脳にとって美とは何か
Lecture Records
特別展「青山二郎の眼」 記念講演会
2007年2月26日
松山市コミュニティセンター キャメリアホール
茂木健一郎
「脳にとって美とは何か」
講演、白洲信哉との対論、質疑応答
音声ファイル(MP3, 75.9MB, 82分)
2月 28, 2007 at 07:24 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (4)
Lecture Records
特別展「青山二郎の眼」 記念講演会
2007年2月26日
松山市コミュニティセンター キャメリアホール
茂木健一郎
「脳にとって美とは何か」
講演、白洲信哉との対論、質疑応答
音声ファイル(MP3, 75.9MB, 82分)
2月 28, 2007 at 07:24 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (4)
風邪は治ったが、
どうもアタマの芯に疲労がたまって
いるような感じで、
眠くて仕方がない。
忙しさに持続可能なものと
そうでないものがあるとすれば、
昨今のものは「持続不可能」なもの
だったのだろうか。
しかし、今日はある決意をした。
一日いちにちを、もう二度とは
戻って来ない一回的なものとして
生きるための工夫。
高松に移動しながら仕事を
ひたすら続ける。
電車だろうが、飛行機だろうが、
ホームだろうが、
とにかく身体の動きが静止したら
さっと仕事を始めるか、
あるいは眠っちまう
という生活にすっかり慣れて
しまった。
金刀比羅宮へ。
表書院の円山応挙、
奥書院の伊藤若冲筆『百花図』。
小ぶりの間に描かれた
花々を一目見て驚いた。
こんなものとは思わなかった。
心がざわざわと騒ぎ、怪しいきもちに
なった。
奥書院を出て、前から実物に
接してみたくて
たまらなかった
高橋由一の『豆腐』を見ていても、
若冲の残した波紋が寄せては返り
消えなかった。
若冲のせいで、油一に浸る
ことができなかったなり。
橋本麻里さんの選んだうどん屋に行き、
和樂の渡辺倫明さんとともにすする。
ごく普通の民家のようである。
「山越」というのは、山を越えても
食べたいあじとでも言うのだろうか。
うまい。
高松の県立歴史博物館で、
『衆鱗図』を親しく見る。
讃岐藩主松平頼恭が平賀源内に命じて
作らせたという。
絶品である。
東京に帰り、ヨミウリ・ウィークリー
及び中央公論新社の方々と会合。
民家を改造したイタリアンで、
トニーという人がサーヴしていた。
若冲の若冲たるゆえんとは何か。
『百花図』はごくありきたりの
思いつきのようだが、
一見して異彩を放つのはどうして
だろう。
当たり前のことのような積み重ね
でも、ちょっとしたツメやアタリで
風貌をがらりと変える。
極上のファンタジーや奇想は
日常から遠く離れたところにあると
思いがちだが、
実際には、あくびをするような
普通のものの横に、
ほんのちょっとの気合いでめくるめく
何かはあるのではないだろうか。
精神の世界の距離関係を、私たちは
きっと皆誤解している。
伊藤若冲筆 『百花図』
高橋由一 『豆腐』
平賀源内 『衆鱗図』
2月 28, 2007 at 07:18 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (1)
白洲信哉というやつは、
「熱」のある男で、
松山の青山二郎展も、
彼の持っている熱に感染した人たちが
手弁当で動いて実現した。
飛行機に乗ると、通路を挟んで
向こうに座っている。
「おや、偶然ですなあ」
と言うから肩を一つこずいて、
座って、私は眠ってしまった。
途中でふと目を覚ますと、本を
読んでいたシンヤもまた眠っている。
急ぎの仕事があったので、
青山二郎展をやっている愛媛県立美術館
の床に座ってカタカタと打った。
見上げるとお城がある。
山の上にあって可愛らしい。
はて、漱石はなぜあの風情を書かなかったの
かしらと思った。
ボクがもし松山に住んでいたら、
あの城の感じだけでも十分幸せに
生きていけるだろう。
NHKの松山放送局、
愛媛新聞を訪問したあと、
ホテルで解放されて、
しばらく仕事をする。
結局私は息継ぎのように仕事を
しているなり。
ちょうど、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の北村愛子さんの回を放送している。
講演の会場へ。
青山二郎とデュシャンの関係を
とっかかりに美について話した。
途中で白洲信哉を舞台に招き上げる。
予定だったのか、ハップニングだったか
わからないけれども、
とにかく面白い感じになった。
白洲信哉は、安土とか桃山の
頃を愛する。
メールアドレスにはバサラとある。
なぜあの頃はできて、
現代ではできないものがあるか、と問うたら、
それは命を賭けて真剣にやっていないからだろう
とシンヤ。
人間、本気であるかどうかが
なぜか作品に現れる。
それは、何かを語る時に、自分の心から
出た言葉に発しているか、それとも
借り物の言葉で語っているかという
違いに相当するだろう。
今の世は借り物が多いから、
それではもったいない、
とボクは大いに説くつもりだけれども、
そんなことは余計なお世話、
と言う人たちもいるかもしれない。
どうも妙な性癖で、少々
抵抗感がないと実感がわかない。
皆が賛成なんて気持悪い。
何だこのやろう、と反対する
人がいて、
でも、熱烈にわかってくれる
仲間がいて、
そのくらいの頃合いが一番良い
ように感じる。
最初から大いに賛成などと
いうのは、談合だろう。
信哉が一ヶ月前に来た時、
ふぐの皮をお腹のあたりそのまま
でろりと出してもらったという
寿司屋に入る。
松山の信哉仲間はみな熱いなり。
0から1、2となりそうなので、
凶暴なる男が
ダーツに立った頃合いを見計らって
退散した。
今朝は早い。
まだ夜の底も黒いうちに起きて
仕事をしていたら、
いつの間にか少しずつ
明るくなってきた。
2月 27, 2007 at 06:27 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (2)
国立劇場で、文楽を観賞する。
演目は『奥州安達原』。
いくら武士としての対面、倫理が
あるとは言え、
不義の子を宿し、行方不明に
なった娘との再会に、
冷淡に「失せろ」と言い放つ
父。
現代から見れば、あり得ないと思える
ほど、「不条理」な筋だが、
その過酷な運命の中で必死に
生きる人(形)の姿に接すると、
むしろ根源的な生のエネルギーを
受け取ることができるような気がする。
久しぶりの人形浄瑠璃の後、
太棹三味線の鶴澤清治さんと
お話した。
資生堂で文化事業にたずさわって
いらっしゃる
若林則夫さんのご紹介。
ユネスコの世界無形文化遺産に
指定されるなど、
「ハイカルチャー」との印象が
強い文楽だが、もともとは大阪の
町人文化から生まれた。
鶴澤さんによると、東京と大阪では
文楽の客席の様子が違うという。
東京は、「勉強に来ている」
という感が強いのに対して、
大阪はもっと気楽に見ていて、
反応もストレートだという。
落語の「どうらん幸助」は、浄瑠璃の
「桂川連理柵」を稽古しているのを
耳にした幸助さんが本当の嫁いじめと
勘違いしてわざわざ京都まで仲裁に
行く話だが、それくらい上方では
浄瑠璃が庶民の中に芸として
浸透していたのだろう。
あとで鶴澤さんと対談するのだからと、
いつも以上に太夫と三味線の方を注視
していると、
二人とも人形が遣われている舞台の方を
ほとんど見ない。
そのことを鶴澤さんに伺うと、
「そうなんです。人形に合わせてはいけない
ことになっているんです」とのお答え。
義太夫と三味線は、自分たちの美意識を
貫くべきなのであって、人形の所作に合わせる
ような感覚が生まれると、芸が乱れる
というのである。
「市川猿之助さんにお誘いを受けて歌舞伎座で
三味線を弾かせていただいた時も、猿之助
さんはわかっていらっしゃるから、
舞台は気にせずに、思う存分語ってください、
とおっしゃった。」
とのこと。
太夫と三味線の関係は、「つかず離れず」
が良いのだという。
完全なる機械的シンクロを目指すのでは
ない。
離れてしまうようで、しかし最後には
ぴたっと合う。
そんな「闘い合う」関係が
理想的だと鶴澤さんは言われる。
「若い時、大先輩の太夫に三味線をつける時は、
どうしてもぴったりとついていってしまう
んですが、そうすると、お前気持悪い、
そんなについてくるな、と叱られるん
んですよ。」
つかず離れず、独立しているようで、不思議な
絡み合いの中にやがて何ものかの姿が
見えてくる。
これは、文楽に限らず全ての人間関係に
おける基本であろう。
「難しいのは、あまりうまく弾きすぎては
いけないということです。込み入った戦慄を
速く完璧に弾いても、お客さんを感動
させることはできない。あぶなっかしく、
やっと弾いていると見えて、実は見事に
弾き終えるというような時に、聞いている
者の心が動くんですわ。」
スキーを完璧なフォームで
すいすいと滑ってしまう人が
案外つまらなく見え、
むしろよろよろうろうろと
転びながら降りてくる人の
方が好ましく見えるという
自分自身の心の傾向を思い出した。
鶴澤清治さんの「芸談」は、
一つの見事な生命哲学に貫かれている
ように思えた。
2007年5月7日には、「芸の神髄シリーズ」
第一回が行われ、
鶴澤さんが主演される。
http://www.nhk-ep.co.jp/geinoshinzui/explanation.html#series
2月 26, 2007 at 09:39 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
竹内薫との朝日カルチャーセンターの
対談で、先日NHKのドキュメンタリー
番組「72時間」で見た、
バッティング・センターの
「ホームラン王」の話をした。
おじいさんが自転車に乗って
ミナミにあるバッティングセンターに
通ってくる。
標的に当てて、一日何十本もホームランを
打つ。
ところが、番組の後半になって、
「バッティングセンターがもう少し
したら閉鎖されてしまうんですよ」
とおじいさんが寂しそうに言う。
「ホームラン王」としての栄光
を支えてきた「バッティングセンター」
というインフラは、そのようにあっけなく
消えてしまうのだ。
はかないのはそれがミナミの
バッティングセンターだからと
思いがちだが、
実際には全て同じ事なのではないか。
舞台になるのが
「セリーグ」でも、「アメリカの大リーグ」
でも、何かを成し遂げる基礎となる
制度、仕組みは、極限すれば
ミナミのバッティング・センターの
ようにいつかは消えてしまうもの
なのではないか。
この地球だって、私たちは安定した
大地だと思っているけれども、
本当は太陽のまわりを物凄い
スピードでぐるぐる回っていて、
いつ小惑星がぶつかって壊れるか、
軌道が不安定になるか、わかっちゃ
もんじゃない。
私たち一人ひとりの肉体もそう。
だから、どんなに中枢にあり、
安定しているように見える
ものでも、実際には自身の中に
脆弱性を抱えているというのが
世の中の真実であり、
そのことを見つめないと
生の哲学から離れた、つまらない
人間になってしまう。
竹内薫とは、大学時代からの親友だが、
「茂木、お前そういえば昔
ニーチェの話ばかりしていたなあ」
と言うので、
「そうだったけ?」と少し驚いた。
高校以来ニーチェが好きだったことは
事実だが、そんなに会う度にしていた
記憶はない。
「茂木が、ニーチェやワグナーに
回帰しているのを見て、友人として
安心したよ。
お前、途中で、何というか世間に
対して配慮する人間になって、
「大人になったなあ」と思っていたんだけど」
ボクは対談中に言い忘れたことがある。
二人ともまだ本など出していなかった頃、
竹内薫が、その処女出版となった
『アインシュタインと猿』の企画を
日本経済新聞社に持ち込んだ時の
大胆さには当時しびれた。
「企画を持っていったんだよ」
と事も無げに言う当時の竹内がまぶしく
見えた。
この所、対談でも、講演でも、
途中で爆発したり、まずい発言が
あったりして、mp3で公開できない
というジンクスが続いている。
昨日も、途中で竹内が過激なことを
言ってしまったので、
「まいったなあ。これで、今日の
対談もmp3で公開できないよ!」
と言ったら、竹内ははらはらと
笑っていた。
いろいろ話したけれども、
一番言いたかったことの一つは、
境界人と本流などと言うけれども、
本当にまともな本流は、自分の中の
脆弱さがわかっているという
ことである。
セルフ・ダウトのある人が好きだ。
2月 25, 2007 at 09:05 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (6)
朝日カルチャーセンター講座
対談 竹内薫 × 茂木健一郎
「境界人、現代日本を科学する」
朝日カルチャーセンター新宿
2007年2月24日(土)15:30~17:30
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A0102_html/A010202.html
2月 24, 2007 at 02:07 午後 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
先日、沖縄の「万国津梁館」で
講演をしていた時のこと。
風邪を引いてはいたが、私は本番は
ヤケクソのバカ力を出してしまうので
えいやっと話し終えて、
質疑応答に移ってすぐ、
一番後ろの方に座っていらした
実直そうな紳士の方が、立ち上がって、
「あのう、私は、先生の
『生きて死ぬ私』を拝読したのですが・・・」
と切り出された。
当日、参加者の机の上には『すべては
脳からはじまる』が一冊ずつ置かれており、
私は、何となくそれと取り違えておられるのかな、
などと思っていた。
「それで、私は解説をまっさきに読むのですが、
この本に関する限り、解説が一向にわかりま
せんで・・・」
そのあたりまでうかがって、「ああっ」
と思った。
やはり、『生きて死ぬ私』のことである。
そして、その解説を書いているのは、
内藤礼さんだ。
「実はですね・・」
私は、とまどいながら話し始めた。
「あの本の解説を書いていらっしゃるのは、
アーティストの内藤礼さんで、内藤さんは、
つまりその、たいへん繊細な方でいらっしゃい
まして、私などは早い時には一時間で原稿用紙
10枚を書いてしまうのですが、内藤さんは、
1枚の原稿を書くのに1週間かかるという
方なのであります。」
思うに、私に質問した方は、大変
すぐれた感性をお持ちだったのだろう。
確かに、現代の文庫本の解説で、
内藤さんのような文章に出くわすことは
まずない。
「これは何か変だ、普通ではない!」
と思ったその方の感性は正しかった。
沖縄にて、内藤さん、発見される。
金曜日。
朝から、「今日は絶対に無理だ。どう考えても
乗り切れない」と思いながら目が覚めた。
それでも、ヤケクソになってだーっと
やっているうちに、どういうわけか
予定していることが全部できた。
なんという奇跡なのだろう。
ボクは神に感謝したなあ。
でも、夜にはエネルギー切れに
なってしまったよ。コトン。
朝一番で、イラストレーターの
安西水丸さんと対談した。
安西さんは、私のエッセイ
「最初のペンギン」が教科書に掲載
されるに当たって、イラストを描いて
くださったのだ。
居合わせた編集の方に、
「同業他社の話ですみません!」
とお断りしてから、
「安西さん、実は、今、幻冬舎から
『最初のペンギン』という本を
書いているのですが、ぜひイラストを
お願いできませんでしょうか!」
とご依頼すると、快く引き受けて
くださった。
うれしい。
「すばる」編集部の岸尾昌子
さんのご紹介でお目にかかった
京都大学名誉教授の日高敏隆さんが
ゼミに来てお話くださる。
日高さんの御著書『チョウはなぜ飛ぶか』
を中学生だった私は夢中で読んだ。
その後、数多くの御著書を拝読してきたが、
一杯食ったのは大学院生の時に
翻訳出版された『鼻行類』である。
巻末の参考文献を探しに
わざわざ医学部図書館にまで出かけたものだ。
「どうやらウソらしい」と気付くまでの
トワイライトゾーンは、しみじみ
味わい深かった。
ボクは、日高さんのような巨きな学者の
話を直接聞くことによって、学生たちに
何事かを感じて欲しかった。
本当の学問という文化的遺伝子は、
ジャングルの中に密かに咲くランの花の
ように、探し求めなければ出会えない希少な
贈り物なのである。
日高さんは、私たちの飲み会にも
お付き合いくださった。
柳川透が独り占めして何やら
話し込んでいた。
終了の挨拶を柳川にやってもらおうと
思って指名したら、
「ぼくたちが、『環世界』と「クオリア」
を結びつけます!」
と宣言した。
その言や良し。しかし、実行は至難の
わざであるぞ。
明けて今朝。風邪で苦しみ、超絶スケジュールの
一週間を何とか通り抜けた後遺症で、
目が覚めても呆然としてまた眠った。
その後も、たまりにたまった活字を
読んでいたら時間が過ぎて、
やっと先ほどスイッチがかちっと入った。
あまりにもあまりな一週間だったので、
これくらいは神様、ご容赦ください。
2月 24, 2007 at 02:05 午後 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
風邪を引くと眠くなるが、
その誘惑に負けて眠っているのは
案外良い気持である。
講演の仕事があったので、
那覇に向かった。
車の運転手の方が、東京に
長く暮らした人で、いろいろと
話し込んでしまった。
「女の子と口をきくことが
できないんですよ。
お酒を飲むと、少しは話せるように
なるんですけどね。」
三十半ばで独身という
運転手さんのお話をうんうん、
と聞く。
名球会のひとたちが
ゴルフに来ている。
寿司を食べていたら、
金田正一や駒田や張本がいた。
元プロ野球選手を見分ける方法は、
身体や声が大きいということである。
熱がある時の夢は、奇妙なものに
なることが多く、
断続的に起きるが、ずっと
続いていて、それが現実だと
思いこんでしまう。
朝になってはっと気付いて、
初めて夢だったのだと自覚した。
今週はやるべきことがあまりにも
多すぎて、風邪の情緒に浸っている
暇もない。
ただ、飛行機の中は放棄して
眠った。
病の時の方が眠りは甘い。
今日も朝から予定がびっしり
詰まっている。
それに立ち向かうくらいには、
身体は快復した。
ところが、志向性の方が
奇妙に非現実の方角を向いてしまっていて、
なかなか目の前の現実に専念できない
気分でいる。
2月 23, 2007 at 06:48 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (6)
風邪の症状が悪化して、
喉がひりひりして、関節が痛い。
クラブ・キングで、桑原茂一さんや
吉村栄一さんとともに、
リリー・フランキーさんと対論している
時には一時調子が良くなったように
思ったのだけど。
『東京タワー』に描かれたリリーさんの
「オカン」は、私の母親に似ている。
私の母親も小倉出身である。
「もし小倉の上空が曇っていなかったら、
原爆は長崎ではなく小倉に落とされていて、
お前は生まれていなかった」
というのは私自身も子どもの頃
よく聞かされたことである。
リリーさんのオカンは、東京で
様々な人にごはんを振る舞うが、
私の母親にもそんなところが
あった。
そうか、あれは北九州の文化
だったのかもしれないと思うと、
自分の子ども時代がよりよく
理解できた。
芸大の授業の後に、上野公園で
みんなで飲んで、そこに学生も社会人も
正規もモグリも皆わーっと
そのあたりに散らばっている様子は、
あれはきっと小倉的/九州的/南方的
振る舞いだったのだなあ。
自分がなぜある行動をとるのか、
よくよく考えてみないと
その起源はわからない。
対論が終わると、リリーさんは
トイレに入った。
ボクはすぐに出なければならなかったので、
「リリーさん、それでは、またぜひ!」
と大声をかけると、
戸の中から「はあい」と声がした。
その時間の流れが、まるで小倉の
ようにゆるくてイイカンジで、
ぼくは一時風邪を引いていることも、
コンクリートと鉄筋の大都会にいる
ことも忘れた。
2月 21, 2007 at 07:21 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (4)
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』第10巻
及び
『プロフェッショナル 仕事の流儀 スペシャル 明日から使える「仕事術」』
発刊記念
横井昭裕×茂木健一郎トークショー
2007年3月4日(日) 18:00〜20:00
青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
2月 20, 2007 at 07:59 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
九州大学のリベラル・アーツ講座の
際にも質問があったが、
創造性において大事な「起源に
さかのぼる」ということは、
必ずしも、その過去の時点において
その起源が意識されているという
意味ではない。
創造は、多くの場合、巧みなる
隠蔽である。
何か直視できないものが
ある時に、
それをダイレクトに見なくても済むように
「ねつ造」が行われる。
しかし、その「ねつ造」は
創造者本人によって意識されている
わけでは必ずしもなく、
むしろ、創造者本人にとっては
多くの場合
無意識の衝動の下に行われること
であり、
しかしだからこそ
生の現場において力を持つ。
だから、過去は「発見」
されなければならないのだ。
昨日、風邪を引きそうだったので
薬を買って飲むとき、
錠剤にするか、それとも
顆粒にするかと考えた。
苦そうだったから顆粒はやめたが、
それで、子どもの時錠剤が
飲み込めなくて苦労したことを
思い出した。
親に、「この薬が飲めなかったら
死んでしまうとしたらどうするんだ」
と言われても、
どうしても喉の奥から外に
出てきてしまって、飲み下す
ことができなかった。
だから、ボクのもらう薬は
いつも苦かった。
小学校の高学年になって
初めて飲み下すことができた時に、
人生の通過儀礼をこなした
気持ちになった。
その思い出が、思春期に
読んだニーチェの
「ツァラトゥストラ」に
重なったのは昨日のことである。
「ツァラトゥストラはかく語りき」
の中に、男が喉の奥をヘビによって
噛まれ、横たわっているシーンがある。
男は、ヘビをかみ切って立ち上がり、
そして輝くように笑う。
生の永劫回帰を引き受け、肯定する
重大な場面だったと記憶しているが、
そのことと、子どもの時の
錠剤の飲み下しを結びつけて
考えたことはなかった。
その結合が昨日成立したから、
ボクの過去は変わった。
それが「真実」だとすれば、
本当のことは長い年月にわたって
隠蔽されていた。
九州大学ユーザーサイエンス機構の
坂口光一さん、目黒実さん、田村馨さん
と旧交をあたためる。
博多は町人、福岡は武士の街
だというが、
その区別がついたのは、
つい一年前のことである。
子どもの頃から母の実家の
小倉に何度も帰り、博多にも来ていたが、
そんなことはとんと知らなかった。
2月 20, 2007 at 07:54 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
九州大学 リベラルアーツ講座
「感性・こころ・倫理」
茂木健一郎
2007年2月19日(月) 17:00〜19:30
アクロス福岡 円形ホール
2月 19, 2007 at 06:34 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年3月4日号
(2006年2月19日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第43回
ドリフの「教室コント」
抜粋
なぜ、小学生の私たちは、教室コントが大好きだったのだろう。DVDを見ていてはっとしたのは、そうか、小学生の私たちにとっての救いになっていたのだなということである。
学校は、もちろん、勉強をするところである。授業中にふざけたり、質問と関係のないことを答えたり、先生が教室に入ってくる時にバケツが上から落ちてくるように仕掛けを置いたりして良いはずがない。
とは言っても、マジメだけだと息が詰まる。特に、勉強がちょっと苦手だという子どもにとっては、下手をすれば授業時間がずっと苦痛であるということになりかねない。
ドリフの面々が、いかりや長介さんの出す問題に対して、間違いを堂々と答える。わからない時に、おどけてごまかす。逆に意地悪な問題を出して、先生を困らせる。現実の教室ではあり得ない状況を見ることで、子どもたちは重苦しさから随分開放されたのではないか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
2月 19, 2007 at 06:16 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
福島から「スーパーひたち」
で帰り、そのまま大手町の
日経サイエンス編集部へ。
上野駅でタクシーに乗る。
日本初の大型市民参加マラソンとなった
東京マラソン。
「交通規制は、もう解除されたんですか?」
「ええ、思ったより早かったですよ。
上野駅前は、午後4時30分くらいまで、
と言われていたけれども、その前に
解除されていましたから。」
「見たかったなあ。」
「ふだんの日曜日も、もともと、タクシーは
少ないけど、今日はほら、あまり走っていない
でしょ。最初から出ない人が
多かったからね。」
雨の中を走り抜け、曇天が
晴れ上がる夕暮れを迎えたランナーたちの
心境はどんなものだったのだろう。
日経サイエンスの対談。
東京大学生産技術研究所教授の沖大幹さんにお話を
伺う。
この世の中には、断片的に部分を解析
しているのでは扱うことができず、
総合的なアプローチをとる必要が
ある問題が存在する。
たとえば、人間の知性の起源。
意識はどのように生まれるかという謎。
生命現象の本質。
そして、環境問題。
沖さんの取り組まれている分野は、
「水文学」(すいもんがく)、hydrology
と呼ばれ、
地球上の水の循環を、人間の営為を
含めて考察するすることで、水を
巡って今後起こりうる問題を解決
することを目指されている。
人間の水需要のうち、「飲み水」
はごくわずかで、多くは食料
生産のために用いられる。
日本のように食料の多くを外国からの
輸入に頼っている国は、外国から仮想上
水を輸入しているのと同じであるというのが
「Virtual Water Trade」の考え方。
衛星を使った地表面の水状態の探索など、
沖さんの
水に対する総合的なアプローチは、
実に多様で、しかも、
一つひとつの問題を突っ込んでいけば、
そこには可能無限の探索空間が広がっている
のが感じられた。
「ボクのヒーローは、アインシュタイン
やニュートンから、ダーウィンへと
少しシフトしているんですよ」
私は沖さんにそう申し上げた。
正確に言えば、アインシュタインやニュートン
とダーウィンのキメラのような存在
でないと解けない問題がここにある。
思えば、目の前にあるコップの中の
水も、それが循環してきた世界の広大さを
思えば、自分自身の人生など取るに
ならないくらいの広がりを持つ
わけであり。
電子や陽子が皆同じ質量を持っているのは、宇宙
の中にそれぞれ一個の素粒子しかないからだという
のがファインマンの考え方。
一個の粒子が描く世界線が、時間を逆行すれば
反粒子となる。
もしそうだとすれば、私と目の前の水が
独立した物質的存在であるというのは幻想
であり、私たちは本当は一つにつながっている
のかもしれない。
2月 19, 2007 at 06:09 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (0)
憲法をはじめとする日本の法律には、
万人は平等であると書いてある。
しかし、日常の生活実感において、
本当にそのような思想を貫くことが
できるか。
見た目の美しさ、
社会的地位、
若さ、勢い、
健康か病気か。
そのような表面的なことに
とらわれていると、どうしても
区別をしてしまう。
相手の魂の芯。
その目に見えないものを
見据えることができないと、
本当に万人は平等だと信じて、
そのように行動することはできない
のである。
むろん、好き嫌いや
尊敬するしないの差異が
出てきてしまうのは人間として
仕方がない。
それにもかかわらず、魂の芯を
見るということに肝要な点がある。
福島県の南相馬市で講演をした。
その足で、いわきに住むおじさんを
見舞った。
将棋が好きで、子どもに将棋ゆかりの
名前をつけている。
久しぶりに会うおじさんは、軽い
脳梗塞を発症したと聞いていたが、
元気そうで安心した。
暇さえあれば福澤諭吉を読み継いでいたが、
その文体は跳ねるようで、ジャズのような
リズムがある。
超新星爆発のような明るさは、
確かに近代日本の希望だったのだろう。
ちなみに、上の「万人の平等」
は、国籍や肌の色、言葉などにはかかわらない
ことは言うまでもない。
2月 18, 2007 at 07:22 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (2)
昨日の日記で「不整脈」とあるのは、
自分自身の博士論文審査の時のことで、
現在のことではありません。
今はいたって健康です。
何人かの方に
メールをいただくなど、ご心配いただいたので
念のため記しておきます!
2月 17, 2007 at 12:04 午後 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
エマニュエル・カントの大学での
授業は、学生たちに大変な人気で、
講義が始まる一時間前、
朝6時から教室に並ばなければ
聴けなかったという。
カントの講義スタイルは、その問題を
あたかも初めて考えたかのように
提起して、
いろいろなアイデアをその場で生みだし、
様々な角度から検討し、多角的に眺め、
講義が終わった時には、聴講生は
単に知識を得るだけではなく、
そもそも思考というものはどのような
方法論で進めるべきなのか、
その技術をも体得したとされる。
カントにあやかったわけでは
ないが、私は、何か話す時に、
できるだけ、まるで生涯で
初めてそのことを考えたかのように、
新鮮な気持ちになって、その場で表出される
ものをつかもうと努力する。
青松寺。
般若心経についてお話した。
「色即是空」がいかに現代の認知科学の
見地からみて妥当な思想であるか
ということを説明した。
末尾に置かれている
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
という「呪文」ないしは「真言」。
意味がわからないままに、その音を
とらえたこの部分こそが、教典の
核心部分であり、
この世の真実というものは簡単には了解
できないものとして立ち現れること、
そもそも、母国語でさえもまた、
生まれたばかりのおさなごにとっては
一つの「真言」と立ち現れる、
そんなことを話した。
それから、欲望ということの無根拠
性について話した。
見かけにとらわれてはいけない。
目に見えない、ものごとの本質を
とらえなければいけない。
そんなこんなを話しているうちに、
「色即是空」は、感覚や世界認識
のみならず、
むしろ行為においてこそ準拠
されるべき倫理規則だということ
に気付いた。
目的や原因をかたくとらえてはいけない。
それでは、生命の跳躍が失われる。
行為の無根拠性をこそ自覚し、
とにかく飛び込め。
「色即是空」を能動性において
つかむこと。
盛田英粮さんにお目にかかる。
高校はイギリス、大学はアメリカの国際人。
そもそもの出発から地球規模でものを
考えていらっしゃる。
西日本新聞の、伊藤若冲についての取材。
生きとしいけるものへの愛を語った。
母校から「駒場活性化委員会」の方々が
来る。
全員一年生。
時は流れても、悩むこと、夢見ることは同じだ。
中村清彦研究室の澤繁実くんの博士論文の
予備審査をかねて、ゼミでお話いただく。
澤くんは声が大きい。堂々としていて
立派な発表だった。
朝日カルチャーセンター講座。
人間と芸術の関係。
そして、魚における社会的順序の知覚
に関する実験。
一日を振り返る。
呆然とする。
慈しむ。
そして、漂う。
生きていることに、根拠などない。
真空から物質が生まれ、
無から全ての価値が生まれる。
無根拠性にこそ、この世界の豊饒の
泉がある。
2月 17, 2007 at 11:56 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
霞ヶ関文化サロン
茂木健一郎 「脳の働きと活性化にせまる」
2007年3月5日(月)14時〜15時30分
申し込み先
〒107-8601
港区南青山1−1−1 新青山ビル西館
NHK文化センター青山教室
「霞ヶ関文化サロン3/5」係
電話 03-3475-1151
2007年2月19日(月)必着
2月 16, 2007 at 08:02 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
朝日カルチャーセンター講座
脳とこころを考える 脳と芸術 第二回
2007年2月2日 18時30分〜20時30分
朝日カルチャーセンター 新宿
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A0301.html#
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A0301_html/A030101.html
2月 16, 2007 at 07:37 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
博士の最終試験。
恩蔵絢子さん、柳川透くん、小俣圭くんの
順番に発表した。
一部、投稿中の論文についての条件が
ついたものの、皆基本的に試験に
合格した。
オメデトウ。
以前このブログに書いた記憶があるけれども、
ボクは、博士の公聴会の前は一週間
の間毎日2時間くらいしか眠らなくて、
軽い不整脈になったんだよ。
無事、「密室」の中での
審査員の先生方の質問に答えることが
できて、博士になることが内定して、
居室に帰ってきたら、ちょうどFMラジオから
「ジークフリート牧歌」が流れてきた。
ワグナーが自分の初めての子ども(男の子)
の誕生を祝って作曲し、妻コジマに
贈った作品。
おだやかでふくよかで、陽光に
照らされているようで。
楽劇「ジークフリート」三幕で
ブリュンヒルデとジークフリートの対話の
中に突然この旋律が出てくる。
聞き慣れている曲だったけれど、
あの時は心に沁みてうれしかったなあ。
私が指導させていただいて最初に
博士号をとったのは田谷文彦くん。
これで、2人め、3人め、4人めの
博士が誕生する見込みとなった。
博士になるいうのは一大事業で、
それを君たちがなしとげたことを
ボクは誇りに思います。
とてつもなく忙しい一日で、
朝からどう乗り切ろうと思った。
4時に起きて本を二つ読み直して
書評を書きながらすずかけ台に
ついた。
駅から教室にダッシュ。審査に間に合った。
終わったら、学生たちは例によって
「てんてん」に行ったが、
ボクは電車の中で先日の布施英利さんとの
対談を直して、
渋谷に着いた瞬間にやっと終わった。
すぐにホームから送信して、
センター街を歩いていると
松屋があったので、入って牛丼を
食べた。
お昼をはるかに過ぎた朝食。
何だか涙が出たよ。
NHKに入り、別の一件の打ち合わせをして、
それから『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
専門看護師の北山愛子さん。
とてつもなく深い話になった。
4時間30分喋って、へとへとに
はなっているが、
今度は「トーク・スペシャル」
の「枠撮り」。
番組の冒頭と最後に流れる住吉美紀さんとの
掛け合いをとる。
別に詳細な台本があるわけではない。
その場で必死になってアドリヴで
考えて、2ヴァージョン収める。
全て「自己責任」。
まだ終わらない。
日経BPの、渡辺さんに、今日のゲストに
ついてお話する。
さらには、「子どものファッション」について
お話する。
「二合目」の打ち上げにたどり着いた
時には、9時30分を回っていた。
朝起きてから夜眠るまで、全てが
学習だと思っているし、
脳科学や生命哲学について考える
機会だと思っている。
ボクは自分の人生にしかベストは
尽くせないし、
それを世間がどう誤読しようが、
どんな風に受け止めようが、
それはボクのコントロールできる
ことじゃないから、勝手にすれば
良いと思う。
それに、自分が正しいと思う
方向にがんばっていれば、支持して
くれる人は必ず現れてくるものである。
今日も同じようなスケジュールだが、
Brain Clubがあり、学生たちと
脳の話を議論できる。
これは心から楽しみな時間なのだ。
本当のことさえ見つめていれば、
人生は大丈夫である。
2月 16, 2007 at 07:35 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (5)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第41回
己を出さず、自分を出す
〜庭師・北山安夫〜
国内だけでなく海外からも高い評価を受ける孤高の庭師、北山安夫(58)。 代表作の一つ、日本最古の禅寺・建仁寺の潮音庭は、中心に据えられた3つの石が四方からどこから見ても正面に見えるよう計算された枯山水の庭。紅葉が色づく秋には、庭を目当てに多くの観光客が押しかける。 庭師、北山の真骨頂は、その卓越した石組みの技術。「現場で悩むヤツはプロじゃない」と言い切る北山は、現場に入るまでに周到な準備を心がける。自ら山に分け入り、見つけてきた山石と対話する。そして一つ一つの石の形だけでなく岩目や色つやまで考慮し、無限の可能性の中から最善の配置を見いだす。それが空間に奥行きを生み出し、石と樹木という最小限の構成要素で雄大な風景を表現する。 国指定の名庭からわずか5坪の個人の庭まで、常に見る者の心を揺さぶる庭を作り上げる北山の仕事場に密着、北山の職人としての流儀に迫る。
NHK総合
2007年2月15日(木)22:00〜22:44
ボクが生命哲学に依拠しているように、
宮島達男さんもまた、いかに生きるかという
フィロソフィーを大事にしているの
ではないか。
シンポジウムの際の発言を
聞いていて、そう思った。
酒井忠康先生のお話は、
「一寸法師」というタイトルで、
突き抜けた感じがとても素敵だった。
時間をさかのぼる。
ホテルで、むむむ? と
目覚めた瞬間から、ご飯も食べずに
一所懸命仕事をした。
空腹で東北芸術工科大学に向かう。
シンポジウムの前の打ち合わせ、
その日の最初に口にする
ランチがとてもおいしかった。
終わった後、新幹線に乗るまでに若干時間が
あったので、
「用事がある人は前にいらして
ください」とアナウンスしたら、
たくさんの人がきた。
いろいろとお話できて、おもしろかった。
雪が舞う、山がそびえる。
山肌、ちらちらする雪、人々の交情。
ボクは、山形が、とってもとても好きになったなあ。
思い起こせば、
山形に最初に来たのは、脳科学の
冬のワークショップのことだった
スキーをするのが人生で初めてだったのに、
いきなり樹氷原のさらに上の、
一番てっぺんにまでリフトで連れて
いかれて、
特攻隊のごとくものすごいスピードで
滑り降りては、
転んで止まるを繰り返した。
思えば、ひどいやつらだった。
しかしまあ、あれは、
生涯の最大の向こう見ずの
一つだったかもしれない。
あの時、私の親友、田森佳秀の
すべりを初めてみた。
田森は、まるで枝豆のころころのように、
小さくまとまりながら、しかし弾丸の
ごとく斜面を降りてきた。
その姿は、理化学研究所で同僚だった頃、
お昼にそばを食べて、気持ちが悪く
なってしまったらしく、
「うっ、ごめん」
と当時の思考機能棟に向かって
イノシシのごとく駆けていった、
あの時の様子を思い起こさせた。
朝、ホテルで起きてしばらくして、
その田森と、久しぶりに電話で話した。
「ノラwireless LAN」
を捕まえたのだが、
なぜかsmtpが使えず、
「これはどういうことであるか」と
聞いたら、
30分くらい
「ポート25がどうのこうの」
と教えてくれた。
hidden figureの実験の話もした。
金沢の雪景色は、どんな様子になっている
ことだろう。
新幹線に乗り、しばらく眠ってから、
東京駅に向かって、
だーっと仕事をし続けた。
ある具体的なことをやって、時間が
経っていてしまうことを、
もったいない、割り切れないことだと
思春期には感じていたけれども、
今は没我こそが至上の過ごし方だと
思えるようになった。
蔵王の雪原を滑り落ちている
時には、まさに必死で、
そのこと以外には考えられなかったが、
そうした時間をつないでいくという
ことが人生の一つのうるわしい姿
なのだろう。
斜面を見いだし、滑り、また
滑り、時には転ぶ。
そうしていると、時に美しい樹氷の
光景に出会うことができるように思う。
山形新幹線から見た、ゆかしい雪中の沼
宮島達男さんのお誘いで、
東北芸術工科大学の卒業制作の中から
5点の優秀作品を選ぶ
審査をした。
福島から分かれるとすぐに、
周囲の山に雪のあとが見えるように
なった。
手元の仕事が忙しいのでちらちらと
見るだけであるが、
世界とのインターフェイスで何が
起きているかということには
ごくごく遠い影響しか
受けない自我の中枢が、かえって
その浸透圧を直接受けて次第に
すがすがしい気分に包まれて
いくのが感じられる。
山形駅から車で。
北川フラムさん、酒井忠康さん、
松本哲男学長、赤坂憲雄さん、
それに宮島達男さんと一緒に
回って、作品を見る。
制作した学生たちが、周囲に
ふらふらとしている。
立ち話をはじめると、ついつい
長くなるので、
事務局の宮本武典さんが心配して何度も
やってきた。
建物から建物への移動の時、
出羽三山が遠くに見える。
このような景色を常に眺めていれば、
きっと表現も変わってくるのだろう。
いや、変わらねばならない。
現代は、求心力のある単一の
領域として私たちの前に立ち現れる。
インターネットは、その向こうに
世界の様々を隠蔽している
はずなのに、
なぜか、一つのふわふわとした
球体として知覚される。
そういった現代から、離れて、
思い切って遠くにいってしまえ。
毎日のニュースや、
最近のビジュツカイの動向や、
誰が旬で誰が落ち目だとか、
そんなことは知りもしない岩や
土や植物とともにあれ。
誰にも見られず、聞かれず、触られず。
雪型を際だたせる山肌を見ながら、
そんな衝動にかられた。
学生たちが階段教室で観覧する
公開審査が終わり、
倉を改造したという「オビハチ」という
店に行った。
江戸時代のものらしい、
ゆかしいおひなさまがいる。
人間は常に弁証法的な
相対立するベクトルを内に抱えている
ものであって、
現代のど真ん中に飛び込みたいと
思うと同時に、遠く離れたいという
ことは同時に成立し得る。
少し早く目が覚めてしまって
いやマダマダと横たわるベッドの
中で、肉体は確かに
おとり、やがて朽ち果てていくが、
精神だけはどんどん若くなって
やる。
そんな簡単なことを自分の決まり事とした。
死へ至る道が、不断の若返り
であるということはきっと可能な
はずだ。
窓の外を見ると、昨日まで
ぴんと張り詰めていた空気の中を
ちらちらと白いものが舞い始めている。
東北芸術工科大学制作展2006
開催記念シンポジウム
「東北発・21世紀のデザインとアートはどこへ向かうのか?」
酒井忠康 + 茂木健一郎 + 宮島達男
2007年2月14日(水)
13時00分〜15時00分
東北芸術工科大学 本館201講義室
2月 13, 2007 at 06:49 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
エンジン01の控え室に
たくさんの講師たちと一緒に
いた時。
アナウンスで、「ただ今、会場で
講師の先生方の本を販売しております。
よろしければぜひお買い求めください」
と流れた。
確か、会場入り口で販売していた。
ああいうのは、地元の本屋さんが
やられていることが多い。
せっかくいらしているんだから、
一冊でも多く売れた方が良いだろう。
ちょっと「販売促進」にサインでも
しようかと、降りていった。
台に近づくと、向こうから
「あら、茂木せんせい」と声をかけてくださる。
「私の本があるなら、サインをしましょうか」
と申し上げると、意外な答えが返ってきた。
「茂木先生の本はありません」
「あれれ?」
「先生の方から、これを置いてくれと
お返事がなければ、ありません!」
それでうろ覚えに思い出した。エンジン01
事務局から、「販売する本のリストを送れ」
という問い合わせがきたような記憶がかすかに
ある。
例によってすっかり忘れてしまって、
私の本はリスト漏れしたのだろう。
「どちらの方ですか?」
と聞くと、名刺をくださった。
「本の中野」とある。
下関の古くからある本屋さんで、エンジン01
の書籍販売の手助けをされているのだという。
何となく申し訳なかったので、
「どちらにあるのですか?」
と聞くと、私の滞在しているホテルの
すぐ近くの、唐戸商店街の中にあるという。
「それでは、明日、帰る前にうかがって
私の本にサインをしましょうか?」
と申し出ると、大変喜んでくださった。
ホテルに帰って、「本の中野 下関」
で検索すると、たくさんヒットした。
もともとは「中野書店」という老舗で、しばらく前、
苦境があって、
「本の中野」として再出発したのだという。
翌朝、ホテルのロビーで、
エンジン01の地元運営スタッフの方々に
「あのう、この近くにある本の中野という
ところに行きたいのですが」
と伺うと、一人の青年が
そこまで連れていってくださった。
商店街の中の一角。ちょうど開店するところ
だった。
シャッターが開くと、陽光が中に入って、
店内が明るく照らし出された。
カウンターの上に私の本が積まれている。
「実は、先生がサインにいらっしゃると
いうので、ほとんど予約で一杯になってしまった
のです」
という。
そこにある本に全部、さらに、「本を買って
おまけに色紙が欲しい」というお客さんが
二、三人いらっしゃるというので、その分の
サインをした。
「本の中野」の取り置き分の色紙も書いた。
カウンターの中でお二人の笑顔がまぶしい。
本を買いにいらした父と娘が、
ご親切に新下関まで送ってくださるという。
ありがとうございます、と車に乗せていただいた。
道すがら、いろいろな話をした。
本州と九州を結ぶ関門トンネルには、「人道」
もあり、
15分くらいで海峡を渡ることができるのだと
いう。
「私など、健康のために妻といっしょに何回か
往復することもあるんですよ」
先生もどうですか、と誘われたが、
NHKでの打ち合わせのため新幹線に
乗らなくてはならない。
また今度ぜひ、と固辞した。
親切な笑顔の人と握手をして、車上の
人となる。
朝ご飯をとっていなかったので、
幕の内弁当を食べる。
広島でのぞみに乗り換えて、
睡魔に襲われ、目覚めてからはひたすら
仕事をした。
人間が人間として向き合う時には、
現代風の装いがどんどん落ちていくのは
どうしてなのだろう。
浅智恵ははがしてしまった方が、
人間であることの健康のためには良い。
創造の方法論は、起源にさかのぼることである
というのが最近の持論であるが、
人間を再生するためには、
人間が人間になったその源にもう一度
立ち返る必要があるのかもしれない。
ボクたちは、一人残らず原点に戻って、
再生してみたらどうかと思う。
「本の中野」の方々と、私の色紙
2月 13, 2007 at 06:09 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (4)
エンジン01は、三枝成彰さんが
主催されている集いである。
さまざまな分野の方々がいらして、
話をする。
「夜楽」では、数人の講師が
参加者と食事を供にしながら
語り合う。
波頭亮さんが主催された『プロフェッショナル』
のセッションの時にも申し上げたが、
三枝さんはひとつの理想主義に基づいて
行動されているのだと思う。
それは、昨日私が書いた「対称性」
の問題と関連している。
お昼休み、タクシーに乗って会場の
海峡メッセから唐戸に行った。
金子みすずの顕彰碑もあるという。
風が強くて、寒い日だった。
ラーメンを食べようと思ってさまよったが、
商店街はシャッターの降りているところが
多く、思うに任せない。
日曜ということもあるのだろう。
一方、
道路を挟んだカモンワーフは
大変な人出である。
現代風の商業施設。
しかし、そういうところで食べたいわけでは
ないので、もう少し粘ることにした。
唐戸の商店街をさらにさまようと、
一筋だけ、店が何軒か
空いている元気な通りがあった。
「一龍軒」という看板がある。
入ってラーメンと餃子を注文すると、
和がらしがそえてある。
餃子につけて食べると、そうするのは
初めてだったが、実に
ふさわしいような気がしてきた。
「下関もいろいろと問題がありましてね」
と店主が言われる。
「大きなショッピングセンターが建つ計画が
あるんですよ。しかし、そうなっては、せっかくの
関門海峡の景観がだいなしになる。」
「中国から来た人がね、日本にも大きな川が
あるのかと言って驚くんですよ。」
満たされて店を出た。
どうしても逃れることのできない「文脈」
というものの作用を考える時、
私は、いつも、人通りの少ない道で
開業している店のことを考える。
どんなに努力しても、人が通らないんだから
苦しい。
評判を聞きつけて集ってくるというような
道筋もあるかもしれないけれども、
とにかく基本的にはつらい。
世の中の非対称性は、時に
人通りの少ない道で開業している
店の置かれている文脈のような姿をしているのでは
ないか。
自分が先生役になる「脳」のセッション。
木村晋介さん、千住明さん、辰巳琢郎
さんとお話する予定が、
会場に布袋寅泰さんがいらして
飛び入りで参加した。
木村さんがどどいつを披露。
千住さんが深遠なる人生哲学を語る。
辰巳さんのロマンスなる人間観。
布袋さんのロックンロール精神。
四人の異なるキャラクターが
ハーモニーを奏でて、
不可思議な化学反応が起こり、
記憶に残る、本当にすばらしい
セッションになった。
「夜楽」は、私が塾長となって、
ちばてつやさん、
稲越功一さん、
ちばてつやさん、
@YOUさんが講師として参加。
ちばてつやさんの『あしたのジョー』
の力石にまつわる秘話が大変興味深かった。
打ち上げで秋元康さんと話す。
私はみなさんよりも早めに
切り上げて、
ホテルで一人、ブリティッシュ・コメディを
聴き、ドストエフスキーを読みながら
ポテトチップスを食べ、ワインを飲む。
健康に良くないのはわかっている。
昨日コンビニで見つけた
「まちのお菓子屋さん チリポテト」
というのが気に入ってしまった。
下関を発つ前にどうしてももう一回
食べたかった。
考えてみると、私とこのポテトチップスが
出会えたことも、実に奇跡的なことである。
開闢以来の宇宙の歴史の広辺たるを
思えば、
今目の前にあるどんなにありふれたものも、
本当はかけがえのない一期一会である。
ペットボトルの中の水。
名刺の紙。
ストーンウォッシュしたようなデジカメ。
携帯電話。
それらをつくっている原子たちは、
いったいどのような旅をして、
私の前に現れたのか。
かつて、お前たちは、ライオンのたてがみの
一部だったろう。
風にそよぐタンポポの花びらの中にいたろう。
どっしりと動かない岩の真ん中にぎゅうぎゅうと
つまっていたろう。
やがて、浸食され、流され、すくい上げられ、
加工され、色づけられ、運ばれ、
ようやくのこと私の前に来た。
万有のメタボリズムに比べれば、
人間の考えるリサイクルなど、
どんなにちっぽけなことだろう。
ささいなことも、かけがえない。
出会うものが
「今日は何人客がきた」というような統計に
堕してしまわないような、そんな
人通りの少ない道で営業している店を
心の中に一つ置いておきたい。
2月 12, 2007 at 08:01 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (1)
Backsides of unturned stones
The Qualia Journal
11st February 2007
2月 11, 2007 at 08:59 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月25日号
(2006年2月10日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第42回
新「学問のすすめ」
抜粋
かつて、福澤諭吉は『学問のすすめ』を著して、明治の人々を鼓舞した。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という有名な書き出しで始まる福澤の文章は、人々が学問を通して旧来の身分制度の桎梏から逃れ、自由に活躍できる新時代が来たのだということを告げたのである。
「門閥制度は親の敵でござる」という激しい言葉に表れているように、福澤は人々の自由闊達な精神を阻害する社会の制度を憎み、万人に開かれた学問という理想を奉じた。その言葉が新時代の真実をつかんでいたからこそ、当時の多くの人々の心を揺り動かしたのである。
今、インターネット上に開かれた広大な知の海がある。一生かかっても学びきれないほどの滋味に富んだ叡智の蓄積が、ワンクリック先に人々を待っている。時代の舞台が回って、今再び、福澤が説いたような「学問のすすめ」を万人が心に銘記すべき時代が来ているのではないだろうか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
2月 11, 2007 at 07:55 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (2)
高校の時、「ニーチェを読むと気分が
晴れやかになる」と言った女の子がいた。
正確に言うと、「Mさんはいつも
そう言っていたんだよ」と大学に入って
から誰かに聞いた。
教えてくれたのはひょっとしたら和仁陽
かもしれない。
(和仁は、高校の卒業文集に「ラテン民族における
栄光の概念について」というタイトルのエセーを
書いた男で、今は東大の法学部にいる)
最近、私自身も青春の愛読書だった
ニーチェを読み返していて、
現代を生きる上での困難の
多くが扱われている、という思いを
新たにしている。
(「英語で全ての教養を再構築する」
というモットーの下に、英訳で読んでいる
のだけれども)
一つだけ大切なことを言えば、
凡庸さが
生命哲学をつらぬく上での障害に
なるという事実。
多くの場合他人の中の
凡庸さによって傷つき、怒りを
感じる。
これはわかりやすい理屈であるが、
ニーチェは同時に、どんな人の
中にもある凡庸さをもその考察の
対象にしていると思う。
つまりは、ニーチェは精神運動に
おける生命哲学のど真ん中に
剛速球を投げ込んでいる。
凡庸さは同時に生命を維持する上で
欠かすことのできないホメオスタシスの
一つでもあるから、それとの
付き合いには格別の智恵がいる。
現代は
凡庸さというリバイアサンが
わがもの顔で闊歩している時代
ではなかろうか。
だから、心ある人は、
ニーチェを一粒服用してみては
いかがでしょう。
山口宇部空港に向かう飛行機は
ずいぶん揺れたようだが、
私は眠り込んでいて気付かなかった。
夜遅い到着だったので、エンジン01の
メンバーはみな散っていて、
島田雅彦にでも電話してみようと
思ったが、何となく
部屋で一人、
ビールを飲むことにした。
「買い出し」というやつを
やってみようと思い、
近くのコンビニまで歩く。
見知らぬ街の夜の暗がり。
ボクは、都会と地方の現在の関係は、
本当に心の底からおかしいと思う。
そして、そのおかしさの中で、
さまざまな事象が立ち現れている。
どっかりと地中の中で動かない大岩
のごとき、
永遠不滅の真理に基づいて
中央と地方の関係を全く新しい
光の下に見ることはできないのか。
大切なのは、同時代の事象にとらわれて
しまうことではなくて、
何十年も何百年も護持することの
できる一つの理想、美しい夢
であろう。
ボクは、ある時から、「全てを対称に
したい」というのが自分の
切ない衝動なのだと
気がついた。
教える側と教わる側。
送り手と受け手。
年寄りと若者。
日本人と外国人。
組織に属するものと、外にいるもん。
非対称性が持ち込まれてしまい
がちな全ての人間関係を
対称にして行きたい。
そのような動機から、いろいろな
行動が導き出されていることに
気付いた。
講演をmp3で公開していること。
芸大の授業のあとの上野公園の飲み会。
ゼミの時の、学生たちとの議論の仕方。
このブログを書いていること。
なぜ、対称性を求めるのか。
コミュニケーションが十全に
機能するためには対称性が
必要だというのが直観的な
説明だが、その向こうにはより
心理的な深層があるやもしれぬ。
バッハの平均律をかけてホテルの
窓から見る下関は、歴史の中
から浮上してきたように底光り
して見えた。
2月 11, 2007 at 07:20 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (3)
新しい試みをやってみようと思ったけれども、
日本では時期尚早のようなので、
とりあえずやめる。
自己批評の精神を「見かけ上のやさしさ」
を標榜する風土に忍び込ませのは至難のわざなり。
Little BritainのDVDの日本語版の発売が待ち望まれる。
よい勉強になりました。
2月 10, 2007 at 12:21 午後 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (0)
特別展 「青山二郎の眼」 記念講演会
茂木 健一郎
「脳にとって美とは何か」
2007年2月26日(月)18時30分〜
松山市コミュニティセンター キャメリアホール
http://infoeda.blog69.fc2.com/blog-entry-12.html
2月 10, 2007 at 10:06 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
朝日カルチャーセンター講座
対談 竹内薫 × 茂木健一郎
「境界人、現代日本を科学する」
朝日カルチャーセンター新宿
2007年2月24日(土)15:30~17:30
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A0102_html/A010202.html
竹内薫は、私の大学時代からの親友です。
竹内薫の新著「仮説力」出版記念講演会が
紀伊国屋書店であります。あわせてお出かけ
ください。
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/shinjukuseminar.htm#seminar_61
2月 10, 2007 at 09:34 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
学士会の夕食会で、團藤重光先生に
おめにかかった。
日本の刑法学における重鎮。
私も、法学部時代はその御著書で
勉強した。
学士会の理事長もされており、
講演前、
となりで食事をいただきながら
いろいろとお話をうかがった。
「あなたのやられている分野と
刑法学の境界領域は、アメリカで
随分やられているでしょう」
「はあ」
「やはり、主体性理論との関連に
おいてね。」
「はい、私たちも、agencyや、free will
の問題には関心を抱いています。」
「あなたの脳科学の先生は、どなたですか」
「伊藤正男先生です。」
「ああ、伊藤先生ね。伊藤先生の論文を引用
したことがありますよ。」
講演の時間となり、私は「知の総合性」
についてお話させていただいた。
昨年、京都大学で湯川秀樹、朝永振一郎
両博士の生誕100年の記念シンポジウムが
あったのを機に、
私は湯川博士の生涯をもう一度
振り返ってみました。
そして、博士が、理論物理学という
専門的領域で卓越した功績を上げた
のは、その総合的知性の充実ゆえんだと
確信いたしました。
小川家で、幼い頃から論語や史記などの
漢籍を素読した。
そのような総合的な知性がなければ、
中間子理論の発想にも至らない。
湯川博士は、ノーベル賞を受けられてから
知識人として啓蒙活動をされたと
思いがちですが、
実際には受賞前に優れた
一般書(『目に見えないもの』)を
出版されている。
知に、本来境界はありません。
知は青天井です。
ある分野で卓越した業績を残された方は、
必ず広い分野における素養がある。好奇心がある。
先ほど、團藤先生とお話して、
そのことを再び確信いたしました。
なぜ、日本は、バブル期に知の探求への
熱意を崩壊させてしまったのだろう。
ピア・プレッシャーには二種類ある。
一つは、「平均値に引きずり下ろそう」という
ベクトル。
「わかりやすさ」を追求する日本の
メディアの状況は、まさにそれだ。
もう一つは、どんどん尖る方向に
煽るようなピア・プレッシャー。
「お前、ドゥールーズ何冊読んだ?」
「三冊だよ。」
「そうか。まさか、日本語で読んでいるんじゃ
ないだろうな」
といった、鋭利さを加速させるような
圧力の作用。
日本はいつの間にか前者のピア・プレッシャーの
国になってしまった。
しかし、「わかりやすさ」を標榜して
幻の平均値を設定するのは一種の「談合」
である。
尖るというのは「偏差値」のような単一の
ものさしによるモノカルチャーではない。
みんなそれぞれ尖る方向は違う。
みんな違ってみんないい。
そのトンガリを、
談合でつぶすな。引きずり戻すな。
以上のようなことを申し上げた後、
「これからは、インテリの逆襲の時代ですよ」
と言ったら、会場から拍手が起きた。
講演中に拍手をもらったのは
はじめてである。
まぼろしの「普通」なんて知ったことか。
みんな、それぞれ信じる、愛する
方向にとんがろうぜ。
鈴鳴らしたらアルファー波が出て
頭が良くなるなんて、
たるいこと言ってるんじゃねえよ。
そんな甘ったるいことをうだうだしている
くらいだったら、本居宣長が
その仕事場で周囲に鈴を置いていたという
故事を知る方がよほど良い。
ぼくがワグナーのオペラを好きなのは、
出てくるのがみんな普通じゃない、
バランスを崩したトンがった人だからだ。
2月 10, 2007 at 09:28 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (3)
あまりにも追われて、
呆然としながら、
春の日差しに照らされた
タンポポだったら良いのに
と思う。
しかし、タンポポの
体内では、必死のメタボリズムが
ずっと進行しているわけであり。
神経経済学は偶有性を扱う
という点において
従来の機械論的な脳科学から
一歩前進だが、
未だ危機を通しての創発、
人格のEntwiklungを
扱っていない点において、
一個の生命哲学にはなり得ていないのだろう。
物理学科の時、
数理物理学の試験で
一行の問題を前にみんなでうんうん
うなりながら解いていた時、
音の奔流の中で歌うブリュンヒルデのような
気分になった。
人生の波乱は確率では解けない。
百年単位で見た時、現代の
脳科学、認知科学の手法は
ローカルミニマムに陥っていた
ということが明らかになるだろう。
タンポポがすごいのはモンシロチョウが
来るのをじっと待っているということで、
しかしその待つ姿や精神のあり方に
一つの工夫がある。
創造性はモンシロチョウではなく
タンポポに似ているとしたら。
日差しが次第にやわらかくなってきた。
2月 9, 2007 at 07:15 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (5)
J-Wave
別所哲也
Good Morning Tokyo
Morning Session
ゲスト 茂木健一郎
08時15分〜08時30分
2月 9, 2007 at 06:46 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第40回
出過ぎた杭(くい)は誰にも打てない
〜コンピューター研究者・石井裕〜
63人のノーベル賞学者を輩出する世界有数の理工系大学マサチューセッツ工科大学。通称、MIT。その中で、名をとどろかせる一人の日本人教授が、石井裕(51)。 石井の研究分野はコンピューターを操るための道具であるインターフェースの研究・開発。石井は、これまでの常識を覆す未来のコンピューター開発に取り組み、世界中から注目を集めている。 石井が考え出した新しいコンピューターの概念は、「タンジブル」。これまでのマウスやキーボードを用いた操作方法ではなく、現実にある身近なモノを触ることで、簡単にコンピューターを操作しようという夢の技術だ。 若い研究者と共に研究にあたる石井の信念は、世界中で誰も手をつけていない研究にこだわること。世界にインパクトを与えるものを生み出すために、石井はこの点を譲らない。 厳しい競争を課されるMIT。そこでいかにして大胆な発想が生まれるか。その創造の現場に完全密着する。
NHK総合
2007年2月1日(木)22:00〜22:44
2月 8, 2007 at 08:17 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (7)
大久保ふみさん、箆伊智充クン、星野英一クン
の三人の修士論文発表と審査。
このような時には、本人たちが緊張するのは
もちろんであるが、主査であり指導教官である
私は、それとは別の意味で限りない緊張と
葛藤を強いられるのはご存じか。
這えば立て、立てば歩めの親心。
うまくやってくれ、と祈りつつ、自分が
代わるわけにはいかないんだから、
じれったくて、そしてほっと一息。
無事、三人とも試験に合格して
修士になることになりました。
研究室でビールなどを飲んで
乾杯。
箆伊がお風呂上がりのような
顔をしている。
緊張の後の弛緩を味わうやよし。
君たちは、大いにご苦労さまでした!
しかしながら、私はまだまだ
仕事があるのである。
諸君、今日は大いに楽しんで
くれたまえ!
そう心で念じながら、すずかけ台を
後にする。
こうしてまた、誰かの青春が
白日を迎え、あらたなる頁が捲られる。
江村哲二さんとのジュンク堂での対話。
フリードリッヒ・ニーチェの
事実上の処女作である『悲劇の誕生』は、
「音楽の精神からの」という副題がついている。
時満ちて、
今また、音楽(ミューズに捧げられしもの)
から何かが誕生すべき時が来ている
のではないか。
ニーチェは「神は死んだ!」と宣言したが、
人間はそれで楽になったどころか、
大いに苦しくなった。
彼のsuperhumanという概念は、
そこからの悪あがきの果実である。
TBSが鈴を鳴らすと頭が良くなる
という番組を流したが、
そんなはずはないだろう、
というのはカモンセンスに照らして
わかるはずだ。
今、脳や人間を語る際に求められているのは、
あたかも機械であるかのように
単純化するスキームではなく、
一つの生命哲学である。
君、ノウハウや安易な処方箋を求めては
いけないよ。
ツァラトゥストラでも読みたまえ!
人間を単純なる機械にたとえる
時代は終わった!
無限に広がる生命の海に飛び込んで、
時におだやかに、
あるいは激しく、
すいすいぐんぐんと泳いで行こうでは
ないですか。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
井伏鱒二
修士論文発表の日。すずかけ台駅前
の「てんてん」でみんなでお昼を食べる。
左から須藤珠水、野澤真一、石川哲朗。
2月 8, 2007 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (9)
『生きて死ぬ私』 (ちくま文庫)
は増刷(5刷、累計21000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 7, 2007 at 08:10 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
移動する時にタクシーを使うということは、
何か手元でやらなくてはならないことが
あるということであり、
電車を使うということは
火急の仕事がないということである。
最近は読みたい本、論文が沢山あって、
また、歩きながら考えたいこともあり、
追い詰められてタクシーで移動
するというのがフユカイになってきてしまった。
電車に乗れて、活字を追い始める
瞬間が一番楽しい。
桑原茂一さんや吉村栄一さん、
新潮社の大久保さんとコンラッド東京で
ランチを食べる。
桑原さんは、私がブッとばしてよしなし
事を言っている様子を、
眼鏡のむこうからやわらかな光を
放ちつつにこにこ見ている。
そのようなやわらかな時間の中から、
きっと、また、驚くべきプロデュースの
アイデアが浮かんでくるのであろう。
時は流れる。
ボクは、必死になってばたばたと
手足を動かす。
近代の科学主義の有効性に魅了されながらも、
世界の深さを少しもわかりはしない
実際的な人たちに腹を立てる。
だからといって、科学主義の外に
いる人たちが少しでもマシかというと
そんなこともなくって、
つまりは横断して疾走して
いかなければ、世界は本当のことを
明かしてはくれないということなんだろう。
中央公論新社の人たちと
ご飯を食べていて、
ああこの人たちはこういう風に
「同期」とか、そんな仲間が
たくさんいていいなあと思った。
ボクはときたら、最近なんとなく孤独な
気持ちがしている。
おかだくんは相変わらず間断なく
喋っていて、
「眠っている時くらいは静かなんだよね」
と聞いたら、
「いや、それが、いびきが激しいんですよ」
と言う。
松本さんや郡司さんにこっそり聞いたら、
おかだくんがずっと喋っていることには
もう慣れっこになってしまっていて、
スルーする時はスルーしているんだという。
こう書いても、読者のみなさんには
なかなかその真実が伝わらない
と思うけれども、
本当にずっとずっと
しゃべり続けているんですよ。
岡田健吾くんは。
実に、一つの驚異であるなあ。
石をめくれば、そこには
ゲジゲジや時にはオサムシが
隠れているし、
宇宙というのはいかに多くの
オドロキに満ちていることであるか。
中公文庫の角谷さんは、星を
見る学生生活を送っていた人だったそうだ。
高原に行くと昼間でも星が見えるというが、
都会の雑踏の中でまみれていても、
どこかで星の群れを感じることが
できるようになったら、
その人は星界の達人だ。
目の前の仕事を一生懸命
やりながら、
意識の外のどこかでキラキラと光る
問題群をずっとずっと見つめている
ことができさえすればなあ。
2月 7, 2007 at 07:44 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (3)
ブラームスのシンフォニーの第一番、
第4楽章。
アルバート・アインシュタインの
RelativityをJulian Lopez-Morillasが
朗読した音声。
そして、エマニュエル・カントが、
Critique of practical reasonの最後に
記した次の言葉。
Two things fill the heart with ever renewed
and increasing awe and reverence, the more
often and the more steadily we meditate upon
them: the starry firmament above and the moral
law within.
最後の言葉は、(ドイツ語で)カントのメモリアル
に刻まれている。
このところたまたま接したものが、
全て何やら「宇宙的な」広がりを持つもの
であった。
カントの面白いところの一つは、
nebular hypothesis(太陽系は、ガス状の
広がりから形成されたという仮説)
のようなものも提唱しているところ
だろう。
夕刻、眠くて、電車の中で
うとうとしていた。
はっと目が覚めて、席を移った
ところで、文部科学省の方に話しかけられた。
しばらく、教育の問題について
お話させていただいたが、
「きっと、あっ、茂木さん眠っている
と思ってしばらく見ていらしたんだろうな」
と思うと、何だか恥ずかしい。
東京の地下鉄で眠るなんて、
一年に一度くらいのことなのに、
その時にたまたま見られてしまった!
まどろむということは、
宇宙につながる一つの方法であるようにも
思われる。
目を閉じれば、そこには永遠の
暗闇が広がっているよ。
自分が変わることは大事だけれども、
自我の発達というものは、
外部からの様々な擾乱にもかかわらず
自己の同一性を保とうとする、
必死のホメオスタシスの結果なのでは
ないかと思う。
恒常性への仕掛けが強靱であればあるほど、
人は宇宙のさまざまに身をさらすことが
できるようになるのであろう。
2月 6, 2007 at 07:49 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (4)
散歩の途中で、公園の吊り輪にジャンプして
ぶらさがろうとして、
その前につかんだ鉄棒が冷たかったことに
ひるんでいたのか、
あえなく失敗して砂地に落ちた。
いてて、と立ち上がる。
不思議なもので、怪我をしたかどうか
ということよりも、
誰か見てはしなかったかときょろきょろ
見回す。
幸い、こちらを注意している人はいない
様子だったので、
しめしめ、助かったと立ち上がった。
何気ないふりを装ってズボンの裾を
上げると、案の定向こうずねに
赤い筋が何本か入っている。
しかしまあ、大したことはない。
子どもの頃は生傷が絶えなかった。
お風呂に入ると、しみてひりひりとした。
あの頃に比べれば、大人になってからは
むしろ傷がなさ過ぎるくらいだ。
ボクは、『脳と仮想』で、
感動とは傷を受けることであると書いた。
ある体験から心に傷を受ける、ということを別の言葉で言い換えれば、その体験によって生じた脳の中の神経細胞の活動によって、脳が大規模な再編成を余儀なくされるということである。
身体は、傷を受けると、細胞が分裂して傷を受けた部位の組織を再編成しようとする。その結果、見た目には以前と変わらない組織がつくられる。腕を切断するなど、怪我の程度が甚だしい場合は原状回復が不可能な場合もある。見た目には現状回復がなされている場合でも、微視的に見れば異なる組織になってしまっている場合もある。
すぐれた芸術作品との出会いが脳に与える作用も、上のような身体の再組織化、再編成のプロセスと似ている。受ける感動の深さ、大きさが、その作品に接することがきっかけになって始まった脳の再編成のプロセスの深さ、大きさの指標になる。
茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮社)より
どういう時に傷を受けるか。
身体運動を考えればわかるように、
ある程度アクロバティックなことを
しなければならない。
精神運動もまた、傷を受けてナンボだ。
デカルトのsystematic doubt
(方法論的懐疑)とは、
既存の概念で身体を守ることを
やめて、魂の裸身をさらけ出し、
無限定な世界の中に飛び込んでいくことを
意味したのではないか。
思い切り精神の手足をのばし、
星辰に届かんとし、
わーっと全力疾走して、
くるっと回転し、
めちゃくちゃに動き回る。
無限なる荒野にて
本能の赴くままに狩りをする。
そんな知の野蛮人でありたい。
そうすれば、受ける生傷の
数だけ、
私の精神は成長してくれることだろう。
2月 5, 2007 at 06:15 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (10)
ジュンク堂池袋本店 トークセッション
米本昌平(科学技術文明研究所所長)、茂木健一郎(脳科学者)
『21世紀の生命論』
2007年3月9日(金) 19時〜
2月 5, 2007 at 05:44 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
エンジン01 オープンカレッジ in 下関
2月 4, 2007 at 08:54 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
日本ユング心理学会公開シンポジウム
「脳と仮想」
茂木健一郎、織田尚生、河合俊雄、川戸圓
2007年3月4日(日) 13:00〜17:00
東京総評会館 203会議室
詳細は下記を参照ください。
2月 4, 2007 at 05:36 午後 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
Janus 21
pp. 4-9
SEE THE WORLD THROUGH
THE BRAIN’S EYES |
Marleen Wynants enquires on the unusual phenomenon
of Change Blindness with neuroscientist Ken Mogi
2月 4, 2007 at 09:37 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月18日号
(2006年2月5日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第41回
空腹への耐性が落ちた現代人よ
美食家・内田百閒に学ぼう。
抜粋
希代の美食家は、また、空腹感をも愛した。「お腹が空いているというのは私が一番好きな状態の一つである」と百閒は書く。夕べのご馳走を楽しみに、朝からほとんど何も食べない。ひたすら空腹感に耐えて、ようやく訪れた饗宴の時を心から味わう。それが、百閒の習慣だった。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
2月 4, 2007 at 08:28 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
ボクは最近完全に本の虫になってしまって、
特に、全ての教養を英語で再構築しようと
少しでも暇があれば同時に十冊くらいの本を
読んでいる。
(本を読む時間自体がなかなかとれないのが
かなしいところなのだけれども)
Roger Sorutonによる
Kant. A very short introduction
(Oxford University Press)を読んでいると
(このA very short introductionのシリーズは、
本の袖が折りたたまれていてしおりにすることが
できるので、便利で好きだ)、
Since Kand is one of the most dificult of modern
philosophers, I cannot hope that I have made
every aspect of this thought intelligible to the
general reader. It is not clear that every aspect
of his thought has been intellible to anyone, even
to Kant.
とある。
カント自身にも、その哲学が本当に
わかっていたかどうかわからない・・・・
ボクは笑って、親友の塩谷賢を
思い出してしまった。
同じシリーズのHegelにも
「難解」ということが書いてある。
やはり本物の哲学というのは
難解なのかもしれないなと思う。
塩谷クンだけの罪ではないのだ。
問題は、その難しさをいかにやわらかく
丸め込んでしまうかということだ。
難しさについて考えていて、
塩谷が、
時間論に悩んで落ち込んでいた時
京都で天ぷらを食べたら元気になったという
話を思い出してしまった。
難解な哲学も、からりとおいしく揚がった
天ぷらにつつまれると、ふわっと天上の
世界へと
昇華してしまう。
うんうん考えていても、おもわず
うふふとなってしまう。
そう考えたら、
人間は、なんと素敵な存在なのだろう。
カントにビールを飲ましたり、
ヘーゲルにマシュマロを枝に差して
たき火であぶったものを差し出したり
した時に立ち上がる空気に、
ボクたちは救われるのではないか。
哲学の難解さは、天ぷらにされた
タラの芽のほんのりと幽かな苦みに
きっと良く似ている。
ボクがintractable(解きほぐせない、
難解な、扱いにくい、というような
意味)という英単語を初めて
「生」で聞いたのはGraeme Mitchisonから
だったかもしれない。
Horace Barlowを訪ねてCambridgeで
セミナーをした時、当時やっていた
非対称結合ボツルマンマシンのグラフ変換法に
よる解析の話をしたら、
Graemeが、
But isn't it highly intractable?
と聞いたのだ。
なぜ彼がそんなことを言ったかと言うと、
グラフ変換法で用いるspanning in-treeの
数が、
だという話をしたからだ。
状態数Nが少しでも大きくなると、
天文学的な数字になってしまう。
ボクは、Graemeが言った
intractableというのが、
「それは実際的な意味では使えないじゃないか」
という非難であることは重々承知しながら、
少し誇らしい気持ちでもあった。
そもそも、世の中の多くのことは、intractable
(解きほぐすことのできないもの)
である。
自分の部屋の中にある気体分子の動き
なんて、解きほぐせない。
生まれてから今までやってきた会話の
総体が私の言語感覚に重大な影響を
与えていることは疑いないが、
その故事来歴を明らかにすることなどは
解きほぐせない問題である。
恋愛も解きほぐせない。
三角関係は英語でlove triangleというそうだ。
三体問題が解きほぐせないことは、
数学的に証明されている。
解きほぐせないことがたくさんある
人生を万歳と言ってしまおう。
難解なことを思い切り考えて、
それから
タラの芽の天ぷらを食べて、
その苦みと宇宙の解きほぐせなさの
間にある不思議な共鳴を味わったら良いのでは
ないかと思うのだ。
2月 4, 2007 at 08:16 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (4)
取材が何件かあったり、
修士の三人(「ホッシー」こと星野英一、
「ふじょし」こと大久保ふみ、「へらへらい」
こと箆伊智充)の論文発表の予行があったりと、
目が回る一日。
アートディレクターの
水野学さんと、フランクリン・アヴェニュー
でお話する。
ボクが大好きな「アボカド」サンドウィッチを
食べながら、アート、仕事、人生のことを
話し合った。
ボクが最初にアボカドを食べたのは、
大学生になってからだった。
ヴァンクーバーのグランヴィルということで、
南アフリカ出身のバジルというおじさんと
一緒に食べた。
やわらかく、そしてしっとりとした
おいしさのあるそのテクスチャ。
一口食べて好きになった。
それ以来、ボクの心の中には、
アボカドだけの場所がある。
今読んでいるHenri Bergsonの
Creative Evolutionの中には、
becoming(生成)には無限の種類がある
という話が出ている。
黄色が緑になり、緑が青になる。
幼虫がサナギになり、成虫になる。
お腹が空く。満腹になる。
闘う。ジャンプする。
それぞれのbecomingを、ボクたちは
まるで映画を見るかのように
同じイマージュの中にとらえる。
しかし、本当は、事象の数だけと
言っていいくらいのbecomingがあるのだ。
ボクが、あの日、笑顔が素敵なバジルと
アボカドを人生で初めて口にした時、
ボクは空前絶後のbecomingになった。
何でも、
もう慣れている、なんて思っては
いけない。
人生のbecomingは、全て初めてで、
そして最後だ。
ここのところ桜の花が恋しくて
仕方がない。
草の上に座って、数え切れない
花片の海を見上げるとき、
ボクはどんな「生成」になるのだろうか。
2月 3, 2007 at 09:09 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (1)
朝日カルチャーセンター講座
脳とこころを考える 脳と芸術 第一回
2007年2月2日 18時30分〜20時30分
朝日カルチャーセンター 新宿
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A0301.html#
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A0301_html/A030101.html
2月 2, 2007 at 07:30 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
中公新書ラクレ
『脳の中の人生』は増刷(11刷、累計62000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。
2月 2, 2007 at 07:18 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
この日記は楽しそうに書いているが、
実はここのところ完全な時間破産であって、
水面の下では足はバタバタいつも動いている。
いつの頃からか、どんな方に会っても、
相手が社長でも、タレントでも、マルチな
クリエーターでも、
「絶対に自分の方が忙しいに違いない!」
と直覚するようになった。
「忙しさじゃんけん」ではきっとずっと
勝ち続けている。
昨日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』
では、私の朝の仕事術が放映されて
しまって恥ずかしかったが、
あれはやらせでも何でもなくって、
本当に朝起きた瞬間からものすごい密度
で動き回っている。
でも、脳の深い快楽原理
(脳は、学習にこそaddictしている臓器
なのだ!)に基づいているから、
苦にはならない。
今回の番組は、
住吉美紀さんがディレクターとなって
企画、取材、編集されたが、
自分でも多くの発見があった
(詳しくは『プロフェッショナル日記』で。)
忙しい理由の一つは、ボクが、性質の
異なる仕事を引き受けているからである。
研究がある。
大学院生の指導がある。
文筆がある。
講演がある。
テレビの仕事もある。
これらの仕事は、それぞれの世界で
要求されることが少しずつ違う。
パスポートも持たずに私は
行き来している。
「マルチ」という言い方はあまり
正確ではないし、好きではない。
万華鏡のような複雑な乱反射の中に、
あるくっきりとした輪郭線を見る。
「ちくま」の連載「思考の補助線」
では、いかに分裂してしまった諸学を
再び統一するか、そのために
補助線を引くかということを考えてきたが、
最近では、自分が身をもって
補助線になっちまえば
いいじゃないかと思ってきた。
つきたてのおもちのように
ぎゅうと伸ばされた、
補助線としての私の人生よ。
わが信頼する筑摩書房の編集者、
「たけちゃんマンセブン」こと、
増田健史が「Brutus」で寄せてくれた
言葉は心に響いた。
「怖い」というのは、すぐ怒るとかそういう
意味ではなく、茂木さんの仕事の根本に「怒り」
があるからなんです。それは科学というものを
消費物としてしか見ない世間への怒りだし、その
一方で学者村に閉じこもって世界の豊饒さを見よう
としない科学業界への怒りであって、しかもそれは
茂木さんの最もコアな部分での「倫理観」に発している。
だからこそ怖い。強度が違うんです。
たけちゃん、ありがとう。
お言葉を胸に、補助線は走ります。
2月 2, 2007 at 06:48 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (3)
プロフェッショナル 仕事の流儀
明日から使える“仕事術”スペシャル Part2
6月に放送した「仕事術スペシャル」は、ふだんの放送では紹介しきれない、プロフェッショナルたちの具体的な仕事術を紹介して、反響を呼んだ。それは、多くの人が明日の仕事ですぐにでもマネできそうな仕事術。あれから半年、好評に応えて第2弾をお送りする。 大手コンビニチェーンの経営者、新浪剛史。もともと、総合商社のサラリーマン・中間管理職だった新浪には、長年、組織で培った「危機管理術」がある。サラリーマンは上司には少しでも良く報告してしまうもの…自分が一サラリーマンだったからこそ実感でそれがよくわかる新浪。「トラブルは、日常にある小さな穴を見逃さないこと。そのために、コミュニケーションが必要なのだ」と、危機管理の具体的ノウハウを公開する。 編集者の石原正康は、名だたる大作家を口説き落とし、ともにベストセラーを生みだしていく、“口説き”の達人。「人を口説く手紙術」の極意を紹介。 その他、「たまご型ゲーム」などの大ヒットを連発する、玩具の企画開発者・横井昭裕からは、アイデアの出る会議術。半導体ベンチャー界の名物経営者・飯塚哲哉には、効率的かつ創造的に仕事をする時間活用術。さらに、キャスターの脳科学者・茂木健一郎に、瞬間的に仕事に集中できるようになる秘儀を教わるなど、“使える”仕事術を多岐に渡って紹介する。
NHK総合
2007年2月1日(木)22:00〜22:44
2月 1, 2007 at 07:28 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (2)
ボクは子どもの時本当に野球が
好きで、
近所の公園で一人でもくもくと「投球練習」
をしていた。
バッティングは王貞治選手に
かぶれて「一本足打法」。
ブランコを越えると、ホームランだった。
ある夏、数えたら、五十何号まで行った。
別に、打撃の神様だったわけではなく、
それだけ毎日毎日熱心に「草野球」
をやっていたということである。
あれは小学校5年生くらいのことか。
仲間と近くの高校のグランドで遊んでいたら、
硬式野球のボールが一つ落ちていた。
しめしめ、と硬球を握りしめ、いつもの
公園に戻ってきた。
誰かが、「おい、硬球で野球やってみようぜ」
と言って、みんな賛同した。
始めてすぐに、ボクたちは後悔した。
それまでやっていた軟式の野球と、別世界。
打席に立ってピッチャーの投げる
ボールが飛んでくると、
怖くて仕方がない。
ピッチャーの方も、バッターが
怖がっているとわかっているから、
遠慮して、そろそろと
投げてしまう。
守備をしていて、打球が飛んでくると、
思わず身がすくんだ。
ライナーはもちろん、
ゴロでも、全身がかたくなった。
そして、捕球した時の、なんとも言えない
ズシリとした硬質の感触。
みんな、歓声を上げながらも、
心の中では、「これは、もはやどうすることも
できない・・・」という気持ちがつのっていった。
やがて、誰ともなくお互いに顔を見合わせ、
ぼくたちは硬式野球をやめてしまった。
それだけ、硬球をやりとりするのが
怖かったのである。
それ以来、ボクたちは二度と硬球で
遊ぶことはなかった。
イチローさんと会ってお話する機会があり、
そんなことを話すと、
イチローさんは笑った。
「ボクは、硬式野球に移って、簡単だなあと
思いましたよ」
「えっ?」
「中学まで軟式野球をやっていて、高校から
硬式野球に移ったでしょ。軟式野球に比べて、硬式
野球はなんて簡単なんだろうと思いましたよ。」
「そのあたりからして違うんだなあ。」
イチローさんと話して、ボクが
野球選手になれなかったわけがわかった。
「最近でも
バッティングセンターに行くんですか。」
「いや、さすがに最近はいかないですね。」
「イチローさんだったら、全て快心の当たり
でしょうね。」
「いや、かえって難しんですよ。軟式の球は
やわらかいから、バット・スイングが速いと
球がぎゅうんと潰れてしまうんですよ。
だから、バッティングセンターは、スイングが
遅い方がいいんです。」
イチローさんは見た目も普通の人とは
全く違っていて、
まるでシマウマの群れの中にいるキリンの
よう。
類い希な才能がかたちとなって目に見える。
茂木さんは自分の身体についてどう思いますか
と聞かれたので、
「チェンジ・プリーズ」と応えたら、
イチローさんは、
「お願いだからボクとはやめてくださいね」
と言いました。
最後に
握手したイチローさんの手は
がっしりと強かった。
NTT出版の編集会議。
私が原稿をなかなか書かないために、
「傷だらけのマキロン」と呼ばれている
牧野彰久さんは外出中で、話し合いが終わる頃に
現れた。
西垣通さん、松原隆一郎さん、
斎藤成也さんとお話していると、
「編集会議」という文脈を外れて、
まるで知の格闘技をハイテーブルで
行っているよう。
ボクにできることは、こっちの方
なのだろう。
だから、一生懸命やろう。
歩きながら考えた。
もう一度くらい、硬球の
キャッチボールにはチャレンジしてみたいなあ。
イチローさんの身体は、すごいなあ。
ぼくの身体は、そんなにすごくないけれど、
せっかくもらったものだから、
大切に使おうと思う。
2月 1, 2007 at 07:04 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
最近のコメント