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2007/01/07

言葉を獲得したというそのプロセスも

物理的な空間の整理をするのが
相変わらず苦手である。

 以前、岩波アクティヴ新書『私の整理術』
の原稿を依頼された時、
 周囲からは「お前に整理なんてできない
じゃないか、そんな原稿書けないだろう」と
散々言われたが、蛮勇をふるって執筆した。
 その時に書いた原稿がこれである。

 小学校の時のアルバムが出てくれば、しばし整理している手元を止る。写真を眺め、はるか昔に思いを寄せる。昔の回想などという「ムダなこと」などせずに、さっさと整理を終えてしまうのは、モノの整理としてはいいのかもしれないが、脳の整理としてはどうだろうか。手の動きが止まっている間、物理的な荷物の整理は止まっているが、より重要な「情報の整理」が脳の中で進行しているのである。その結果、友達の名前でインターネットを検索するような、新しいつながりへのきっかけが生じるかもしれない。そのようなプロセスにたっぷり時間を与えてあげることの方が、物理的な整理をせっせとするよりも、結果として自分と世界の関わり方が面白くなることが多いような気がするのである。(同じような理由で、私は、いわゆる「速読法」にほとんど関心がない。)
 私の言いたいことを要約すれば、「外部のモノの整理よりも、自分の脳の整理の方がよほど重要である!」ということになる。自分の脳は、どこにでも持ち運べる、もっとも優れた情報機器である。脳は自分が動けば世界のどこにでも持っていくことができるが、せっかく整頓した自分の部屋も机も、持つ運ぶことができない。仕事の場所も遊びの場所もどんどん広がる現代において、整理して一番トクなのは、結局、自分の脳である。
 人間本来無一物、とまで洒落るつもりはないが、一番大切な脳の整理を抜きにして、現代を創造的に生きることはできないと私は考えるのである。

(岩波アクティヴ新書『わたしの整理術』から、
茂木健一郎 『「脳」整理法—世界に開かれたプロセスとしての脳の整理』)

 目に見える外のモノの整理よりも、
脳の中の整理の方が
優先である、という基本哲学は変わっていない。
 しかし、それではニッチもサッチもいかなく
なることがある。

 朝、某出版社の方から電話があり、
 「ゲラの推敲は順調にお進みですよね」
と言われ、
 「はあ、必ずしも順調とは言えないのですが・・・」
と答えながら、私の脳はフル回転していた。

 ゲラ? 
 あれ、そんなゲラ送られてきたっけ?
 しまった、まだ開封していない郵便物の
山の中にあるに違いない。今日は少しは
モノを整理しないと、さすがに
 「地球最後の日」は近い。
 よしんば地球が終わらなくても、
 オレが終わってしまう・・・・

 「連休明けにまたご連絡します」
と何とか電話を切り抜けた。
 それから、よいっしょと一つ
意味もなくヒンズースクワットをして、
 仕方なく身辺整理を始めた。

 (回想シーン。
 うまくごまかせた! と思っていたが、
「お釈迦様」は本当は全てお見通しだったのかもしれない
なあ。はあっ。)

 未開封の郵便物の山。
 ああ、幾山河を踏み越えて。

 書類、本、著作権関係の連絡。エトセトラ。

 埋もれていたさまざまを発掘していたら、
たちまち70リットルのゴミ袋が二ついっぱいに
なった。

野口健さんはエベレストでゴミ集めをするというのに、
オレと来たら・・・ 

 しかし、件のゲラはまだ見つかっていない・・・

 話は変わるが、事態を切り抜ける
ために必要なのは一つの狂気である
ということについては確信している。

 心脳問題のように、どう考えても
ブレイクスルーの糸口が見つからないように
思われる事柄は、一つのよくマネッジ
された狂気によってしか
 打開できないのである。
 
 しかし、考えてみると、言葉を獲得
したというそのプロセスも、つまりは
狂気としか言いようがないんじゃないか。

 「真理」なんて概念に到達するのは、
あるいは「不安」などという名付けを
行ってしまうのは、
 ひとえに狂気の所以である。

 つまり狂気とは、現状から脱するための
必死のダッシュなのであって、
 しかし如何せんそのプロセスにおいて
思わずバランスを崩してしまうことも
あるということなのであろう。

 狂気の分類学において、世間にいわゆる
「狂気」というものは急性、劇性
のものに過ぎず。

 本当はそれに連なる様々なニュアンスの
スペクトラムがあることであるよ。

 だから、なんとかとなんとかは紙一重
と言うのであろう。

 ところで、あのゲラは、どこに行って
しまったのだろうねえ。

 と、ここまで書いてから、
トイレに立ち、
 ふとNHK出版からの封筒
の下を見たら、
 ありましたよ。探していたゲラ。

 いやあ、奇跡というものは起こるもんだなあ。

1月 7, 2007 at 06:04 午前 |

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コメント

茂木さん;
改めましてこちらでもご挨拶を。
今年もよろしくお願いいたします

>今日は少しは
>モノを整理しないと、さすがに
>「地球最後の日」は近い。
>よしんば地球が終わらなくても、
>オレが終わってしまう・・・・
(中略)
>野口健さんはエベレストでゴミ集めをするというのに、
>オレと来たら・・・ 

この部分 思わず笑ってしまいました(^^;)
比較のスケールがむやみと壮大で非常に結構かと♪
私も不用品を別の用途で再利用するくせがあり
あまりモノを捨てられない性分なので
「なんでも捨てれば済むと思っている人より
 地球環境保護の役に立っているハズ!」
と 勝手に思い込んでいるクチであります。
しかし 家の中が散らかっていても 
探しものって不思議によく見つけます。
「こないだ○○してる時に見かけたから
 きっとあのへんだ~」
とか 全く関係のない事象によるインデックスをつけて
脳内で勝手に整理ができているようです。
HDD内の物理的レコード配置がバラバラでも
それを管理するクラスタデータがきちんとしていれば
正常稼動するPCのようなものかと思います。
逆に言えば たぶん部屋の中が物理的に整理されていても
記憶のインデックスが整っていなければ見つからないでしょう。
なので「脳内整理の方が大切」という説に一票!

それから

>心脳問題のように、どう考えても
>ブレイクスルーの糸口が見つからないように
>思われる事柄は、一つのよくマネッジ
>された狂気によってしか
>打開できないのである。

この点も何だかしっくりくるものが…。
私の母は 私が幼い頃
父と険悪な夫婦喧嘩を繰り広げた日には何故か必ず
家族が寝静まった深夜に部屋の模様替えをしてました。
朝起きて箪笥の場所が変わっていると
「あ~。また喧嘩したんだ~」と幼心に…(爆)
娘である私も 
どうしても解決できない問題や悩みがあると
十数年間使い込んで焦げ付いたお鍋の底を
必死の形相で一心不乱に磨いていたりします。
それをやったからって根本的な問題解決には至らないと
判っているはずなのですけど…
何故そういう行動に出るのか?いまだ不明です。(^^;)

茂木さんのゲラが見つかって何よりでございました♪

投稿: 坂本 葵 | 2007/01/08 0:10:39

茂木センセイ こんにちわ 
こちらにて はじめましてっ

門松を取り外したので そろそろ こちらにてご挨拶させていただきます 本年がセンセイにとって 幸多き年になりますように

私的には アンチ・ディタッチメント派ですし アンチ・ホワイトマジック派ですが ディタッチメントもホワイトマジックも 狂気を乗りきる1つの キーワードとして 肝に銘じたいと思います

現実セカイは コミットメントだったり ブラックマジックのほうが優勢とでてしまうこともありますからね バランスなんでしょうか

私の取り扱う論文のせいかもしれませんが 死者と向かう作家は ブラック系の魔術的な言葉を希求していくことになる気がします それからディタッチメントより コミットメントのほうが より苦しい作業を伴う気がします コミットメントからディタッチメントの移行だったり ディタッチメントからコミットメントの移行だったり この辺のバランスは かなり難しいところなんでしょうかね

2項目対立の現実セカイは 2つの事象が関係が相反しながらも 侵蝕し合い なかなかバランスを崩してしまう気もする いや脱構築してるわけではないですがっ          

                   LA VITA E BELLA 拝

投稿: LA VITA E BELLA | 2007/01/07 23:38:36

ゲラ、よかったですねえ。

>「真理」なんて概念に到達するのは、
あるいは「不安」などという名付けを行なってしまうのは、
ひとえに狂気の所以である。

まったくの名言にて。 狂喜です(笑)

投稿: M | 2007/01/07 21:42:05

ゲラが見つかって好かったですね!

ドンナにジタバタしていても、奇跡は必ず訪れるのです、だれの前にも。

実は私も過日、ウォークマンの外付電池パックが朝起きたら見つからなくなり、何処を探してもないので、仕方なく出勤して、家に帰ったら、見つかった、と言う事があった。

これもきっと一種の奇跡なんだろうなぁ。

物理的な整理整頓も大事だけれども、それよりも脳内の整理整頓のほうが、創造性を育て養う上でより重要なのだ、という茂木さんの主張は正しいと思う。

でもそれだけじゃ二進も三進も行かないのは事実で、やはり身辺の片付けと整理整頓はやっといたほうがいいのだろう。


茂木先生のライフワークである、クオリアの問題を含む心脳問題。一筋縄では行かない問題だけに、ブレイクスルーは本当に難しい。

それを打開するのは、一種の狂気にしかほかならないのかもしれない。

脳科学者の狂気を伴う執念のこもった、命がけの、必死のダッシュこそが、きっとこの問題にブレイクスルーをもたらすのかもしれない(生意気だったらお許し下さい)。

人が、ある現状を打破するべく、必死のダッシュを試みる時に、不安という副産物などとともに狂気が初めて生まれるのだと思う。

狂気はしばしば人の精神のバランスを崩すことがある。

ニーチェは、最終的に精神のバランスを崩し、狂気の人となってしまった。

人類の言語獲得のプロセスも、ひょっとしたら狂気による精神のバランス崩壊を伴うものだったに違いない。

茂木先生は、クオリアなど心脳問題の研究を通して、きっと生命という謎多きものの深淵を見つめようとしているのに違いない。

そこに狂気の気配が現われるのは、難問中の難問に挑戦するための、命を賭けた執念ゆえなのだと思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/07 12:49:12

書類、手紙など紙類の整理にやたら時間がかかる私なので、
大変勇気付けられました。
ありがとう。

投稿: Kaori | 2007/01/07 11:39:40

lovely!

投稿: くりおね | 2007/01/07 10:31:20

「探しものは何ですか みつけにくいものですか」
という井上陽水の「夢の中へ」を思い出しました。

今年、茂木さんが少しでも探しものが少なくてすみますように。
そして奇跡がたくさん起こりますように。

投稿: リリアン | 2007/01/07 10:04:54

物理的空間の片付けがやたらうまい人と、気があったことがない。
ヒジョウに個人的偏見に満ちた意見であるが。

投稿: 平太 | 2007/01/07 9:27:18

         渇望 そして 意志

 言葉獲得のプロセス   命の誕生  第一声にはじまり

      窮地に降りる  潜在力    直感の歩み

              獲得

          それを ミラクルと呼ぶ 。。。 ☆

投稿: 一光 | 2007/01/07 9:00:15

どんなに片付けが苦手な人でも、どこに何かあるか把握できる程度に分類しておいた方がいいですよ。

そしたら資料などを探す時間が短縮されて、プライベートな時間が増えると思います。

庶民的な考え方ですかね?

(私は片付け魔なので茂木先生の部屋を見たら多分モノを全部捨てたくなる~。グロブ読みながらウズウズしてました)

投稿: 玲美 | 2007/01/07 8:15:10

茂木先生も整理が苦手なんですか。実は私も整理はとても苦手なんです(笑)

ただ、茂木先生が”脳の中で情報の整理が進行している”と著書で指摘されているのはその通りだと思います。実際、経験的に机の上に積み上げられた書類や本など、一見散らかっているようでも、その中のどこに何があるのか、意外に覚えているものですから…。これも脳の中で情報整理されているからでしょう。

ただ自分でもよく分からないのは、適当においているはずのそのような書類等がなぜ記憶にあるのか…ということです。肝心なことは忘れているのに、このようなことは覚えている…。

”自分の記憶力がどんなに優れていたとしても、自分が学んだことは3%しか記憶していないし、それが仮にエキサイティングなことでも7%しか記憶していない”というようなことを、最近読んだ何かの本かメールマガジンで見た記憶があります…。

この何気ない動作に”クオリア”が関係しているとはちょっと想像できませんし…。かといって、何気ない動作の中で、脳が情報をピラミッド構造化しているとも思えません。

なんだか書いている自分の状況が『ディタッチメント』できなくなってきました(笑)が…でも、脳ってほんと不思議ですよね。だからこそおもしろい!!今年も茂木先生の著書にはまりそうです(笑)

投稿: コロン | 2007/01/07 7:44:47

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