暗闇の中を何も見えずに飛び続ける渡り鳥のような
長野の善光寺の戒壇巡りにはじめて
行ったのは、畏友、池上高志とだった。
その時の体験を、
自著から引用する。
まさに、そのような、「暗闇の中を手探りで歩く」という思い出すことのできない記憶を、私は長野の善光寺で探り当てたような気がした。
善光寺の本堂の下には、「戒壇廻(ルビ:めぐ)り」と呼ばれる場所がある。人々が暗闇の中を手探りで歩き、極楽につながる錠を触ることができれば幸せになれると伝えられる場所である。
私が戒壇廻りを初めて訪れたのは数年前のことである。どんな趣旨の場所かも知っていたし、そこが暗闇であるということも知識としては持っていた。しかし、善光寺の本堂に入り、地下につながる階段を下りていった時に私を包んだ完璧な暗闇には、すっかり度肝を抜かれてしまった。不特定多数の人が出入りするような場所が、まさか本当に何も見えない暗闇になっているとは思っていなかった。その思っていなかったところにどんと暗闇がぶつけられたから、内心かなり動揺した。なぜか、額のあたりにチリチリと熱いものを感じながら(これは、おそらく、暗闇で前に移動する時に、突起物が額のあたりにいきなりぶつかる可能性をカラダが感じて身構えていたということではないかと思う)、私は壁伝いにゆっくりゆっくり歩行した。
やがて、何とか錠を触ることができて、地上の光の下に出てきた。私は、錠を触ることができたということに喜ぶというよりも、あの暗闇から抜けられたことにほっとしていた。それくらい、完璧な暗闇の中で歩くという体験は、私を動揺させた。
それまでの私の人生でも、暗闇の中を歩くという体験が全くなかったわけではない。お化け屋敷。神社にクツワムシを捕りにいった時。あの電柱まで、とふざけて目をつむって歩いた時。停電した時。そのような時、私の手は確かに暗闇を探っていた。しかし、善光寺の戒壇廻りのように、本当に何も見ることのできない暗闇の中を、全く光を持たずに歩くという体験は、初めてであった。
戒壇廻りは、衆生に自らの置かれている無力な状態を自覚させ、釈迦の慈悲をこいねがう気持ちにさせるという趣旨の装置なのであろう。その場所で、私は、私たちの祖先にとっては間違いなくなじみ深い体験であった、暗闇の中を手探りで歩くという私の中の「思い出せない記憶」を探り当てた。
新月の晩は、必ず一月に一回はやってくる。火を手に入れるまでの長い歴史の中で私たちの祖先が経験したのと同じことを、私は思い出せない記憶の中から拾い上げたのである。
茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮社)
連休中の夜、コンビニから帰ってくる時に、
ふと「渡り鳥はずいぶん長く飛び続けるから、
そのうちに夜になったりするだろうな」
と思った。
「鳥目」というくらいだから、暗闇で
遠くが見渡せるとは思えない。
だとすると、渡り鳥は、何も見えない
漆黒の闇の中を、ただひらすら飛び続ける
のだなと思った。
想像するにすごい体験だなと
思った。
それで、善光寺の戒壇廻りを思い出した。
島田雅彦と新橋の飲み屋で飲んでいて
そんな話をしたら、
「この前NHKの番組で、シロクマが泳ぐ
ところを見たよ」
と文豪が応えた。
「地球温暖化で氷が溶けて、シロクマが、
泳ぐ先に果たしてまた氷の大地があるか
どうかの保証がないままに飛び込むんだな。
まさに命がけの跳躍だよ。
それで、24時間泳ぎ続けて、
対岸にやっとたどり着き、
アザラシを襲おうとするんだけど、
もうすっかり弱っていて、
力尽きて死んでしまうんだ」
いつも斜にかまえているシマダにしては
珍しく「いい話」をするじゃないか、と思った。
その前に、パークホテル東京のスイートで、
集英社『すばる』の対談をしていた。
岸尾昌子さんが世界のいろいろな言語の
音声を集めてきて、
それを聴きながら、多様性を称揚する
はずだったのだが、
ビールを飲みながらシマダマサヒコを
前にすると、
ついつい政治的な文脈に話が
及び、
つまりは日本人のlanguange policyが
なっていないんだ、というような
怪気炎を上げることとなった。
漱石や鴎外が活躍したのは、
日本語という制度が西欧との出会いによって
揺らいで、書法や文体が創造され、
新しい言葉も生まれた時代だった。
イギリス文学のすばらしい水脈が隣国の
アイルランド(アイルランド語と
英語のバイリンガルの状況に
あった)からやってきたこと。
ジェームズ・ジョイス、オスカー・ワイルド、
ジョージ・バーナード・ショウ。
サミュエル・ベケットもそうだし、
おおそう言えば、村上春樹もしかりであった。
文学というものは、そもそも、
ある確立して安定した言語体系の
中で個人の創意工夫で生まれるものではなくて、
むしろ、言語どうしが衝突し、
濁流が生まれ、
渦巻き、引き込まれる中で
個人が必死に泳ぐ中で
生み出されるものなのではないか。
その筋で言うと、過去しばらく、
日本の言語状況というものは「べた凪」
ではないか。
言語には遠心力と求心力がある。
国語審議会がいうような
「美しい日本語」というのは
つまりは求心力の方だが、
どんどん拡散し、異化し、
踏み越える遠心力とつりあって
初めて生命体としての言語が
いきいきと活性化する。
文学を思うものは、
積極的にバイリンガル、さらには
多言語状況の中に飛び込んでいく
べきだろう。
『源氏物語』の頃も、
言語はおそらくは流動の中にあったのではないかと
推測する。
暗闇の中を何も見えずに飛び続ける
渡り鳥のような、
そんな生き方こそが今必要とされている。
リストを見ながら、多言語性について考察する島田雅彦氏
1月 9, 2007 at 08:11 午前 | Permalink
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コメント
暗闇だからこそ、見えることってありますね。
暗闇で見つけたことって、とても大切なことだったりしますよね。
昨日は自分の中にある植物をみつけることができ、今日は渡り鳥になってみたりしました。気持ちのよいものですね。
投稿: sae | 2007/01/10 7:21:33
昼に渡る鳥の中には、そのような状況に陥るものもあるのでしょうね。
夜に渡る鳥の中には、突然の濃霧に巻き込まれるものもあるのでしょう。
その時彼らはいったいどんな覚悟で飛び続けるのか。
あきらめず、希望を持って、最後まで
おそらく飛び続けるのではなかろうかと。
投稿: 大栗 勝 | 2007/01/09 22:46:30
柿の種
棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも
甘いも渋いも 畑の土のよしあし
寺田寅彦
土くれの分子の中から星雲が生まれ その中から星と太陽とが生まれ
アミーバと三葉虫とアダムとイブとが生まれ、そこからこの自分が生ま
れて来るのをまざまざと見た。・・・・・ そうして自分は科学者になった。
投稿: 一光 | 2007/01/09 22:40:26
夜、渡り鳥は、暗闇の中を、
何も見えないにもかかわらず、
飛びつづけることが出来るという。
それは、彼等が、星からの磁気、あるいは地球からの地磁気を
体内にある“コンパス”(方位磁針)で
感知しながら飛んでいるのかもしれない。
ともあれ、彼等の身体能力には驚くばかりだ。
いっぽう、我等人間(特に完全なる暗闇を体験していない現代人)は、
何も光らしきもののない、完全なる暗闇に投げ出された場合、
触覚だけがたよりなのかもしれない。
視覚も使えず、聴覚もおぼつかない、
語のまったき意味での「暗黒状態」に置かれた時、
本当に人間というのは無力で頼りないものになってしまう。
それでも全身の触覚全てを駆使し、
暗闇の中を手探りで行くとき、
思い出せない記憶とともに、
忘れかけていた太古の感覚を思い出すのだろう。
そういえば、我々の周囲には、
最早暗闇というのは存在しないに等しい。
夜、町を歩くと、何処へ行っても街灯が眩く輝き、
星もほとんど見えず、ただ青黒い夜空が広がっているだけだ。
こういうのを「光害」と呼ぶらしい。
暗闇を命がけで飛ぶ鳥、
獲物を食らう前に力つきて死ぬ白熊、
火を発見する前の、暗闇にただ怯える化石人類…。
自然の中に生きるものの厳しい姿、
しかし、だからこそ、文明にダレきった我等現代人類からみたら、
それは峻厳であると同時に美しく見えるのだ。
その現代人類の一角である我等日本人。
その言葉のいまのありようは、
言われているようになんだか「ベタ凪」状態なのかもしれない。
美しい日本語などというけれど、
今の日本語の言語状況は遠心力が働かず
ただ求心力が強くなり過ぎている。
そんなバランスの崩れたいまの日本語を
如何して美しいといえよう。
拡散し、異化し、どんどん踏み越えていく
言葉の遠心力をおそるることなく、
言葉の多様性の中に飛び込んで
求心力と遠心力のバランスを取り戻さないと、
我々の「やまとことば」は生命を失い、
たんなる仮名の羅列に過ぎなくなり、
タマシイが死ぬ。
暗闇に飛び込む勇気が、いま、文学者のみならず、
日本語を喋る我々全てに求められているのかもしれない。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/09 19:57:44
暗闇の中を何も見えずに飛び続ける渡り鳥も
保証がないままに飛び込むシロクマも
目的(アザラシが食べたい)があるから
そんな生き方をしているのでしょうか?
もし、そうなら
自分も今日まで無事生き延びてきた体験や記憶を
希望へと繋いで生きてゆけるのだけれど。
投稿: まるち | 2007/01/09 15:56:42
茂木先生初めまして、タンポポと申します。茂木先生を前から好きです。尊敬しています。尊敬から好きへと至る、というパターンでファンになりました。
これはコメントというか、ファンメールです。この場所以外に見当たらなかったので、書かせて頂きました。
更新を楽しみにしています。
投稿: タンポポ | 2007/01/09 14:53:47
私も沖縄の防空壕で同じような体験をしました。
漆黒の闇でまさに”無”の世界…その中で自覚できる
のは、まさに自分の死ということでした。そしてこの
死を自分の中で受け入れることができたとき、初めて
自分の生と向き合える気がしたことを今でも強烈に覚
えています。
そんな経験から”暗闇の中を何も見えずに飛び続ける
渡り鳥のような生き方”、自分の生と対峙する必要性
を私も感じています。
ただ文学的なことで言えば、漱石の場合、西欧文化と
の出会いに対し、それと向き合う地盤として、漢文の
卓越した力があったからこそ、その波に飲まれず、自
分の創造物をあの短い執筆生活で表現できたのではな
いかと思います。
ですから渡り鳥も自らの羽でしっかりと飛ぶだけの力
が必要…。とはいえ、生ぬるい環境の中で甘え、本来
持っている力を開放できずに、停滞している場合が多
いのも事実。
やはり漆黒の闇の中に一筋の光を見出すべく、一歩を踏
み出す勇気が今、問われているのかもしれませんね。
投稿: コロン | 2007/01/09 12:18:58
漆黒の闇を飛ぶ宿命があるとして、渡り鳥として飛ぶ。
命がけの跳躍を選ぶならしろくまとして。
人間としての宿命なんて、どうでもいい。
投稿: 平太 | 2007/01/09 10:24:23