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2007/02/28

脳にとって美とは何か

Lecture Records

特別展「青山二郎の眼」 記念講演会

2007年2月26日

松山市コミュニティセンター キャメリアホール

茂木健一郎
「脳にとって美とは何か」

講演、白洲信哉との対論、質疑応答

音声ファイル(MP3, 75.9MB, 82分)

2月 28, 2007 at 07:24 午前 |

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コメント

初めまして。
グラフィックデザイナーです。
最近、大学でデザインのクラスを教えるようになりました。
デザインの手法について考えていたら、
茂木さんが講演の中で話しておられた内容と
自分が考えていたことが重なりました。

マルセル・デュシャンのレディ・メイドというアプローチですが、
既存のものを全く別のコンテキストに置くことで
コンテンツに対する認識を転換し新しいものを作り出す
というその手法は、そのままデザインに応用できるように思います。

例えばブランディングにしても、パッケージのデザインにしても、
つまりはコンテクストを作り出すための努力であると
言えるのではないかと思います。

そういった意味で、デザイナーというのは
コンテンツ・メーカーではなく、
コンテキスト・メーカーであると言えるのではないかなと、
あんまり自信はありませんが、思っています。

投稿: 遠藤大輔 | 2007/04/22 13:17:34

色々な人に同じ事を言われ
自分も、もうそれでいいと思って納得してきて
その中に友達もいてある程度立場もできて
バランス感覚も養えてきて
食事に行ったり旅行に行ったり恋をしたり。

でもそんな中に同じ人を見つけると
信じられない安心感と信じられない幸福感に
満たされるんです。
その瞬間から異質と呼ばれていた感覚が
自由に詠い始めるのです。

全員がそうなればいいと言っているのではなく
ただそういう人が傍にいると素晴らしいという話。
真理を求めているのならば詠いませんかという話。

平均化を求めるのをやめろという陳腐な要求ではありません。
あなたの喜びも尊重したいし理解したいし共感したいと心から思っています。

だからあなたも共感しなくていいからどうぞ理解してください。
その包容力を優しさを以って与えて欲しいと思うのです。

投稿: to_heisan_san | 2007/03/03 18:53:21

初めまして,heisanと申します.
時々,思い出したように拝見しては楽しく視聴しております.

講演の中で,自分の言葉でしゃべれるようになるにはどうしたらよいか?という問いがテーマに上っていましたが,いまひとつ釈然としない理解のまま終わってしまっているように思われましたので,ここに不束ながら私見を述べたいと思います.

私は,例えば,小学生も物凄く色んなことを感じている,考えていると思っています(これは大人が思っている以上にという意味です).
しかし,小学生は自分の思ったこと,感じたこと(以後,これを感覚と呼びます.)をそのまま言葉に載せる能力をまだ持ちません.
それでも,周りの人たちとその感覚をラクに共有できるなら不都合はないので特に問題を生じないわけですが,時々「なんで俺の感覚はこうも分かってもらえないんだろう?」という,ちょっと特異な感覚を持ってる人というのが居るわけですね.
こういう人というのは,自分の感覚を分かってもらうのに非常に苦労する.
「自分の言葉でしゃべれるようになる」というのは,その苦労の代償なのです.

閃光の如く身体をよぎった一瞬の感覚をなぜか大切に思い(これは「美」というものに対応しそうですね),且つその感覚をなかなか周囲の人たちと共有できず歯がゆい思いをし,その反動から「いつかは言葉にしてやるぞ!」との執念を持ち続けた結果,ついにはそれに成功する.
「自分の言葉で語れる」とはこういうことではないのでしょうか.
言葉を変えればこれは,「俺はそう簡単には分かってもらえなかった.」という半ば屈辱的な感情が先行しているが故の賜物(副作用)なのだとも言えるでしょう.
或いは,「自分の言葉でしゃべれるようになるにはどうしたらよいか?」という問いを発する人たちというのは,「自分の言葉でしゃべる」という七面倒くさいことをしなくても生きてこられた,その意味において幸せな人たちなのではないでしょうか.

何歩か譲って,この「七面倒くさいこと」をやってみたいと思う人が居たとすれば,「自分が異質なものとなる空間に我が身を投じる」ということをやってみられるのがいいのではないでしょうか--と思います.
この種の七面倒くささは,それ自体は面倒なわけですが,克服しえたときの達成感は言葉にしがたいものがあります.
或いは,この達成感を求めて,自らが異質で居られる空間に身を置き続けるというのもまた,味わい深いものがあると思います.

投稿: heisan | 2007/03/02 23:59:37

始めてコメントします。
先生のブログと著作に親しむのが毎日の息抜きと刺激です。
美というものがたちあわれる脳は不思議ですね。
美しいものをみると心の中にあるカメラがカシャッとシャッターを
切った音が聞こえるぐらい「今この瞬間」を感じます。
自分の中の火花の美しさに体が恍惚してるのでしょうか。


投稿: | 2007/03/01 23:43:59

「世間を驚かせたデュシャンの便器の出品」
→ 「青山二郎の目利きの真髄」
→ 「利休が使っていた茶碗の中に、李朝の便器」
というハコビに、爆笑すると同時に かなりの説得力を感じました。
もしデュシャンが聞いたら、
喜ぶんじゃないかな~ ともおもいました。
ツボに入ってしまい しばらく笑いが止まらず、困りました。

海外の方たちに対しても、説得力があるようにおもいましたし、
骨董の世界を全く知らない私にも、
青山二郎の世界の深さの一端を垣間見せてくださいました。

長谷川等伯の「松林図」の前に2時間、
というお話に共感しました。
ロンドンのナショナルギャラリーにある、
レンブラントの最晩年、63歳の自画像
(ハイライトのひとつ、34歳の自画像ではなく)、
テイト・ブリテンのターナーも、私にはそのような作品で、
その前に立つと離れがたいです。

あまりに偉大な方々に囲まれ、
いろいろ大変なのでは、とやはりおもっていましたが、
白洲信哉さん、とても しなやかな方なんですね。
遺伝子もしっかり受け継がれていらっしゃるように感じました。

松山の講演会場に集われた、
皆さんの雰囲気、とても和やかで 好奇心にあふれ、
楽しんでいらっしゃる様子が伝わってきました。

投稿: suzaku | 2007/03/01 12:41:47

テレビを観ていたら、人は不自然さ(人工的)が無いと美しいと思わないようにできているとか言う人がいた。自分の面も髭を剃らないと何となく落ち着かない。別に髭面で髪の毛も伸び放題でも平気であっても良さそうなものだが、私は駄目らしい。私の清潔感というのはどうも人工的なモノと結びついてもいるようだ。
掲示された写真の若冲の絵を見ると、人工性そのものでもある。artificialと途中までスペリングが同じだが、アートはラテン語のars(技術)が語源だと書かれていた。人工性を際立たせるのは、確かにほんのちょっとの差異であるかの方がいいのかも知れない。

投稿: ISHIKAWA,Hiroichi | 2007/02/28 17:55:04

いつも 日記を拝読しては、講演会に参加された方を
羨んでおりました。
今回 mp3で拝聴でき、気を遣って 講演・収録されたのだろうと推察致します(笑)。
プロフェショナルでの司会ぶりは
かなり自分の主張を抑えて ゲストから引き出すことに集中されているのだということがわかり、
心労があるのかもと思ってしまった。
 
美。クオリア。とても感銘を受けました。
自分にしか判らない、なんとも言えない幸福感。
五感だけでなく、第六感。いえ、七感も・・・って思ってしまう。
自分の感性を人に伝えるのは、至極困難。
でも 幸福だから 自分だけでも孤独なんて感じない。
判ってもらえないことに 満足を感じることすらある。

「身近の中に 幸福感がある」
同感です。
メーテルリンクの「幸せの青い鳥」に通じる。
探しても探しても無かった幸せは、すぐ傍にある。

日常に幸せを感じることができれば 毎日 幸福だものね。
私は、幸福感を増幅してくれる伴侶を未だ探し続けている。。。

投稿: hiroko | 2007/02/28 13:22:55

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