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2007/01/02

重い本格的な音楽を聴くのはそぐわない

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを
ちらちらと見た。

 ズビン・メータは、ミュンヘンで
『トリスタン』を振るのを見たことがある。
 ウィーンでは、スターツオパーで
一年に一度行われるウィーンフィルの
演奏会がやはりメータだった。

 どちらも、メータはスコアなしで
振っていた。
 昨日のニューイヤーコンサートも、
もちろんそうであった。
 
 メータはインド出身の人だが、
私の中では、なんとなく超絶的
かつ数学的なマインドを持った人
というイメージがある。

 ニューイヤーコンサートの構成は
良く出来ているといつも感心するが、
 演奏される音楽はライトウェイトの
もので、新年で気分が浮かれてでも
いなければ普段のコンサートで
あえて聞こうとは思わない
ものが多い。

 それが、あの特別な機会、設いの
中で接すると格別な味わいがある。
 ああいう時に、重い本格的な
音楽を聴くのはそぐわない。 
 
 思うに、シリアスな音楽というものは
どこか宗教的な風合いがあるのだろう。
 
 普段着の、日常的生活をこそ称揚したい
という立場からすれば、
 それにふさわしい音楽があるはず。

 ボクは、楽友協会ホール中のあの
コンサートは、ウィーンの人たちにとっては
かけがえのない「日常」に違いないと
思う。

 新年には、ふだん何気なくやり過ごしている
日々の生活をこそ褒め称え、味わいたいという
気持ちはどこの国でもあるのではないか。

 育った土地に帰り、子どもの頃の自分を
知っている人たちと挨拶をかわしていると、
 次第に精神のかたちが自然体で、
等身大になってくる。

 いろいろな概念や情緒が疾風怒濤のごとく
吹き荒れていた海がとつぜんナギとなり、
 そんなに肩肘張らなくていいじゃないか。
 もっとリラックスしろよ、となる。

 あぶないあぶない。正月が一年に一回で
良かった。毎日あってはつきたてのモチの
ようにふにゃりと延びきってしまう。

 まだ見ぬ土地へ、もっと遠くへという
遠心力でふだんは生きているから、
 一年に一回くらいは求心力の
日があっても良いのだろう。

 ヨーロッパでのコンサートというのは
随分行っていない。

 ミュンヘンの国立劇場や、
 ウィーンのスターオパーの入り口を
またくぐりたい。

 森閑とした雪の中を歩いてみたい。

 正月2日目にして、もう遠心力が働き
始めている。

 でも、その行き先はニューイヤーコンサート的
なものではないと思う。

1月 2, 2007 at 06:42 午前 |

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受信: 2007/01/02 21:17:08

コメント

私もウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見た。
ズビン・メータが印度人とははじめて知った。

そのメータが、東欧の一員だったブルガリアとルーマニアが
EUに加盟すると述べると、会場から大きな拍手が起こった。

新年の寿ぎにはやはり重たい本格的な音楽を聴くよりも、
軽快で明るいシュトラウスなどの作品が似合う。

ウィーン世紀末の暗く重苦しい時世に生まれ、そんな時世だからこそ愛されたシュトラウスなどの作曲作品。

それがウィーンっ子たちの気性にピッタリ来たのだろう、
今ではあのコンサートも含めて、シュトラウスらの作った音楽は、
彼等にとってはかけがえのない「日常」となっているのだろう。

暗い時代から明るい音楽が生まれる。
シュトラウスもモーツァルト同様、
あの時代のウィーンの、暗く鬱屈した思いを明るい軽快な音楽に変えて、
人々に送り届けた「白魔術」の達人だったのに違いない。

シュトラウスだとて、結構否定的な思いとか、
暗い気持ちとかを抱いていたに違いない。
それを明るく軽快で、美しい音楽藝術に昇華させたのだ。
そして現在までウィーンの人々の心を軽やかにし、
また世界じゅうの人々をうきうきさせてきたのだ。

スコアなし、暗譜で指揮をしていたメータは、
ひょっとしたら茂木さんの言う通り
「超絶的かつ数学的なマインド」をもつ人なのかもしれない。
印度出身だからそうなのかどうかは分からないが、
印度出身の偉人たちは、古くは釈尊、タゴール、ガンディーをはじめ、
何故かみな、超絶的なマインドを持った人々が多い。

翻って日本では、そういう「超絶的かつ数学的マインド」を持つ人が
いるのかどうか?探せば結構いるかもしれないが。

メータも音楽の道に行かず、数学者になっていたなら、きっと世界有数の数学の大家になっていたのかもしれないなァ。

茂木さんに、1日も早く今の多忙さから多少解放されて、ヨーロッパの音楽会に行ける日がこれますように…。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/02 12:24:59

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