お前だけはオレの話がわかっていると思っていたのに!
昨日の話の補足だけれども、
ぼくは、これからの時代に、「ハイ・テーブル」
のような知の集積を実現し、その中で
生きる上で、
どこかの組織に所属したり、
何らかの肩書きを持っていなければならない
とは思わない。
ボクが学部学生だった頃は、
物理学の専門的論文を読もうと思ったら、
物理学科の図書館に行かなければならなかった。
今では、超ひも理論でも、重力理論でも、
最先端の論文が、インターネット上に
(多くの場合タダで)掲載されている。
大学に入試があるのは、キャンパスや
指導教官などの資源が物理的に制約されて
いるからであろう。
そのような制約のないインターネット上の
勉学の場に、「入試」などない。
本来、知は、大学などの組織が
独占しているべきものではない。
グーグルのやっていることの背後には、
かなり一貫した、深い思想が感じられる。
知は、万人に知られることを
求める。
先日の梅田望夫さんとの対談で、
英語で「無料」と「自由」は
同じfreeだという話が出たが、
学術論文のOpen Access化を熱心に進める
人たちが欧米にいるのはなぜか。
そのうち、インターネット上で
勉強し、研究し、ノーベル賞をとる
ような人が出てきたら、世間のパーセプションも
変わるだろう。
もちろん、人との直接対話によって
得られる叡智は大変なものだが、
それを求める人は
学会やワークショップに出かけていけば良い。
日本に横断的に知を総合する
組織がないんだったら、自分で
ヴァーチャルにつくってしまえば良い。
勝手に、どんな分野の研究集会にでも、
ワークショップにでも、出かけていけば
いいんだよ。
考えてみると、塩谷賢は、
大学院を「表裏」9年間いて、
満了で卒業したあとも、
「在野」の哲学者として、どんな研究集会にも
のこのこと出かけていって議論していた。
あれでいいんだと思う。学問の本質は自由だ。
文部科学省が認定し、大学が出す「学位」
は確かにある程度のクオリティの保証には
なるけれども、
その独占の上にあぐらをかいていると、
へたをすれば大学は、
かつて私の大切な友人である田森佳秀が
外務省を評して吐いた名言、
「もったいぶるのが仕事の人たち」
ということになりかねない。
それともう一つ。
日本の入試は、勉学を
他人との比較においてとらえるという
おろかなメンタリティを多くの人に
植え付けている。
少しずつでも進歩する
という喜びは、それぞれの人固有のものであって、
他人と比べてどうこうということではない。
自分の足元を見つめ、確かに昨日よりは
今日の方が進歩しているという喜び。
そのような、個々のペースに根ざした
歩みからじんわりと沁みだしてくる
学びの喜びに依拠すれば、
他人も大学も本当は関係ない。
昨日は
「脳とイノベーション」の話を
するために、
ソニーの美濃加茂工場を訪れた。
大変親切にしていただき、
製造工程を間近に見て
深く感銘を受けた。
日系ブラジル人の方や、
中国から来た方々もたくさん
一生懸命働いていた。
自分の今いるポジションに安住している
いわゆる「学者」よりも、
彼らの方が深い「学び」の中に
いるように思えたのは、なぜなのだろう。
インターネットがもたらした
新しい学びの機会に、皆、もっと熱狂すべき
ではないか。
MITのメディアラボの石井裕さんに
うかがったこと。
元所長のネグロポンティは、途上国の
子どもでも使えるようにと「100ドルパソコン」
のプロジェクトに邁進しているという。
一体どんな熱い思いが彼を突き動かしているのか、
既得権益の談合世界に安住している人たちは
とくと我が身をふりかえってみるのが良かろう。
私の敬愛する渡辺京二さんは、
在野の人だ。
そういえば、この前の駒場の授業の時、
面白いことがあった。
塩谷賢がしゃべっていて、
池上高志と私が「こいつの言っていること、
面白い、ということはわかるんだけど、
何を言っているのか本当にわからないなあ」
とひとしきりぼやいた後で、
また塩谷がしゃべりだした。
しばらくして、ボクと池上は顔を
見合わせた。
お互い、自然に笑ってしまっている。
「やっぱりわからない!」
のである。
授業の後、みんなで懇談していた時、
ふと「ボクはPTSDかもしれない!」
と思って、
池上にそう言ったら笑った。
何しろ、18の春に大学に入ってきたら、
塩谷がいて、
わけのわからない話を延々と聞かされた。
しかも、塩谷には「話し込む」くせがあって、
こちらの都合にかまわず、
歩きながらでも食堂でも飲み屋でも、
延々としゃべり続けているのである。
爾来、いろいろな人にあったが、
塩谷くらいよく意味のわからない(それでいて
含蓄が深そうな)ことを言うやつに
巡り会ったことがない。
18歳の時、よりによってそのような
奇人と無二の親友になってしまった私は、
ジャックポットに当たったというか、
隕石と衝突したというか、
ああ、なんという人生なのであろう。
思わず立ち上がって、塩谷賢に、
「おい、わかったぞ。オレはPTSDだ!」
と言ったら、
塩谷がわらって、
眼鏡をちょっとずらしながら、
「なんだよ。オレは、お前だけはオレの
話がわかっていると思っていたのに!」
と言った。
ははは、悪かった。
何だかボクは胸がいっぱいになって、
人生を心から愛する気持ちになった。
1月 25, 2007 at 08:06 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: お前だけはオレの話がわかっていると思っていたのに!:
» 私利私欲?(2) トラックバック 御林守河村家を守る会
eコミとmixiとに、多くのコメントをいただき有難うございます。
morotyannさまのご助言に私はたいへん感謝していることを
まず皆さまに申し上げねばなりません。
とくに「私利私欲」という言葉をつかってくださったことに、
なにより感謝しているのです。
つまり、島�... [続きを読む]
受信: 2007/01/25 9:34:31
» Jan.25 情報 トラックバック Futashika !
■早朝に目覚める。パリ行きの段取りをしなくてはならないのだけれど何か、手につかな... [続きを読む]
受信: 2007/01/25 12:54:43
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
「日本の入試は、勉学を
他人との比較においてとらえるという
おろかなメンタリティを多くの人に
植え付けている。」
本当に、その実害に苦しんでいる人がいます。
がんじがらめになっている人がいます。
それも、なにがこんなに苦しいのか自覚できずに、
劣等感だけが強烈に刻まれています。
機会を与えられなかった、つかめなかった、
それだけで自分に価値を見出せなくなっている人もいます。
本当にたくさんいます。
その人の魅力をまわりは知っているのに、
本人がそれを否定する。
自分の魅力を必死に探しながら。
投稿: おか | 2007/01/31 1:25:06
熱烈ラブレターに見えました。塩谷さんと池上さんに向けた。
人生に向けた。
私も、こんなふうに思いを、素直に、熱くぶつけたい。
自分が愛する人に。
そういう人生を送りたい。
投稿: 平太 | 2007/01/27 0:22:54
理解度 30% だとしても 満足度 100%
毎日更新 クオリアにっき
私用 誤解理解も 理解の範疇
投稿: 一光 | 2007/01/25 18:45:22
既得権益の談合世界、馴れ合い世界の“弊害”が学問世界のみならず、日本社会を侵食しまくっているように私は思う。
おまけに他人と比べて自分はどうかということばかり強要している。これでは、学問する本当の喜びなんて味わえないだろう。
それならいっそ、フラワーピッグの言うように、ヴァーチャルに横断的な知の統合をなす組織を勝手に作ってしまえば好いのだ。
あっちこっちの大学や講演、ワークショップに出かけていって、そこで総合的教養を磨けば好いのだ。
茂木さんは講演の内容を音声ファイルにして、私達にそれを聴く機会を与えてくださる(私はあまり利用しないけれど、すんません)。深く学ぶ喜びを与えようとしてくださっている…。本当に在り難い、勿体無いばかりだ。
雁字搦めの規制や既得権益の世界にて安住している連中なんかほっといてしまえ。インターネットも使い様、こういう本当に学びの喜びをみなが味わう為に使えば、最高の知性的ウェポンになると思います。
茂木さんの底には既得権益など、人間をダメにする全てのものへの大きな義憤が燃え盛っているようです。
その義憤の炎が、やがて日本の学術界のみならず、社会全体を変えていくに違いない…!
きょうのコメント、滅茶苦茶なる乱文にて相済みません。何卒お許しを…!
投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/25 18:25:01
難しいことをを延々とお話される塩谷さん。。
PTSDも吹き飛びそうな。。すてきなおことば。
そんなことを言われたら、うれしいですよねえ。
いちどお会いしてみたいなあと思いますが、、お二人にもわからないお話なのですね(笑)
・100ドルパソコン・ とてもすばらしいです。
先日のグーグル特集もそうでしたが、
まるで世界の全人口がPCを持っているかのような・・、
あたかも全世界を掌握するような描き方をされるのはどうしてだろうと疑問を感じていました。
なので、途上国のみなさんが同様に学びの機会が得られるように、
そのチャンスを生もうとする試みはすばらしいと思います。
でもPCもつくづく、人に使われる道具なんだなあと、さいきんつよく感じます。
たとえネットの世界が身近なわたしたちでも、生かせるか持ち腐るか・・
あたりまえですが、自分次第なのだなあと。
世界の情報がいくら得られても、
自分の半径数百メートルしか意識が及ばなければ、
あまり有意義ではない気がするし、
まして誹謗中傷や憂さ晴らしのために使ったりしては、ほんとうに意味がなくなってしまいますよね。。
ネットって(仮面をつけて詐欺などする人などもいますが)
やはりふだん隠れている本質が、露骨に現れる場所なんでしょうか。。
先日のウィキペディアのお話もそうですが、
そのうちそういう傾向で、PCを持つ人だけで国民性までが計られてしまいそう。
ネットが与えてくれる学びの機会を生かせるように、
なるべく開襟というか、いろんなことを広く捉えるような姿勢でいたいとおもいます。
難しい論文は読めませんが(笑) ネットの勉強だけでも、
そこまでたどりつけるかもしれないんですね。
ネットサーフィンはいまだに苦手ですが、
せっかくPCを持つ幸運を与えられたのだから、おおいに活用しなければ。。
投稿: M | 2007/01/25 12:26:13
ここにおじゃまするようになって、腹の底から楽しいです♪
投稿: 坂本 眞貴子 | 2007/01/25 12:24:06
ここにおじゃまするようになって、腹の底からたのしいです♪
投稿: 坂本 眞貴子 | 2007/01/25 12:19:15
僕は高卒でフリーターです
僕は十代の頃、勉強すると言うことを否定的にしか捉えることが出来ませんでした
それが今、二十代の終わりにさしかかって世の中が少し見渡せるようになたのか
トリビアみたいですが、知ることの喜びを感じられるようになりました
もし、十代の頃、自分の周りに学問の意味を教えてくれる人がいたなら
僕は受験というものを否定しなかったのですが
当時はバブル崩壊の頃で、様々なモノの価値観が曖昧でした
僕はただ社会を、自分とは相容れない世界というモノを否定し
恐らく、インテリと言われる人たちが作ったモノを否定し
その結果学問を否定しました
もっと早く茂木先生のような知の本質
学問の面白さを教えてくれる人に出会えていたらならと
(直接の面識はありませんが)
煮え切らない思いもあるのですが
でも、それよりも知の本質(とは言え僕が知っているのは初歩の初歩でしかも片寄っています)を知ることが出来た喜びで
今の僕はさらなる知の探求へ意欲を燃やす事が出来ています
情けないことに、僕は限られた情報源からしか自分の知を広げていくことが出来ません
(だから、茂木先生が面白いと言ったので小林秀雄の講演を最近聴いています)
これからも様々な分野の知を僕や同じような(恐らく先生的に知の本質を知らないモノ達も含め)思いで学問の本質を知らず
勉学を憎んでしまったりすらしている人々に伝えていって下さい
(バイト先で現役高校生と話をする機会が多いのですが、みな勉強を苦痛としか感じていませんでした。それは僕がいくら学問の本質を伝えようとしても無駄で、それを僕はとても悲しく思うのです)
それではご健闘をお祈りしています
PS:東大での講義、難解でしたが分かるまで聞いてみようと思います
投稿: 後藤 裕 | 2007/01/25 10:06:23
いい話ですねえ。
投稿: 五十嵐茂 | 2007/01/25 9:02:53
やっぱり、茂木先生はすばらしい!!! 私は理解しています。
知を開かれたものにするために、出掛けられない人たちにも、音声ファイルを提供してくれていますし。
今まで、そんな革新的なことをやられている先生は知りません。
愛のある行為だと思っています。
だから、私はとても尊敬しています。(先日の東大のはまだ聞いていませんが)
夕べのコメント変だったのは、お許し下さい。
久々に赤のトレーナーを着て、引っ越しの荷作りをしていたら、
頭がへんてこになってしまったのです。
投稿: tachimoto | 2007/01/25 8:47:22