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2007/01/28

未知の贈り物

波照間島のビーチで座って
見上げているプロフィールの写真、
 それなりに気に入っていたのだけれども、
ココログのシステムとして、
 併設の『プロフェッショナル日記』
も同じ写真が表示されることがわかって、
どちらにもフィットするものをと、
 新しいイメージに変えた。

 先日上田義彦さんのスタジオに
伺って『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の新しいホームページのための写真を
撮影していただいた時のスナップ。

 普段あまりこういう恰好をしないので、
「よそ行き」に見えるけれども、
ご容赦。

 このところ、英語の書籍を
乱読していて、止まらない状態。

 日本の知識人は明治以来輸入業者に
徹していたが、ボクは本格的な輸出業を
しようと誓って、去年の12月くらいから
いろいろ始めた。

 何が自分の中で変化したのか、よく
わからない(自分の人生では、
大抵の場合、大きな変化が
起こる時はいつの間にかふわっと完結して
いて、あとで振り返るとあれが
ターニング・ポイントだったとわかる)
けれども、一つ大事なきっかけだったのは、
インドに行ったことかもしれない。

 ノーベル賞にせよ、ケンブリッジや
オックスフォード、ハーバード、MITと
いったCenter of Excellenceにしても、
それをあがめ奉ってそのヒエラルキーの
中に取り入れられることを
 「世界的に活躍する日本人」
とか、
 「メジャーリーグ入り」
とかはやし立てるメンタリティが、以前から
嫌だった。

 そのような精神性は、本質において卑劣で、
「輸入業」とあまり変わらないんじゃないかと
思っていた。
 
 去年
 インドに行って、文化的多様性の
大切さを感動的な認識のうちに
改めて確認し、
(タゴール!)
 世界の「勝ち組」
ではない人たちの多様性と結びつくことが
大事だということを実感し、
 そして、「その他大勢」の人たちと
結びつく方法が「英語」なんだと
わかった。

 何しろ世界には数千の言語があり、
何らかのlingua francaを経由しないと
仕方がない。
 英語を使えるのは、それぞれの国のインテリ
かもしれないけど、
 それでもゼロよりはマシだ。

 すでにあるヒエラルキーに取り入れられる
のではなく、
 日本の東京にベースを持ち、脳
や意識を研究し、
 文芸評論を書き、テレビのキャスターをし、
大学で教える。
 そのようなボクの立場から
しか分泌されない何ものかを
 世界のスモールワールドネットワークに
向かってweb 2.0的に表出したいと思った。

 専門分野の論文を書くだけでなく、
さまざまな文化的表象についても、
 「売りものになる文章」を書ける
ようになりたいと、実験を始めたのである。

 2年前、カナダを訪れた時、
お世話になったホストファミリーの
「お父さん」に言われたことがある。

 ケン、日本からは、すっかり何の哲学も
出なくなってしまったなあ。
 外から見ると、日本は、巨大なブラックホール
のようだ。
 これだけ経済的に大きくなって、
世界の人たちから注目されるようになったのに、
思想を輸入するだけで何にも出てこない。
 日本に帰ったら、ぜひ、自分たちの
考えていることを外に出すように、
皆で伝えてくれ。

 その時は、ぼくは「多様な世界への
贈り物」という現在のメタファーに
たどり着いていなかったので、
 「カナダの父」の言葉に
すぐに100%応えることが
できなかった。
 
 去年の12月に、自分の中で
なにかが変わった。
 多様性という森を一度通過して、
英語で何かを表現するということを、
より清澄な光の下に見ることができるよう
になった。

 今では、何年か後に自分がそうなって
いたいという姿をありありと
思い浮かべることができる。

 Qualia Journalをほぼ毎日更新するように
なって二ヶ月近くが経過したが、
 その中で見えてきたことがある。

 それは、日本の中に蓄積されてきたものの
うち、最も大切な世界への贈り物の一つは
「もののあはれ」的なもの
だろうということである。

 Arthur Waleyによる『源氏物語』
の英訳という先例があるが、
 小林秀雄や、内田百閒の言葉、それに
自分自身の経験などを英語で表出している
うちに、生きる上での一人称的な
切なさや、変わりゆく世界についての慨嘆、
そんなものを英語にした時に、
 そこに圧倒的に読ませるなにかが
立ち現れる可能性があることを
 初めて確かな手応えとして悟った。

 思えば、
 日本人はなんと苦しい日々を送って
きたことだろう。
 インテリは、外国に行けば、
あたかも「名誉なんとか」のような
ふりをして、
 やれカントだフッサールだ、ヘーゲルだ
などと、
 すでに向こうのヒエラルキーの中に
あるビッグ・ネームを自分たちも
引用し、仲間に入れてもらったような
顔をして喜んでいた。

 しかし、本当に求められていることは、
もっと強烈に違うものを、
 オリエンタリズムとかエギゾティズムと
かいった文脈ではない形で、
 一つの「贈り物」として
差し出すことではないか。

 ぼくは、悔恨とともに、そんな
新しい志向性の中に光を見る。

 日本語で書いたら、ほぼ自動的に
日本人しか読まない。
 そんなぬるま湯の中で
「美しい国」とかそんな甘っちょろい
ことを言っているんじゃなくって、
 (そもそも、美意識は政治的には
きわめて危険なものなのに、
それを堂々と持ち出すとは、
何とナイーヴなことだろう)
 自分たちの中にあるキラキラ光る
宝物のようなものを、
 向こうにあるヒエラルキーに取り入れられて
名誉ナントカになる方便としてではなく、
 それこそ本当の「未知の贈り物」
(Gift of unknown things)
として差し出したらどうか。

 そうすれば、世界は、きっと
微笑んで、日本という国を心から
愛してくれるようになるだろう。

 乱読の中でBertrand Russellの
The Problems of Philosophyも
読んでいるが、
 古典というものは良い。
 
 圧倒的に良い。
 繰り返しそこに立ち返るべき
なにかがある。
 戻る度に新しい発見がある。

 自分自身の人生も、振り返ると、
すでに過ぎ去った出来事なのに、
 新たな意味がそこから見いだされ、
未来へと解きほぐされて投企されて
いくきっかけになる。

 だから、それぞれの人にとって、
自分の来し方は、一つの繰り返し味わう
べき「古典」なのだ。

1月 28, 2007 at 07:35 午前 |

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コメント

音楽を学んでいます。音楽を楽しんでいます。
アカデミズムの中にある音楽は、圧倒的に西洋クラシック音楽が優勢です。
そんな中で日本に残る音楽で、おそらく一番古そうな雅楽から、笙という楽器を選んでお稽古しています。

それがとてもよい、ということを伝えたい!

投稿: ヒビ | 2007/01/29 20:29:07

>日本からは何の哲学もなくなってしまった。
本当に。そうでない人もいるけれど、日本には自分のポリシーや意思をきちんと表現し、貫ける大人が少ない気がする。昔は主張するのは慎ましくないように思ってきたけれど、言うべきことは言わないと伝わらないし、誰もがきちんと伝えていく義務があると思う。

日本には素敵なものがたくさんあり、本当の国際交流はそれを知り、伝えることから始まるのではないか。私は茶道を習っていますが、長く続けるほどに日本の懐の深さみたいなのを感じ、日本を好きになります。決まった形の奥にある精神性。
最近はそれを伝える為の、英語力アップが私の課題でもあります。

茂木さんの言葉はいつも私の心にすんなり入ってきます。
読んでは時々、ああ、そうそう、私もそう思う、とうなづいています。
難しい言葉もあるけれど、底に流れる優しい気持ち、人間らしい温かさにあふれているからです。
これからも応援しています。いつもありがとうございます。

投稿: m-tamago | 2007/01/29 12:58:28

まずは自分に出来ること、ということで
flickrの写真に英語のタイトルつけてみました(笑)

勿論、英語で総てが表せるわけではないし、
みんながそんな力を持っているわけではないのですが、
でも、「ないよりまし」なんだと思います。

「日本」と書いた途端に「対西洋」でしかなくなるものではなくて、
そこにあるものが「日本」である状態にまで、
どうやったら持っていかれるのかな?
そんなことを考えつつ、今、ある企みに参加してます。

投稿: ほしの | 2007/01/29 9:55:52

A:「おい、あの映画凄かったな。」
B:「ああ、よかった。」
A:「あの映画、フルCGだぜ!!」
B:「え!?そうなの?・・・実写で良いじゃん!!」
A:「あのCGの技術力は凄いぜ!!」
B:「だから・・実写で良いじゃん!!」

このもどかしさが、意識と脳の問題にあると思う。

投稿: tain | 2007/01/29 1:36:15

プロフィールの写真、
上田さんの頭の中だけに存在する茂木さんの姿を
上田さんの脳内から取り出して見せてもらったような
不思議な感じがします。

津島祐子さんの著書に「人間のことばが音の領域から
文字の領域に飛びこんでいく、その刹那の、
抵抗熱とも言うべきようなもの」という文を見つけて、
「なるほど~♪」と嬉しかったのですが、
この写真にも「映像化する刹那の抵抗熱」があるような気がします。

プロフィールの写真が「よそ行き」になると
このブログ全体もおすまししているように見えるのが面白いですね!

 ↑ 一生懸命、改行してみたのですが改行するときにも
   「抵抗熱」があるように思います。どこで改行するか?と
   悩んで「えいっ!」とパッションで改行しています(笑)。

投稿: まり | 2007/01/28 21:29:57

 自分に見えているものや、感じていることを人に伝えようとすると、
何らかの形で表現するしかないじゃないですか。
言葉や、文字や、音楽や、映像とか・・・。
 例えば、自分がものすごい発見をしたとしても、それを誰かに伝えられなければ、発見していないのと同じことなのではないかと思うのです。
 だから、多くの人に理解できるような形式にして発信することはすごく重要なことなんだな~って、最近つくずく思います。

投稿: alp | 2007/01/28 19:21:59

茂木先生の決意、一読者としてとても嬉しく思います。

先生が様々な分野で獲得された知の多様性…私は『脳と仮想』
を読んで、その点に魅かれました。脳科学とは私の個人的な見
解ですが、脳に留まらない『人間学』だと思っています。

「人間とは何か」…この最も古くかつ最も新しい問いは、その
時々の世界観等によって変化していますが、まだその答えが出
ていないと思います。その問いに答えて人間の本質を明らかに
していく…茂木先生の意識の根源にはそのような自分への問い
かけがあるように思えてなりません。

茂木先生の世界へ発信していく人間哲学を楽しみにしています。

投稿: コロン | 2007/01/28 18:19:31

お正月気分も抜けかけたうす曇の日、ふらりと立ち寄った上原の文教堂で黄色いBRUTUSの表紙に惹かれて立ち読みをしたら、その場から離れられなくなってしまった・・・。
なんだか会った事があるような懐かしいようなこの人は、脳の事をやっている人なんだ、という事を知って、その日依頼このBlogを読みに来ています。今、「生きて、死ぬ私」を読んでいます。半分まで来るのに暗くてしんどくなり何度も泣き、読むのを止めたいとすら思っています。笑
私は名もない一般人だけれど、自分がなぜ生きているのかという問いが消えることはないし、それどころか年を重ねれば重ねるほど、漠然としていた疑問が形を成していよいよくっきりし、自分の興味が増殖していると感じています。
茂木さんの今の取り組みへの決心が、インドへの旅にあったのだという件に、あのBRUTUSのガンジス川の風景(びっしりと隙間なく連なり橋を渡る人々、川を見つめている茂木さん)が重なり、なんだか大切な人から一つ告白を受けたような気分。
(きっとそう感じたいる読者が多くいるはず。)

投稿: m | 2007/01/28 16:49:31

そうだったのですね。。 茂木さんの変化の理由。

日本からは何の哲学もなくなってしまった・・ 
巨大なブラックホール
カナダのお父さんのことば、的を射ていて耳がいたいです。
経済的に大発展しても、精神的な面では後退してしまったのかもしれません。

Gift of unknown things
この国が誇れるもののあはれ。
取入れられるのではなく、こちらから差し出すこと。。
そういう考え方ができ、それを発信できるのは、
いま茂木さんくらいしかいないのかもしれません。

分野を超えたさまざまな経験から生まれる広大な思想。
 先生の立場でしか分泌できない、すてきなGift
どんどん発信してください。

 >戻る度に新しい発見がある
わたしも自分なりにできることを、考えてみようと思いました。

これからQJの読者がますます増えて、
心からこの国を愛してもらえるようになるかもしれないと思うととても楽しみです。
茂木さんなら成せると思います。 
がんばってくださいませ!


投稿: M | 2007/01/28 15:37:09

すごいことを聞いてしまったような
ただならぬ予感がします。
茂木さんのおっしゃること
多分、全てそのとおりです。
私は電子辞書片手に、
Qualia Journal で
英語の勉強はじめました。

この写真、茂木さんのイメージに
ぴったりですね!

投稿: mori | 2007/01/28 15:04:04

私自身、最初にイギリスを訪れたときは、「小さい頃から恋焦がれていたイギリス」に出会うことしか考えていなかった。
でも、その地で、英国の人々のみでなく、台湾、トルコ、ロシア、タイ、カザフスタン、インド、いろんな国の人たちとの出会いがあり、自分の中の日本に立ち返らざるをえなかった。

「未知の贈り物」確かにたくさんあるはずです。
茂木さんのQualia Journalもそのひとつですね。

私も個人的なレベルで、贈り物をしていきたいです。

投稿: Kaori | 2007/01/28 12:23:46

世界中の文化や芸術や、教養などをただ吸収するばかりで、外へは何も出す気配のない、この島国(出しているもの、といえば、アキバ系のサブカルぐらいだと私個人は思っている。それだけじゃあダメだっての)。

茂木さんがホームステイに行ったカナダでお世話になった「お父さん」の言葉を借りれば、この小国は、まさに巨大なブラックホールになってしまった。ただ世界から全てを吸いこむばかりで、出すものは僅かなものばかり。
哲学など出て来た験しがない(もっとも、一部には例外もあるそうですが)。

そんな日本で、もっと強烈な…そして自分達の中にあるキラキラ光る宝物のようなものを、向こうのヒエラルキーに依存するカタチでなくて、それこそ本当の「未知の贈り物」として、力強く発信できたら、世界は日本に対する見方を変えてくれるだろう。

そのような努力を茂木さんがされ始めていることに、毎日この島国の「あほらしい一面」を慨嘆している私のような者は、感激にたえない。

たしかに、ノーベル賞だの、MITだのといった、既にある世界のヒエラルキーに依存することをこの国ではいまだに「世界にはばたく」とか「メジャーリーグ入り」とかほめそやす風潮が強い。

仮令そういうところへいったって、何もこから強烈に自分なりのものを発信できなければ、その他大勢の中に埋もれてしまうかもしれないじゃないか。


そんな風潮に反して、フラワーピッグが、この島国にとどまって、自分の中からしか出てこないものを強烈なカタチで発信する試みを始めていることこそ、世界が日本をやがて本当の意味で「地球の好き一員」として受け入れる為の〈小さいけれど)第1歩になるのではないか、とこのコメントを書きながら、期待と希望を抱いている自分がいる。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/01/28 11:47:51

英語版のクオリアジャーナルの方の写真をクリックすると、年齢86歳となってました。(・・きっと精神年齢はご高齢でいらっしゃると思いました)
カルチャーセンターの講座をとりたいと思ってます。よろしくお願いします。

投稿: たけだ | 2007/01/28 11:12:54

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