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2007/02/28

精神の世界の距離関係

風邪は治ったが、
どうもアタマの芯に疲労がたまって
いるような感じで、
 眠くて仕方がない。

 忙しさに持続可能なものと
そうでないものがあるとすれば、
 昨今のものは「持続不可能」なもの
だったのだろうか。

 しかし、今日はある決意をした。
 一日いちにちを、もう二度とは
戻って来ない一回的なものとして
生きるための工夫。

 高松に移動しながら仕事を
ひたすら続ける。
 電車だろうが、飛行機だろうが、
ホームだろうが、
 とにかく身体の動きが静止したら
さっと仕事を始めるか、
 あるいは眠っちまう
という生活にすっかり慣れて
しまった。

 金刀比羅宮へ。
 表書院の円山応挙、
奥書院の伊藤若冲筆『百花図』。

 小ぶりの間に描かれた
花々を一目見て驚いた。

 こんなものとは思わなかった。

 心がざわざわと騒ぎ、怪しいきもちに
なった。

 奥書院を出て、前から実物に
接してみたくて
たまらなかった
 高橋由一の『豆腐』を見ていても、
若冲の残した波紋が寄せては返り
消えなかった。

 若冲のせいで、油一に浸る
ことができなかったなり。
 
 橋本麻里さんの選んだうどん屋に行き、
 和樂の渡辺倫明さんとともにすする。

 ごく普通の民家のようである。
「山越」というのは、山を越えても
食べたいあじとでも言うのだろうか。
 うまい。

 高松の県立歴史博物館で、
『衆鱗図』を親しく見る。
讃岐藩主松平頼恭が平賀源内に命じて
作らせたという。

 絶品である。

 東京に帰り、ヨミウリ・ウィークリー
及び中央公論新社の方々と会合。

 民家を改造したイタリアンで、
トニーという人がサーヴしていた。

 若冲の若冲たるゆえんとは何か。
 『百花図』はごくありきたりの
思いつきのようだが、
 一見して異彩を放つのはどうして
だろう。

 当たり前のことのような積み重ね
でも、ちょっとしたツメやアタリで
風貌をがらりと変える。

 極上のファンタジーや奇想は
日常から遠く離れたところにあると
思いがちだが、
 実際には、あくびをするような
普通のものの横に、
ほんのちょっとの気合いでめくるめく
何かはあるのではないだろうか。

 精神の世界の距離関係を、私たちは
きっと皆誤解している。


伊藤若冲筆 『百花図』


高橋由一 『豆腐』


平賀源内 『衆鱗図』

2月 28, 2007 at 07:18 午前 |

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受信: 2007/02/28 12:17:59

コメント

「頭の芯に疲れが残っている」そんな茂木さんを僭越ながら?心配しております。時にはゆっくり出来る日があることを願うばかりです。
休めのサインもどうぞ大事になさってください。
 最近、私は期日のある仕事に追い詰められたような気持ちを味わっています。ただし、私が今大変だと思っているこれらの仕事は茂木さんならささっと片付けてしまわれるのだろうな、と何度も思い、頑張っています。意外に脳は喜んでいるのかも、と思うようにもしています。
 

投稿: ウエタ | 2007/03/02 0:34:17

中庸。
精神世界の距離間。
驚くほど分かりやすい。

情けないと思ったり
ゴンゾーのような読み方もあるかなとか
ほんとに行ったり来たりですが
色々助けて頂いています。
でも何よりは一人で学んでいるのでは
ないという安心感。

ニーチェもキリスト教も仏教も先生も
助けを求める人を助けようとする
そんな愛があるんだな。
方法論よりも先ずそれを見つめていたい。
はてアニミズムはどうだろう。

それにしても彼の人の本、
なんと色々な本が引用していることか。
なかにはそのままを私に告げた
人もいたわけだ。
ニヤリとしてしまう。

先生の日記は本当に面白いですね。
こんなふうに過ぎた月はかつて無い。

私では経験し得ないようなことや
聞き得ない職人境地を
分かりやすく語ってくださる。
毎日の経験と知的発見と感覚の妙とを
分けてくださる。

常に耳を澄まして、
あっと言う間に自分の言葉にして
すぐにヒラリと次へ行く。
うらやましいなあと思いつつも
その軽やかさが実は怖い。

私自身も一日一回の知的発見を
自らに課していた身ですが
発見の次の展開、
先生の様な最後の一行の力がない。
碁士のような瞬殺の一手。
感性を越えた計算の綾。

このとき先生が必ず言う
「みなさん、わかりますか、
わかりますか。あはははは」に
毎回胃の腑がクゥッとする。

これが先生のお友達による
PTSDの作用なのかしらん。

一時期現社会の究極の真理は
法にあると思いこみ
判例を読みあさった時期があります。
さっさと飽きて内容はすっかり
わすれてしまいましたが
今はプロセスに同じ味。

先生は言葉を数式の様に
高度なロジックに仕立てて
あっと言う間に幾つも解き上げ
しかも一つにしてしまう。
この境地から「本質」を見つめ続けると
歯がゆくならないだろうかと思ってしまう。
理解できても誰も同位置から論じられない。

まあそんな雑誌「ぱ○○」があるのならば
面白いので是非買います。
読んで理解する間に旅行が
終わってしまいそう。

理解してもらえるのは至上の喜びで
でもつぎは共感したいと
欲が出てしまう。
だから私は今週我を失ったのかな。

相変わらず長くなってしまいました。
明日は講義ですね。楽しみです。
今回も対談。
今度は英語論文の読みに当たる恐怖に
怯えることが無いのが嬉しい。
運が悪くて毎回スタートが近いんです。
最近宗教談義が多いからまた弾むかしらん。

ではまた明日によろしくおねがいいたします。

投稿: チュウヨーさん | 2007/03/01 16:48:05

松山の音声もお聞きできて至福に感じています。質疑応答までも意味があり、チャイムの音まで含み感銘致しております。
展覧会の名称が青山二郎の目だったので、「物」を見に行くのに、他者をどうして通して見ないといけないのかと言うギモンでミホミュウジアムを逃してしまったのでした。
茂木さんのお話を聞いてそうか!「青山二郎その人展」だったのか。と思いました。その美意識を感じに行けば良かった。
骨董や物は、見つけるのでなくて、向こうから呼び込んでくれるように思います。
ある画廊で「箱書」に美が存在する事を初めてわかった事があります。土牛の箱書ざくろと書かれた字・・。川端龍子の箱書。作品だけでなく、包むものの秘められている、大きな存在を感じました。

いいものに肌を合わせて何時間も佇むのは極上の時間のあり方ですね。共に息を交し合うと言うのか?生きている喜びでもあります。松林図にしても印刷でさえ格が違うほど生命そのものに感じます。衆鱗図もここで見せていただいても極上!!うれしい出会いです。
ゆっくりご覧いただくのに、京都市近代美術館の常設展にたぶん架かっているルドンの「若き日の仏陀」もお薦めです。

あくびをするような普通の横に未知の世界は佇んでいて、発見をまっているのでしょう・・。自分の身の丈で考えること。自分の肌を信じる事からしか始まりませんね。

本当に松山の音声ありがとう御座いました。モーツアルトに似られたお方も素敵でした!

投稿: 井上良子 | 2007/03/01 14:15:07

精神世界って難しいと、確かに僕もずっと思ってましたけど、2年前くらいからいろいろな事を考え始めたら、精神というのは人間が知らなければいけないモノだなと思いました。

デモ・戦争・平和も、こういう精神の何かを欲するという事から起こって、このような大きな事柄になってるんじゃないかなと思いました。


精神はまだまだ人間にとって未解決な事が多いと思いますけど、それだけに上記したように知らなければいけないモノだなと僕は思います。

投稿: 関根 | 2007/03/01 4:09:55

長旅お疲れ様です。

伊藤若沖の『百花図』と高橋油一の『豆腐』は面白い対比だと思いました。
前者は、日本の気候風土から野に咲く花々の可憐な美を作者が目に留め描いたものを、書院に壁画としてデザイン性を加え金箔を配し、非日常空間を創り出していると思います。

後者の『豆腐』は日常そのもののリアリズムであると。
人は、誰も当たり前の日常が退屈で、非日常に憧れを抱きます。
美しい花々の咲く金箔の夢の世界に憧れを抱き、その場所を掴もうとします。けれど、人は日常から逃れることは出来ないもので、案外幸福とはその豆腐にあるのだと。
けれど、人は金箔の貼られた花畑を求めずにはいられない、そんな人間の欲望と戒めを感じます。

平賀源内の絵もすばらしいですね。

夜中に愛媛の音声ファイルを聞いて、それから書いています。
声がお元気そうでホットしました!
愛媛は、何度も行っています。四国は山がこんもりとして本当に美しい所だと思います。
岡山からフェリーで渡った頃はフェリーの中で食べるおうどんが最高でした。今は瀬戸大橋が出来てそれはそれで良いと思いのですが。
愛媛美術館には行ったことがなかったです。松山城も。
道後温泉はありますが。松山の皆さんと盛り上がっていましたね!

それから、茂木先生の畏友のおしらさまは天才なんですね!茂木先生も天才だと思うのですが・・。今度東北へおしらさまを見にいってみようかな?と思っていたところでした。

投稿: tachimoto | 2007/03/01 3:03:34

心躍る如き、極上のファンタジーは、
遠くにはなくて、日常の横に潜んでいる、というわけか…。

何気な野の花も、若冲の手にかかれば、
心を妖しく揺さぶるファンタスティックな世界となる。

お写真を拝見したが、
絢爛たる金箔をバックに描かれた美しい花々が、
観るものの心を妖しく捉えて離さない…。

なんでもないものでも、
ちょっとした「ツメ」や「アタリ」で
ガラリと風貌を変えてしまう……。

ありきたりの普通の世界のすぐそこに、
あっと驚く奇想や幻想は隠されている。

若冲はきっと、
そういうファンタジーを
日常から引き出す名人だったに違いない。
そこにこそ若冲の異才は輝く。


由一の豆腐も、源内の描いた鯛も、
ありきたりのもののはずなのに、
なぜかとてつもなく美しい風情なのは、
由一も源内も、
若冲と同じく日常から
ファンタジーを引き出せる人だったのかもしれない。

精神世界の距離関係は意外と短距離かもしれない。
しかし、普段、私達はそれを見落としている…そんな気がする。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/02/28 18:39:28

茂木様

ニューロネクストです。

>極上のファンタジーや奇想は
>日常から遠く離れたところにあると
>思いがちだが、
>実際には、あくびをするような
>普通のものの横に、
>ほんのちょっとの気合いでめくるめく
>何かはあるのではないだろうか。

さて、上記を考える場合、バーチャルな世界と、リアルな現実世界との間の距離とは、脳科学的にどのように言明できるのでしょう。

『ニューロマンサー』や『攻殻機動隊』、『マトリックス』等は既に今は昔となってしまったのか、最近は専らこちらの世界に話題が集中しております。

『Second Life』
http://secondlife.com/world/jp/

是非、茂木先生による鋭い解説をお願いいただきたく思っている次第です。

投稿: ニューロネクスト(neuronext) | 2007/02/28 9:26:25

        精神世界に距離は無い

    【若冲】【由一】【源内】    三種三様

    やはり  若冲  百花繚乱  咲き乱れる 成瀬


  

投稿: 一光 | 2007/02/28 7:48:58

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