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2007/01/22

石ころだとしたら

あれは何年前のことであったか、
近江八幡を訪れ、山に登った。

 田園が広がる風景を見下ろしている
うちに、
 自分の足の下にある土の塊の
存在感がひしひしと伝わってきて、
 くらくらとなった。

 もし、自分が、この土塊の奥の方に
ひそかにぎゅうぎゅう詰めになっている
石ころだとしたら。

 身動きできないまま、何万年、何億年も
そのままでいる。
 そのような存在のリアリティが切ない
ほどに伝わってきて、
 うわあと叫びたくなった。

 気がつくと、空の上をチョウトンボが
ひらひらと飛んでいた。
 風に流され、ふわふわと
あっちにいったり、
 こっちにいったり。
 自由で、はかなく、そして頼りない
やわらかな存在。

 ボクもまた、チョウトンボと同じなのだと
思った。

 ボクが育ったのはどこまでも平らな土地で、
山はよく晴れた朝などにはるか遠くに見える
だけであった。
 だから、山にはあこがれがある。

 近所の神社に、浅間山というものがあった。
 富士山信仰の現れで、
江戸時代に人々が一生懸命盛り土を
して作った「富士塚」だったらしい。
 
 子どもの頃は、そんなことは知らずに、
ただ山があると思って駆け回っていた。

 遠き古の人たちが、
残してくれた、大切な手や足のあと。
 
 デザイナーの山中俊治さんの
アトリエを訪問した。

 山の斜面に建てられた素敵な
集合住居。

 春になると
 ウグイスがホーホケキョの練習を
するのが聞こえるという。

 後方に雑木林が迫り、窓から
山の気配が感じられる。

 山中さんととびっきりの
面白いお話をしながら、 
 ボクはずっと山の気配に包まれ、
それを味わっていた。
 
 地球の芯の近くに、
ぎゅうっと詰まって固まっている
ものたちは、
 マントル対流でもなければ、
 動きもせずに、
やがて太陽系が何らかの理由で
解体され、
 ばらばらに拡散するその遠い
未来まで、
 ぎゅうぎゅうのままじっとしている
ことだろう。

 自分の人生の毎日のふわふわに
目眩を覚えながら、
 時々そんなどっしりと動かない
ものたちのことを想うと、本当に
楽しい。
 
 今度山登りにいって、
たくさんの石ころを拾い、
 動かないものたちからの
手紙をそこに読み取ってみようかしら。

 そして何よりも、
お前もひょっとしたらこの
足元の石ころだったかもしれないと
想ってみることだ。



デザインを熱く語る山中俊治さん。

1月 22, 2007 at 07:08 午前 |

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受信: 2007/01/23 6:41:44

コメント

   『 if  』     もしも

           わたし 石ころだったら。。。@

きっと 誰かのつま先の先 ころころ コロコロ 

    
   ☆  貴石  ☆     茂木健一郎様

            宇宙の海まで   悠々と。。。 ☆

  

投稿: | 2007/01/23 7:18:08

石ころ、と、少し違う感覚ですが、

子供のころ、夕暮れの時、金星や水星が西の空に光っていると思っている程度の認識でした。

ある夕暮れの時、想像で金星、水星、太陽を線で結んだのです。

すると、ポツンと自分が、宇宙空間に浮かんでいる地球に斜めに立っている、という感覚が湧き上がってきた事があります。

投稿: | 2007/01/23 0:32:39

脳科学をもとに、「人間とは何か」という問いに真摯に向き合
い、人間の本質を見極めようとする茂木先生らしい考え方です
ね。

今回のブログを読ませていただいて、切に人間が目的意識をも
って環境に働きかけができる動物であり、人間の作り出した人
工自然、社会でしか生きられないようにみえる、今の生き方を
改めて考え直す時期がきたのでは…と感じました。

実際、人間は社会だけでなく自然環境にも作用しうるのであり、
そこに社会を生きる人間としてのディレンマを内包している。

今こそ聖書創世記に記されているように、「土の塵(アダマ)」
から作られたことをしっかりと自覚すべきなのかもしれませんね。

投稿: コロン | 2007/01/22 20:06:02

毎日ふわふわしつつも、
じっと動かない石ころのようなコアなものに憧憬を抱く自分がいる。地球の芯の近くに詰まって固まっているのもそんなコアなものだろう。

太陽系が分解して消えるまで、そのコアなものは変わらず“ぎゅうぎゅう”としたままでいるのだろう。

人間の生命も、ふわふわの部分と、コアな変わらないものとで出来ているのかもしれない。

ふわふわは、意識や、移ろい行く感情などの流動的な部分、コアは結晶のような生命の本質部分なのではないか…。

山(というか自然)も人も共に関係性の中で、お互いずっと生きてきた。


いまは何故か、人のほうが自然と無関係になろうとし、インターネットの世界に心まで委ねようとしている者まで現われている。

このエントリーを読んで、豊かな山と雑木林のおりなす天然の息吹を思いながら、グーグルに全てを委ねてしまう人生とは何なのだろうと考えている。


人がこのまま自然と絆を断ち、コンピュータのネットワークの中に全てを依存するようになったら、その先には何か恐ろしい未来が待っているような気がしている。

グーグルに人生の全てをゆだねようとする人々は、果してフラワーピッグこと茂木先生のように、そこらへんの石ころにも思いをいたす事が出来るのだろうか。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/22 20:04:42

富士塚・・・いちど見て見たいです。

 石ってすてきですよね。 
石ころ拾いも、動かないものたちからの手紙・・と考えると、ますます楽しいですね。
 わたしも石ころになった自分を想像してみたいと思います。。

投稿: | 2007/01/22 13:39:37

腕時計なんてものよりも、石ころの方が本物の時間を知っている。腕につけておきたいぐらいだ。

お喋りは 針だけ♯な 時音痴

投稿: 無音 | 2007/01/22 11:23:48

腕時計なんてものよりも、石ころの方が本物の時間を知っている。腕につけておきたいぐらいだ。

お喋りは 針だけ♯な 時音痴

投稿: 無音 | 2007/01/22 11:21:42

      石ころも  土塊も


            その時を   知らない

投稿: | 2007/01/22 8:18:03

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