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2007/02/11

ニーチェを一粒

高校の時、「ニーチェを読むと気分が
晴れやかになる」と言った女の子がいた。

正確に言うと、「Mさんはいつも
そう言っていたんだよ」と大学に入って
から誰かに聞いた。

教えてくれたのはひょっとしたら和仁陽
かもしれない。

(和仁は、高校の卒業文集に「ラテン民族における
栄光の概念について」というタイトルのエセーを
書いた男で、今は東大の法学部にいる)

最近、私自身も青春の愛読書だった
ニーチェを読み返していて、
現代を生きる上での困難の
多くが扱われている、という思いを
新たにしている。

(「英語で全ての教養を再構築する」
というモットーの下に、英訳で読んでいる
のだけれども)

一つだけ大切なことを言えば、
凡庸さが
生命哲学をつらぬく上での障害に
なるという事実。

多くの場合他人の中の
凡庸さによって傷つき、怒りを
感じる。
これはわかりやすい理屈であるが、
ニーチェは同時に、どんな人の
中にもある凡庸さをもその考察の
対象にしていると思う。

つまりは、ニーチェは精神運動に
おける生命哲学のど真ん中に
剛速球を投げ込んでいる。

凡庸さは同時に生命を維持する上で
欠かすことのできないホメオスタシスの
一つでもあるから、それとの
付き合いには格別の智恵がいる。

現代は
凡庸さというリバイアサンが
わがもの顔で闊歩している時代
ではなかろうか。

だから、心ある人は、
ニーチェを一粒服用してみては
いかがでしょう。

山口宇部空港に向かう飛行機は
ずいぶん揺れたようだが、
私は眠り込んでいて気付かなかった。

夜遅い到着だったので、エンジン01の
メンバーはみな散っていて、
島田雅彦にでも電話してみようと
思ったが、何となく
部屋で一人、
ビールを飲むことにした。

「買い出し」というやつを
やってみようと思い、
近くのコンビニまで歩く。
見知らぬ街の夜の暗がり。

ボクは、都会と地方の現在の関係は、
本当に心の底からおかしいと思う。
そして、そのおかしさの中で、
さまざまな事象が立ち現れている。

どっかりと地中の中で動かない大岩
のごとき、
永遠不滅の真理に基づいて
中央と地方の関係を全く新しい
光の下に見ることはできないのか。

大切なのは、同時代の事象にとらわれて
しまうことではなくて、
何十年も何百年も護持することの
できる一つの理想、美しい夢
であろう。

ボクは、ある時から、「全てを対称に
したい」というのが自分の
切ない衝動なのだと
気がついた。

教える側と教わる側。
送り手と受け手。
年寄りと若者。
日本人と外国人。
組織に属するものと、外にいるもん。

非対称性が持ち込まれてしまい
がちな全ての人間関係を
対称にして行きたい。
そのような動機から、いろいろな
行動が導き出されていることに
気付いた。

講演をmp3で公開していること。
芸大の授業のあとの上野公園の飲み会。
ゼミの時の、学生たちとの議論の仕方。
このブログを書いていること。

なぜ、対称性を求めるのか。
コミュニケーションが十全に
機能するためには対称性が
必要だというのが直観的な
説明だが、その向こうにはより
心理的な深層があるやもしれぬ。

バッハの平均律をかけてホテルの
窓から見る下関は、歴史の中
から浮上してきたように底光り
して見えた。

2月 11, 2007 at 07:20 午前 |

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茂木健一郎 クオリア日記さん「ニーチェを一粒」 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/02/post_1cbb.html 多くの場合他人の中の 凡庸さによって傷つき、怒りを 感じる。 これはわかりやすい理屈であるが、 ニーチェは同時に、どんな人の 中にもある凡庸さをもそ... [続きを読む]

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受信: 2007/02/12 7:27:23

コメント

今ちくま文庫のニーチェ全集善悪の彼岸、道徳の系譜の
哲学者の先入見ってとこ読んでるんですが一言で言うと

何が愛知だキザ野郎!そんなに勃起すんのが(本能の肯定が)
こええのかビビリ野郎共が!!
って感じなんでしょうか?かなりあれな言い方ではありますがw

地球が真円でないのがむずむずしてしまう私は善悪の彼岸には
立てていないのでしょうね。

投稿: | 2007/09/19 16:47:11

対称性についてですが、例えば物理学は対称性の追求そのものです。
インフレーション、スーパーストリング、M理論、Dブレイン。何故かはわかりませんが、
この宇宙(Dベレインも含めた)がそうであるからなのでしょうが。

対称性の破れから新奇性が発現していく。
まず揺らぎがあり、対称性が破れ、そして「時間」とともに対称性に収束してゆく。
これは人間の歴史、人間の文化、その他もろもろののことも同じでは。
なぜ、そうなのかは、時間が解決していくと思いますが、

限られた時間で生きる人間、というか私にとっては
「なぜそうあるのかでなく、あることが神秘」。という言葉で満足すべきかと。

ニーチェの言う「解釈」。それでいいのではと、諦観ににた満足。


投稿: | 2007/08/30 10:53:08

茂木さんがニーチェを語るのか。と、少し驚きました。
私も高校のころにニーチェ、ハイデッガーを読んでからは、最初は「気分が晴れやかになる」ことは感じましたが、それ以上に苦悩がはじまりました。おまけにカント、ヘーゲル、エンゲルス、マルクスも同時並行でした。対象があまりにも大きく、まじめに深く入れば入るほど苦悩が果てしもなく大きくなっていきました。

いわゆる「生の哲学」といわれる思想家を読み漁りました。受験勉強など手につきませんでした。いちおう物理で大学にはいりましたが。それからいろんな視点から独学で古今東西の思想、哲学を40年やってきました。いまだに悟りの境地には至らない凡人です。

逆に悟りなど必要ないと考える昨今です。
「存在と時間」の核心部分、「哲学論考」「哲学」、「パンセ」、。。。。等々の中のひらめき、などなど。ただ馬鹿みたいに存在の驚愕に歓喜し感謝すればそれでよしと考えているこの頃です。

「いかに存在しているかでなく、存在すること自体が神秘」(うら覚え?)とだれかがいってますが、それがわたし程度の人間の悟りの境地だと勝手に解釈してます。

なんだか、まとまりのない話になりました。あしからず。もう直ぐ60を迎える初老の独り言でした。

投稿: | 2007/08/30 10:06:03

私は幸せが平等にあればいいなと思います。

私はわりとなんでも持っているので、
持たない人の助けをしたいと思っています。
それで平等に近づくと思います。

あまるほど持っていないのはお金ですね。
その面でどうにかすることはできませんが、
食べ物を口に運ぶ、行きたいところに付き添う、
知りたいことを一緒に調べる。

時間、労力、知識、優しさなどを提供できます。

幸せが平等であればいいなと思います。

投稿: | 2007/02/15 1:13:08

凡庸な身からすれば
凡庸な生活は日常であって
日常は知の実践場所であり
そして悩ましい場でもあり。


私はよく海外旅行にゆくのですが、
女一人の長期旅行ともなると
必然的に治安が良く物価の安い国を選びます。
そうなると自然に仏教国ばかりになります。


どこに行っても仏教哲学に香ることは

先ず知ること
気づくこと。
そしてできるようになる。
そして熟達する。

熟達とは悟りのことであって
だから一回ではなくひとつの形ではなく
愛もそう
仕事もそう
優しさもそう
そして諦観と中庸。
永遠に終わらない。
一生勉強ってそれはそうだな
どれをとっても私にはまだまだ。


膨大な知識を得ても
哲学書を読んでも
それをできるのようになるのか
それを成熟できるのか。
それをどこで測ればいいのか。
測る必要なんてあるのか。

我が凡庸はそれを乗り越えられるのか
養老さん的に言えば「バカの壁」


何のために読むのかももはやわからず
ニーチェなど、むしろ苦しむのではないかしらん。
知性以外の本質的なところとも向き合う。
それでもああようやくの一歩。

行って参ります。
ケセラセラ

投稿: | 2007/02/12 22:41:59

ニーチェ、今の私の自己変革の処方箋として是非服用します…。

茂木先生の追求されている万物の対称性に関しては、レヴィ・スト
ロース、中沢新一が人間の文化の隠れた構造に本質を求める上で用
いている人類学の対称性に通じるおもしろい視点だと思います。

私も最近、全てが2項の数学的構造が全てを支配しているような気
がしています。多様に見える世界も意外と左右対称性から見れば、
簡単に構造化されことが多いですし、非対称に見えるものも、ただ
それを上下対称性、回転対称性のように視点を変えただけのように
思えてなりません。

投稿: コロン | 2007/02/12 5:52:40

「全てを対称にしたい」というブログ後半の記事を読みながら、心がとてもじんわりとする思いでした。上手く言えませんが、とても心温まる音楽を聴いた時のような、すがすがしく、そして「ほっこり」な印象というのでしょうか。今後もブログ、楽しみにしております。

投稿: cembalo_salon | 2007/02/12 2:59:38

こんばんは。

 対称性のお話は、とても解りやすくて、茂木先生の意図する所が伝わりやすいと思います。
左右対称であることは、天秤がバランスを保っているようでもあり、
美しいと思います。

 ニーチェを読んでいると、茂木先生の苦悩を考えてしまいます。
私、数学はよく解らないのですが、収束と拡散、><これも
左右対象になったとき、美しい無限大になりそうな感じ。
それが、美しい変革になったらいいですね・・。

投稿: | 2007/02/11 23:14:47

「すべてを対称にしたい」
「非対称性が持ちこまれてしまいがちな全ての人間関係を対称にしたい」

対称、ということばでの表現が、
目が覚めたように新鮮で、すごくわかりやすく感じました。
茂木さんなら新風を吹きこめるのではと思いまする。

ニーチェを服用いたします。


投稿: | 2007/02/11 15:10:21

島田雅彦と自由の女神  ぼんぼんとびんぼう 
バッハとつんく  茂木健一郎と・・・・。

私はニーチェをまず本屋さんへ探しにいくところからはじめる凡庸の人
ですが、それを調理することで深みになればと思います。

投稿: | 2007/02/11 12:01:45

“凡庸”とは生命維持の為のホメオスタシスの一種でもあるならば、それと差しで付き合うには「格別の智恵」が要る…。

しかし、そうであっても、いまはおっしゃるとおり、凡庸がリヴァイアサンと化してしまい、我が物顔に闊歩して、理想を貫こうとする人々の行く手をさえぎってしまう。

ニーチェを読むことがあまりないのでよくはわからないが、彼が生命哲学のど真ん中に立ち向かったのは、ひとえに(これはあさはかな我が推測ではありますが)こういう世の万般にわたる凡庸さを乗り越えて、理想を貫く生きかたを確立しようとの思いからだったのではないか。


茂木さんの、非対称になりがちなあらゆる人間関係を対称的なものにしたいという試みも、ひょっとしたら、生命哲学の本質の追求に関わる、非常に高い精神性の伴うことなのかもしれない。コミュニケーションというものが生命哲学と無縁なものとは、如何しても思えない。心理的な深層のもっと下にその哲学があるような気がしてならない。

全ての世界は(特にこの島国は)、凡庸さがあまりにも大きな顔をしてふんぞり返っている。そこからは知の探究への情熱も、生命哲学への深い探求も生まれてはきにくい。

そこへどんなやりかたであれ、非凡な理想を掲げて、ぶつかっていく所に、新しい知の革命がおこる、と私なりに思いました。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/02/11 11:20:34

今、ちょうど中沢さんの「対象性人類学」を読んでいます。
それでますます、茂木さんに共感、共鳴している次第です。

下関のシンポジウムには、すでにSoldOutで行くことができませんで
残念です。

下関というところは、私の母親の実家ががあるところで、子供時代には
毎年、盆・正月には欠かさず行っていました。
今でこそ、こんな程度の田舎ですが、さらに田舎に住んでいた私からみれば、子供心に、都会の象徴のようなところでした。

母が亡くなってからのここ数年、親戚との間の色々な事情で足が遠のいてましたが、まだ会える時間のうちに、おばあちゃん(母の実母)に
今、会いにいこうと思います。 

下関という土地で茂木さんに一時、近づくことがでいます、

投稿: | 2007/02/11 10:34:19

講演を直接聴くことのできない私にとって録音を公開して下さる事は大変にありがたいです。講演の中でも茂木さんはインターネットを活用するべきと仰っていましたね。
聴くことができる人、出来ない人、対称性を求める茂木さんの行動に
感謝している私です。
バッハの平均律がお好きなんですね。

投稿: 心のつながりコーチ | 2007/02/11 10:23:55

大竹昭子さんとのカタリココのでそのお話がでたときから
ずっと気になっていたんです。
「ニーチェを読むと気分が晴れやかになるの」と言っていた
高校生の女の子、今40代半ばになった彼女にとって、
ニーチェはどんな意味をもつ存在になっているんだろう?と。
女性の人生の先輩の話も聞きたい!
どこからどう見ても凡庸のかたまりなのに
中身がわけのわからない刺だらけになっている私、
晴れやかさを求めてニーチェ読んでみます♪
カタリココでは茂木さん、
「ワ・タ・シ、にーちぇを読むとー♪気分がー晴れやかに、なるの~♪」
と高めの声の軽い感じで仰っていたので
「そんな女の子はいない!」と笑いそうになりました!

投稿: | 2007/02/11 9:52:33

なぜ茂木さんがそんなに「無防備」なのか
わかったような気がします。
茂木さんは、「発散」と「吸収」が
べらぼうに大きいタイプなんですね。

投稿: | 2007/02/11 9:38:12

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