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2007/02/27

0から1、2

白洲信哉というやつは、
「熱」のある男で、
 松山の青山二郎展も、
彼の持っている熱に感染した人たちが
手弁当で動いて実現した。

 飛行機に乗ると、通路を挟んで
向こうに座っている。
 「おや、偶然ですなあ」
と言うから肩を一つこずいて、
 座って、私は眠ってしまった。

 途中でふと目を覚ますと、本を
読んでいたシンヤもまた眠っている。

 急ぎの仕事があったので、
青山二郎展をやっている愛媛県立美術館
の床に座ってカタカタと打った。
 見上げるとお城がある。

 山の上にあって可愛らしい。

 はて、漱石はなぜあの風情を書かなかったの
かしらと思った。

 ボクがもし松山に住んでいたら、
あの城の感じだけでも十分幸せに
生きていけるだろう。

 NHKの松山放送局、
愛媛新聞を訪問したあと、
 ホテルで解放されて、
しばらく仕事をする。

 結局私は息継ぎのように仕事を
しているなり。

 ちょうど、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の北村愛子さんの回を放送している。

 講演の会場へ。
 青山二郎とデュシャンの関係を
とっかかりに美について話した。

 途中で白洲信哉を舞台に招き上げる。
 予定だったのか、ハップニングだったか
わからないけれども、
 とにかく面白い感じになった。

 白洲信哉は、安土とか桃山の
頃を愛する。
 メールアドレスにはバサラとある。
 なぜあの頃はできて、
現代ではできないものがあるか、と問うたら、
 それは命を賭けて真剣にやっていないからだろう
とシンヤ。

 人間、本気であるかどうかが
なぜか作品に現れる。

 それは、何かを語る時に、自分の心から
出た言葉に発しているか、それとも
 借り物の言葉で語っているかという
違いに相当するだろう。

 今の世は借り物が多いから、
それではもったいない、
とボクは大いに説くつもりだけれども、
 そんなことは余計なお世話、
と言う人たちもいるかもしれない。

 どうも妙な性癖で、少々
抵抗感がないと実感がわかない。

 皆が賛成なんて気持悪い。
 何だこのやろう、と反対する
人がいて、
 でも、熱烈にわかってくれる
仲間がいて、
 そのくらいの頃合いが一番良い
ように感じる。

 最初から大いに賛成などと
いうのは、談合だろう。

 信哉が一ヶ月前に来た時、
ふぐの皮をお腹のあたりそのまま
でろりと出してもらったという
寿司屋に入る。

 松山の信哉仲間はみな熱いなり。

 0から1、2となりそうなので、
凶暴なる男が
ダーツに立った頃合いを見計らって
退散した。

 今朝は早い。
 まだ夜の底も黒いうちに起きて
仕事をしていたら、
 いつの間にか少しずつ
明るくなってきた。

2月 27, 2007 at 06:27 午前 |

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話をわかりやすくするために単純化した例を一つ出させて下さい。今、目の前に二つの選択肢があったとします。 (選択肢A=コスト削減策に代表される消極策) (効用):40 成功確率:50% 期待効用:40×0.5=20 (選択... [続きを読む]

受信: 2007/02/28 4:49:15

コメント

先日、茂木先生の講演に伺いました。
先生は思ったよりテレビで拝見するより、ずっとずっと魅力的な方で、なんだか引き込まれてしまいました。また、先生の話を聴きたいな。
ご多忙とは思いますが、お身体に気をつけてください。

投稿: red | 2007/02/28 13:30:57

       なんとなく  野上弥生子

お友達に誘われて 遊びに伺った お宅が

           成城物語  野上弥生子邸 だった

   どうなってんの 友

             そのうち 武相荘   あぁ 天よ!

   母は、根岸の 四季の庵

投稿: 一光 | 2007/02/28 6:56:26

白洲信哉さんのような、破天荒な中にも自分を貫く…そん
な、確立した自己をもった生き方が響きあう中で、多様性
の秩序が作られればいいですね。

何かを1つにまとめようとする外圧、論理によって生まれ
るのは、調和ではなく、個の心の制限や抑圧であり、その
作用に歪みを生み出すということだけですから…。

投稿: コロン | 2007/02/28 6:02:28

毎回活躍楽しみに拝見させていただいております。
島田雅彦先生との講演は百回以上聴いたと思います。
何回聴いても新鮮で、毎回爆笑!!!。
神様は2つ与えない(正式な言葉は忘れました)と言いますが、たまに与える時があるのね〜と嫉妬してしまいますよ。
あの人を観ていると、物凄く頭が良くて、社会の動きに敏感で、繊細なんだなぁと思いますが、色々知り過ぎているその哀しさを、オペラとか芸術面で埋めている様な気がします。あと快楽、笑。
自分もあんまり今の社会に歓迎されない頭の使い方をしているので、根本的にどうしようもないので、島田先生観ていると同じ系譜の先輩が頑張っている気がして、救われる気がします。
沖縄いらしていたんですね。講演とかあれば見に行けば良かった〜。
お忙しいと思いますが、茂木先生の石原正康さんのコラム楽しみにしています。

投稿: はじめまして比嘉です。 | 2007/02/28 4:16:03

昨日、私は先生の講演を松山市の会場にて聴講させて頂いた者です。評判通りのお話ぶりに痛く感激しました。先生の少し早口気味のしゃべりの連続は、先生のオーラと相まって私の脳を刺激しっぱなしでした。 また、機会がございましたら松山の地へお越し下さい。

投稿: dodopapa58 | 2007/02/27 23:37:50

松山に赴かれたとの事。

お城、道後温泉、人々のおおらかな気性…。
松山にあふれる暖かなものは、東京でなくしたものばかり。

松山の風情全てが、フラワーピッグこと茂木先生を
幸せな気分にしてくれたに違いない。

自分はまだ1度もかの地へ行ってはいないけれど、
本当にチャンスがあったら1度は赴きたいものだ。

ところで、白洲氏は安土・桃山の頃を愛しておられるとかや。
しかも、メルアドが「バサラ」なんて、何というカッコ良さ(失礼!)。

あの動乱が相次ぐ中で生まれた、
実に生き生きとした、自在にして絢爛たる文化の美とパワー!

その輝きと力が、バサラや出雲阿国を生んだのだ。

日本ももう一度、安土・桃山時代のように
生命力にあふれた文化が生まれる時代になればいいのだがなぁ。

今の時代は一面からみれば「明治維新」のようなれど、
ちょっと「バサラ」的要素が足りないかも。

ところで、茂木先生を講演などの度に拝見するのだが、
何故か凄く力強く、しかも「バサラ」の匂いがとてもするんだ。

そうだ…!茂木健一郎氏はきっと
「今に生きるバサラ」に違いない…!

世間には茂木先生のご姿勢に反対する人、賛成する人、
いろいろありますが、わたくしは先生を、
これからも大いにリスペクトしたいと思います。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/02/27 19:06:17

松山での講演楽しく聞かせていただきました。茂木さんの尊敬されている小林秀雄さんは歴史や美を考える時に科学的実証主義や分析手法を強く否定していると理解していますが、茂木さんは30世紀ごろにはクオリヤは定量、定性的に捕らえられているのでは、と言われたように思います。小林さんと異なる認識をもたれているのはなぜか、また何かの要素でクオリアが捕らえられる兆候が見えておられるのでしょうか。
会場では質問できませんでしたが、教えていただければありがたいです。脳と仮想、やわらか脳を読むとともに、小林さんの新潮社版の講演集のCDで頭を洗濯してます。

投稿: 菊坊 | 2007/02/27 18:10:59

昨日の松山での公演、行きました。内容が凄かった。青山二郎とデュシャンの関係から、日本の骨董をどう世界にアピールしていくか。私も以前から、茶碗ひとつにしてもなぜ世界ではこんなに地味な存在なのか、とムカムカしてたので、昨日の先生のお話は、パッと私の心に光がさしました。本当にいい物は隠れた所にある、人間でも物でも。でも意固地になっちゃいけないよ。という姿勢も勉強になりました。
聞き終えて、興奮を冷ますのに4,5杯強めのアルコールを飲みました。今回の展覧会といい昨日の公演といい、自分の人生の転機にんるんじゃないかと思うくらい、まだワクワクしています。
最後に白州信哉さん、そんなにモーツアルトに似てますか?

投稿: ミイコ | 2007/02/27 14:43:37

「ボクがもし松山に住んでいたら、あの城の感じだけでも十分幸せに
生きていけるだろう。」という一節に「明恵上人が島へラブレターを送った」という話がふとうかびました。「島殿へ」という宛名も一緒に思い出しました。どんな感覚なんでしょう?私は感じたことはないですがきっといい感じなんでしょうね。あこがれます。

投稿: とんさと | 2007/02/27 13:32:05

おはようございます。
すいません、早速ですが
今日の日記の言葉に甘えてさせていただきます。

先生の日記を毎日拝見して
常に何かを言いたいのですが
彼の人の本を読むことの弊害が1つ。

言葉が踊らない。

本は素晴らしいと思います。
思うのですが、
日記の感想を描こうとする度に
全て彼の人の言葉が支配する。

なんだこれは。

全て彼の人の言葉
全て彼の人の意思
間違えることは今更の恥じで
間違いに意味があるなら発言しますが
今はあってようと間違っていようと意味が無い。
思考がファッションになってしまう。

陶酔から目覚めて
やや焦燥感。
同時に再び湧き上がる疑問の数々。
これを皆どうやって消化しているのだろう?
私はこれをどう消化すればいい?

私は呆れられる程酷いおしゃべりで
言葉で呼吸して
言葉で生きています。
今息の根を止められています。

色即是空は経験を以って
私の心に風が吹きました。
垣根無く信じられる唯一の真実と実感して
あとは少ないボギャブラリーから
勝手に造語を作ってわあわあ騒いで
友達に五月蝿がられる始末。
そんな色即是空を更に展開した先生に
ゾッとしたのが今月中旬の様。

まだ読み終えてなくて
何を言うかというのもあるので
待つべきなのですが
考える時間分、今まででありえないほど
読むのに時間がかかるのです。

私があせりすぎているのか
今目の前にあるこの蘭の実はモルヒネなのか。

はあ、ようやく
今息ができました。

投稿: 駱駝の色が緑色 | 2007/02/27 13:00:36

 講演会を聴きに行きました。面白いお話をありがとうございました。
私は失礼ながら茂木先生のお名前を知らず、また脳科学や心理学に対して少し抵抗や偏見を持っていました。ので講演会を聴きに行ったのは本当にたまたまで、内藤礼さんの作品を調べていると茂木先生の名前に行き当たり、それと同時に「脳にとって美とは何か」と書かれたチラシをみかけたというのが経緯です。
 実際に会場に行くと不思議な熱気にあふれていて、それは茂木先生が芸能活動?をされていることに由来しているのかなと気付き、「なんだかおかしなところにきてしまった、本当に面白いのかな」などと失礼なことを考えてしまいました。
 講演は終始和やかに、かつ熱く進行し、時間がたつのが本当にあっという間に感じました。講演後すぐに本屋さんで「生きて死ぬ私」を買って読んでしまったため、正直どこからが講演の内容で、どこからが本に書いてあったことなのか区別がつかなくなっているのですが、茂木先生の真剣な生き方や考え方に、自分の中の真剣さが反応するような気がしました。
 私は大学で美術を学んでいて、美を専門にしているにも関わらず何が美しいのか分からなくなることがよくあります。と同時にどこからが他人の考えで、どこからが自分の考えなのか、境界線が分からなくなってしまい不安に陥ります。トータルして「自分が美しいと思うものは何か」ということが分からなくなります。今まであまり真剣に向き合ってこなかった自分と美について、今後真剣に取り組んでいくことが私の課題であると感じました。
 ありがとうございました。

投稿: かよ | 2007/02/27 12:00:15

昨日、茂木さんの話を聴きに行きました。子どもが生まれてから、一人で夜にどこかへ出かけることはなかったので、子どもを預けたり場所を調べたりと周りの協力があって行くことができました。久しぶりに声を出して心から笑わさせてもらいました。行ってよかったです。
本当は最後の質問の時に「風邪はどうですか?」と聞きたかったですが、手を挙げる勇気がありませんでした。
お体に気をつけてこれからもがんばってください。
松山に来ていただき、ありがとうございました。

投稿: しほりん | 2007/02/27 9:29:56

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