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2007/01/21

赤シャツ

大竹昭子さんにそそのかされて
初めて人前で朗読した。

 白熱電灯がこうこうとともっているような。

 プラトンは、書かれた言葉は
話された言葉に比べて
 一段劣っていると考えていた。

 そのこともあるのだろう。
 ぼくは、ずっと、自分の書いたものは
振り返らないできた。

 しかし、考えてみると、
過去の自分の内なる軟体動物の
運動を跡づけ、 
 よみがえらせることで
 生まれる生命の躍動(エラン・ヴィタール)
は確かにあるのであろう。

 過去は振り返る度に違った形で
よみがえる。

 『坊っちゃん』の登場人物の中で
漱石は誰かと言えば「赤シャツ」
であり、
 つまりはうらなり君からマドンナを
奪ってしまう卑劣なやつ、
という身を切るような自己批評の精神が
 漱石を偉大な文学者にしたのである
という故事にならって、
 最近
 ぼくは赤シャツばかり着ている。 

 「カタリココ」で大竹昭子さんの
となりで喋っていて、
 子どもの頃(4歳くらいまで?)
赤いものばかり好きで、
 帽子とか、バスケットとか、親に
せがんで真っ赤なものばかり買って
もらって持っていたという思い出と
赤シャツ問題が突然結びついた。

 そのことを話した。
 赤シャツと自分の人生の初期の
志向性。
 この文脈が立ち上がったのは初めてだった。

 ライブの臨場感がいつもとは違った何かを
生み出す。
 
 大竹さんの「カタリココ」はだから
素敵な試みである。
 ずっと続いてほしいと思う。

 雪が降りそうで来なかったから
じらされた。

 ぼくが子どもの頃は、初雪というものは
かならず12月のうちに来るもので、
 それを本当に手紙のように
楽しみにしていたのだけれども。

 いっそのことシロクマくんになりたい。

 赤シャツを着たシロクマくん。

1月 21, 2007 at 10:02 午前 |

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コメント

赤シャツを着たシロクマくん、かわいい!
茂木先生は、赤シャツだけれど、嫌みがないからいいのです。

茂木先生は、ダイヤみたいに多くのカット面を持っていて、中心には赤いマグマが煮えたぎり、知の探求者であり、芸術家であり、それは時に噴火し、時に仏になり、時に若者になり、ある時は子供になって、心はかろやかに躍っている、そんな感じかなぁ~。

シロクマくんも良いけれど、見た目で一番ピッタリ来るのが、
『星の王子さま』です。全体を見ると、私にはそう見えてしますのです。
今度、コスプレして下さいネ!
ピッタリくると思うな~。私は、赤いバラになりたいです。

赤は情熱の色。ブログで拝見した赤シャツ、似合っていましたよ。

投稿: | 2007/01/22 1:16:22

すみません。
 → いまより  でした。。

投稿: | 2007/01/21 15:50:18

昨日は素晴らしい朗読の集いに参加させていただくことが出来ました。
とても楽しく拝聴させていただきました。茂木さんの、自作の小説を朗読する声、大竹さんのそれを朗読する声、それぞれが私の耳から心へ向かって、
揺り動かすように響いておりました。

赤シャツならぬ赤セーターを着ていた茂木さんは、何ともキュートで元気にあふれていた。大竹さんは対照的な黒い出で立ち。スタンダールの「赤と黒」を連想させた。

それにしても今年は暖冬で、雪なんか降った験しがないですねぇ、東京では。ほんと、昔は東京でもこの時期なら降ってた日があったんだけども。


批評的な眼を持つ、赤セーターの白熊さんと黒いお姫様を前にして、人生における「物語」とは何かを真剣に考えている自分がいた。

サイン会で、書いていただいた自画像(??)の横に「モアイになれ!」と書いてあったが、ひょっとしたらあれは、人生における物語とは何か、それを模索せよ、というひとつの隠喩に思えてならなかった。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/21 10:50:56

むかしはほんとうにいまやりずっと雪がよく降って、楽しみでしたよね。。

だから着ていたのですね、赤シャツを着たシロクマくん。。

投稿: | 2007/01/21 10:20:11

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