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2007/01/18

色とりどりのアロハシャツばかりたくさん

東京工業大学の私の研究室に
所属している
 野澤真一と石川哲朗の
修士課程における研究の
構想発表会があった。

 社会全体からみれば、ちいさな
出来事かもしれないけれども、
 二人にとっては、大きな、とても巨きな
試練だったはずである。

 二人が話すのを聞き、
また会場からの議論を聞いた後で、
 昼食をとるためにみんなですずかけ台駅
近くのそば屋に行きながら考えた。

 現代の認知科学の研究からすっぽりと
抜け落ちている一連の問題があって、
 それは、
 フロイトとか、ラカンとか、
そんな人たちが考えたことに
通じている。

 自己を支え、超越し、新たに生まれ変わる。
 そのような生命の本質が主観的に
現れるとき、一連のすさまじくも切ない
体験が生まれるが、
 認知科学として計量化された
問題設定においては、生きるか死ぬか、
切ったはったの問題群は抜け落ちてしまう。

 ボクの大切にしている友人たち、
たとえば神戸大学の郡司ペギオ幸夫や、
 東大の池上高志、
 在野の哲学者である塩谷賢らに
共通しているのは、
 自分が一人称で生きるということの
切実さにかかわるいくつかのことを
大切に思う感覚ではないか。

 京大のシンポジウムで最初に郡司に
会った時のことはよく覚えている。

 懇親会で、会うなり、いきなり、
 「いやあ、茂木さん、カミュのシシュポスの
神話ってあるじゃないですか。男が、
神から罰を受けて、永遠に坂道で岩を
押し上げていく運命になっている。
 しかし、その苦痛の中で、それこそが
自分の運命だと受け入れたとき、
 無限の自由を感じる、この点に
おいてですね」
としゃべり出した。

 郡司は、鮮やかなアロハシャツを
着ていた。

 それからしばらくして郡司が
ソニーコンピュータサイエンス研究所に
会いに来た。

 喋ってから見送る時、エレベーターの前で
郡司がかばんのチャックを開いたら、
 中に、色とりどりのアロハシャツ
ばかりたくさん詰められているのが
見えた。

 一瞬、奇妙な沈黙が流れた。

 そんな一連の出来事を通して、
郡司は大切な友人になっていった。

 現在の神経経済学は、
いかにもアングロサクソン的な損得
勘定に問題が限定されている
点において
 本来の生命現象の立ち現れとしての
主観的体験全体から見れば
狭すぎる。

 自己の
メタモルフォーゼに伴う幾つかの
問題群をもその視座の中に
とらえて、
 初めて神経経済学は「人間学」
となるであろう。

 そうでないと、ブランドや
ブームといった一部の消費行動の
様相はそもそも説明できない。

 ダーウィンは進化論という
視点から
 種の起源を論じた人であるが、
 同じセンスで認識の問題や、
その主観における反映を扱おうと
思えば、
 自然にフロイトやラカンに
つらなっていくのではないかと思う。

 やがて、背後からフリードリッヒ・
ニーチェの思想が見えてくる。

 取材で、
 東京の国立博物館に長谷川等泊の
「松林図」を見に行った。
 向き合うのは久しぶりである。

 濃墨、薄墨が存在の濃淡であるように
感じられる。

 くっきりした前景から、
後景のあるかなしかの存在の淡いに
意識が流れていった時に、
 限りない慕情を感じた。

 心の中にかすかな痛みを残していくもの
こそが、
 生命においてかけがえのないものでは
ないだろうか。



1月 18, 2007 at 07:21 午前 |

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父が亡くなったのは私が28才のときでしたから、 それから37才までの十年間は、ただひたすら仕事をしていた記憶しかありません。 昼は静岡学園高校で化学を教え、 夜は島田進学スクールの塾長としてすべての事務をこなし、 小学生から大学受験生まで、数学、物理、化... [続きを読む]

受信: 2007/01/18 7:52:26

コメント

個と向き合うよりも現代の社会風潮では三人称として、自分を
客体化することを重視する部分がありますよね。今、教育現場
にいて、例えば小論文などを書かせていると切に思います…。

ただ、自我の芽生えと向き合い、葛藤しながら、それが自分の
本質なのだと容認していく作業の中で、生命の尊さ、社会で生
きる自分の概念が形成されるのでしょう。またその意識をもた
ないと、ニヒリズムに陥る…。ですから自己肯定の中で共生意
識をどう醸成していくのか、そんな課題を現代社会は問われて
いるのかもしれませんね。

投稿: コロン | 2007/01/19 5:51:18

以下は、この記事に対する私のコメントの補足です↓


それにしても、茂木さんのご友人のひとりであられる郡司さんという方、
本当に面白いお方なんですね。
研究所に茂木さんに会うとき、何故かいろとりどりのアロハシャツを
持っていかれるなんて…。

そういうユニークなお友達に恵まれているからこそ、茂木さんの日々は
豊かなんだなァ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/19 1:26:22

この世で、独りの人間としてよく生きようとする人々は、
アングロサクソン的な損得勘定よりも、むしろ一人称の
人間として生きることの切実さや、生命の本質に関わる
ことのほうを大切に思っている。

茂木さんの大切なご友人達は、そうした生命の本質に
何時も向き合っていらっしゃるのに違いない。


如何なる経済学も、生命の本質や、生命活動の切実さに
向き合わなければ、人間のための学問にならない、
それはどんな学問のジャンルにも言えることではないだろうか。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/19 1:22:05

等伯の松林図屏風 モノクロームな世界に冴え冴えとした空気までもが感じられますね。 もやった遠景の奥深さ。 本物に接するのは大切なこと。

投稿: | 2007/01/18 20:44:40

今日も、明日も明後日も、読みたい。と思った今朝の日記。

アロハのおっちゃんに夜露死苦!

投稿: | 2007/01/18 20:28:45

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