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2007/01/11

たとえ単一文脈では「S字型」に飽和していくにしても

相変わらず忙しいが、メタファーが
変わった。

 「ものすごく働いている」
というよりは、
 「猛勉強をしている」
という風に思うようになってきた。

 結局、全ては学習の過程であるということを
はっきりと自覚したのは、
 去年、たくさんの取材やインタビューを
受けて、いっしょけんめい喋っている
時のことである。

 その場で思念が生成する。
相手のバックグランドや、
媒体の性質、発せられた質問に触発されて、
思っても見なかった何かが立ち上がる。
 つまりは、それは一つの学習の過程であると
悟った。

 普通、「正解」や「最適値」
があり、そこに向かって飽和していく
「S字型」の学習曲線が描かれる。

 このような学習観は、ある単一の文脈に
おいて成立するに過ぎない。

 脳のシナプス変化を全体としてみれば、
開放的に、どこまでも変化し続けていく。

 たとえ単一文脈では「S字型」に
飽和していくにしても、脳全体としては、
それらが接続されて、ずっとつながっていく。

 つながる過程で何が起こるのかと言えば、
それはつまりは知性のビッグ・バンである。
 どこまでも、どこまでも広がっていく。

 宇宙論が専門の、東京大学の須藤靖さんと
「日経サイエンス」の対談でお目にかかった。

 ご専門はダーク・エネジー。
 ダーク・マターが宇宙の中で不均一に
分布するのに対して、ダーク・エネジーは
真空の「基底状態」であり、
 どこでも均一。

 アインシュタインの一般相対性理論に
おける「宇宙項」に相当する。

 今の超ひも理論業界は大変なことに
なっていて、
 可能な真空状態の解が10の150乗 個も
あるのだという。

 「それらの宇宙は、全てあるのです。」

と須藤さん。

 「昼間、青空を見ていると、その向こうに
何か別の世界があるとは思えないでしょう。
 一方、夜、星空を見ていれば、一体
あそこにはどのような世界があるのだろうと
想像力をかきたてられる。
 現在の宇宙論で問題になっているのは、
青空の状態で、見えないものをいかに
想像できるのかということなのです。
 ダーク・エネジーも、10の150乗 個の
宇宙も、確かにあるのです。」

 「月光写真を撮る石川賢治さんが、
まさに青空の遮蔽効果のことを言われていました。
 青空が、その向こうの宇宙を覆い隠す。
 月光で写真をとると、地上のものが
宇宙と直結するのです。
 それともう一つ。青空は、脳の業界にも
あるかもしれません。
 自分の意識は厚く膜に覆い隠されて
いるようなものだから、
 他の世界があることを想像できない。
 せいぜい、他の人間に意識があると
思うくらい。
 でも、本当はアメーバにも原始的な
意識があるかもしれない。
 第一原理に戻り、様々な目に見えないものを
想像することが大切なのは、
 宇宙論も脳科学も同じですね。」

 須藤さんによると、現代の宇宙論の結論は、
宇宙は永遠に膨張し続けるというという
ものだと言う。
 
 さまざまの美しきもの、あだ花、喜びと
哀しみを包摂した宇宙は、
 やがて静かな熱的死を迎えるのであろうか。

 しかし、それもまた10の150乗 個の
宇宙の一つでしかないとしたら。

 EckermanのConversations of Goetheを
読みながら移動。
 
 青春時代、ボクは岩波文庫で読んだ。

 人間の知性は限りなくビッグバンで拡大
していくが、
 自然人としての一人ひとりはやがて死を
迎える。

 それもこれも、まあ、仕方がない。

1月 11, 2007 at 08:17 午前 |

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コメント

『単一文脈では「S字型」に飽和していくにしても、
脳全体としては、それらが接続されて、ずっとつなが
っていく』という考察はおもしろいですね。

茂木先生の場合、知の源泉から湧き出る無限の想像力
を考えると、指数関数的に学習曲線が描かれそうです
が…(笑)。

でも、学習効果をロジスティック方程式として捉え、
さらに学習内容が芋ずる式に発展していく、その学習
過程を見事に表現されていますよね。さまざまな知識
をいろいろなものに転用できる…これも思考力と創造
性のなせる業なんだなと一人感心していました。
(このような書き方をすると失礼かもしれませんが…)

脳の思考の無限の可能性を感じましたし、さまざまな
知識を自分を主語にして考えること、そしてそれらを
どのような切り口で入って、自分なりの考察の座標軸
を設定するのか…「考える」ことの奥深さを改めて思
いました。

投稿: コロン | 2007/01/12 1:13:56

いそがしい、せわしない毎日を過ごし乍ら、つらつら思うことがある。
それは「人生は学習の連続」ということだ。

人の知性は、死を迎えるまで、いろいろな事柄に出会い、そこから何かをつかみ続けていくことが出来る。そのありようは、その人が死なない限り、可能無限に続いていく。

また、実は、茂木さんに出会う前から、脳の中にも「宇宙」があるということを
漠然乍ら感じていた。
否、人脳そのものが、可能無限の宇宙世界なのだ、と思っていた。

私たちの外にある宇宙も、私たちの中にあるそれも、
可能に続く無限大の世界だ。
そこにはダークマターもあれば、ダーク・エネジーもある。

でもやっぱり、自然人としての私たちはその永遠なる知性の連続運動を続けていく間に、寿命が尽きて死んでゆく。

そして、また新しく生まれてくるときに、再び可能無限の学習を始めるのだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/11 17:02:35

       @ 柿の種 @   寺田寅彦  より

詩人をいじめると詩が生まれるように、
    科学者をいじめると、いろいろな発明や
                発健が生まれるのである。
                  (大正十八年八月 渋柿)

  たまには、前触れなしの秋が来たらおもしろいかもしれない。
                  (大正十年九月 渋柿)

投稿: | 2007/01/11 9:20:37

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