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2007/01/03

あの日と同じような気分がどこかになければ

青春時代は、とにかく大量の文字を
書き綴っていたものだなあと思う。

 インターネットの発達した今とは全く
違うと思うのは、
 誰かに見られたり、公開されたりする
ということがまずは考えられない
という点である。

 胸の中に熱いマグマがあり、
それが出口をもとめてさまよっている。
 しかし、その結果吐き出されたものは、
とてもひとさまに見せられるようなもの
ではない。

 痛々しい。
 しかし、あのような時代が
あって良かったと思う。

 古いノートの一つを見返していたら、
 23歳の時(法学部に学士入学していた時)
に書いた日記の断片のようなものがあった。

 大学時代の親友、塩谷賢の人生の
転機に接して、深く心を動かされた
ということが書いてある。
 このメモを発見するまで、そんな
ことがあったということを
すっかり忘れていた。
 
 人間の記憶などというものは、
そんな程度なんだろう。

1985年12月13日のノートから

 ショック!
  ショック!
   ショック!

 塩谷が厚生省に行くというのだ。こんなショックな
ことがあろうか。
 彼は「人類の中で最初の水の外に足を出すカエルに
なる」と言った男である。
 僕の大学1、2年の時の良き友人である。

 俗っぽい所など、一かけらもない男だ。とにかく、
踊っている男だ。はっきり言えば、天才だ。

 食堂(駒場)で彼は語った。

 「学者というのは、あるばくぜんとした、
未知の、わけのわからないもの、つまり山みたいな
ものに、いっしょうけんめいトンネルを掘っている
のさ。山の形はよくわからない。山が2つあるのか、
3つあるのか、それもわからない。」

 「数学は、あるきちんとした枠にあてはまっている。
その枠が次第に、細かくなってきた。数学者になるため
には、その枠に自分を入れなくてはならない。」

 「現代の学者は、みな知的労働者にすぎない」

 塩谷よ。お前の気持ちは非常によくわかる。
お前は、ガリガリのガリ勉ではない。お前の
精神はしなやかだ。

 しかし、これが人生というものだろうか。
お前も、内面と外面の分裂の中で生きて行く
のか・・・

 とにかく、お前の話はおれを厳粛な気分に
させてくれた。人生というのは・・・なんというか
・・・一面的には見ることのできないものだな。
 
 塩谷よ。お前は、いつか絶対に水の外にはじめて
足を出すカエルになると信じて待っている
からな。

 この日の後どうなったかというと、
塩谷は厚生省に入った。

 そこで知り合った女性と結婚して、
普通とは逆の「結婚退職」をして、
 駒場の科学史・科学哲学の院生となった。

 その後博士を「満期退学」して、
「在野の哲学者」として今に至っている。

 「最初に水の外に足を出すカエル」に
なるというのは、
 学生時代の塩谷と私がいつも言い合って
いたことだった。

 あてもなく歩きながら、喫茶店で、
酒を飲みながら、そんな途方もないことを
吹かして、怪気炎を上げた。

 その一方で、自分たちの将来が
どうなるのか、不安で仕方がなかった。

 だから、塩谷の生涯の帰結が、
わが事のように重なって、
 私は打ちのめされたのだろう。

 確かなものなど、一つもなかった。
ただ、自分たちにとって大切な問題が
いくつかあり、それらに寄り添うこと
だけを知っていた。
 そうすることだけがたよりだった。

 古いノートの断片を目にして、
将来が茫洋として雲をつかむような
ものであり、
 しかしだからこそ無限定な希望が
熱くこみ上げてきていた、
 青春の日々を思い出した。

 肝心なことは、私は、
いつまでもそうでなければ
ならないと信じているということだ。

 今だって、あの日と同じような気分が
どこかになければ、ボクは看板を下ろして
しまいたいと思う。

 久しぶりに塩谷に会いたくなった。

1月 3, 2007 at 08:19 午前 |

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» 新年の挨拶とモ・ジュストとリズム トラックバック 雑念する「からだ」
みなさま、あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 …なんて年始の挨拶をとりあえずしてみたけれど、昨年末はいろいろなことがあって、右往左往しているうちに、あっという間に年を越してしまった。 去年一年を振り返ってみれば、たしかに一年を..... [続きを読む]

受信: 2007/01/03 19:10:19

» それを読んで… トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
       それを読んで…    その文章ごと、          そっと引き寄せて抱きしめたい思いになりました。        *    おそらく、セピア色の記憶の中で綴られたであろう文字は    私の記憶の欠片を揺り起こし…    身体感覚で言えば    背中の… そう… 肩甲骨から背骨に沿って    あるいは鳩尾の奥のほうが    小刻みに振るえているかのような。    … ええ、そのように、私には「感じられる」のですが。   &nbs... [続きを読む]

受信: 2007/01/04 0:48:06

コメント

青春時代は、確かなものが何もなくっても、
自分達にとって切実な問題に寄り沿うことだけがたよりな時代だ。

しかし、時としての青春は過ぎ去っても、
心意気としての青春は過ぎ去ることはない、
前向きな精神さえあれば。

茂木先生は、いつも、前向きに人生を生きようとしておられる。
前向きな人のなかにはいつも、
明日への希望という名の灯が死ぬまでともっている。

その灯を何があっても消さずに、
何時かはリミットがくる人生を
生き抜いてほしいと願うと共に、

こんなコメントを書いている自分も
胸の希望と言う名の灯を消す事無く、
前向きに生き抜いてゆきたく思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/03 14:29:32

      あの日に帰りたい  蚕

生まれ出 悩みのこたえ あの日にはなく

               絹織り  先を おもう

今が十年前になるころ
           もめん絣で 暮らしていたい   

    実は数年前より 部屋着 久留米かすりのモンペです。
     
       

投稿: 一光 | 2007/01/03 12:26:21

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