晴れ上がる夕暮れを迎えたランナーたちの
心境はどんなものだったのだろう。

日経サイエンスの対談。
東京大学生産技術研究所教授の沖大幹さんにお話を
伺う。

この世の中には、断片的に部分を解析
しているのでは扱うことができず、
総合的なアプローチをとる必要が
ある問題が存在する。

たとえば、人間の知性の起源。
意識はどのように生まれるかという謎。
生命現象の本質。
そして、環境問題。

沖さんの取り組まれている分野は、
「水文学」(すいもんがく)、hydrology
と呼ばれ、
 地球上の水の循環を、人間の営為を
含めて考察するすることで、水を
巡って今後起こりうる問題を解決
することを目指されている。

 人間の水需要のうち、「飲み水」
はごくわずかで、多くは食料
生産のために用いられる。

 日本のように食料の多くを外国からの
輸入に頼っている国は、外国から仮想上
水を輸入しているのと同じであるというのが
「Virtual Water Trade」の考え方。

衛星を使った地表面の水状態の探索など、
沖さんの
水に対する総合的なアプローチは、
実に多様で、しかも、
一つひとつの問題を突っ込んでいけば、
そこには可能無限の探索空間が広がっている
のが感じられた。

「ボクのヒーローは、アインシュタイン
やニュートンから、ダーウィンへと
少しシフトしているんですよ」

 私は沖さんにそう申し上げた。

 正確に言えば、アインシュタインやニュートン
とダーウィンのキメラのような存在
でないと解けない問題がここにある。

 思えば、目の前にあるコップの中の
水も、それが循環してきた世界の広大さを
思えば、自分自身の人生など取るに
ならないくらいの広がりを持つ
わけであり。

 電子や陽子が皆同じ質量を持っているのは、宇宙
の中にそれぞれ一個の素粒子しかないからだという
のがファインマンの考え方。

 一個の粒子が描く世界線が、時間を逆行すれば
反粒子となる。

 もしそうだとすれば、私と目の前の水が
独立した物質的存在であるというのは幻想
であり、私たちは本当は一つにつながっている
のかもしれない。

2月 19, 2007 at 06:09 午前 |

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コメント

デカルトの方法論の根本的な考え、「全体は部分の総和である」
ということの限界がさまざまななところで見え隠れしているの
ですね…。

どのように知を綜合していくのか…茂木先生が感じられたように
それは無限にあるのかもしれません。対称性によって切り結ぶ関
係性の数だけ…。

投稿: コロン | 2007/02/20 4:13:37

東京マラソンを走りました。

ゴールするまでずーと雨で、
というか、スタートまでが寒くて、寒くて、
スタートした瞬間「これでやっと身体が暖まる」と思いました。
むしろ走っている数時間の方がホッとしました。

ゴールまでの数時間、いつもはいろーんなことを考えるのですが、
雨のせいか、気温のせいか、
今回はとてもフィジカルな走りでした。

ただ、茂木さんの数日前のブログに書いてあった、

「本当のことさえ見つめていれば、
人生は大丈夫である。」

というコメントは、何度も思い出されました。

このレースはとても感動的で、走りながらたくさん泣きました。
ありがとうございました。

投稿: | 2007/02/20 1:38:45

はじめまして。Emptyと名乗っています美大生です。
お忙しいところ失礼します。
茂木さんの本を何冊か読みました。
かなりのファンです。
最近僕もブログを始めまして、
同じココログだったのでビックリしています!
BURUTUSの特集号でクオリア日記は拝見しましたが、
それ以前も以降も読んでいません。
すみません。今後は読もうと思います。
ブログには本のコメントやら載せているので、
恥ずかしいですが、勇気を出してご挨拶しました。

以前僕の母が沖大幹さんの本を読んでいました。
(母はNPOをしているので、環境問題や貧困問題を調べています。)

それでは失礼しました。

投稿: Empty | 2007/02/20 1:34:00

いつも茂木先生の文章は、何て素敵なんだろう! って思います。
水と私が一つに繋がっていると思うと、人間は皆一つに繋がっている
ということになりますね・・。そう思うと、先日怒っていたことも許せるかもしれない、な~んて。
水分で繋がって、意識って、人から人へ伝わるのかもしれないですね~。人だけじゃなくて、一匹の虫にも。私は前から何となく水が関係していると思っていたのですが、茂木先生、それで論文書いたら、ノーベル賞とれるかも?

それから、前に「ウェブ人間論」の梅田さんのこと福沢諭吉って言っていましたけど、私は茂木先生こそが福沢諭吉だと思っています。

投稿: | 2007/02/19 23:27:39

個々の物体・事象はそれぞれ独立して存在しているのではなく、本当は一つにつながっている。

…う~ん、銀鏡子も斯く思うなり。

生命の本質問題、意識は如何にして発生するかの問題、人知の起源…。バラバラにして扱うよりも、総合的にアプローチを取らなければならない問題は、何れも非常に奥深い問題である。

水と人間、生物とは実はひとつながりで存在しているのであり、それは、全ての事象についてみなつながっているのだと思う。

さて仏典に「依正不ニ」(えしょうふに、と読む)という言葉がある。

「依正」とは「依報」(環境・周囲)と「正報」(主体・自分)のことであり、「不ニ」とはそれぞれ独立したふたつのようにみえるが、実は1つだという事である。

つまり「依正不ニ」とは、(たとえば)生物と環境とは、独立して存在しているように見えるが、実はひとつながりになっている、ということを現わしているのである。また「他人」と「自分」という関係もまた「依正不ニ」であると仏典は説いている。

だからやっぱり、環境は破壊してはいけない。環境を破壊すれば、必ず人間や生物にツケが廻ってくる。

当然乍ら、それは語のまったき意味での「生命の破壊」に他ならない。

宇宙のなかにはそれぞれ1個の素粒子しかない、とするならば、
時間を遡って反粒子となり、また素粒子に戻って、また反粒子になり、
ということを繰り返して、
我等地上にある全ては、存在するのかも知れない。

水が大きく循環するように、我等を形作ると思われる、素粒子自体も循環して世界を、我々を創っているのだ。

まことにお忙しい中、毎日この「日記」を書いてくだすっている茂木さんも、我々も、素粒子の循環の結果、この世にいまのところ、存在している。

時間が経てば、茂木さんも、我々も、肉体は衰え、朽ち、やがて素粒子にかえり、意識・生命は大宇宙のリズムと融け込んでいき、水のように大きく循環して、また時を得て、地上で生命体として生まれて来る。

その時、われわれは、どんな姿で生まれて来るのだろうか。

きょうのエントリーもまた、奥深い問題を考えさせてくれる。

茂木さんは、脳問題や生命哲学等を通して「真理」のど真ん中に敢然と立ち向かっていっておられる。

その真摯なお姿に、我々は深い敬愛の念を抱くのだ。

茂木さんが、何卒長寿をまっとうされ、「真理」のど真ん中にたどり着かれんことを…。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/02/19 20:24:24

この星でない・・火星に水が流れたらしい痕跡・・層状の地形の所々に入った亀裂に沿って、白っぽい文様。象の肌の様にも見える高解像度画像を見た。その美しさ。
キトラ古墳の剥ぎ取られた鳳凰の文様の。その美しさ。
波動が似てるのは何故でしょう?
黒かびで汚してしまった英知?の世を生きているわたくし達ではなく、はるか昔のキトラの頃の人たちにご覧頂きたかった火星の一面。

寅彦の「茶碗の湯」茂木さんの「目の前のコップの水」今、此処にある2枚の「新聞の切り抜き」を見つつ・・・
いつまで水は循環するのでしょう・・。

投稿: | 2007/02/19 17:24:42

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