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2007/01/13

やわらかい「やまとことば」

明治神宮の森を抜けてNHKに向かう途中で、
認知科学の問題に出くわした。

 「お札」は「おさつ」とも「おふだ」とも
読む。
 この場合は「おふだ」だということが
どうしてわかるか。
 
 日本語を一生懸命学んだ外国人が、
この光景を見て、
 「おお、日本人はこんなところにおさつ
を入れるのですか。すごいですねえ」
と勘違いするということにはないか。

 8階の解説委員室に上がると、
舘野茂樹さんが黄色い表紙のBrutusを持って
にこにこしながら現れた。

 黒マジックを渡されて、
「この茂木さんが跳んでいるページ!」
と指定された。

 それで、何となくであるが、翼を
広げた鳥を描いた。
 フェニックス(不死鳥)という
イメージを託したかったようにも思う。


ブルータスを持つ 舘野茂樹さん


不死鳥の拡大図

 視点・論点の今回のテーマは
「スピリチュアリズムの背景」
であった。
 全体性の回復への希求があるということと、
 隠し味としての「イギリス」という話をする。

 脳研究グループのゼミ。

 野澤真一、石川哲朗の二人が、
修士の構想発表会へ向けて、研究のアイデアを
発表して、みんなで議論した。

 石川の研究テーマは、刺激そのものを
つくれるかどうかが問題だが、
 もしできたら、面白い結果がいろいろ
出るのではないかと思う。


 熱弁する野澤真一クン。背後に石川哲朗クンと
大久保ふみさんが見える。

 野澤の研究テーマが大いなる議論を呼んだ。

 そもそも、自発性とは何か?
 生命の本質は、トリガーを待たない自発性にある。
 それはアメーバでもしかり。

 脳の神経細胞の活動においても、外部からの
刺激を待たない自発的な活動が重要な意味を持つ。
 
 しかし、「自発性」という概念自体が、
すでに自他の区別を前提にしているのであって、
 もし因果的な連鎖で全てを見れば
強制も自発も同じである。
 
 そのあたりのことがもともと
気になっていたので、
論文紹介でNowakのFive Rules for the Evolution
of Cooperationを紹介した。
 
 「協力的」な態度が隆盛するか、それとも
「裏切り」が隆盛するか。

 全てのプレイヤーが何回も繰り返し
相互作用することを前提にするのではなく、
ある程度グループができ、相互作用の
クラスターの濃淡ができるという形にすると、
 話が変わってくる。

 グループ内では「裏切り」が有利になるが、
グループ間の競争では、
 「協力的」な態度の人たちが多い
グループの方が優勢になる。
 このあたりの話を、Edelmanの
Neural Darwinismの考え方と結びつけて
考えると面白い。

 柳川透がすばらしいアイデアを出した。
 これは、行けるのではないでしょうか。

 日本のネットは、匿名が中心だが、
ボクはその心性を理解したことがないし、
 これからも理解しようとは思わない。

 一度だけ、東京のある場所で見た
ライトアップのやり方があまりにもひどかったので、
その首謀者のある有名な照明デザイナーのことを
匿名掲示板で揶揄しようと思ったが、
 品性が下劣だと思ってやめた。

 批判するときは、実名でやるよ。

 豊臣秀吉の刀狩りに由来するのか、
あるいは何なのかよくわからないが、
 日本人が、匿名である「空気」を醸成
しようとする心根だけは、
 愛する国とは言え承服しかねる。

 そもそも卑怯である。

 新潮社とはいろいろ付き合いが深いので
あまり言いたくないが、
 「週刊新潮」の見出しも随分ひどいことがある。

 今週の
 
 コラムから「朝日歌壇」まで「反日・反戦」
で染め上げた朝日新聞

という見出し、あれは何か?

 きわめて情緒的な「決めつけ」である。 
 空虚な言葉の暴力である。
 この見出しをつけたデスク氏に、苦言を
表したい。

 以前から不思議なのは、日本を愛している、
その一方で近隣諸国のことを揶揄したいと
称する人々が使う言葉が、
 その「大嫌いな隣国」の言葉に似たニュアンスに
なってくるのはどういうことかということである。

 「反日」「反戦」とか、
「売国」とか、
 私たちの愛するこの国のやわらかい
「やまとことば」の中に、
 そんなにとんがった言葉は
もともとない。

 本居宣長が、どのような気持ちで
『古事記伝』を書いたか、
 一度じっくり考えてみてはどうか?

 ぼくは、漢字よりもひらがなの
方が好きだ。

 小林秀雄さんの編集者を
長くつとめられた
 新潮社の池田雅延さんのところに
白洲信哉からメールが行き、
 私が小林さんの文章のうち
重要なものをアンソロジーにして
英訳するというプロジェクトが立ち上がる
かもしれないとのこと。

 小林秀雄はもし英訳されて
広く知られていたら、
 ノーベル文学賞を受けてしかる
べき人だったとぼくは思っている。

 実現するかどうかわからないが、
このようなことを心を込めて行うことが
本当の意味で国を愛することだと
私は信じる。

1月 13, 2007 at 10:28 午前 |

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「エネルギー」を語る33の視点・論点 あまり意識していないエネルギー。 実は日本にとって大きな問題のひとつです。 エネルギー... [続きを読む]

受信: 2009/09/18 11:25:13

コメント

知り合いに、こころがとても繊細な人がいます。
やっと暗く長いトンネルの出口までたどりついたような。
最近、パソコンと出会い、インターネットにも
興味を示しています。

いろんな知識を手にして欲しい。
楽しいこと、自分のプラスになる情報。
これからの人生の糧になるかもしれないたくさんの情報を得て欲しい。

でも、手放しで勧められないです。
心配です。

悪意のページに踏み込まないか。
負のエネルギーをまともに浴びて
平穏なこころが脅かされないか。
頑丈な私でも時々負の言葉に害されるときがあるほどだから。

これ以上見ても嫌な気持ちがつもるばかりだと
わかっていても、読み進めてしまうものです。

こんなページは見てはいけないと伝えても
全てを回避することはできないでしょう。

だから心配です。
優しくやわらかく、抵抗力のないこころを持つ人。

投稿: おか | 2007/01/18 1:34:54

ネットや社会で匿名が許されなければならない理由は、社会に言論の自由が完全に保障されていないこととだろう。

ある人間がどのような思想を持とうが、それは言葉と言葉によってやり取りし、お互いを高めていこうとするお互いの大前提がある場合ならば、匿名でなくとも問題は全く無い。しかし、現実はそうではない。権力にたてつくようなことを言ったり、個人名を挙げて批判するとそれは、暴力沙汰になり、下手をすれば命を奪われることにつながりかねない。僕には警察は信用できない。もし茂木さんでも本当に真実だけを言い、それを最も大事にしていたら、今の社会的立場には絶対に立っていない。今の社会には、真実や正義、倫理といった最も人間性の本質に関わるような価値観が重んじられない厳然とした現実がある。そんな中で匿名とは自分の命を守りつつも、社会に向けて自分の考えを発信していく唯一の方法ではないか?

確かに実名を挙げているほうが卑怯でないし、自分の言動に責任を持つことなのかもしれない。しかし、それは身の危険を感じたことの無い人間の言うことのようにも受け取れる。もし、自分が正義を信じ、真実を最も重んじ、それが原因で社会的信用や友や経済的基盤も家族も何もかも失っても、そういう態度を貫けるのならば、それは本当に勇気のあることで敬服に値することであると思う。

投稿: N.S. | 2007/01/14 16:48:07

>非常に許せない事態がおこったならば、ハンドルネームを捨てて、実名を名乗る覚悟は、何時でも出来ている。

でも、実際、実名で書いたからってなんか変わるわけでもないんだよね。

ホントの問題は、匿名にあるのではなくて、人間の中にある「黒い部分」なんだよね。

黒魔術ってのはその黒い部分を呼び覚ますわけ。2ちゃんねるは人の黒い部分をどんどん増大させる点で、黒魔術装置なんだろうね。

で、人には「白い部分」もあって、それを呼び覚ます白魔術ってのもあるはずなんだけど、なんかそれは2ちゃんねるでは、うまくはたらかない。というか実はそれは2ちゃんねるのせいではなくて人の心が実は大部分真っ黒で(w)白い部分というのは実に僅かなので顕在化しにくいのかもしれないけど。

ああ、それから余談ですが
>隣国の言葉に似たニュアンス

隣国にもいい感じの言葉はありますけどね。
「荘子」とか。

投稿: JA | 2007/01/14 11:02:41

 飛んでいる茂木さんの姿、まるで翼を広げた不死鳥のよう!
「不死鳥」というと手塚治虫の『火の鳥』を思い出します。
火の鳥もマツゲがあって、丸い可愛らしい顔をしているんです。

常に全力疾走で「バカ」な私は、どうしたらいいんでしょう(笑)?
今週中に20日の表参道の場所を確認してきます。
(方向音痴なので、当日たどりつけないと困るから!!!)
歩きながら、どうしたらいいか、自分で考えてみます。。。

投稿: まり | 2007/01/14 10:45:48

 
           橋・ 端・ 箸・

        橋は渡らず  端 渡る  

                  とんちんかん は 気にしない 。。。☆

投稿: 一光 | 2007/01/14 9:04:55

やまとことばで今もっとも注目されているのが、「国家の品格」でもおなじみの「もののあはれ」。これはとても危険な言葉だと思います。潔さを表すとともに、何か「終末思想」や「自害」など誤った解釈を生み出す。僕が今、というか以前から愛しているやまとことばは「小さき事いとおかし」です。日本製品を語る上でもっとも明快なやまとことばですし、今エントロピー一杯一杯の地球さんにとても優しい、なるべく消費しないでなるべくゴミを出さない、という考えに結びつくかも知れません。わびさびは「もののあはれ」というよりは「小さき事いとおかし」で説明する方が、外国の方には分かり易い。わびさびを外国の方に説明するときに、僕は「Enjoying the silence」と簡単に述べてしまうのですが、何かもっと良い英訳があると良いのですが。茂木さん、発明して下さい!

小さな神社にこそ大きな神様がおいでになられる、という考えが僕にはあって、僕の住まいの近所にある抜弁天なんて本当にその通りなんですよ。でもあの厳島神社の直系。

やまとぐちも良いですが、僕はウチナーグチが好きです。ちんさぐぬはなは、ちびさしにそみり、うやぬゆうしいごとや、ちむにそみり。

投稿: JAKE EYEBLACK | 2007/01/14 5:33:53

先日見たTVで、折り紙の折る回数が多い+難度が高いランキングをたまたま見ました。1位がフェニックスでした。黄色の紙で折った不死鳥は、マジ折り紙で作ったの?と目を疑うほどに大変美しく、立派で驚きました。最近私が思う事のひとつは、生き物(花や動物)以外の物でも、愛情を込め作った物には、ことだまとゆうか魂とゆうのか、パワーが入っているんじゃないかとゆうこと。田舎のおばあちゃんが子供の頃に要らなくなった着物でリフォームしてくれた半纏をお日様に干し、最近また着ています。

投稿: abekaori | 2007/01/14 0:54:26

「視点・論点」「世界一受けたい授業」見ようと思っていたのに見そびれてしまいました。残念! 
夕方から銀座に映画をふらりと見に行って「子宮の記憶」が思いの外、秀作だったので満足でした。

茂木先生が飛び上がっている写真珍しいですね! あれは飛んで下さいと言われたのかしら?
不死鳥の絵は、死にたくないという心理からでしょうか? 
茂木先生の仕事ぶりを拝見していると、この状態が続くと早死にしそうな感じがして心配していました。
どうか、不死鳥になって、二百年生きて下さい!
そして、どうか大きな巨樹に!  巨樹になるには三千年かかるかな?
私は、生まれ変わったら、小さな小鳥になって、モギモギの木のてっぺんに留まってみたいな。

それから、茂木先生が、あんまり小林秀雄がすばらしいというので、以前に「モーツアルト」読みましたよ。確かに、すばらしいと思いました。
そう言えば、暫く前に島田雅彦さんの本も買っちゃいました。まだ読んでいませんが。でも、彼はハンサムすぎて私の好みじゃないんです。でも一回くらい読んでみようかなと思って買いました。

投稿: tachimoto | 2007/01/14 0:34:43

「自発性」という概念を考える上で、二クラス・ルーマンが
著書『社会の教育システム』の中で、”多種多様なシステム
形成で適用することができる”と提示した2つの概念、「作
動の閉鎖性」と「構造連結」を軸に据えて、意識と脳の問題
を捉えていくと、考えが深まりそうな気がします…。

また、主体性の本質をどのようにおくのか、例えば、差異性
のたえざる再生産などと規定するのか、などによっても議論
が変わってくるので、「自発性」を考えるのは大変だと思い
ますよ。
(素人が議論の中心も分からず、好き勝手なことを言って申
し訳ありませんが…雑感を述べてるものとして赦してくださ
い)

そのようなわけで、さまざまな乗り越えるべき課題がありそ
うですが、野澤さん、頑張ってください!!

投稿: コロン | 2007/01/14 0:31:03

Brutus 楽しく拝見しています。 今朝の朝日新聞 be on Saturday b3面に <近現代日本小説の翻訳・普及が本格化  「文学発信」に文化庁が本腰> という記事がありました。 日本の秀でた文学、評論がどんどん海外に紹介されるとよいですね。 小林秀雄さんのアンソロジー英訳プロジェクト、実現されたらすばらしいこと、と思います。

投稿: やまぼうし | 2007/01/13 17:32:33

「希求している」という、この一言に大切な意味がこめられているようでした。何よりも救いのあるやまとことばに感じました。

投稿: 平太 | 2007/01/13 17:08:26

すごいです、不死鳥の絵。。
うらやましいな。 

 匿名で、ある「空気」を醸成しようとする心根だけは・・承服しかねる。

よけいな味がしないものが好きなわたしとしましては、
ものすごく共感いたします。

英訳のプロジェクト、楽しみですね。
それまでに、なんとか英語をすらすら理解できるように・・
がんばりまする(笑)


 

投稿: M | 2007/01/13 16:07:00

私自身も「銀鏡反応」などという、一種の化学反応に由来するハンドルネームを使って、こうして茂木先生の「クオリア日記」などにコメントしたり、自分のブログを書いたりしているのだが、非常に許せない事態がおこったならば、ハンドルネームを捨てて、実名を名乗る覚悟は、何時でも出来ている。

とにもかくにも、匿名性の陰に隠れて、偉大な仕事を成し遂げようとする人々や集団、あるいはその他の、何のとがもない人たちを揶揄したり誹謗中傷したりする、その根性というか、心性というものは、卑怯を通り越して極悪非道の域に達しているといっていいだろう。そんな心性は、私自身も未来永劫、決して許しはしない。

「以前から不思議なのは、日本を愛している、その一方で近隣諸国のことを揶揄したいと称する人々が使う言葉が、その「大嫌いな隣国」の言葉に似たニュアンスになってくるのはどういうことか」・・・
「反戦」「反日」・・・一見美しくて結構に思える言葉の裏に見え隠れするのは、
近隣諸国を侮蔑し、隙あらばまた蹂躙したいという「美しい大日本帝国よ、もう一度」という、アナクロニズム的心性と、
近年の近隣諸国の経済的発展等に嫉妬する醜い心性ではないのか。

「パブリック」もなければ「フェアネス」もなく、
やわらかな「やまとことば」の精神さえも投げ捨ててしまった(ようにどうしても見えてしまう)この島国。

斯かる「ヘタレ」な島国で、大事な一生を生きなければならないのか、と思うと、何とも気のめいることが多い。
他者を排斥し、傷つけたり、単一な文脈を無理矢理押し付けたり・・・。

しかし、そんな島国だからこそ、一日でも、いっときでも長く踏みとどまって、
人間性の中で尊いもの・・・
愛、慈悲、思いやり、やさしさ、善悪を見分ける勇気と慧眼、よい意味での正義感、
などの花々をもう一度、この島国の地上に咲かせなければならないのではないか。また、そうやって、この島国の精神風土を根本から変えていかなくてはならないのではないか。

フラワーピッグが常に敬愛して已まない小林秀雄さんの重要な言葉をアンソロジーとして、英訳するプロジェクト・・・まさに真のやまとごころを外つ国の人たちに伝える、画期的なプロジェクトではありませぬか。実現するといいですね。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/13 13:54:30

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