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2007/01/19

インテリジェンス

インターネットが出現した
後の世界で最も大切なものの一つは、
 「偶有性」である。

 半ば予想できるが、半ば偶然で
予期できないもの。
 「大数の法則」で押さえ込まれる
べきノイズではなく、
 むしろ創造的に人生を
送るために不可欠の糧として利用すること。

 明治神宮の森を抜けて早足で
歩いた。

 雨上がりの空から降ってくる
太陽が、木々の切れ目から地に落ちて、
神々しい回廊をつくっている。
 

 光の粒を浴びながら思う。

 「私」そのものが偶有的な存在である。
 偶有的な存在でなければならない。
 そうでなければ、この世をいきいきと
生きることはできない。

 本居宣長や小林秀雄の言う
「もののあはれ」は、つまりは
内なる偶有性に自分を託すという
ことでろう。

 もちろん、その過程では、
精神の激動があり、
 感情の荒波があり、
 浮き沈みがある。
 
 そのような内なる偶有性の海に
うまく航海して行くことができるということが、
 最高の意味での「インテリジェンス」
なのではないだろうか。

 人間には一種の認知的な免疫系があって、
異質なものを拒絶したり、
 排除したりすることによって
自分を保とうとする。
 しかし、それでは、
たった一度のこの浮き世を生きる
甲斐がないだろう。

 しばらく前に、竹内薫の日記に
書いてあった
 入国管理局のホームページの文言に、
私は心底あきれた。

(引用)
 「 法務省入国管理局では,「ルールを
守って国際化」を合い言葉に出入国管理
行政を通じて日本と世界を結び,人々の
国際的な交流の円滑化を図るとともに、
我が国にとって好ましくない外国人を強
制的に国外に退去させることにより,健
全な日本社会の発展に寄与しています。」

http://www.immi-moj.go.jp/

 「好ましくない外国人」とは
何か?
 「健全な日本社会」とは何か?
 つっこみどころ満載だが、
本人たちはまともなことを言っている
と思っているのだろう。

 このような文言は、必ずしも
悪意から出るのではなく、
 むしろインテリジェンスの欠如
に由来するものと思われる。
 
 読むべきものを読み、
聞くべきものを聴き、
 感じ、揺れ動かされ、
 新たな自分に生まれ変わったという
経験がないのだろう。

まずは、カフカの小説でも読むことをお薦めする。

 法務省や入国管理局にも
のびのびとした感性の人はいる
だろう。
 上の滑稽な文言が一日も早く
変更されることをのぞむ。

 何よりも、英語などの外国語でも
同じ文言が書かれているのは国際的な恥
である。

 今思うに、
 私が『「脳」整理法』で書いたことの
うち、
 大切なことの一つは、
「国家」のような大文字の概念をいかに
偶有性のうちにとらえるかという
メッセージだったように思う。

 たとえば、国家という概念について、以上の議論を当てはめてみましょう。
 ますます緊密にグローバル化する現代において、「国」という公共的概念は、それが本来内包しているべき偶有性を失ってしまうことによって害悪を及ぼす可能性をはらんだ、象徴的な存在であると言えるでしょう。
 元来、国家というのは偶有的存在のはずです。国家の基本的属性である「領土」や「国境」にしても、歴史的にそれが決定されるプロセスは、まさに偶有的です。国家と国家の境界線の確定は、私たちの身体の範囲が環境との偶有的相互作用を通してきまっていくプロセスと、多くの共通点を持っています。すなわち、それは、フレキシブルかつダイナミックに変化していくプロセスであるはずなのです。
 ところが、人間には、国境線を、絶対的な「規則」として確定したいという欲望が存在します。そのような欲望と、本来偶有的であるはずの国民国家を巡る歴史的プロセスの間に齟齬が生じる時、そこに紛争が生まれるのです。
 このように考えると、私たちは、世界について私たちが参照している様々な公共的概念を行使するに当たって、できるだけ偶有性を担保しておいた方が良い、という結論になります。
 とりわけ、「国家」や「宗教」といった、大文字で書かれがちな公共的概念については、できるだけ、私たち一人一人と生き生きとした相互作用をし続けることが望ましいのです。これらの大きな公共概念が私たちの認識の中で偶有性を帯び、柔軟かつダイナミックに存在し続けることが、それらに対して私たちが真摯な関心を持ち続けるために、そしてまた、私たちの人生が阻害されないために、とても大切な要件となっています。

茂木健一郎 『「脳」整理法』(ちくま新書)より

1月 19, 2007 at 08:23 午前 |

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コメント

光の川と、光のシャワーですね。
美しい光景ですね~。

私も遇有性の海に飛び込む覚悟が出来ました。
覚悟さえ決まれば、光が差し込み、光が川の流れに導いてくれそうな
そんな気がします。

そうそう、島田雅彦さんの「彗星の住人」の解説、茂木先生が書かれていたのですね。びっくりしました。父という字にダダとルビをふってある文体に入り込めないでいたのですが、後書きの茂木先生の解説がすばらしく、そっちに感激してしました。小説はまだ途中ですが。

脳整理法は、読んで良かった! と思える本でした。

投稿: | 2007/01/19 23:43:07

先ほど書きかけのまま送信ボタンを押してしまい、ミスってしまいました。ので、もう一度書きなおします。
先に書いたものがもし送信されていましたら、削除をお願いいたします。

私という人間の存在自体が偶有性のカタマリであり、それが精神の激動、感情の浮沈・荒波を引きうけて、偶有性の大海に飛びこむことが、人生をクリエイティヴにし、輝かしいものにすることなのだと、私も思う。

法務省や入国管理局のお役人…無論、茂木先生の仰る如く、のびのびした精神の人もいるだろうから、一概な決めつけは御法度なのだが…の大半は、そういう偶有性の大海に飛びこむすべを知らないまま、ただ、異質なものを排斥したり、拒絶したりする「認知上の免疫力」ばかりを発達させ過ぎて、大人になってしまった人達なのだろう。

人間は、茂木先生の言われるように読むべきものを読まず、聴くべきものを聴かず、感動、感銘しておのれが変わった経験がないと、入国管理局のHPの文言に立ち現われているような、異質なものはみんな排斥!みたいな精神に心が支配されてしまうのだろう。

入局管理局のHP文言には、まことの知性(インテリジェンス)というものがまったく感じられない。異質なものでも受け入れ、多様性を容認するのが本当の知性のはずだが、そこにはそういうものが感じられない。

実をいうと小生も、竹内薫氏の最近のブログを見て、その文言に出会った。

「好ましくない外国人」とは何だ?…そういうことを書くほうが、真の意味で「好ましくない」存在なのではないか?

「健全な日本社会」とは?…彼等にとっては外国人のいない日本人だけの社会が「健全な日本社会」なのだろう。日本人だけの社会だって、ろくでもないことが毎日起こっているではないか。

多様な人々が平和に暮らせない社会の何処が、健全なんだろう。

今の日本が殺伐としているのも、子供達がクリエイティヴにして生き生きとしていないのも、あらゆる分野で、多様性、偶有性を引きうけない、つまり、真のインテリジェンスを、ほぼ捨て去っているからなのに違いない。

日本の多くの人々が、多様性と偶有性を心から引きうけて人生をシンから創造的に生きるようになるのは、何時のことになるのだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/19 19:54:05

       写真に向かい   かしわ手を打つ

            ぱちぱち

          @         @
        @@@  米俵  @@@  八俵

投稿: | 2007/01/19 17:11:22

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