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2007/01/12

火山爆発

世の中には悪意や偏見に満ちた人が
いるもので、
 もぐらたたきと同じできりがないから、
基本的に放っておくことにしている。

 勉強しなければならないこと、
やらなければならないことが沢山あるので
(『脳とクオリア』の内容の大幅な改訂、
現代の脳科学の水準に合わせたupdateと、
英語版の完成はもっとも重要な課題だし、
学生たちと書き終えなければならない
論文も沢山ある)
 外に表出するものは100%愛と美と真実に
捧げられた「白魔術」
で良いと思っている。

 この日記を読みにきてくださった方々が、
より人生を愛するような気持ちになるように、
そんな内容を書くように心がけている。

 それでも、時には大魔神の顔が変貌する
こともある。

 『プロフェッショナル』の収録の時、
有吉伸人さんが、開口一番「いやあ、茂木さん、
ブルータス読みましたよ」と言われた。
 
 「あの中に、茂木さんは子どもの時から
口げんかでは負けたことがない、と書いて
あったでしょう。あれが印象的だったなあ」

 確かに、私は議論(ないしは口論)
をする時には大変激しく火山爆発をするので
あって、そのようなマグマはいつも
潜在的に胸の中にある。

 アマゾンの書評やブログなどで
悪意に満ちた記述をたまたま見た時など、
腹を立てると同時に、
 「ああ、かわいそうになあ。この人が
もしボクとリアルに会ってしまったら、
徹底的にやりこめられるだろうなあ」
と想像して、にやにや、しんみり
してしまう。

 もっとも、日本のネットは匿名文化なので、
相手が見えない。だから始末におけない。

 しかし、個人がその責任において書くことは
自由だし、
 また、ネットの世界は次第に脳の神経系のように
興奮性と抑制性の結合のバランスが個性につながる
ような場所になってきているように思うので、
基本的には放置して、創造的なことに
集中するのが正しいと思うようになってきた。

 ただ、同じネット上の記述でも、
「パブリック」な側面を持つものは別である。

 しばらく前からwikipediaの私に関する
記述がひどいことになっていていることは
知っていたが、
 でもまあいいか、放っておこうと思っていた。

 昨日NHKの『プロフェッショナル
仕事の流儀』の収録に、
早稲田の付属校の生徒が取材に来た。

 「オレ、早稲田でも教えているんだよ」
と言ったら、「何を教えているんですか」
と聞くから、
 「現代の脳科学」という講座だよ、
と言ったら、
 「心の哲学じゃないんですか」と聞いた。

 それで、はああ、これはあのwikipediaを
読んできたなと直覚した。

 その瞬間、こんな素朴な高校生まで感化する
wikipediaに偏見に満ちた記述があるという
状態は、放置していてはいけないのだと思って、
即刻行動に移すことにした。

 wikipediaの指針には、本人に関する記述は
それ自体に直接手を入れず、ノートに記せ
とあるので、
 ノートを書いた。

 本人が直接記事に手を入れるのは
どうかと思うので、
 誰か、修正してくれないか。

 wikipediaの日本語版は、全体としては
良く出来ているけれども、英語版に比べて
時に恣意的かつ悪意に満ちた記述に満ちて
いると思う。
 日本人の心性に、「パブリック」とか
「フェアネス」という視点が乏しいことの
反映であろう。

 wikipediaに対する私の不満には、伏線がある。

 今でもずいぶんひどいが、一時期の養老孟司
さんに関する記述は全くのデタラメで、
 しかも底意地の悪い偏見に満ちており、
無茶苦茶だと思っていたが、私が口を出したら
余計混乱すると思って放っておいた。

 その後、ノートであまりのデタラメぶりが
指摘されて一部修正されたが、
 今でも公平を欠く記述であることには変わり
がない。

 英語版のwikipediaではあり得ない事態であろう。

 しばらく前に、「バカの壁ハウス」を
訪ねた時に、二人で庭の端に立っていた時、
養老さんが昆虫の分布に関する研究について
お話されて、
 その後、「ぼくにしては珍しく論文を書くことに
したんですよ。ははは」と言われた。

 何だか、ちょっと寂しそうだった。

 それで、ボクは、養老さんはひょっとして
wikipediaの記述を読んでいるんじゃないかと
直覚した。

 養老さんに、そんな思いをさせていい気に
なっている輩どもが、許せないと思った。

 どんな人でも、出っ張っているところと
引っ込んでいるところがある。

 養老孟司という人には美質や叡智があるから
人気があるのであって、
 現在のwikipediaの記述は、著しく
公平さに欠けている。

繰り返すが、英語版では、あり得ない事態であろう。

 wikipediaの記述については、
看過できないと決めたので、
 養老さんの項には、ノートを
付け加えておいた。

 近いうちに、適切に修正されなかったら
半保護の解除を申請して、オレが直す。

 こっちも忙しいのであって、
頼まれもしないのに他人のことに対して
偏見に満ちた記述をする人の相手を
している暇もないのであるが、
 この点については許せないと
思う。

 場合によっては、wikipediaの運営
母体自体に、一体どのような方針の下に
養老さんに関するあのような記述を放置している
のか、問い合わせることにする。

1月 12, 2007 at 07:13 午前 |

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» wikipediaは公平か? トラックバック 一人シリコンバレー男
おそらくインターネットを使い情報収集をするユーザの多くが目にするであろう、 「w [続きを読む]

受信: 2007/01/13 11:57:32

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受信: 2007/01/14 4:53:52

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■♀■  昨日(2.2)クオリアMLに以下の投稿をした。まあ「ND守旧派」としてみれば、私の投稿を大会前まで禁止することで、「覆面自由集会」(「松山蜂起」)を阻止したいのだろう。ただ、はたして彼らの思惑通りになるかどうか?私の予想では、彼らは、寝た振りをしていた「虎」の尾を、思いっきり踏んでしまったようだ。もちろん、仮に「虎」が寝たままでも、私は「竜」となって3.19「松山蜂起」は必ず成功させる! ■♂■ 茂木さん、クオリアML諸氏、及び諸先輩各位様 ▼「Q(クオリア)進化論革命」を... [続きを読む]

受信: 2007/02/03 13:03:46

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確かに fashionable だ。しかし私としては、例えばヤリイカを飼うためだけに五年間苦悩し続けた松本元の方こそ本物に思えてならない。少なくとも池谷裕二を読んだ時に感じた、「科学の現場を作る人」という印象を茂木健一郎から受ける事はなかった。 404 Blog Not Found:書... [続きを読む]

受信: 2007/05/08 4:09:19

コメント

悪意がある記述のこととはニュアンスがズレますが、ウィキを自分の専門分野だけ見ると、間違いも多いです。ということは、それぞれの専門職が自分の分野を見ると間違いが多いはず。そういう部分は週刊誌だと思って見てます。

投稿: わかります。 | 2007/01/26 13:15:44

私もチビなくせに「子どもの時から口げんかでは・・」
老若男女を問わず、あまり負けた記憶がありません。
茂木さんの仰る「火山爆発」のマグマのようなものを
密かにいつも抱えているように思います。

「 この日記を読みにきてくださった方々が、
  より人生を愛するような気持ちになるように、
  そんな内容を書くように心がけている。   」
私はクオリア日記を読ませていただきいつも、より人生を愛するような
気持ちに、なっています。  いつも ありがとうございます♪

私も養老先生が大好きで
「 養老孟司という人には美質や叡智があるから
  人気があるのであって、 」    そう思います。
 
今日は
表紙が可愛い『ブルータス』をじっくりゆっくり反芻しております。
日記にある記念講演会の音声ファイルも、拝聴させていただきます。

投稿: tomo | 2007/01/16 13:52:58

私も、少し前に、会社のメルマガで、「セレンディピティ」の話を紹介するために記事を考えていたとき、茂木さんの自己紹介がないかと、はじめて「wikipedia」を見ました。

私は、脳科学についても疎く、茂木さんの文学的なところ、哲学的なところが大好きなので、「脳科学者ではなく心の哲学者」と書かれていることについて、、「そうなのかーぁ」ってつい思ってしまったところがありますが、読む進めていくうちに、その変のものでも扱うように批判的に書かれていることに対して、そうなのか? ホントにそうなのか?
と、ちょっとショック状態になってしまった。 茂木さんのいうように、ウイッィキが公共的な面が強く、アメリカでは、市販の老舗辞書とほぼ遜色ないレベルという話を本で読んでいただけに、 私も早稲田の高校生と同じ状態になりかけてました。。。
それで、この記事を茂木さんはどう捉えているのか気になりました。

私が茂木さんと養老さんにはまって約1年、周囲の色々な人に茂木さんの本のすばらしさを、伝えてきたました。
私の周辺では、茂木さんの認知は相当あります。
よく「あなたがよく言う茂木さんって何ものと聞かれ」、「すごい脳科学者なんだけど、文学とか、哲学もすごい人なんだ。。」といっていたのに、「脳科学者というより、、、」なんて、本当か??って

このクオリア日記で、茂木さんの強い怒りを知ったことで、大変失礼ですが、うれしくなりました。
茂木さんにとって、相手にするのは、時間の無駄かもしれませんが、
時には、不動明王のように怒りを爆発して、正義の鉄拳をふるってください!
誰か、脳科学に精通してて、茂木さんのよき理解者がいれば、訂正をお願いしたいところです。

もっとも、ご自身より養老先生のことが、許せないと思いますが、

投稿: ヒマワリ | 2007/01/13 17:16:10

カーデザイナーの奥山さんがプロフェッショナル仕事の流儀で
口角泡を飛ばし議論していたイタリア人が、ふっとやめて
仲良くコーヒーを飲みに行くとおっしゃっていましたね。
それに対して日本人は普段はなあなあなのに、突然爆発すると。

それと同じ物を感じます。

表に出さずに溜め込んで、裏で陰湿に発散する。
それが日本人だからなのかは分かりませんが
他人を揶揄して悦に入る人物というのは
テレビをつければあちこちに見かけますから
やはりそうなのかも知れません。

ディタッチメントの感覚が足りないのでしょうね。

投稿: 大栗 勝 | 2007/01/13 9:18:34

すみません、さきほどのコメント、 知性 → 知能 でした。
茂木さん、お手数をおかけしてすみません。。

投稿: M | 2007/01/13 4:58:53

人生を愛せない時があります。
そんな時特に、茂木さんの言葉は大きくて温かい背中のように感じます。
今日も家に、どこへも帰れなくてつらかったけれどブルータスを
時間つぶしで入ったファストフード店でじっくり読んだ。

茂木さんの考え、今思っていらっしゃることや言葉を読み進めているうちに、涙止まらなくなった。なんでだろう。

温かで大きくて愛いっぱいの背中に思えた。ちょっともたれさてください。

ありがとう。大きな背中。

他者 グレープフルーツジュース
を参考に今日、家に帰ってきた。

中沢さん、羽生さん、との対談特に。

投稿: 平太 | 2007/01/13 1:16:03

茂木さんは時代から呼ばれたヒーローだ。啓蒙しようとしているのでは決してなく、時代が茂木さんを呼んでいるのだ。不安で先のわからない、絶望的なこんなご時世に、茂木さんの発言はぼくらに希望を見出だしてくれたり、生きる為の大切なヒントを享受してくれる。人生に直接響く素敵な言葉や態度をこれからももっと大胆に過激にぼくらに表明していってほしいと思う。

投稿: 長尾みつる | 2007/01/13 1:15:07

『ウィキペディア』に関して、茂木先生と養老先生の紹介文
をともに見させてもらいましたが…確かにひどい悪文であり、
”ペンの暴力”としか思えないものでした。

百科事典を自認するのであれば、真実性の厳格な証明のもと、
公益を図るものとして記事を記載すべきです。その視点が全
く欠落しています。

表現の自由とは、本来、 J.S.ミルが『自由論』の中で示唆
したとおり、その自由によって誤謬を真理へと到達させる機
能を果たすことを期待しているからこそ、認められているは
ずではないでしょうか。他人の名誉を毀損し、社会的評価を
傷つけるものとしては決して認められているはずがありませ
ん。

今回の茂木先生の言動を全面的に支持しますし、応援してい
ます。

投稿: コロン | 2007/01/12 19:06:41

ある夏の夜、あなたは明日の大事な仕事に備えて
早めに寝ようとしていた。が、どうもさっきから
あなたの顔の周りを数匹の蚊がチョロチョロと
飛んでてプ~ンと言う耳障りな音が気になって眠れない。

明かりを付けて蚊との戦闘を開始する覚悟を決めた
あなたは手慣れたように蚊達を全滅に追いやった。
これで一安心と思って、気分良く寝付こうとしていたら
またどこからともなく蚊がやって来た。あ~もう!

さっき退治したばかりなのに、一体どこから?
蚊の出入り口となる窓の小さな隙間を見つけた。
そこであなたは衝撃的な恐怖の蚊達の因縁を知ってしまう。
実は以前にもあなたは蚊を大量に殺していて、蚊社会では
あなたの血は蚊達に徹底的にマークされてしまっていたのだ。

蚊に付きまとわれる毎日であなたは終に仕事で大きなミスを
やってしまう。これも蚊のせいだ!と蚊に執着して
もどかしい痒さと悔しさで腹を立てて蚊を今日も潰していく。

事実、蚊がミスの原因ではあるが、問題なのは蚊=悪だと
認識して蚊と戦争を繰り広げたあなたが99%悪い。蚊を何だと
思ってるんだ!?蚊だって生きてるんだ!どうしても蚊が嫌なら
蚊の居ない場所を確保すれば良いだけであって、蚊は何も悪くない。

蚊と共存する道を選んだあなたが悪い。蚊に罪の意識は無い。
いくら蚊を説教して説得させようとも蚊は聞く耳を持たないだろう。
蚊はしょせん蚊。蚊の仕業で人生台無しにされようとも
結局は自業自得なのである。苦しみから解放される一つの手段は
蚊の居ない所へ逃げる事。そして蚊の存在を忘れる事である。


偉大なるモスキート博士ならきっとこう諭してくれるだろう(´w`)

投稿: インフェルト | 2007/01/12 18:41:46

日本のネット社会がいくら匿名性に守られているといっても、その匿名性に隠れて、嘘や偏見に満ちた意見をタレ流していいのか。
実は私も、昨年末に日本版「Wikipedia」の茂木さんについて書かれた事項を見て、
“これは酷い!”と思い、拙ブログ「パンドラの函」にてWikiの当該事項への批判記事を書きました。

「研究者コミュニティーにおける基本的文化に照らして(茂木さんが「脳科学者」と名乗っていることは)あまり好ましいものだとはされない」とは、一体、何事ぞ?

茂木先生が御自分の立場を如何名乗られようが、
自由ではないか!脳科学を扱っておられるのだから、
脳科学者と名乗って上等ではないか!

茂木先生は、現代脳科学では解くのが
きわめて容易ならざる意識・質感の発生起源の解明の為、
いろいろな文化のジャンルに果敢に飛びこんで、
その起源を探ろうと日々ご苦労為さっているのだ!! 

Wikiでの茂木先生に関する記述は、
科学の枠を越境してでも、
難問の解明に命がけで挑戦する、
真摯な学者を異端扱いする
=排斥しようとする行為以外の何ものでもない。

聞けば、Wikiの日本版は、茂木先生だけでなく、
養老孟司先生に関する記事でも
デタラメ丸出しのことを書いているそうではないか。

まったくあの「2ちゃんねる」と根っこが同じなのではないか。
そんな気がしている。

そういえば、きょう仕事を終えて新橋駅へ来たときに、
キオスクをちらとみたら、『夕刊フジ』の大見出しに
なんと「2ちゃんねる停止」とあるではないか。

Wikiの日本版も、あまり、特定人物や特定団体に対し、
デタラメや悪意の記述を繰り返すと、
2ちゃんねるのように「停止」するハメになりますよ、と
私は言いたい。

茂木先生、悪意や悪罵をされるは賢人・先駆者の常で御座います。
また、至高の賢人であられるなによりの証拠で御座います。

ネットやリアル社会で為される悪意や悪罵に屈する事無く、何卒、ご自分のライフワークを貫いていただきたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/12 18:24:23

口ron!

イーシャンテン。

サイキックヒロインも同じく・・

時には大変激しく火山爆発をするので
あって、そのようなマグマはいつも
潜在的に胸の中にある。

投稿: K婆さん | 2007/01/12 18:21:36

 匿名執筆にはそれにおける理由や信念があるでしょう。だからこそ、執筆の内容を一見すれば、卑怯に置かれる匿名執筆はすぐにわかる。名前を伏せる事で執筆の内容が過剰になりがち事は必然である。だからこそ、匿名での文章には人としての道徳を強く要求したい。私は今は匿名だが、匿名だとは思っていない。より多くの読者が求めてくれれば、いつでも本名を明かすつもりでいる。それは匿名にこそ、本名以上の誇りを持っているからだ。私も、養老先生に関する無茶苦茶な書き込みにはほとほと愛想が尽きていたところだ。養老先生がもしもその書き込みを目にしていた、と想像すれば、私の怒りも天に届きそうになる。素晴らしい人を幼い見解から愚弄するとは嘆かわしい事だ。子供を叱る感覚に近い憤怒だが、比べようの無い悪質な憤怒が胸を過ぎる。嫌いな対象には触れない事だ。どう転がっても、良質なものは生産されない。

投稿: タンポポ | 2007/01/12 16:48:49

英語版とは違うんですか。。
日ごろ諸国のかたと接している茂木さんから見て、やはり日本は弱いんですね。。

同じ人種なので、なるべく良いほうに考えますが、 
知性とフェアネスが比例しないことも多いんでしょうか。。

狭い世界で生きているわたしも、
自他の境界が曖昧な人が多いのかな・・とは日ごろ感じます。

なので、茂木さんという存在に、すごくほっとしています。。
ありがとうございます。


投稿: M | 2007/01/12 16:22:50

毎朝コーヒーをすすりつつ・・・
この日記を読みにきてより人生を愛するような気持ちに
・・・なって一日を送っています。

ガンバってください。

投稿: まるち | 2007/01/12 13:03:59

言葉がひとに与える力とは、凄まじいものですね。 鋭利な刃にも極上のコーヒーにもなります。 せっかく生かされているのなら、何事も良い点こそを見つめたい、そうすることで前に進んで行ける と思います。 「脳とクオリア」は、背伸びをして購入。 日記を読むことで、様々な好奇心が湧いてきます。 心より感謝申しあげます。

投稿: やまぼうし | 2007/01/12 10:31:46

茂木さんの発言、思考にいつも大きな示唆と勇気とを得ております。今回の件に関し、3年ほど前に考え、書いた短文がありますので、記載させていただきます。

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日本社会における同化/排除の圧力

2004 年イラク人質事件において、「日本社会にかけた迷惑」を理由として被害者/被害者家族を糾弾する匿名/実名の非難は、日本社会における同化/排除の圧力が強いことを示している。息子が1972年の連合赤軍の殺傷事件に関わった父親が、世間の非難を受け、一人が辞職、一人が自殺をしている事実とも通底している(柄谷行人『倫理21』)。「世間」の名のもとに共同体内の道徳を押し付けていくさまは、自由な個人、倫理を有する個人を否定している。
日本社会内部に、こうした「世間」を代弁した非難を行う個人が複数表れ出てくる、そしてそれに異を唱える声がほとんど見られない、あるいは抑圧されるのは、どんな要因があってのことか?
ひとつの要素は、過敏な感情と、それに基づく厳しすぎる判断ではないか。大澤が指摘するように、存在を許しがたいと考える他者とは、決定的に自分と異なっている存在ではなく、むしろ自分とほとんど同じアイデンティティを共有するにもかかわらず、差異を有する存在だ、と捉えられないか。例えば、イスラム原理主義集団にとってのイスラム政権、あるいは大多数の米国人にとっての、(米国憲法を共有しているはずの)キリスト教原理主義テロリスト集団など。

上述の「世間」の反応以外にも、例えば「出る杭は打たれる」という言葉がある。対抗する言葉として「出過ぎた杭は打たれない」とも言われるが、これについても「べしみ」という物言わぬ抵抗の権利を持ち出し、(出過ぎた杭に)応答しない/無視するという抑圧の可能性が排除されていない。これらも日本における同化/排除の圧力を示す例であろう。
こうした抑圧の要因として、「過敏な感情」を挙げたが、それはどのような感情だろうか。おそらくは、人は個我に基づく権力意識を捨て、「大人」として振舞うべきだという美学ではないか。強い自己主張や行動を嫌うという価値観に基づく、自己/他者牽制の感情。そうした感情に自ら強く束縛されて育ち、生活しているがゆえに、それからの逸脱者を「世間」の名において意識的にも無意識的にも排除する行為。(自己主張/自己顕示しないという)同調からの逸脱に対して、過敏に反応する。権力意識に過敏に反応するのは、自ら権力意識が強いからに他ならないであろうから、権力意識を持った個人を同調圧力によって抑圧する社会とは、とりもなおさず権力意識を持った個人が充満している社会でもあることになる。仮に権力志向の程度の分布が同じ構成メンバーからなる集団を2つ用意して、仮想的に権力志向を内向的に抑圧する規範を持つ集団と持たない集団が用意できたとしよう。前者のように権力意志が抑圧され内向する集団においては、それらが外向的に処理される集団においてと違って、権力志向により注目が集まっている集団であり、微小な差異が「問題」とされ、早期に摘み取られることが重要になる。かくして前者においてはその「敏感なセンサー」ゆえに権力志向が増幅されるがごとき状態を示す。この権力志向の抑制という美学としての価値ゆえに、同調/抑圧/排除が正当化され、または消極的にであれ支持、受容されて、結果としてそのような集団の特徴が維持/助長されることになる。

投稿: 中村秀規 | 2007/01/12 9:53:55

「ウィキペディア」ってこういう2ちゃんねるばりの悪意の透ける文章を集めているところなんですかねえ。でもこれはある匿名執筆者像を示すうえでは格好の見本になりそうです。ろくに茂木さんの本も読めていないことが素人の私にもわかるレベルです。これがもし脳マッピングを脳研究と等値する立場から行われたとするとなかなかその人たちの心情だけはよく出ています。「研究者コミュニティーにおける基本的な文化に照らして、あまり好ましいものだとはされない」なんて爆笑ものですね。こんなふうに研究室の学生には言っているのか知らん。わざわざご苦労さんなことです。しかし、この放置は「ウィキペディア公害」ですね。

投稿: 五十嵐茂 | 2007/01/12 9:12:08

時代の申し子のように人々に伝えることをお仕事にされるかたが必ずいると思います。そして正しい方向であればあるほど、流れについていけない人間、何か心に不を持っていて流れが心地よいと感じれない人間が、ぐだを捲きますね~一人でも茂木さんさんや養老さんの社会的平均値からの発言ではなく個人のありのままの言葉を必要としている人間がいるのら、もっとあまのじゃく的に発言されてもいいのではないですか?出るくいはうたれるーしかし出過ぎたくいは見とめられると思います。
私のような若輩ものがお伝えすることではないのかもしれませんが、お忙しい方なのに あらゆる人間の機微にいちいちお付き合いされているとお時間がもったない。そう痛切に思いました。全てのことに正解はありませんし、あったとしても人間の一生の中で見つけれるものも少ないと思います。
どんどん邁進されることを応援しておりますよ!

投稿: もじゃ | 2007/01/12 8:52:39

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