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2007/01/24

ハイ・テーブル

認知科学は日常をあつかう学問であり、
普段は意識していない何気ないものの
中にそのヒントがある。

 授業をするために駒場の15号館に
向かって歩いているとき、
 見覚えのある姿が前に。

 はて、あれは野澤真一だろうか、
それとも・・・と
 思いまどっているうちに
黒い影は15号館に入っていってしまった。

 あれはAのようだが、本当にAであろうか。
 そのように思案している時には独特の
主観的感覚があるが、
 その時にしか現れない固有の
神経活動のパターンがあるに違いない。
 そんなことを考えることが、
 良い認知科学の研究の端緒になる。

 ニューヨークでキュレーターを
している渡辺真也さんが今企画している
「憲法9条」に関する展覧会の
話をしてくださった。
 
 その後何人かが「このような研究をすべき」
という「マニフェスト」をして、
皆で議論して、
授業は終わった。

 レポートには、「レディ・メード」
に関するとっておきの課題を出した。
 文脈付けも完璧。近来の
自信作である。

 なぜこのような形の授業にしたか。
 相互作用同時性、特に
zitterwebegungとの関係について
最近考えていることを話しても良かったの
だけれども、
 知性や生命、意識といったものについて
考えるということは、
 つまり総合的な視点を志向することで
あるということを、駒場の学生に体感して
欲しかった。

 私には、
 留学していたケンブリッジ大学の
の様子が忘れられない。

 私のメンター、ホラス・バーローの
所属していたトリニテイ・カレッジの
ハイ・テーブルは、様々な分野の研究者が
集い、
 自分と同じ専門の人などいなかった。
 数学者のとなりに生物学者、歴史家、
英文学者、法律家、さまざまな学問を志向している
人たちが集って、食事のたびに議論を交わす。

 ちょうど、同じ種類の樹木がお互いに離れた
場所にしかない熱帯雨林のように、
 多様な知の生態系がそこにあった。
 
 もちろん、自分のとりあえずの専門性の中で
猛烈に走ることは必須であるが、
 同時に、多様で豊かな知の森の中で
自由に意見を交流する。

 あのような設いがあるからこそ、
トリニティ・カレッジだけでノーベル賞学者が
30人輩出するという成果も出るのであろう。

 ひるがえって、日本の大学の現状はどうか?
 日本には、本当の意味での「アカデミズム」
があるのだろうか?
 お互いの専門が何なのか、疑心暗鬼的に
確かめ合わなければ夜も明けないような、
 そんな不自由な風土がいつの間にか
はびこっていないか。

 ボクのアカデミズムのイメージは、
驚くべき「凝縮」である。
 一見関係のないものどうしの間に
補助線を引く。
 さっと、今まで見えなかったものが
見えてくる。
 
 そのためには、異なるもの、色が違うもの、
凄まじき深みを呈するもの、そのようなものを
集めて、ぎゅうぎゅうと押さえつけなければ
ならない。

 すると、ある種の反応を通して、
やがて光が放たれてくる。

 その光こそが、人類を導く新しい方向性
となる。

 既存の組織にそのようなことを期待することは
どうやら難しいから、
 ボクは、いっそのこと
ヴァーチャルにそのようなものを
作ってしまおうと思う。

 勝手にハイテーブルを作ってしまおうと
思う。
 とは言っても、物象化しても
意味はないから、
 ヴァーチャルなケンブリッジの中で、
仲間たちと徘徊してみたいと思う。

 そして、いつか世界が驚くような
光が自然に放たれてくる、そんな様子を
見てみたい。

 授業を終え、私の研究室の
学生や、電通の佐々木厚さん、
 池上高志、芸大の植田工や
ゆうなちゃんと駒場のお魚やさんに
行って語らった。

 ボクが塩谷とうろうろしていた
駒場寮のあたりは、すっかり
様子が変わってしまっていて、
 浦島太郎になった気分だった。

 あの頃のボクにものごとの
本質がわかっていたとは思えない。
 ただ、どうしたらいいかわからず
胸の中にマグマを抱えて悶々としていた。

 そのようなことから類推するに、
誰かがスタイルを示すということの
価値は何ものにも代え難いものではないかと
思うのである。
 
 だからボクは、一生懸命模索しようと
思う。

1月 24, 2007 at 07:03 午前 |

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コメント

「はて、あれは野澤真一だろうか、
それとも・・・と
 思いまどっているうちに
黒い影は15号館に入っていってしまった。

あれはAのようだが、本当にAであろうか。」

この問題は面白いですね、量子力学的に考えると、「確かめるまで、AかAでは無い状態?」、深くか考えると難しいですね。

アカデミックではないですが、「追いかけるか、携帯で確かめる。」と
、いう考え方もある。

あ、確かに、この問題は、脳を働かしますね。

投稿: tain | 2007/01/25 16:06:56

知の総合…細分化された今の学問が、社会問題
を解決できなくなっている昨今、今までの
「1+1=2」の問題解決パターンでは収まら
ない何かを求めている…そんなことを改めて自
覚しました。

高校の教育でもいかに教科の横断的取り組みが
できるか志向することもありますが、でもまず
教える側がそのような土壌で育ってきていない
というのが根本的な問題としてあります。

つまり教科利害だけが優先されて、生徒の知の
総合化に必要なものとしての議論がなくなる。学
ぶ主体のことが抜けたものとなる傾向が強いんで
す。さらにこれは自分の門外漢だ…として、他の
専門領域に踏み込もうとしない。

そんな中で通常授業の中で、いかに自分はそのよ
うな知の総合化を表現できるのか、高校教師とし
て少し取り組んでみたいと感じました。

投稿: コロン | 2007/01/25 5:37:31

バーチャルなハイテーブル、ステキですね!

イギリスの国会などをBBCで見ると、日本と異なって、本やノートなしで、長椅子みたいな
(最近見ていないのですが確か)椅子に座って、議員同士が向かい合い、
もの凄く接近して、議論とか討論とかしてる感じですよね。
何というか、偉そうに椅子に座っていないというか、書類など見ないで、
自分の意見、考えは全て頭に入っているというか、その場で、刺激しあって、何かを生み出す、
そんな感じがします。

きっと、ヤジなど飛ばす議員などはいなくて、あくまでも紳士的に、
正論と正論を白熱させるのだろうな~。よくは知らないけれど・・。

日本の教育現場について言えば、本当の自分の意見を言える場ではないような気がします。

仮に、先生の考えを否定することだったり、先生を超える論文だったりすると、
生徒は、成績に響いたり、嫌われるんじゃないかとか、先生の顔色を気にしなきゃならないでしょ。

人間って、相性もありますからね。ネットで匿名で言いいたいことを言うのは、自分の可能性を思いっきり表現出来ないからだと思うな。

私も、短大まではそうでした。(その頃はネットはなかったけれど)
すべてのしがらみから放たれると、どうどうと意見が言えるんですけどね。

一つ興味があるのは、茂木先生が、夜回り先生と対談したら、どんな話しになるだろう??? 
ある時ふっと思いついたのです。対局にある感じがして。

それから、ウルトラマン。私もウルトラマンは見ていた世代ですが、昨日アメリカの俳優がウルトラマンの大ファンだと言って、ウルトラマンの登場に感激していました。ウィル・スミスだったかな?

投稿: tachimoto | 2007/01/25 1:45:41

私自身も、色々な人の話を聞き、多次元的な人間になるよう気をつけております。

私自身、人工知能を個人的に研究していますが、意識と言う壁にぶつかりました。

意識の問題の話をすると、周りから妙な目で見られる感じがありましたが、茂木さんが心像問題(クオリア)について、ご活躍されてもらう事により、こう言った問題の市民権を得てきて安心しております。

茂木さんの、クオリアと哲学の意識と言うのには、何か、違う感じをしておりました。
最近このプログを見ていて、感覚として分かってきたのですが、心+哲学的意識=クオリア、または、感覚+心+哲学的意識=クオリア、ではないかと、個人的に推測しております。

私自身考えている問題で、認知心理学で、宗教を見たらどうなるだろう?と、思っております。

また、もし、ニューロン式人工知能が生まれた時、サンタクロースを信じるか?、とも、面白い問題とも、思っております。

いつも。このプログを楽しく見せてもらい、これからもよろしくお願いします。

投稿: tain | 2007/01/25 0:11:51

2日に亙る集中講義、本当にお疲れ様です。何時の日かチャンスがあれば、聴講したいと思います。

茂木式ヴァーチャル「ハイ・テーブル」の手法・・・一見、関係ないもの同士の間に補助線を引く。さっといままで見えなかったものが見えてくる…その為には、番ったもの同士を集めてぎゅうぎゅうに押さえつけると“光”が放たれてくる…。その光こそ、人類を導く新たな方向性となる…。素晴らしい。大いにやっていただきたい。

それこそ、ひょっとしたら、日本の「半端な」アカデミズムの悪弊を打ち破る、新たなルネッサンスをもたらすに違いない。

私は日本のアカデミックなシーンに対して、自分達の中の専門領域の中にこもって、その中でしか議論をしないような印象しか抱いていない。

そんなシーンにいる人達に、一度自分の専門を超えて、互いに違った専門の人たちと、ヴァーチャルな場でもよいから議論せよ、と呼びかけようとフラワーピッグはしている。

異種多様な分野の人々が寄り集まって、議論していくうちに、茂木さんのいう「光」が現われてくるはずだから…。

これからの学者は「専門バカ」ではやっていかれない時代に、もうとっくになっている。フラワーピッグの提唱する「ヴァーチャル・ハイ・テーブル」の実現を望む。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/24 19:30:01

全く違う分野の人と話すのって面白いですよね。
同じ問題でも違うフィルターを通すことで、新しい角度からの視点を発見できたりするし。
 私が通ってる大学では、あんまり職人みたいな人がいなくて悲しいです。

投稿: alp | 2007/01/24 19:01:32

コンピュータの認知科学に関心があったのですが、
ラマチャンドランの「脳のなかの幽霊」から
このブログにたどり着きました。

コンピュータでは前を走る車ぐらいは認識できる
のですが、人間が何をしているかまで理解が進めば
もっと面白くなりそうです。


投稿: まさぶん | 2007/01/24 18:51:08

燃えてますね。その強い決意があれば大丈夫ですよ。
私は人の模範となれるような生き方が出来たら良いなと
よく思います。生き方を導くのではなく、ありのままの
生き方から学んで欲しいです。人生の指標となる手本は
脳科学にもあるし、身近なところにも無数にあります。

投稿: インフェルト | 2007/01/24 18:45:01

不自由な風土を刷新するスタイル。。

 >いつか世界が驚くような
  光が自然に放たれてくる、そんな様子を
  見てみたい。

すごくわくわくしました。 光の現れ、わたしもぜひ見てみたいです。

お体にお気をつけてがんばってください ☆

投稿: M | 2007/01/24 15:29:47

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