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2007/01/31

悲惨の中の栄光

イギリスの文学などにも
時々あるのだが、
 困窮や欠乏の中に
ある種の栄光を見る、
というセンスの起源は何なのだろうと
思う。

 好きだ!

 ロシア文学には、ドストエフスキーの
小説に見られるように、
 惨めさを光の中に描く
作品群が存在する。

 私の生まれた年に発表された
 ソルジェニーツィンの
『イワン・デニーソヴィチの一日』
は、スターリン時代の強制収容所での生活を
描いた短編だが、
 むしろ「至福」と言ってもよい
不可思議な読後感がある。

 小学校の時から、私はこの短編を
一体何回繰り返して読んだことだろう。

 主人公のイワンが
二人分の食事をうまくせしめたり、
 仕送りのソーセージを分けて
もらう場面では、
 おもわずごくりとつばを
飲み込んでしまう。

 悲惨と栄光。
 困窮と豊饒。
 暗闇と光輝。

 大いなる喜びを味わうためにこそ、
 神よ、私に試練を与えたまえ!

 もっとも、クオリアなんて問題を
考えている時点でもうすでに
大いなる困窮の中にいるとしか
言いようがないわけであるが。

 くわばら、くわばら。
 それにしても、主観は、世界の
どこにあるのだろうか。
 古今の叡智をひもといても、
誰も未だ納得のいくラフスケッチさえ
描いていない。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

 東京芸大の粟田大輔クン、
美術手帖の斎藤哲朗さんと、
 美の変遷、古典というものについて
熱く討論。

 PHP研究所の小川充さんに
ゲラをお渡しする。

 電通の佐々木厚さん、
豊田自動織機東京支社長の余語幸夫さんと
東銀座で会食。

余語さんが素敵なお店をご紹介くださった。

 夜道を帰りながらふと考えた。

 初めてスキーをやった時、
わるいやつらに
蔵王の一番上まで連れていかれてしまって、
 仕方がないので
滑りは転び、突進しては身体を倒し、
必死になって下まで降りてきた。

 爾来、スキーには数回行っているが、
学習曲線はゆっくりである。

 ある時、すいすいと美しいフォルムで
滑り降りてくる人たちよりも、
 なんだかぎこちない人の方が
ぼくにとっては魅力的だなと思った。

 別に自己弁護でそう言っているんじゃない。

スムーズな洗練にはあまりセクシーさを
感じないのだ。

 そのような感覚は、おそらく幼き頃から
培われたもので、
 私の現在のテーマの選び方にも
きっと影響を与えていると思う。

 「悲惨の中の栄光」の気分を味わうためにも、
冬はもう少し寒い方が良い。

1月 31, 2007 at 06:47 午前 |

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受信: 2007/02/12 22:41:17

コメント

BS朝日の『男たちの食宴』拝見しました。
『イワン・デニーソヴィチの一日』で
シーザーがショーホフにわけたソーセージは
サラミだったんですね。一切れだったわけがわかりました。

投稿: スフィンクス | 2007/02/12 22:46:27

『BRUTUS』の”ぼくの履歴書”の中では垣間見れない茂木先生
の一面ですね(笑)

でも私も基本的に不器用な生き方が好きです。葛藤の中で己を
磨く…その姿に共感を覚えます。『プロフェッショナル』でとり
あげられる方々が共感を得られるのも、輝かしい栄光の裏にある
挫折や逆境に向かう精神力、ひとむきさなど、その人の人間性が
浮き彫りになるからこそと思います。

苦境の中であがく姿があるからこそ、それを乗り越えた方々の自
信に満ち溢れた笑顔には、人を惹きつける魅力と説得力を感じず
にはいられません。

投稿: コロン | 2007/02/01 5:57:29

人生の「栄光」は、
そこに至るまでの人生の課程が、
艱難辛苦、困窮、悲惨に満ちたものであればあるほど、掴んだ時にその輝きが大きくなる。

大きな人生の栄光をつかみたいと思えば、
まず自分を厳しい試練の中に投げ入れよ。
そう思って生きていきたい。

クオリアの問題に取り組んでいる茂木さんは、科学世界でもっともハードな艱難辛苦の伴う人生のフェーズにいる人だから、栄光を掴んだ時、それは
きわめて眩いほど輝かしいのに違いない。

下手に洗練しているものより、ぎごちないもののほうが、
味わいがあるし、愛も湧く。

人生でも、要領よくすいすいと、最初からうまくいっているような生きかたよりも、どたどたと、それこそぎごちなくも懸命に生きている人の姿の方が、本当は美しいのだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/31 17:50:54

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