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2007/01/27

ピンク色の花びらを一つだけ落として

人生の中で、外側で起こって
自分の中に入ってくることは
 脈絡がなく、断絶している。

 しかしだからこそ、セレンディピティ
も訪れる。

 一方、内側で起こっていることは
マグマのように連続していて、
 外から入ってくるものに影響され、
揺るがされながらも
 綿々とつづいていく。

 このところ考えているのは、
広い意味での「痛み」の問題。

 特に、胸に残るかすかな「痛み」が
次第に甘みに転じていく、そのプロセスに
心を惹かれる。

 『ローエングリーン』の最後に、
どこかに去っていってしまう白鳥の騎士を
偲んで、人々が

 Wech harte Not tust du an!

と叫ぶように。

 白魔術は、そのような痛みの上に
こそ現れる。
 あはははと笑ってすごす陽光の下での
至福には、白魔術はいらない。

 ぼくは、モーツァルトは人生において
あまりにも哀しいことがたくさんあった
からこそ、 
 突き抜けるような明るい曲を書いたのだと
思う。

 桜の花が美しいのは、そのすがたかたちは
もちろん、それが心に残すかすかな痛み
ゆえではないか。

 『ユリイカ』の対談で、布施英利さん
とダ・ヴィンチについてお話した。

 布施さんは、ダ・ヴィンチの描く人間が
まるで設計図のように見えるという。

 有機体で構成された設計図でありながら、
なおもさまざまな思念にとらわれ、 
 意識という表象をもち、
 うち震える我々という存在の不可思議さよ!

 live and let live!という言葉があるが、
意識の流れにおける瞬間から瞬間への
移り変わりは、
 むしろdie and let live!である。

 The Brain Club。
 修士の2年の人たちが、修論の進捗具合を
報告し、
 そして石川がstimulus-independent thought
(SIT)についての論文を紹介した。

 次の野澤の番の前に、ボクは時間切れに
なって、
 エレベーターの方に向かったら、
 須藤珠水が追いかけてきた。

 「あのう、茂木さん」 
 「うん?」
 「野澤くん、今日で論文紹介2回目
だと思うんですけど、この前も茂木さんが
時間切れになってしまっていらっしゃらな
かったんですよね」
 「そうだっけ?」
 「野澤くん、やはり茂木さんに聴いて
いただきたいと思っていると思うので、
 今度改めてもう一本紹介させるとか、
やったらどうでしょうか?」
 「そうだね。そうしよう! ありがとう、
須藤さん。」

 須藤は、時々気遣いのひらめきを見せる
ことがあって、びっくりする。

 というわけで野澤くんは一本多く論文紹介を
することになりました

 伊藤正男先生がGruber Prizeを受けられた、
お祝いの会。

 スライド・プレゼンテーションの時に、
東京大学医学部の最終講義の様子があった。

 黒板に

 脳と心の問題
 Brain-Mind Problem

とある。

 伊藤正男先生がオーストラリアに留学
されていた時の
 メンターが、John Ecclesさん
(ノーベル生理医学賞受賞)。

 Ecclesが、Karl Popperと書いた
The self and its brainは、伊藤先生の下で
私が脳の研究を始めた頃の愛読書であった。

 Eccles、そして伊藤先生。

 忘れてはいけない伏流水の流れに
つつまれて。

 困難であるからこそ、突き抜けた時
最大の喜びが得られる。
 
 そのように、私たちの脳は
できている。

 春になったら、桜の樹の下で、
ピンク色の花びらを一つだけ落として、
シャムパンを飲みたいと思う。


東大医学部最終講義での伊藤先生


記念撮影。私(左端)、伊藤先生(中央)


挨拶に立たれる伊藤先生

1月 27, 2007 at 08:26 午前 |

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コメント

嗅覚においても、最初は悪臭に思えるものが、時間ととも
に良い匂いへと変わる…人間のホルモン分泌の神秘ですよ
ね(茂木先生の書かれている内容の主旨とは少し離れます
が…)

人間をそれぞれ固有の機能ごとに分化しているシステムの
集合体で、しかも自己の作動によって閉じている…という
ふうに考えると、茂木先生のいう痛みが甘みに変わること
が身近に迫ってくるかもしれませんね。但し、人間を構成
する各機能的システムの作動を各システムごとに観察する
ものであり、その限りで自己参照的な性格をもつ…という
条件付ですが。

投稿: コロン | 2007/01/28 4:27:44

「痛み」と言う「キー」を持つ者のみ「鏡」に映る。

投稿: tain | 2007/01/28 2:40:39

とてもずうずうしくも、さくらの花びらのひとひらに生まれてみたいように感じました。

そういう生命になれるといいのだけど。

投稿: 平太 | 2007/01/27 15:26:31

痛みの伴う悲哀をたくさん経験した者ほど、その悲哀と痛みを突き抜け、歓喜のステージに至るものだ。

多くの悲哀を人生に刻んだ者ほど、白魔術の卓越した使い手(名人)になることができる。モーツァルトもヨハン・シュトラウスも、そんな白魔術の名人だった。

茂木先生も「脳と心とクオリア」の問題に出会って以降、(むろんそれ以前も)数々の困難や悲哀に直面してこられた。

しかし、茂木先生は、そんな困難や悲哀から決して逃げることなく、真正面から取り組んでこられてきた。

モーツァルトもシュトラウスも、困難や悲哀から逃げなかったから、あれだけの突き抜けた明るい曲を書けたのだ。

お写真を拝見して・・・。皆様のご表情が柔和なのがとてもよいです。
茂木先生の師のお一人であられる伊藤先生のご表情は、とても柔和な印象を受けます。

伊藤先生も、きっと、困難なことや悲哀から逃げずに、我が道を突き進んでこられた方のように見受けられます。

人間の脳は、困難を突き抜けた時に最大の歓喜を感ずるように出来ているのだから、人生の上で、敢えて困難な道を選ぶことは大きな意義があると思う。

困難や悲哀から逃げてばかりでは、白魔術もいらないし、なにより人生の中で本当の歓喜を経験できまい。

ともあれ、いろんな分野に飛び込んで、脳科学の究極の、ハードプロブレムに挑み続ける茂木先生のご姿勢から私たちが学ぶことは、たくさんあって、しかも、大きいと思う。

モーツァルトから茂木健一郎に至るまで、天才・賢者に学ぶことの第一は、我々は敢えて困難で逃げの許されない道を進んでゆきたいということなのに相違ない。

それがつらいように思えるけれど、確実に人生の輝くばかりの歓喜をつかむ近道なのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/27 12:40:45

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