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2007/02/15

クオリアと文脈

Lecture Records

茂木健一郎 

『クオリアと文脈』

東北芸術工科大学(山形市)講堂

2007年2月14日

音声ファイル(MP3, 17.9MB, 20分)

2月 15, 2007 at 04:59 午前 |

コメント

「クオリアと文脈」楽しく拝聴しました。
私は建築・環境デザイン学科で建築を教えているものです。
気になっていて会場で質問しようとしたのですが、その瞬間は言葉がうまくまとまらなかったのですが、一つ質問です。
『ポップアート』だったウォーホールは、どの時点で「美しい」というクオリアを獲得したのでしょうか。そのときの「美しい」というクオリアはどのくらい共有可能なものなのでしょうか。茂木さんの感じる美は、他の人が感じる美と同質なものなのでしょうか。
このような質問をするのは、美という質感は、ある学習を前提にしているように思うからです。だから、前提となる教養のちがいで、違う価値になるように思うのです。

以前、(20年くらい前、学生のときに)ルイスカーンの建築を見たときに、なんだか違和感はあったけど、それがなんだかわからなかった。ちょうど、ポストモダン絶頂期で、カーンの建築のよさがなんだかわからなかったんです。でも、いろいろ時間が経って、カーンのことを学んで、ある学習を前提として、その違和感や良さが厳然とわかってきた。それはもう不思議なくらい時間が経ってから、私のなかである、これいいなという価値観(イメージ)が立ち上がってきたんです。こういった受け手の主体的な問題がある質感をつくっているとすると、(いくら人類の歴史がバックにあっても)絶対的なクオリアというのは、存在しないのではないかと思ってしまいました。だから、ウォーホールの美しさも、じつは最初はポップアートで美しくなかったんだけれども、どこかでそれを美しいと感じるように、認知する側が変わってしまったのではないか。とも思います。価値が相対的な方が、あるイデアがあるというようなプラトン的な考え方よりはよりおもしろいかなとも思いますが、どう思われますか。
最後に、今回の優秀作品5点のなかに建築・環境の学生の案があったのはうれしかったです。特に学科で選ばれていないものが選ばれたのがよかった。評価の尺度が相対的なものであるということをクリアに示せたので。

山形が気に入ってくれてうれしいです。わたしも東京と往復していますが、特に福島から峠を登っていく感じが好きです。

竹内昌義 (建築家・みかんぐみ)

投稿: 竹内昌義 | 2007/02/18 23:30:09

 番組を興味深く拝見しました。今自分の貧乏寺の庭をどのようにするか、独学で禅庭を勉強していますが、北山氏の哲学に参考になることがたくさんありました。禅庭の中に日本人としての仏教の悟りがあることも実感します。

これからも良い番組を楽しみにしております。

投稿: kongozaji | 2007/02/17 11:42:08

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