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2007/01/31

Interaction Simultaneity

Interaction Simultaneity

The Origin of Consciousness blog

31st January 2007

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1月 31, 2007 at 07:53 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

雰囲気もデスクっぽくなって

雰囲気もデスクっぽくなって

『プロフェッショナル日記』

2007年1月31日

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1月 31, 2007 at 07:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

悲惨の中の栄光

イギリスの文学などにも
時々あるのだが、
 困窮や欠乏の中に
ある種の栄光を見る、
というセンスの起源は何なのだろうと
思う。

 好きだ!

 ロシア文学には、ドストエフスキーの
小説に見られるように、
 惨めさを光の中に描く
作品群が存在する。

 私の生まれた年に発表された
 ソルジェニーツィンの
『イワン・デニーソヴィチの一日』
は、スターリン時代の強制収容所での生活を
描いた短編だが、
 むしろ「至福」と言ってもよい
不可思議な読後感がある。

 小学校の時から、私はこの短編を
一体何回繰り返して読んだことだろう。

 主人公のイワンが
二人分の食事をうまくせしめたり、
 仕送りのソーセージを分けて
もらう場面では、
 おもわずごくりとつばを
飲み込んでしまう。

 悲惨と栄光。
 困窮と豊饒。
 暗闇と光輝。

 大いなる喜びを味わうためにこそ、
 神よ、私に試練を与えたまえ!

 もっとも、クオリアなんて問題を
考えている時点でもうすでに
大いなる困窮の中にいるとしか
言いようがないわけであるが。

 くわばら、くわばら。
 それにしても、主観は、世界の
どこにあるのだろうか。
 古今の叡智をひもといても、
誰も未だ納得のいくラフスケッチさえ
描いていない。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

 東京芸大の粟田大輔クン、
美術手帖の斎藤哲朗さんと、
 美の変遷、古典というものについて
熱く討論。

 PHP研究所の小川充さんに
ゲラをお渡しする。

 電通の佐々木厚さん、
豊田自動織機東京支社長の余語幸夫さんと
東銀座で会食。

余語さんが素敵なお店をご紹介くださった。

 夜道を帰りながらふと考えた。

 初めてスキーをやった時、
わるいやつらに
蔵王の一番上まで連れていかれてしまって、
 仕方がないので
滑りは転び、突進しては身体を倒し、
必死になって下まで降りてきた。

 爾来、スキーには数回行っているが、
学習曲線はゆっくりである。

 ある時、すいすいと美しいフォルムで
滑り降りてくる人たちよりも、
 なんだかぎこちない人の方が
ぼくにとっては魅力的だなと思った。

 別に自己弁護でそう言っているんじゃない。

スムーズな洗練にはあまりセクシーさを
感じないのだ。

 そのような感覚は、おそらく幼き頃から
培われたもので、
 私の現在のテーマの選び方にも
きっと影響を与えていると思う。

 「悲惨の中の栄光」の気分を味わうためにも、
冬はもう少し寒い方が良い。

1月 31, 2007 at 06:47 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2007/01/30

Complex

Complex

The Qualia Journal

30th January 2007

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1月 30, 2007 at 07:36 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

とてつもなく個性的な蝶々

一卵性双生児を見ればそっくりな
ことでもわかるように、
 すがたかたちはほぼ遺伝子で決まる。

 知性や創造性などの「才能」も、また、
脳の神経回路のパターンで決まるという
点において、
広い意味での「すがたかたち」である。
 才能に上下はない。ただ、個性が
あるだけである。

 美醜も上下の問題ではなく、
本来は個性の問題であること、
 その基準は、時代とともに変化するもので
あることは、
 2万年以上の前の作とされる
 Venus of Willendorf
を見ればわかるだろう。

 外見もまた才能であり、
才能を条件付ける文脈は
変遷する。

 佐藤江梨子さんと対論する
機会があり、
 佐藤さんがタレントになった過程が
おもしろかった。

 なろうと思ってなるのではなく、
「発見される」
 中学生の頃から、周囲の男たちが
うるさくて仕方がなかったという。

 ある女優はデビュー前に原宿の周囲を歩いている
間に10回スカウトされたと聞く。
 ステージママがむりにプッシュして
なる道もあるのだろうが、
自然に発見されるということもあるのだろう。

 ボクは、一度、電車の中で、ほれぼれと
するようなおじいさんを見かけ、
 自分がスカウトだったら絶対に
声をかけたいと思ったことがある。
 
 上品な白髪といい、雰囲気といい、
素晴らしかった。
 あの人は電車に乗ってそのまま
どこにいってしまったのだろう。

 自分が悪いのだが、やることが
とてつもなくあって、
 死にそうな一日だった。
 
 脳に過負荷をかけるのが快楽原理だと
言っているわけだから、
 それを実践するしかない。

 自律分散システムのシンポジウム。
 オーディエンスが変わると、
話す内容も更新される。

 embodimentや、intuitionといった
見果てぬ夢を追うromantic scienceもまた、
世界の全ての情報を検索し尽くそうとする
good old-fashined A.I.の脅威の前で、
 再定義され、構築されなおさなければ
ならない。

 embodiment 2.0とは何かということに
ついて、
 脳の抽象的な抽象構造を追う
neuroeconomics的な文脈の中で
 考え直す必要があるだろう。

 その時に、romantic scienceはregenerateされる。

 そんなことをお話した。

 養老先生との対談などを収録した
「天才脳の育て方」(アスコム)の
打ち上げ。

 アスコムの柳さんから、蝶の
標本をいただいた。
 
 ボクはお酒を飲みながら、
マジマジと試すがえす見とれてしまった。

 蝶のすがたかたち、色、斑紋は、
天敵による補食、性淘汰などの
文脈の中で、それぞれユニークに進化
してきている。

 ボクたち人間は、すべて同じ種類の
動物だと思いこんでいるが、
 本当はめくるめく異なる様相が、
一人ひとりの中にあるのではないか。

 ボクたちの一人ひとりの中に
とてつもなく個性的な蝶々がいる。
 
 現代の文脈において「美しい」
と思われるものを追うだけでなく、
 醜いもの、だらしないものの
中にも可能性を見いだすのが
 本来の生命哲学なのであろう。

 『ファウスト』第二部の
古代ヴァルプルギスの夜を書いた時の
ゲーテは、それがはっきりとわかっていた。

1月 30, 2007 at 07:15 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2007/01/29

Snow

Snow

The Qualia Journal

29th January 2007

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1月 29, 2007 at 07:15 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

伏流水

ここのところ、仕事をしながら
小津安二郎の映画を時々かけている。

 本当はゆっくり見たいのだけれども、
そんな時間はないから、
 「ゼロよりは少しはかかっていた
方が良い」という考えで
せりふを聴き、
ときどきちらちらと画面を見る。

 昨日は『父ありき』と『お早よう』
を流した。

 『父ありき』の、有名な、二人で
川に入って釣りをする場面。
 『お早よう』で、最後に待望の
テレビを買ってもらって、
 弟がうれしすぎてフラフープを
回すシーン。

 そのようなとびっきりの箇所は、
手をとめて思わず見つめる。

 小津は、本当に凄い人だと思う。
その度に新しい発見がある。

 『お早よう』で、隣人たちがほんのささいな
誤解から険悪な状態になっていくプロセスは、
人の世に絶えない諍いの見事な徴表と
なっている。

 「おなら」を一つのモティーフに、
市民生活の取るに足らない日常を描いている
ようでいて、
 よく考えてみれば恐ろしい。

 『考える人』の最新号は
小津安二郎特集で、
 「もののあはれ」についての
小津の発言が載っている。

 三枝成彰さんに誘われて、麻布十番の
そば屋で懇談した。
 島田雅彦、團紀彦、竹山聖、奥田瑛二
の面々。

 そば屋で酒を飲みながら・・・
というのは座持ちの良いもので、
 話の大輪の花が咲いた。

 今読んでいるBertrand Russellの
The problems of philosophyの中に、
Philosophy, if it cannot answer so many
questions as we could wish, has at least the
power of asking questions which increase the
interest of the world, and show the strangeness
and wonder lying just below the surface even in
the commonest things of daily life.

とある。
 
 また、
 
Whoever wishes to become a philosopher must
learn not to be frightened by absurdities.

とある。

 麻布十番の雑踏の中を歩きながら、
私はいろいろと奇妙なヴィジョンがちらついて
仕方がなかった。

 あれはドイツの映画監督か誰かが
バイロイトで演出した『ローエングリーン』
だったか。

 エルザが禁じられた問いを発し、
 白鳥の騎士が去った後、
希望を失った世界に雪が
降ってくる。

 人々も雪まみれになったまま動かず、
 やがて全てが白に包み込まれてしまう。

 その最後のシーンが、伏流水
のように強烈によみがえってきて、
 私はそのなぜか至福のように感じられる
イメージの中に包まれていった。

1月 29, 2007 at 06:50 午前 | | コメント (3) | トラックバック (5)

2007/01/28

My own life as a classic

My own life as a classic

The Qualia Journal

28th January 2007

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1月 28, 2007 at 08:45 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

節分の豆まきの叡智

ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月11日号
(2006年1月29日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第40回

節分の豆まきの叡智

抜粋

 生命現象の研究の第一人者として知られ、「ホロン」や「場」などの概念を提唱して多くの影響を与えた清水博東京大学名誉教授の講演を聴き、感銘を受けたことがある。
 お話の中で、清水さんはしきりに「鬼」の話をされた。
 節分になると、「鬼は外」と豆をまく。子どもたちが鬼のお面をかぶった大人に豆を投げる光景は微笑ましいが、あの行事には日本人の素晴らしい叡智が込められていると清水さんは言われた。
 鬼は異質な他者の象徴である。困ったこと、悪いことをする鬼は豆をまいて追い払わなければならない。しかし、防御を完全にして、最初から鬼が入ってこないようにするのではなくて、むしろ鬼が入って来られるような隙間を空けておく。そのような余裕を見せた上で、鬼が入ってきたら豆をまく。そのような他者との生き生きとしたやりとりが、生命を育む「場」としての大切なデザイン原理である。
 そのような趣旨のことを、清水さんは言われた。私は、なるほどと大いに共感したのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


1月 28, 2007 at 08:00 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳における偶有性の処理機構

計測自動制御学会

第19回 自律分散システム・シンポジウム

茂木健一郎

『脳における偶有性の処理機構』

東京工業大学・大岡山西9号館・デジタル多目的ホール

2007年1月29日(月) 17時30分〜18時30分

http://www.irs.ctrl.titech.ac.jp/~das/

1月 28, 2007 at 07:42 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

未知の贈り物

波照間島のビーチで座って
見上げているプロフィールの写真、
 それなりに気に入っていたのだけれども、
ココログのシステムとして、
 併設の『プロフェッショナル日記』
も同じ写真が表示されることがわかって、
どちらにもフィットするものをと、
 新しいイメージに変えた。

 先日上田義彦さんのスタジオに
伺って『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の新しいホームページのための写真を
撮影していただいた時のスナップ。

 普段あまりこういう恰好をしないので、
「よそ行き」に見えるけれども、
ご容赦。

 このところ、英語の書籍を
乱読していて、止まらない状態。

 日本の知識人は明治以来輸入業者に
徹していたが、ボクは本格的な輸出業を
しようと誓って、去年の12月くらいから
いろいろ始めた。

 何が自分の中で変化したのか、よく
わからない(自分の人生では、
大抵の場合、大きな変化が
起こる時はいつの間にかふわっと完結して
いて、あとで振り返るとあれが
ターニング・ポイントだったとわかる)
けれども、一つ大事なきっかけだったのは、
インドに行ったことかもしれない。

 ノーベル賞にせよ、ケンブリッジや
オックスフォード、ハーバード、MITと
いったCenter of Excellenceにしても、
それをあがめ奉ってそのヒエラルキーの
中に取り入れられることを
 「世界的に活躍する日本人」
とか、
 「メジャーリーグ入り」
とかはやし立てるメンタリティが、以前から
嫌だった。

 そのような精神性は、本質において卑劣で、
「輸入業」とあまり変わらないんじゃないかと
思っていた。
 
 去年
 インドに行って、文化的多様性の
大切さを感動的な認識のうちに
改めて確認し、
(タゴール!)
 世界の「勝ち組」
ではない人たちの多様性と結びつくことが
大事だということを実感し、
 そして、「その他大勢」の人たちと
結びつく方法が「英語」なんだと
わかった。

 何しろ世界には数千の言語があり、
何らかのlingua francaを経由しないと
仕方がない。
 英語を使えるのは、それぞれの国のインテリ
かもしれないけど、
 それでもゼロよりはマシだ。

 すでにあるヒエラルキーに取り入れられる
のではなく、
 日本の東京にベースを持ち、脳
や意識を研究し、
 文芸評論を書き、テレビのキャスターをし、
大学で教える。
 そのようなボクの立場から
しか分泌されない何ものかを
 世界のスモールワールドネットワークに
向かってweb 2.0的に表出したいと思った。

 専門分野の論文を書くだけでなく、
さまざまな文化的表象についても、
 「売りものになる文章」を書ける
ようになりたいと、実験を始めたのである。

 2年前、カナダを訪れた時、
お世話になったホストファミリーの
「お父さん」に言われたことがある。

 ケン、日本からは、すっかり何の哲学も
出なくなってしまったなあ。
 外から見ると、日本は、巨大なブラックホール
のようだ。
 これだけ経済的に大きくなって、
世界の人たちから注目されるようになったのに、
思想を輸入するだけで何にも出てこない。
 日本に帰ったら、ぜひ、自分たちの
考えていることを外に出すように、
皆で伝えてくれ。

 その時は、ぼくは「多様な世界への
贈り物」という現在のメタファーに
たどり着いていなかったので、
 「カナダの父」の言葉に
すぐに100%応えることが
できなかった。
 
 去年の12月に、自分の中で
なにかが変わった。
 多様性という森を一度通過して、
英語で何かを表現するということを、
より清澄な光の下に見ることができるよう
になった。

 今では、何年か後に自分がそうなって
いたいという姿をありありと
思い浮かべることができる。

 Qualia Journalをほぼ毎日更新するように
なって二ヶ月近くが経過したが、
 その中で見えてきたことがある。

 それは、日本の中に蓄積されてきたものの
うち、最も大切な世界への贈り物の一つは
「もののあはれ」的なもの
だろうということである。

 Arthur Waleyによる『源氏物語』
の英訳という先例があるが、
 小林秀雄や、内田百閒の言葉、それに
自分自身の経験などを英語で表出している
うちに、生きる上での一人称的な
切なさや、変わりゆく世界についての慨嘆、
そんなものを英語にした時に、
 そこに圧倒的に読ませるなにかが
立ち現れる可能性があることを
 初めて確かな手応えとして悟った。

 思えば、
 日本人はなんと苦しい日々を送って
きたことだろう。
 インテリは、外国に行けば、
あたかも「名誉なんとか」のような
ふりをして、
 やれカントだフッサールだ、ヘーゲルだ
などと、
 すでに向こうのヒエラルキーの中に
あるビッグ・ネームを自分たちも
引用し、仲間に入れてもらったような
顔をして喜んでいた。

 しかし、本当に求められていることは、
もっと強烈に違うものを、
 オリエンタリズムとかエギゾティズムと
かいった文脈ではない形で、
 一つの「贈り物」として
差し出すことではないか。

 ぼくは、悔恨とともに、そんな
新しい志向性の中に光を見る。

 日本語で書いたら、ほぼ自動的に
日本人しか読まない。
 そんなぬるま湯の中で
「美しい国」とかそんな甘っちょろい
ことを言っているんじゃなくって、
 (そもそも、美意識は政治的には
きわめて危険なものなのに、
それを堂々と持ち出すとは、
何とナイーヴなことだろう)
 自分たちの中にあるキラキラ光る
宝物のようなものを、
 向こうにあるヒエラルキーに取り入れられて
名誉ナントカになる方便としてではなく、
 それこそ本当の「未知の贈り物」
(Gift of unknown things)
として差し出したらどうか。

 そうすれば、世界は、きっと
微笑んで、日本という国を心から
愛してくれるようになるだろう。

 乱読の中でBertrand Russellの
The Problems of Philosophyも
読んでいるが、
 古典というものは良い。
 
 圧倒的に良い。
 繰り返しそこに立ち返るべき
なにかがある。
 戻る度に新しい発見がある。

 自分自身の人生も、振り返ると、
すでに過ぎ去った出来事なのに、
 新たな意味がそこから見いだされ、
未来へと解きほぐされて投企されて
いくきっかけになる。

 だから、それぞれの人にとって、
自分の来し方は、一つの繰り返し味わう
べき「古典」なのだ。

1月 28, 2007 at 07:35 午前 | | コメント (13) | トラックバック (0)

2007/01/27

Being Hungry

Being Hungry

The Qualia Journal

27th January 2007

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1月 27, 2007 at 09:37 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

アイ・ワーク

アイ・ワーク

『プロフェッショナル日記』

2007年1月27日

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1月 27, 2007 at 09:06 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

(本日) 科学大好き土よう塾

科学大好き土よう塾

「迫る!運動神経の秘密」

NHK教育
2007年1月27日(土)
09:15〜09:59

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=68453517&area=tokyo 

http://www.nhk.or.jp/daisuki/ 

1月 27, 2007 at 08:34 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

ピンク色の花びらを一つだけ落として

人生の中で、外側で起こって
自分の中に入ってくることは
 脈絡がなく、断絶している。

 しかしだからこそ、セレンディピティ
も訪れる。

 一方、内側で起こっていることは
マグマのように連続していて、
 外から入ってくるものに影響され、
揺るがされながらも
 綿々とつづいていく。

 このところ考えているのは、
広い意味での「痛み」の問題。

 特に、胸に残るかすかな「痛み」が
次第に甘みに転じていく、そのプロセスに
心を惹かれる。

 『ローエングリーン』の最後に、
どこかに去っていってしまう白鳥の騎士を
偲んで、人々が

 Wech harte Not tust du an!

と叫ぶように。

 白魔術は、そのような痛みの上に
こそ現れる。
 あはははと笑ってすごす陽光の下での
至福には、白魔術はいらない。

 ぼくは、モーツァルトは人生において
あまりにも哀しいことがたくさんあった
からこそ、 
 突き抜けるような明るい曲を書いたのだと
思う。

 桜の花が美しいのは、そのすがたかたちは
もちろん、それが心に残すかすかな痛み
ゆえではないか。

 『ユリイカ』の対談で、布施英利さん
とダ・ヴィンチについてお話した。

 布施さんは、ダ・ヴィンチの描く人間が
まるで設計図のように見えるという。

 有機体で構成された設計図でありながら、
なおもさまざまな思念にとらわれ、 
 意識という表象をもち、
 うち震える我々という存在の不可思議さよ!

 live and let live!という言葉があるが、
意識の流れにおける瞬間から瞬間への
移り変わりは、
 むしろdie and let live!である。

 The Brain Club。
 修士の2年の人たちが、修論の進捗具合を
報告し、
 そして石川がstimulus-independent thought
(SIT)についての論文を紹介した。

 次の野澤の番の前に、ボクは時間切れに
なって、
 エレベーターの方に向かったら、
 須藤珠水が追いかけてきた。

 「あのう、茂木さん」 
 「うん?」
 「野澤くん、今日で論文紹介2回目
だと思うんですけど、この前も茂木さんが
時間切れになってしまっていらっしゃらな
かったんですよね」
 「そうだっけ?」
 「野澤くん、やはり茂木さんに聴いて
いただきたいと思っていると思うので、
 今度改めてもう一本紹介させるとか、
やったらどうでしょうか?」
 「そうだね。そうしよう! ありがとう、
須藤さん。」

 須藤は、時々気遣いのひらめきを見せる
ことがあって、びっくりする。

 というわけで野澤くんは一本多く論文紹介を
することになりました

 伊藤正男先生がGruber Prizeを受けられた、
お祝いの会。

 スライド・プレゼンテーションの時に、
東京大学医学部の最終講義の様子があった。

 黒板に

 脳と心の問題
 Brain-Mind Problem

とある。

 伊藤正男先生がオーストラリアに留学
されていた時の
 メンターが、John Ecclesさん
(ノーベル生理医学賞受賞)。

 Ecclesが、Karl Popperと書いた
The self and its brainは、伊藤先生の下で
私が脳の研究を始めた頃の愛読書であった。

 Eccles、そして伊藤先生。

 忘れてはいけない伏流水の流れに
つつまれて。

 困難であるからこそ、突き抜けた時
最大の喜びが得られる。
 
 そのように、私たちの脳は
できている。

 春になったら、桜の樹の下で、
ピンク色の花びらを一つだけ落として、
シャムパンを飲みたいと思う。


東大医学部最終講義での伊藤先生


記念撮影。私(左端)、伊藤先生(中央)


挨拶に立たれる伊藤先生

1月 27, 2007 at 08:26 午前 | | コメント (4) | トラックバック (4)

2007/01/26

Gregory Colbert

Gregory Colbert

The Qualia Journal

26th January 2007

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「異種間の共感」

ただ今公開中の映画
Inconvenient Truthでは、
民主党の前大統領候補だったアル・ゴアが、
 地球温暖化について世界中を
講演行脚する様子が描かれている。

 科学的なデータとしては
二酸化炭素の上昇とともに
地球の気温が上がっていることは
明白なのに、
 その「不都合な真実」を見ようと
しない人たち。

 アメリカの車の排ガス規制は、
日本やヨーロッパはもちろん、
 中国のレベルと比べてさえも緩いという。

 真実があるのに、それを見ようとしない。
 そのギャップを埋めるために
ゴアはがんばっている。

 それで思い出したことがあった。
 1997年に出版した『脳とクオリア』
の中で、私は反応選択性を徹底的に
批判した。
 そして、神経細胞の間の相互関係に
基づく「マッハの原理」でなければ
意識の問題は解けないのだと主張した。

 私にとっては、当時も(そして今も)
これくらい明白な、論理的に明らかな
「真実」はないと思っているが、
 世の中の人にはなかなかわかってもらえない。

 単一電極計測やfMRIは、マッピング
(写像関係)を明らかにする上では大切な
 意味を持つが、
 それだけで意識の問題が解けるわけではない。

 もう一つ。Gerald Edelmanをはじめとする
さまざまな人が「意識の問題を解けた」
というモデルや理論を発表しているが、
 そのどの一つとして、
 「そのモデルで記述される対象が、
物理的、機能的に意識をもった私たちと
まったく同じふるまいをしたとしても、
 一切の意識表象をもたない「ゾンビ」
ではない保証はどこにあるのか」
という「哲学的ゾンビ」の問題に答えていない。

 これも、少しでも論理的に考えることが
できる人ならば明白な「真実」であるが、
なぜか世間の一部の人たちはそれを
見ようとしない。

 アル・ゴアのように、あきらめずに
行脚するしかないのであろう。

 あるいは、最後まで解いてしまって、
E=mc2のような、有無を言わせない
 形式まで昇華させてしまうこと。

 最初から不定の距離を思うと、
目が回ってしまう。
 100とか1000のひらめきの
向こうに、最終的なゴールがある。
 そのように思って、足元を
見つめていくしかない。

 動物と人間との不思議なかかわりを
写真に定着してきたGregory Colbert
と話す機会があった。

 動物と人間の間にも、
empathy(共感)はある。

 しかも、私たちが想像している
以上のレベルで。

 人間だけが住まう都会の光景は、
species ghetto
(単一種を閉じこめたゲットー)
だとGregoryは言う。
 
 進化論的な視点から言て、
「異種間の共感」にはどのような
意味があるのか?

 マッコウクジラの親子と一緒に
泳いだり、
 あるいは象と横たわったり。
 そのような時に生まれる
意識の交流には、どのような意味があるか。
 
 マッハの原理は、意識表象が
関係性から生まれるというステートメントであるが、
 同じような関係性に由来する
 豊饒への道筋が、
 私たちがまだ気付いていない姿で
この地球上に隠されているような気がして
ならない。

 地球温暖化の問題も、
意識の謎も、
 「真実」を見ようとしない態度は、
 「今、ここ」にある事象を切り離して、
周囲のさまざまとのつながりのネットワークを
無視することに由来する。
 
 「異種間の共感」に自分を投げ入れる
時の
 不思議にやすらぎを覚えるその境地の
中に、私たちは魅力的な鈴の音を聴き始める。

1月 26, 2007 at 07:57 午前 | | コメント (10) | トラックバック (8)

2007/01/25

Persuasion

Persuasion

The Qualia Journal

25th January 2007

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プロフェッショナル 仕事の流儀 大野和士

プロフェッショナル 仕事の流儀 第39回

がけっぷちの向こうに喝采(かっさい)がある

〜指揮者・大野和士〜

ミラノ・スカラ座、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場など世界中から公演依頼が舞い込む指揮者、大野和士(46)。いま、ベルギー王立モネ劇場の音楽監督を務める。
言葉も文化も違う日本人がヨーロッパで指揮者を務めるのは並大抵の事ではない。しかし大野は、常に楽曲への理解の深さで相手を圧倒する。英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語を自在に操り、自宅では大量の資料を原語で読み込む。けいこではドイツ人にワーグナーのオペラの解釈をドイツ語で伝えもする。 10月、大野はドイツオペラの最高峰のひとつ、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」に挑んだ。その本番の3日前、主役の歌手が突然、倒れるというアクシデントが起きた。関係者が騒然となる中、大野がとった驚くべき決断とは。
知られざる舞台裏に、6週間カメラが密着。世界が認めるマエストロ・大野の流儀に迫る。

NHK総合
2006年1月25日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 25, 2007 at 08:52 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

お前だけはオレの話がわかっていると思っていたのに!

昨日の話の補足だけれども、
ぼくは、これからの時代に、「ハイ・テーブル」
のような知の集積を実現し、その中で
生きる上で、
 どこかの組織に所属したり、
何らかの肩書きを持っていなければならない
とは思わない。

 ボクが学部学生だった頃は、
物理学の専門的論文を読もうと思ったら、
物理学科の図書館に行かなければならなかった。
 
 今では、超ひも理論でも、重力理論でも、
最先端の論文が、インターネット上に
(多くの場合タダで)掲載されている。

 大学に入試があるのは、キャンパスや
指導教官などの資源が物理的に制約されて
いるからであろう。

 そのような制約のないインターネット上の
勉学の場に、「入試」などない。

 本来、知は、大学などの組織が
独占しているべきものではない。
 グーグルのやっていることの背後には、
かなり一貫した、深い思想が感じられる。

 知は、万人に知られることを
求める。
 
 先日の梅田望夫さんとの対談で、
英語で「無料」と「自由」は
同じfreeだという話が出たが、
 学術論文のOpen Access化を熱心に進める
人たちが欧米にいるのはなぜか。

 そのうち、インターネット上で
勉強し、研究し、ノーベル賞をとる
ような人が出てきたら、世間のパーセプションも
変わるだろう。

 もちろん、人との直接対話によって
得られる叡智は大変なものだが、
 それを求める人は
学会やワークショップに出かけていけば良い。
 
 日本に横断的に知を総合する
組織がないんだったら、自分で
ヴァーチャルにつくってしまえば良い。

 勝手に、どんな分野の研究集会にでも、
ワークショップにでも、出かけていけば
いいんだよ。

 考えてみると、塩谷賢は、
大学院を「表裏」9年間いて、
 満了で卒業したあとも、
「在野」の哲学者として、どんな研究集会にも
のこのこと出かけていって議論していた。
 
 あれでいいんだと思う。学問の本質は自由だ。

 文部科学省が認定し、大学が出す「学位」
は確かにある程度のクオリティの保証には
なるけれども、
 その独占の上にあぐらをかいていると、
へたをすれば大学は、
 かつて私の大切な友人である田森佳秀が
外務省を評して吐いた名言、
 「もったいぶるのが仕事の人たち」
ということになりかねない。

 それともう一つ。
 日本の入試は、勉学を
他人との比較においてとらえるという
おろかなメンタリティを多くの人に
植え付けている。

 少しずつでも進歩する
という喜びは、それぞれの人固有のものであって、
 他人と比べてどうこうということではない。

 自分の足元を見つめ、確かに昨日よりは
今日の方が進歩しているという喜び。
 そのような、個々のペースに根ざした
歩みからじんわりと沁みだしてくる
 学びの喜びに依拠すれば、
 他人も大学も本当は関係ない。

 昨日は
 「脳とイノベーション」の話を
するために、
 ソニーの美濃加茂工場を訪れた。

 大変親切にしていただき、
製造工程を間近に見て
 深く感銘を受けた。

 日系ブラジル人の方や、
中国から来た方々もたくさん
 一生懸命働いていた。

 自分の今いるポジションに安住している
いわゆる「学者」よりも、
 彼らの方が深い「学び」の中に
いるように思えたのは、なぜなのだろう。

 インターネットがもたらした
新しい学びの機会に、皆、もっと熱狂すべき
ではないか。

 MITのメディアラボの石井裕さんに
うかがったこと。
 元所長のネグロポンティは、途上国の
子どもでも使えるようにと「100ドルパソコン」
のプロジェクトに邁進しているという。

 一体どんな熱い思いが彼を突き動かしているのか、
既得権益の談合世界に安住している人たちは
とくと我が身をふりかえってみるのが良かろう。

 私の敬愛する渡辺京二さんは、
在野の人だ。

 そういえば、この前の駒場の授業の時、
面白いことがあった。

 塩谷賢がしゃべっていて、
池上高志と私が「こいつの言っていること、
面白い、ということはわかるんだけど、
何を言っているのか本当にわからないなあ」
とひとしきりぼやいた後で、
 また塩谷がしゃべりだした。

 しばらくして、ボクと池上は顔を
見合わせた。
 お互い、自然に笑ってしまっている。

 「やっぱりわからない!」
のである。

 授業の後、みんなで懇談していた時、
ふと「ボクはPTSDかもしれない!」
と思って、
 池上にそう言ったら笑った。

 何しろ、18の春に大学に入ってきたら、
塩谷がいて、
 わけのわからない話を延々と聞かされた。

 しかも、塩谷には「話し込む」くせがあって、
こちらの都合にかまわず、
 歩きながらでも食堂でも飲み屋でも、
 延々としゃべり続けているのである。

 爾来、いろいろな人にあったが、
塩谷くらいよく意味のわからない(それでいて
含蓄が深そうな)ことを言うやつに
巡り会ったことがない。

 18歳の時、よりによってそのような
奇人と無二の親友になってしまった私は、
ジャックポットに当たったというか、
 隕石と衝突したというか、
ああ、なんという人生なのであろう。

 思わず立ち上がって、塩谷賢に、
「おい、わかったぞ。オレはPTSDだ!」
と言ったら、
 塩谷がわらって、
眼鏡をちょっとずらしながら、
 「なんだよ。オレは、お前だけはオレの
話がわかっていると思っていたのに!」
と言った。

 ははは、悪かった。

 何だかボクは胸がいっぱいになって、
人生を心から愛する気持ちになった。

1月 25, 2007 at 08:06 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2007/01/24

Ultraman

Ultraman

The Qualia Journal

24th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 24, 2007 at 07:39 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

「脳科学者と作曲家が語る 世にも美しい音楽入門」

江村哲二 × 茂木健一郎

「脳科学者と作曲家が語る 世にも美しい音楽入門」

 モーツァルトやバッハの音楽を聴いたときに立ち上がる、意識の中の豊饒な世界。音楽は、言うまでもなく人の心に感動を呼び起こす美しさをもっている。
 私たちの心は、音楽を聴いたときなぜ「美しさ」を感じるのだろう?
 調和と普遍性に満ちた世界は、科学と何らかの結びつきがあるのだろうか?
美しきものをこよなく愛する脳科学者と、内なる響きに耳を澄まし世界を表現する作曲家が、ここに出会い、語り合います。
 世界を引き受ける営みとしての芸術、創造という行為がもつ危うさ、現代音楽の宇宙、モーツァルトの光と闇、など、奥深い世界を探求するユニバーサルな対話。

2007年2月7日(水) 19時〜

ジュンク堂書店 池袋本店

http://www.junkudo.co.jp/event2.html

1月 24, 2007 at 07:11 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

ハイ・テーブル

認知科学は日常をあつかう学問であり、
普段は意識していない何気ないものの
中にそのヒントがある。

 授業をするために駒場の15号館に
向かって歩いているとき、
 見覚えのある姿が前に。

 はて、あれは野澤真一だろうか、
それとも・・・と
 思いまどっているうちに
黒い影は15号館に入っていってしまった。

 あれはAのようだが、本当にAであろうか。
 そのように思案している時には独特の
主観的感覚があるが、
 その時にしか現れない固有の
神経活動のパターンがあるに違いない。
 そんなことを考えることが、
 良い認知科学の研究の端緒になる。

 ニューヨークでキュレーターを
している渡辺真也さんが今企画している
「憲法9条」に関する展覧会の
話をしてくださった。
 
 その後何人かが「このような研究をすべき」
という「マニフェスト」をして、
皆で議論して、
授業は終わった。

 レポートには、「レディ・メード」
に関するとっておきの課題を出した。
 文脈付けも完璧。近来の
自信作である。

 なぜこのような形の授業にしたか。
 相互作用同時性、特に
zitterwebegungとの関係について
最近考えていることを話しても良かったの
だけれども、
 知性や生命、意識といったものについて
考えるということは、
 つまり総合的な視点を志向することで
あるということを、駒場の学生に体感して
欲しかった。

 私には、
 留学していたケンブリッジ大学の
の様子が忘れられない。

 私のメンター、ホラス・バーローの
所属していたトリニテイ・カレッジの
ハイ・テーブルは、様々な分野の研究者が
集い、
 自分と同じ専門の人などいなかった。
 数学者のとなりに生物学者、歴史家、
英文学者、法律家、さまざまな学問を志向している
人たちが集って、食事のたびに議論を交わす。

 ちょうど、同じ種類の樹木がお互いに離れた
場所にしかない熱帯雨林のように、
 多様な知の生態系がそこにあった。
 
 もちろん、自分のとりあえずの専門性の中で
猛烈に走ることは必須であるが、
 同時に、多様で豊かな知の森の中で
自由に意見を交流する。

 あのような設いがあるからこそ、
トリニティ・カレッジだけでノーベル賞学者が
30人輩出するという成果も出るのであろう。

 ひるがえって、日本の大学の現状はどうか?
 日本には、本当の意味での「アカデミズム」
があるのだろうか?
 お互いの専門が何なのか、疑心暗鬼的に
確かめ合わなければ夜も明けないような、
 そんな不自由な風土がいつの間にか
はびこっていないか。

 ボクのアカデミズムのイメージは、
驚くべき「凝縮」である。
 一見関係のないものどうしの間に
補助線を引く。
 さっと、今まで見えなかったものが
見えてくる。
 
 そのためには、異なるもの、色が違うもの、
凄まじき深みを呈するもの、そのようなものを
集めて、ぎゅうぎゅうと押さえつけなければ
ならない。

 すると、ある種の反応を通して、
やがて光が放たれてくる。

 その光こそが、人類を導く新しい方向性
となる。

 既存の組織にそのようなことを期待することは
どうやら難しいから、
 ボクは、いっそのこと
ヴァーチャルにそのようなものを
作ってしまおうと思う。

 勝手にハイテーブルを作ってしまおうと
思う。
 とは言っても、物象化しても
意味はないから、
 ヴァーチャルなケンブリッジの中で、
仲間たちと徘徊してみたいと思う。

 そして、いつか世界が驚くような
光が自然に放たれてくる、そんな様子を
見てみたい。

 授業を終え、私の研究室の
学生や、電通の佐々木厚さん、
 池上高志、芸大の植田工や
ゆうなちゃんと駒場のお魚やさんに
行って語らった。

 ボクが塩谷とうろうろしていた
駒場寮のあたりは、すっかり
様子が変わってしまっていて、
 浦島太郎になった気分だった。

 あの頃のボクにものごとの
本質がわかっていたとは思えない。
 ただ、どうしたらいいかわからず
胸の中にマグマを抱えて悶々としていた。

 そのようなことから類推するに、
誰かがスタイルを示すということの
価値は何ものにも代え難いものではないかと
思うのである。
 
 だからボクは、一生懸命模索しようと
思う。

1月 24, 2007 at 07:03 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)

2007/01/23

Wrath

Wrath

The Qualia Journal
23rd January 2007

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1月 23, 2007 at 09:20 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

本日の講義

本日の講義は、13時から開始します。

1月 23, 2007 at 09:08 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

茂木健一郎 東大駒場講義

Lecture Records

茂木健一郎 東京大学駒場キャンパス講義
2007年1月22日
東京大学駒場キャンパス 15号館4階409号室

Lecture 1 反応選択性批判、マッハの原理

音声ファイル(MP3, 77.7MB, 84分)

Lecture 2 Googleのようなgood old fashined A.I.
が台頭した今、embodimentやintuition、複雑性に
重きを置くromantic scienceはどうすれば良いか。

音声ファイル(MP3, 78.2MB, 85分)


1月 23, 2007 at 09:01 午前 | | コメント (0) | トラックバック (4)

真性異言

 国土交通省の懇談会で、
 文化をいかに育むか、
 グラフ構造がもたらす
偶有性、
 ローカルとグローバルの共存、
クオリア立国について熱く
語っていた。

 終わったあと、コシノジュンコさんが
言いにくそうに、
 「あのう、茂木さん、こういうところに
赤いセーターを着ていらして・・・」
と切り出したので、
 てっきり服装のことを怒られる
のかと思ったら(私以外はみな
ジャケットにネクタイだった) 
 「前と後ろが逆なのが、さっきから
とても気になってしまっているのですが」
と言われて、私は瞬間的に
自分でもわかるくらい赤面した。

 ぐいとひっぱって見ると、
確かにラベルが前に来ている。

 ひええ、と恐縮した。
 そして、全く気付かないで普通の
顔をしていた自分は何てバカなのだろうと
思った。
 そういえば、電車の中でFeynman Lecturesを
聴いていたら、
 前の人が妙にじろじろとこちらを
見るので、
 はて、おかしいなと思っていたのだが。

 「お話を聞くときに、やはり、
前を向いてその方のことを見ながら
聞きたいと思うのですが、どうしても
気になってしまって・・・」

 さすがはファッションデザイナー。

 川勝平太先生が、「いやあ、男には
服装に頓着しない、という考え方も
あるわけでして」と言われた
そのやさしさとコシノジュンコさんの鋭さと。

 どちらもステキでした。

 東京大学の駒場キャンパスには、
2年間しかいなかった。
 (対して、本郷には理学部物理学科で2年、
法学部で2年、大学院で5年の計9年間いた
ことになる)。

 それでも、幾つか染みこんでいる
場所がある。

 塩谷賢が、授業のあとの立ち話で、
「茂木さあ、無限が一つの鉛筆だとして、
その横にもう一つ鉛筆を置いたとしたら、
どうなると思う?」
と言ったのは、5号館だということを
思い出した。

 授業。
 今回は本質論を、ということで、
まずは反応選択性のクリティークから
入り、
 マッハの原理までいったところで
一時間目が終わった。

 二時間目は趣向を変えて、
googleに象徴されるgood old fashioned A.I.が
台頭している今、
 embodimentや、intuitionといった
もの、あるいは複雑系におけるような
 カオスとかアトラクターとかいった
ものを重視するromantic scienceが
いかにregenerateできるか
という問題を熱く議論した。

 終わったあとたむろっていると、
塩谷のノートが目に入ってきた。

 ボクは、学生時代からこいつの
びっしりとならんだ書き込みは見慣れて
いて、そのわけのわからない文字列を、
しばしば「真性異言」といって
からかいつつ敬愛していた。

 何か議論を始めると、
こちらの都合などおかまいなしに
だーっとずっと喋っているのも
塩谷のもう20年以上知り尽くしている
性質である。

 柳川透がつかまって黒板のところで
ずっと話し、
 百軒店のBYGで皆で話している
時には、
 野澤真一がずっと二人で語らっていた。

 ボクや池上高志は、どちらかと言えば
二人で話している時にも
 隙間が空いていて、
そこに誰かが入ってきたり、
 誰かに突撃をかけたりするのだけれども、
 塩谷は、「話し込む」という
感じになって、そのようなパーソナルな
会話空間の設計は、
 案外人柄の本質にかかわって
いるのではないかと思う。

 池上や塩谷のような友人に恵まれて、
ぼかあ幸せだなあ。

 学生にいつも言っていることは、
心から尊敬できる畏友を持てということである。
 なれ合うのではなく、切磋琢磨する。
 そいつの前では本気になれる、
 そんな友人を持て。
 
 そうすれば、世間がいくら堕落したって、
そんなこたあ知ったことじゃない。
 

二人の畏友、池上高志(左)と塩谷賢(右)


塩谷賢のノート。

「通行」とは評価の一部なのではなかろうか

とある。


塩谷賢のノート。

宗教とは、眼前の事物の移り動く流れの彼方
や背後や内面にある何ものか
実在しながらも現実されるのを待っている何ものか

などなどとある。

(ココログがまたもや写真をアップできなかった
ので、仕方なく別のところに置いた。
 本当になんとかして欲しい)

1月 23, 2007 at 08:33 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

やっと

写真がココログにアップできたので、
「今は明治」
「石ころだとしたら」
の日記に写真を添えました。

1月 23, 2007 at 07:53 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/22

The Miracle Apple

The Miracle Apple

The Qualia Journal
22nd January 2007

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1月 22, 2007 at 08:13 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『ひらめき脳』17刷

新潮新書 『ひらめき脳』は増刷(17刷、累計87000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。


1月 22, 2007 at 08:13 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

東京大学 駒場キャンパス 集中講義

茂木健一郎

東京大学 駒場キャンパス 集中講義

2007年1月22日 13:00〜16:10
2007年1月23日 10:40〜16:10

15号館4階、409号室

心脳問題を徹底的に考えます。

池上高志からのリクエスト
「クオリア原理主義! 脳を超えてくれ。」

1月 22, 2007 at 07:16 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

石ころだとしたら

あれは何年前のことであったか、
近江八幡を訪れ、山に登った。

 田園が広がる風景を見下ろしている
うちに、
 自分の足の下にある土の塊の
存在感がひしひしと伝わってきて、
 くらくらとなった。

 もし、自分が、この土塊の奥の方に
ひそかにぎゅうぎゅう詰めになっている
石ころだとしたら。

 身動きできないまま、何万年、何億年も
そのままでいる。
 そのような存在のリアリティが切ない
ほどに伝わってきて、
 うわあと叫びたくなった。

 気がつくと、空の上をチョウトンボが
ひらひらと飛んでいた。
 風に流され、ふわふわと
あっちにいったり、
 こっちにいったり。
 自由で、はかなく、そして頼りない
やわらかな存在。

 ボクもまた、チョウトンボと同じなのだと
思った。

 ボクが育ったのはどこまでも平らな土地で、
山はよく晴れた朝などにはるか遠くに見える
だけであった。
 だから、山にはあこがれがある。

 近所の神社に、浅間山というものがあった。
 富士山信仰の現れで、
江戸時代に人々が一生懸命盛り土を
して作った「富士塚」だったらしい。
 
 子どもの頃は、そんなことは知らずに、
ただ山があると思って駆け回っていた。

 遠き古の人たちが、
残してくれた、大切な手や足のあと。
 
 デザイナーの山中俊治さんの
アトリエを訪問した。

 山の斜面に建てられた素敵な
集合住居。

 春になると
 ウグイスがホーホケキョの練習を
するのが聞こえるという。

 後方に雑木林が迫り、窓から
山の気配が感じられる。

 山中さんととびっきりの
面白いお話をしながら、 
 ボクはずっと山の気配に包まれ、
それを味わっていた。
 
 地球の芯の近くに、
ぎゅうっと詰まって固まっている
ものたちは、
 マントル対流でもなければ、
 動きもせずに、
やがて太陽系が何らかの理由で
解体され、
 ばらばらに拡散するその遠い
未来まで、
 ぎゅうぎゅうのままじっとしている
ことだろう。

 自分の人生の毎日のふわふわに
目眩を覚えながら、
 時々そんなどっしりと動かない
ものたちのことを想うと、本当に
楽しい。
 
 今度山登りにいって、
たくさんの石ころを拾い、
 動かないものたちからの
手紙をそこに読み取ってみようかしら。

 そして何よりも、
お前もひょっとしたらこの
足元の石ころだったかもしれないと
想ってみることだ。



デザインを熱く語る山中俊治さん。

1月 22, 2007 at 07:08 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2007/01/21

Red

Red

The Qualia Journal

21st January 2007

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1月 21, 2007 at 10:29 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

受験の方法論

ヨミウリ・ウィークリー
2006年2月4日号
(2006年1月22日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第39回

受験の方法論

 本格的な受験は、高校からだった。県立の進学校に行く予定が、中学3年の10月くらいになって、急に国立大学の付属高校を受けることになった。地理が県立の試験科目にはなかったので、ゼロからやり直さなければならないかった。随分あわてて勉強したが、幸い受かることができた。
 高校も大学も、いわゆる「すべり止め」は受けず、一回だけの受験だった。その明かすと、「お前はいいよな」と嫌みを言われることもあるが、単に受験勉強のコツをつかんでいただけだと思う。自分なりのノウハウもあった。その一部を、今回は公開してみたいと思う。

抜粋

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


1月 21, 2007 at 10:10 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

赤シャツ

大竹昭子さんにそそのかされて
初めて人前で朗読した。

 白熱電灯がこうこうとともっているような。

 プラトンは、書かれた言葉は
話された言葉に比べて
 一段劣っていると考えていた。

 そのこともあるのだろう。
 ぼくは、ずっと、自分の書いたものは
振り返らないできた。

 しかし、考えてみると、
過去の自分の内なる軟体動物の
運動を跡づけ、 
 よみがえらせることで
 生まれる生命の躍動(エラン・ヴィタール)
は確かにあるのであろう。

 過去は振り返る度に違った形で
よみがえる。

 『坊っちゃん』の登場人物の中で
漱石は誰かと言えば「赤シャツ」
であり、
 つまりはうらなり君からマドンナを
奪ってしまう卑劣なやつ、
という身を切るような自己批評の精神が
 漱石を偉大な文学者にしたのである
という故事にならって、
 最近
 ぼくは赤シャツばかり着ている。 

 「カタリココ」で大竹昭子さんの
となりで喋っていて、
 子どもの頃(4歳くらいまで?)
赤いものばかり好きで、
 帽子とか、バスケットとか、親に
せがんで真っ赤なものばかり買って
もらって持っていたという思い出と
赤シャツ問題が突然結びついた。

 そのことを話した。
 赤シャツと自分の人生の初期の
志向性。
 この文脈が立ち上がったのは初めてだった。

 ライブの臨場感がいつもとは違った何かを
生み出す。
 
 大竹さんの「カタリココ」はだから
素敵な試みである。
 ずっと続いてほしいと思う。

 雪が降りそうで来なかったから
じらされた。

 ぼくが子どもの頃は、初雪というものは
かならず12月のうちに来るもので、
 それを本当に手紙のように
楽しみにしていたのだけれども。

 いっそのことシロクマくんになりたい。

 赤シャツを着たシロクマくん。

1月 21, 2007 at 10:02 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/01/20

The American way of being explicit

The American way of being explicit

The Qualia Journal

20th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/

1月 20, 2007 at 08:47 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

(本日)大竹昭子のカタリココ 第1回

大竹昭子のカタリココ 第1回
ゲスト:茂木健一郎

Rainy Day Bookstore & Cafe

2007年1月20日(土) 17:30〜19:00

大竹さんと朗読します。

http://www.switch-pub.co.jp/

1月 20, 2007 at 08:22 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

今は明治。

「はてな」で梅田望夫さんと
お目にかかる。

 表札に「?」と描いてあり、
それだけ。

 そのあたりから予感がしていたが、
中に入るとおもちゃ箱がひっくりかえった
大学院生部屋のようだった。

 「これは何ですか?」
 「お菓子の棚です。」
 「これは何ですか?」
 「サーバーですよ。」
 「えええ! これがですか。」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。
 ごろんと床の上に置かれている。

 「こう見えててもなかなか
スルドイ技術的な工夫がしてあって
ですねえ。この冷却のためのファンが
回転すると、空気が下から上にちゃんと
流れるようになっているのです。」

 普通の「オフィス」の感覚から
すると、色が溢れていて、関係の
ないものがあふれている。

 「ふふふ、最近、畳のスペースを
導入したので、仮眠しやすくなったのですよ」

 あれれ。

 空間が、遊び心のつぶつぶに満たされている。
 最初はとっても
 驚いたが、「はてなはやっぱりそうだったか」
と腑に落ちたような気がする。

 「ココログでごめんね」
と言ったらどっと笑った。

 対論開始。
 ノンストップでだーっと喋った。

 「昨日、新潮社の社長と会って
いたのですがね。」
 「ええ。」
 「茂木さんとの対談は、どんな感じで
進んでいるか、と聞かれたので、
 『ウェブ人間論』での私と
平野啓一郎さんの役割が
入れ替わって、私が平野さんになり、
 茂木さんが私の役をやっている、
というくらい茂木さんが暴走している、
と申し上げたのですよ。」
 「ひええ、そうですか」

 かくなる私は実はかなり過激な
ウェブ革命論者なのである。

 梅田さんにとても面白いことを
沢山伺った。
 たとえば、アメリカの若者は、
大学の教授や
 著名な知識人よりも、
 「アルファ・ブロガー」の方が
偉いと思っているというのである。

 「ブログのエントリーなどを見ていると、
ごく自然に、そんな価値観を持っている
書き込みに遭遇するのです。」

 ぼくはそのうち英語圏のアルファ・ブロガーに
なりたいと思う。

 「怒り」についての議論もとても
面白かった。
 
 梅田さんのメンターであるナントカ
という人は、ライフ・ロング・ナントカ
と言って生まれてから死ぬまでの全ての
体験を記録するというプロジェクトを
90年代初頭に始めたのであるが、
 ある時、ソフトを買ったらフロッピーが
何重にも梱包されて箱に入れられて
郵送されてきたのを見て激怒して
 「エッセンシャルなのはこの中のビッツ
だけなんだ、後の全ては全部無駄なんだ、
こんなことをしていてはいけないんだ。」
とばかり、物凄い怒りようで
 梱包材を引きちぎり、箱をぶっこわし、
暴れたとのこと。

 いい話だなと思った。
 
 ぼくもそうやって怒ることが時々ある。
 現状に対する義憤、憤怒の思いである。

 「結局、アメリカのITの歴史は、
既存の権益を守ろうとする人たちの思惑と、
そのような現状に怒りを覚えるヴィジョナリー
たちの志向性がぶつかった時に、
 長い目で見れば必ず後者が勝つ、
ということを学んできた、
 その繰り返しなのです。」

 日本はどうだろう。

 お話しているうちに、
 今は「明治維新」にとても似ている
という気がしてきた。

 ITというのは、実はアメリカの文明の
反映である。
 「ウェブ2.0」についても、
アメリカ社会が実はもともと
 2.0的に出来ている。
 
 それは、昨日の
「茂木健一郎 プロフェッショナル日記」
に書いたMITの石井裕さんの
お話を参照しても、とてもわかる。

 最近森山和道さんが日記の中で
書いていたが未だに
 フリーの人が不動産を借りるのに
苦労する、などというわけのわからない
日本の社会は
 全く2.0的ではない。

 梅田さんにその話をしたら、
 「ええっ。そんなことがあるのですか。
私なんか、シリコンバレーに行ってから
2年で会社を辞めて独立したけれど、
 家を借りる時も、オフィスを借りる時も、
苦労したことなんてありませんよ!」
と言われる。

 全くだよな。フリーか「正社員か」
なんてくだらないことで区別しないで、
単にディポジットをとればいいじゃないか。
 リスクがあるんだったら、家賃の
何%か保険代に回して、ヘッジすれば
いいじゃないか。

 日本には、「公序良俗に照らして
無効」と言いたくなるような
 わけのわからない契約慣行が
まかり通っている。

 「保証人」というのも同じだよ。
 じめじめしてイヤだ。
 それで自殺する人までいるんだから、
法律家の人たちは廃止に向けて
なんとかしてほしい。

 一貫しているのは、一種の「談合体質」
であり、
 社会の流動性や組み替えを阻害する、
邪悪な摩擦力である。

 私が学生の頃、「下宿の女子学生は
採用しない」などという
わけのわからない企業があると
まことしやかに言われていた。
 (そういうことがあたかも
社会常識であるかのようにしたり顔に
言う輩がいた。)

 私はそれを聞いて
 「なんだ、そのクソみたいな話は、
そんなわけのわからない方針に、どういう
合理的な説明がつくと言うんだ」
と怒りまくっていたが、
 まだまだこの不思議の国日本の
中にはわかのわからない社会的制約がある。

 梅田さんとの前回の対談で出た大事な
メタファーは「グーグルは黒船だ!」
というものであったが、
 日本社会に対してまだまだ様々な
「啓蒙活動」が必要なのは、
(そうでないと、日本の社会の
オペレーティング・システムが古くさいものに
なり、二流国に堕してしまうという点において)
明治時代にとても良く似ている。

 一方、うまくオペレーティング・
システムを書き換えることができれば、
 また日本は輝く国になるんじゃないか。

 選択はみなさん次第です。

 そういうことをいろいろ考えると、
 きっと、梅田望夫さんは、
「平成の福澤諭吉」なのであろう。

 ぼくは「梅田さんは福澤諭吉である」と
ここに宣言します。

 日本に限って言えば、今は「明治」だと思うと、
なぜだか本当に勇気とやる気と
エネルギーがわいてくる。

 今までの常識にとらわれず、
新しい世界を作ろうではないですか。

 「はてな」の若者諸君も、
一緒にがんばりましょう。


「はてな」の入り口


「はてな」のお菓子棚と、梅田望夫さん



「はてな」が誇るサーバー群。


「はてな」の人々

1月 20, 2007 at 07:56 午前 | | コメント (8) | トラックバック (7)

2007/01/19

Mono no aware

Mono no aware

The Qualia Journal

19th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 19, 2007 at 11:02 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

競争原理

プロフェッショナル日記

競争原理

2007年1月19日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

1月 19, 2007 at 10:04 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

インテリジェンス

インターネットが出現した
後の世界で最も大切なものの一つは、
 「偶有性」である。

 半ば予想できるが、半ば偶然で
予期できないもの。
 「大数の法則」で押さえ込まれる
べきノイズではなく、
 むしろ創造的に人生を
送るために不可欠の糧として利用すること。

 明治神宮の森を抜けて早足で
歩いた。

 雨上がりの空から降ってくる
太陽が、木々の切れ目から地に落ちて、
神々しい回廊をつくっている。
 

 光の粒を浴びながら思う。

 「私」そのものが偶有的な存在である。
 偶有的な存在でなければならない。
 そうでなければ、この世をいきいきと
生きることはできない。

 本居宣長や小林秀雄の言う
「もののあはれ」は、つまりは
内なる偶有性に自分を託すという
ことでろう。

 もちろん、その過程では、
精神の激動があり、
 感情の荒波があり、
 浮き沈みがある。
 
 そのような内なる偶有性の海に
うまく航海して行くことができるということが、
 最高の意味での「インテリジェンス」
なのではないだろうか。

 人間には一種の認知的な免疫系があって、
異質なものを拒絶したり、
 排除したりすることによって
自分を保とうとする。
 しかし、それでは、
たった一度のこの浮き世を生きる
甲斐がないだろう。

 しばらく前に、竹内薫の日記に
書いてあった
 入国管理局のホームページの文言に、
私は心底あきれた。

(引用)
 「 法務省入国管理局では,「ルールを
守って国際化」を合い言葉に出入国管理
行政を通じて日本と世界を結び,人々の
国際的な交流の円滑化を図るとともに、
我が国にとって好ましくない外国人を強
制的に国外に退去させることにより,健
全な日本社会の発展に寄与しています。」

http://www.immi-moj.go.jp/

 「好ましくない外国人」とは
何か?
 「健全な日本社会」とは何か?
 つっこみどころ満載だが、
本人たちはまともなことを言っている
と思っているのだろう。

 このような文言は、必ずしも
悪意から出るのではなく、
 むしろインテリジェンスの欠如
に由来するものと思われる。
 
 読むべきものを読み、
聞くべきものを聴き、
 感じ、揺れ動かされ、
 新たな自分に生まれ変わったという
経験がないのだろう。

まずは、カフカの小説でも読むことをお薦めする。

 法務省や入国管理局にも
のびのびとした感性の人はいる
だろう。
 上の滑稽な文言が一日も早く
変更されることをのぞむ。

 何よりも、英語などの外国語でも
同じ文言が書かれているのは国際的な恥
である。

 今思うに、
 私が『「脳」整理法』で書いたことの
うち、
 大切なことの一つは、
「国家」のような大文字の概念をいかに
偶有性のうちにとらえるかという
メッセージだったように思う。

 たとえば、国家という概念について、以上の議論を当てはめてみましょう。
 ますます緊密にグローバル化する現代において、「国」という公共的概念は、それが本来内包しているべき偶有性を失ってしまうことによって害悪を及ぼす可能性をはらんだ、象徴的な存在であると言えるでしょう。
 元来、国家というのは偶有的存在のはずです。国家の基本的属性である「領土」や「国境」にしても、歴史的にそれが決定されるプロセスは、まさに偶有的です。国家と国家の境界線の確定は、私たちの身体の範囲が環境との偶有的相互作用を通してきまっていくプロセスと、多くの共通点を持っています。すなわち、それは、フレキシブルかつダイナミックに変化していくプロセスであるはずなのです。
 ところが、人間には、国境線を、絶対的な「規則」として確定したいという欲望が存在します。そのような欲望と、本来偶有的であるはずの国民国家を巡る歴史的プロセスの間に齟齬が生じる時、そこに紛争が生まれるのです。
 このように考えると、私たちは、世界について私たちが参照している様々な公共的概念を行使するに当たって、できるだけ偶有性を担保しておいた方が良い、という結論になります。
 とりわけ、「国家」や「宗教」といった、大文字で書かれがちな公共的概念については、できるだけ、私たち一人一人と生き生きとした相互作用をし続けることが望ましいのです。これらの大きな公共概念が私たちの認識の中で偶有性を帯び、柔軟かつダイナミックに存在し続けることが、それらに対して私たちが真摯な関心を持ち続けるために、そしてまた、私たちの人生が阻害されないために、とても大切な要件となっています。

茂木健一郎 『「脳」整理法』(ちくま新書)より

1月 19, 2007 at 08:23 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2007/01/18

"Emergence" originates in "emergency"

"Emergence" originates in "emergency"

The Qualia Journal

18th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 18, 2007 at 08:18 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

江村哲二さんからのメール

サントリー音楽財団主催の
Transmusic 2007で現在コラボレーションを進めている作曲家の
江村哲二さんからいただいたメール

コンチェルト書くときってさ、そのソリストにやっぱり思い入れるわけ。そうじゃなきゃ書けやしない。それは歴史が証明してるよね。それって一種の恋。今回の作品なんだけどさ、これってコンチェルトなんだよね。トランスミュージックのブログにも今日アップしたけどさ、いま頭の中が茂木さんでいっぱいなんだよね。でも安心してね。俺ゲイじゃないから。

(Published here with an explicit permission from the author)

1月 18, 2007 at 08:00 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

プロフェッショナル 仕事の流儀 浦沢直樹

プロフェッショナル 仕事の流儀 第38回

心のままに、荒野を行け

〜漫画家・浦沢直樹〜

谷亮子選手のニックネームにもなった柔道漫画「YAWARA!」、ハリウッドで映画化が進むサイコサスペンス「MONSTER」、現在連載中の「20世紀少年」「PLUTO」など、大ヒット漫画を次々と生みだす漫画家・浦沢直樹(47)。コミックの総発行部数は1億部を超え、国際的な人気を博す漫画界のスーパースターである。
キャラクターを生みだし、ストーリーを考え、コマ割りをして、人物の表情から動作すまでを描いていく漫画家の仕事は、映画に例えれば、監督、撮影監督、美術、脚本、俳優を一人でこなす、と言う高度で創造的な仕事。番組では、浦沢の仕事場にカメラを持ち込み、その創作の現場に初めて長期密着。作品を生み出すために苦悶(もん)する姿を克明に追った。去年春、大ヒット漫画「20世紀少年」の突然の連載中止で、読者を驚かせた浦沢。その連載の再開までの1か月にスポットを当て、天才漫画家の知られざる創作の秘密に迫る。

NHK総合
2006年1月18日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 18, 2007 at 07:26 午前 | | コメント (3) | トラックバック (10)

色とりどりのアロハシャツばかりたくさん

東京工業大学の私の研究室に
所属している
 野澤真一と石川哲朗の
修士課程における研究の
構想発表会があった。

 社会全体からみれば、ちいさな
出来事かもしれないけれども、
 二人にとっては、大きな、とても巨きな
試練だったはずである。

 二人が話すのを聞き、
また会場からの議論を聞いた後で、
 昼食をとるためにみんなですずかけ台駅
近くのそば屋に行きながら考えた。

 現代の認知科学の研究からすっぽりと
抜け落ちている一連の問題があって、
 それは、
 フロイトとか、ラカンとか、
そんな人たちが考えたことに
通じている。

 自己を支え、超越し、新たに生まれ変わる。
 そのような生命の本質が主観的に
現れるとき、一連のすさまじくも切ない
体験が生まれるが、
 認知科学として計量化された
問題設定においては、生きるか死ぬか、
切ったはったの問題群は抜け落ちてしまう。

 ボクの大切にしている友人たち、
たとえば神戸大学の郡司ペギオ幸夫や、
 東大の池上高志、
 在野の哲学者である塩谷賢らに
共通しているのは、
 自分が一人称で生きるということの
切実さにかかわるいくつかのことを
大切に思う感覚ではないか。

 京大のシンポジウムで最初に郡司に
会った時のことはよく覚えている。

 懇親会で、会うなり、いきなり、
 「いやあ、茂木さん、カミュのシシュポスの
神話ってあるじゃないですか。男が、
神から罰を受けて、永遠に坂道で岩を
押し上げていく運命になっている。
 しかし、その苦痛の中で、それこそが
自分の運命だと受け入れたとき、
 無限の自由を感じる、この点に
おいてですね」
としゃべり出した。

 郡司は、鮮やかなアロハシャツを
着ていた。

 それからしばらくして郡司が
ソニーコンピュータサイエンス研究所に
会いに来た。

 喋ってから見送る時、エレベーターの前で
郡司がかばんのチャックを開いたら、
 中に、色とりどりのアロハシャツ
ばかりたくさん詰められているのが
見えた。

 一瞬、奇妙な沈黙が流れた。

 そんな一連の出来事を通して、
郡司は大切な友人になっていった。

 現在の神経経済学は、
いかにもアングロサクソン的な損得
勘定に問題が限定されている
点において
 本来の生命現象の立ち現れとしての
主観的体験全体から見れば
狭すぎる。

 自己の
メタモルフォーゼに伴う幾つかの
問題群をもその視座の中に
とらえて、
 初めて神経経済学は「人間学」
となるであろう。

 そうでないと、ブランドや
ブームといった一部の消費行動の
様相はそもそも説明できない。

 ダーウィンは進化論という
視点から
 種の起源を論じた人であるが、
 同じセンスで認識の問題や、
その主観における反映を扱おうと
思えば、
 自然にフロイトやラカンに
つらなっていくのではないかと思う。

 やがて、背後からフリードリッヒ・
ニーチェの思想が見えてくる。

 取材で、
 東京の国立博物館に長谷川等泊の
「松林図」を見に行った。
 向き合うのは久しぶりである。

 濃墨、薄墨が存在の濃淡であるように
感じられる。

 くっきりした前景から、
後景のあるかなしかの存在の淡いに
意識が流れていった時に、
 限りない慕情を感じた。

 心の中にかすかな痛みを残していくもの
こそが、
 生命においてかけがえのないものでは
ないだろうか。



1月 18, 2007 at 07:21 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

メンテナンス

2007年1月17日は、ココログメンテナンス
のため日記をおやすみしました。
お問い合わせいただいた方、ありがとうございます。

1月 18, 2007 at 06:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/16

The Firefly

The Firefly

The Qualia Journal

16th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 16, 2007 at 08:40 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

Brutus

Brutus (yellow)はアマゾンから
買うことができます。

アマゾンのサイト 

1月 16, 2007 at 07:40 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

つくづく変わった子どもだった

「勉強法」という、きわめて
実際的なテーマについて話していて、
 自己認識に至った。

 ボクが小学校から、中学校、高校へかけて
やっていたことは、
 結局、いかに最大のよろこびを
脳に与えるかという「ノウハウ開発」だったと。

 脳は、オープン・エンドの学びの
時に最大のよろこびを感じるように
設計されている。

 だから、ボクは、学びのよろこびが
メーターを振り切るように、
 さまざまな方法を子どもなりに
工夫していた。

 そうしたら、いつの間にか、
「とても勉強ができる」
子どもになった。

 この「学び」というのは、
必ずしも学校で学ぶ教科に関する
ものだけではなく、
 人生の経験の全てにかかわる
ことであった。
 
 強烈な負荷をかけること。
 白熱電球があかあかと
灯っているような、
 そんな強度の集中。
 無限遠を見上げること。

 生活の中にそんな時間が
あることは、今でもかわらない。

 誰に言われたわけでも、教わった
わけでもなく、
 ただ、脳の中にある春のぜんまいのような
弾力が生じるのが楽しくて、
勝手に自分でいろいろやっていた。

 つくづく変わった子どもだったなあ、
と自分でも感じる。

 その一方で、何だか少しさびしくもある。

 小山薫堂さんとお目にかかった。

 小山さんは、子どもの頃から、
「人を喜ばせる」ということに
情熱を注いできたのだという。

 『カノッサの屈辱』や『料理の鉄人』
などのヒット番組にかかわっていても、
結局、小山さんがやっていることは子どもの頃と
変わらないのかもしれない。

 そう思っていたら、小山さんもボクも、
小学生に戻り、ランドセルを背負ったまま
校門の前で立ち話をしているような
気分になった。


小山薫堂さんと(photo by Takizawa)

 小山さんもボクも、きっとこれからも、
子どもの頃からやってきた、その同じことを
繰り返していくだろう。

 振り返る度に過去が変貌していくというのは
本当である。
 その見え方、意味が変わっていく。

 ボクは、脳のことや認知のことを深く考える
ようになってから、
 子ども時代の自分のことを随分異なる
角度から見るようになった。
 

1月 16, 2007 at 07:20 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2007/01/15

Polar star in the night sky

Polar star in the night sky

The Qualia Journal

15th January 2007

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1月 15, 2007 at 08:36 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

創造するには、バカになれ!

Lecture Records

Brutus発刊記念講演会

茂木健一郎 『創造するには、バカになれ!』

2007年1月14日 HMV渋谷店 3Fイベントステージ

音声ファイル(MP3, 51.8MB, 56分)

2007年1月14日 HMV渋谷店 (撮影 佐々木厚)

1月 15, 2007 at 07:47 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

みんなが頭を暴走させて

 Brutus編集部の
 鈴木芳雄さんとのお付き合いは
もう何年になるだろうか。

 最初は、ソニーのQUALIAの記事の
時だったと思う。

 髪の毛が長い、ライオン丸のような
人だなあと思った。

 それ以来、事あるごとに
お目にかかってきた。

 半年くらい前に、「茂木さん、
今度、Brutusで特集をしましょう」
と言われたとき、
 「うん?」とあまり意味が
よくわからなかった。

 そのあと、学会の時とかに
ついて来ているなあと思ったら、
 いつの間にか黄色い表紙の
ブルータスが出来た。

 仕上がりを見て驚いた。
 ブログの記事などをうまく使って、
面白いものになっている。

 編集の力というのは、凄いものだと
思う。

 「いやあ、鈴木さんは、編集の天才ですね!」
と申し上げたら、
 「もっと言って、もっと言って!」
とライオン丸が言った。


「ライオン丸」鈴木芳雄氏(左の方です)。
サンクトペテルブルクにて。

 その発刊記念の講演会が
渋谷のHMVであった。

 サイン会の後半、ついに「注文サイン」
をやった。

 「何がお好きですか?」
と伺ってそれを書く。

 一番難しかったのは、
「天使」と「曼荼羅」という二つの注文だったが、
何とか切り抜けた。

 講演終了後、ライオン丸主催の
懇親会があった。

 今回のBrutusで、
すばらしい茂木キャラをデザイン
してくださった漫画家の西島大介さんや、
コメントを寄せてくださった
 電通の佐々木厚さん、
 新潮社の金寿煥さん、
 幻冬舎の大島加奈子さん、
 スタジオ・ボイスの中矢俊一郎さんが
いらして、皆で楽しく話した。

 もっとも、ぼくは途中リュックをまくらに
して眠ってしまったけれども。

 鈴木さん、本当にありがとうございました。
 
 ボクの思春期はバブルで、
日本では「軽チャー路線」が花盛りだった。
 ちょっと知的なことを言おうとすると、
ネクラとか言われた。

 全てを脱構築するという
ポストモダニズムは重要な影響を
与えたが、
 一方で知のファウンデーション自体を
揺るがせた側面もあった。

 今、「総合性」をキーワードとした
新しい知のムーブメントを起こすことが
できるような気がしていて、
 今回のブルータスはその一つのきっかけに
なるように思う。

 懇親会で、ライオン丸鈴木さんの顔を
見ていて、ブルータスの後ろに何かの
姿が見えるなあと思っていたら、
 その正体は知の総合性じゃないかと
はたと気がついた。

 英語のブログの方に書いた
アインシュタインとダーウィンのキメラの
話は案外重要なものだと思っている。

 つまりさ、みんなが頭を
暴走させて、それぞれの高みを目指しても、
 ネクラだと言われたり、
 平均値に引きずり下ろされたり
しないで、
 晴れやかに笑っていられる。
 そんな時代が来るんじゃないかなあ。

1月 15, 2007 at 07:32 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2007/01/14

On the ecological complexity of novels.

On the ecological complexity of novels.

14th January 2007

The Qualia Journal

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 14, 2007 at 09:55 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

たまにはゆっくりと見直してみる

ヨミウリ・ウィークリー

2006年1月28日号

(2006年1月15日発売)

茂木健一郎 脳から始まる 第38回

たまにはゆっくりと見直してみる

抜粋

 新潟に拠点を置くバレエ・カンパニーを主宰しているダンサー・振付家の金森穣さんのお話にはっとしたことがある。出張で訪れた新潟で、金森さんが演出した公演を見て、ダンサーたちの複雑で美しい動きにすっかり魅せられてしまった。宿泊先のホテルの部屋に戻り、ひとり、鏡の前で手足をばたばた動かしてまねをしてみた。新潟の地酒で酔った勢いもあった。
 学生時代から時々やる「こわい体操」というものの応用だった。「こわい」というのは私の身体の動きを不気味に思った友人が発した形容であって、決して本当にホラー映画のように怖いわけではない。他人の目をあまり気にせずに身体をめったやたらと動かす、一種の健康法である。たまたまそんなものを目撃してしまった友人はいい迷惑だったろう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


1月 14, 2007 at 09:54 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

(本日) Brutus トークショウ&サイン会

Brutus 刊行記念トークショウ&サイン会

「人生の本当の幸福について −ロハス、癒し、神経経済学
—The true happiness in life --- Lohas , healing , neuroeconomics ---」

http://www.brutusonline.com/brutus/features/mogi/

1月 14, 2007 at 08:56 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

「バカの壁」の中に立てこもれ

クリエィティヴになるということは、
つまりはバカになるということである。

 特に、批評的センスの鋭い人は、
 その自分を外から見る目が時に
生命の躍動に託すことの邪魔になる。

 批評眼は「オレサマ」に堕さないためにも
どうしても必要だが、
 一方でそれをうまく外してやらなければ
ならない。
バカにでもなってみないと創造に必要な
「暴走」が得られない。

 かつて、読売新聞の読書委員会の後の飲み会で、
川上弘美さんが「作家というのはバカですからね」
と言われたことがあった。
 確かに、私の知り合いの作家には、
「オバカ」としかいいようのない
傾向がある。

 漱石もかなりのバカである。
 火鉢の横においてあった硬貨を、
お前が置いたのだろうと幼子をたたく。
 イギリスに留学していた時に、
下宿の主人が皮肉るために
わざと硬貨を置いたのだろうと
誤解する。
 
 明治を代表する知識人であると
同時に、
 時には赤シャツやクシャミになる
バカな没入を兼ね備えていたからこそ、
 漱石は偉大なクリエーターになることが
できたのだろう。

 この日記を読んでくださっている
賢き方々よ、
 時にはおもいきりバカになってみるのも
良いものです。

 『科学大好き土よう塾』の
収録。
 科学のことをわかりやすく伝えるという
のはもちろんのことだが、
 いかに没入するかが大切である。

 没入が激しくなければ、面白いことには
ならない。

 塾長の室山哲也さんと立ち話をする。

 「茂木さん、最初にいらした時、
すぐにブログを書いていらしましたよね。
 中山エミリちゃんが、カメラが回り始める
瞬間にぱっと明かりがついて「中山エミリ」
になるのを目撃して、驚いた、
と書いていましたね。」
 
 エミリさんのようなプロフェッショナルは、
瞬間的に脱抑制ができるようになる。

 収録終了後、打ち上げがあり、
 室山哲也さん、中山エミリさん、
 今回のディレクターの煙草谷有希子さん
などなどが参加した。
 とても楽しかった。

 二次会でカラオケに行った。
 エミリさんが歌えというので
『15の夜』を歌った。

 思えば、尾崎豊を歌っている時など、
私は完全にバカになっているのだろう。
 
 (帰宅後、
 オザキのDVDを一枚も持っていないことに
気がついて、ボクはアマゾンで注文した。)
 
 新しく土曜塾の担当になられた植木豊さんも、
良い意味で没入系の方だった。
 打ち上げが始まってすぐに、
「ビージュゥなんとか」
と言いながら入って来られた。

 中国語である。(らしい)

 一方、エミリさんはドイツ語講座に出ている。 

 ボクは英語はnative化計画だが、
もう一つくらい外国語が欲しいと思っていて、
 いろいろ探っている。

 植木さんの中国語の歌をいくつか聴いた。
 「北国の春」や「クリスマス・イヴ」
が中国語で流れる。

 思えば、表記においてはこれほどの
影響を受けながら、「音」としてはほとんど
感化を受けていないというのは
注目すべきことではないか。
 
 中国語の音素は、感覚で言えば
日本の音素の配列のちょうど二倍くらいの
密度で詰まっている感じである。

 植木さんに触発されて、
「桜坂」を即興で英語に直して歌った。

 近藤浩正さんに養老孟司先生の近況を聞く。

 最近では、走査型電子顕微鏡を買って、
それで昆虫の体を見ているのだと
言う。

 私も修士の時に電子顕微鏡を使った
研究をしたことがあるので、
 いかに大変かを知っている。
 近藤さんも大学時代デンケンを使って
いたということで、しばらく談義に花が咲いた。

 「真空を引く時が大変なんだよなあ」

 「油圧ポンプ、負荷をかけすぎると
加熱して匂いがしてきたりするんですよね」

 「Oリングをはめる時に、髪の毛が挟まって
いたりしないか、指でなぞってチェック
するんだよな」

 「それで、ワセリンを塗って。」

 近藤さんの話によると、随分小型、
簡便になって500万円くらいで
個人用のが買えるようになったのだと言う。

 うらやましいと同時に、養老先生の没入が
うれしかった。

 ダーウィンも、後年、ダウンハウスに籠もって
ミミズや植物の研究をした。

 没入こそがよきバカとそして創造性を
醸成する。

 こざかしい世間など、放っておけば良い。
 脱抑制と没入によってつくられる
「バカの壁」の中に立てこもれ。

 新聞をとりに行きながらLyall Watsonの
文体に接したら、
 なんだか心の奥の一番湿ったところを
探り当てて、ふわっと浮いたような気がした。

1月 14, 2007 at 08:41 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2007/01/13

Englishness

Englishness

The Qualia Journal

13th January 2007

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1月 13, 2007 at 01:07 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

世界一受けたい授業 

本日 

世界一受けたい授業

日本テレビ系列

1月 13, 2007 at 10:30 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

やわらかい「やまとことば」

明治神宮の森を抜けてNHKに向かう途中で、
認知科学の問題に出くわした。

 「お札」は「おさつ」とも「おふだ」とも
読む。
 この場合は「おふだ」だということが
どうしてわかるか。
 
 日本語を一生懸命学んだ外国人が、
この光景を見て、
 「おお、日本人はこんなところにおさつ
を入れるのですか。すごいですねえ」
と勘違いするということにはないか。

 8階の解説委員室に上がると、
舘野茂樹さんが黄色い表紙のBrutusを持って
にこにこしながら現れた。

 黒マジックを渡されて、
「この茂木さんが跳んでいるページ!」
と指定された。

 それで、何となくであるが、翼を
広げた鳥を描いた。
 フェニックス(不死鳥)という
イメージを託したかったようにも思う。


ブルータスを持つ 舘野茂樹さん


不死鳥の拡大図

 視点・論点の今回のテーマは
「スピリチュアリズムの背景」
であった。
 全体性の回復への希求があるということと、
 隠し味としての「イギリス」という話をする。

 脳研究グループのゼミ。

 野澤真一、石川哲朗の二人が、
修士の構想発表会へ向けて、研究のアイデアを
発表して、みんなで議論した。

 石川の研究テーマは、刺激そのものを
つくれるかどうかが問題だが、
 もしできたら、面白い結果がいろいろ
出るのではないかと思う。


 熱弁する野澤真一クン。背後に石川哲朗クンと
大久保ふみさんが見える。

 野澤の研究テーマが大いなる議論を呼んだ。

 そもそも、自発性とは何か?
 生命の本質は、トリガーを待たない自発性にある。
 それはアメーバでもしかり。

 脳の神経細胞の活動においても、外部からの
刺激を待たない自発的な活動が重要な意味を持つ。
 
 しかし、「自発性」という概念自体が、
すでに自他の区別を前提にしているのであって、
 もし因果的な連鎖で全てを見れば
強制も自発も同じである。
 
 そのあたりのことがもともと
気になっていたので、
論文紹介でNowakのFive Rules for the Evolution
of Cooperationを紹介した。
 
 「協力的」な態度が隆盛するか、それとも
「裏切り」が隆盛するか。

 全てのプレイヤーが何回も繰り返し
相互作用することを前提にするのではなく、
ある程度グループができ、相互作用の
クラスターの濃淡ができるという形にすると、
 話が変わってくる。

 グループ内では「裏切り」が有利になるが、
グループ間の競争では、
 「協力的」な態度の人たちが多い
グループの方が優勢になる。
 このあたりの話を、Edelmanの
Neural Darwinismの考え方と結びつけて
考えると面白い。

 柳川透がすばらしいアイデアを出した。
 これは、行けるのではないでしょうか。

 日本のネットは、匿名が中心だが、
ボクはその心性を理解したことがないし、
 これからも理解しようとは思わない。

 一度だけ、東京のある場所で見た
ライトアップのやり方があまりにもひどかったので、
その首謀者のある有名な照明デザイナーのことを
匿名掲示板で揶揄しようと思ったが、
 品性が下劣だと思ってやめた。

 批判するときは、実名でやるよ。

 豊臣秀吉の刀狩りに由来するのか、
あるいは何なのかよくわからないが、
 日本人が、匿名である「空気」を醸成
しようとする心根だけは、
 愛する国とは言え承服しかねる。

 そもそも卑怯である。

 新潮社とはいろいろ付き合いが深いので
あまり言いたくないが、
 「週刊新潮」の見出しも随分ひどいことがある。

 今週の
 
 コラムから「朝日歌壇」まで「反日・反戦」
で染め上げた朝日新聞

という見出し、あれは何か?

 きわめて情緒的な「決めつけ」である。 
 空虚な言葉の暴力である。
 この見出しをつけたデスク氏に、苦言を
表したい。

 以前から不思議なのは、日本を愛している、
その一方で近隣諸国のことを揶揄したいと
称する人々が使う言葉が、
 その「大嫌いな隣国」の言葉に似たニュアンスに
なってくるのはどういうことかということである。

 「反日」「反戦」とか、
「売国」とか、
 私たちの愛するこの国のやわらかい
「やまとことば」の中に、
 そんなにとんがった言葉は
もともとない。

 本居宣長が、どのような気持ちで
『古事記伝』を書いたか、
 一度じっくり考えてみてはどうか?

 ぼくは、漢字よりもひらがなの
方が好きだ。

 小林秀雄さんの編集者を
長くつとめられた
 新潮社の池田雅延さんのところに
白洲信哉からメールが行き、
 私が小林さんの文章のうち
重要なものをアンソロジーにして
英訳するというプロジェクトが立ち上がる
かもしれないとのこと。

 小林秀雄はもし英訳されて
広く知られていたら、
 ノーベル文学賞を受けてしかる
べき人だったとぼくは思っている。

 実現するかどうかわからないが、
このようなことを心を込めて行うことが
本当の意味で国を愛することだと
私は信じる。

1月 13, 2007 at 10:28 午前 | | コメント (13) | トラックバック (1)

2007/01/12

五十嵐茂さんからのコメント

柏書房『脳の中の神々』を編集してくださった
五十嵐茂さんから、次のようなコメントを
いただきましたので、ご本人の御了解を得て
ここに掲載させていただきます。


「ウィキペディア」ってこういう2ちゃんねるばり
の悪意の透ける文章を集めている
ところなんですかねえ。でもこれはある
匿名執筆者像を示すうえでは格好の見
本になりそうです。ろくに茂木さんの本も
読めていないことが素人の私にもわか
るレベルです。これがもし脳マッピングを
脳研究と等値する立場から行われた
とするとなかなかその人たちの心情だけ
はよく出ています。「研究者コミュニテ
ィーにおける基本的な文化に照らして、
あまり好ましいものだとはされない」なん
て爆笑ものですね。こんなふうに研究室
の学生には言っているのか知らん。わざ
わざご苦労さんなことです。しかし、この
放置は「ウィキペディア公害」ですね。

1月 12, 2007 at 09:54 午前 | | コメント (9) | トラックバック (1)

A Chimera between Einstein and Darwin

A Chimera between Einstein and Darwin

The Qualia Journal

12th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/

1月 12, 2007 at 08:34 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

視点・論点

視点・論点

茂木健一郎 「スピリチュアリズムの背景」

2007年1月12日(金)22時50分〜23時

NHK教育/NHKデジタル教育1

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-01-12&ch=31&eid=20754

現代の「スピリチュアル・ブーム」の背景を検証します。

1月 12, 2007 at 07:52 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

「身内」だけでやっているようで

プロフェッショナル日記

2007.1.12.

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

1月 12, 2007 at 07:41 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

火山爆発

世の中には悪意や偏見に満ちた人が
いるもので、
 もぐらたたきと同じできりがないから、
基本的に放っておくことにしている。

 勉強しなければならないこと、
やらなければならないことが沢山あるので
(『脳とクオリア』の内容の大幅な改訂、
現代の脳科学の水準に合わせたupdateと、
英語版の完成はもっとも重要な課題だし、
学生たちと書き終えなければならない
論文も沢山ある)
 外に表出するものは100%愛と美と真実に
捧げられた「白魔術」
で良いと思っている。

 この日記を読みにきてくださった方々が、
より人生を愛するような気持ちになるように、
そんな内容を書くように心がけている。

 それでも、時には大魔神の顔が変貌する
こともある。

 『プロフェッショナル』の収録の時、
有吉伸人さんが、開口一番「いやあ、茂木さん、
ブルータス読みましたよ」と言われた。
 
 「あの中に、茂木さんは子どもの時から
口げんかでは負けたことがない、と書いて
あったでしょう。あれが印象的だったなあ」

 確かに、私は議論(ないしは口論)
をする時には大変激しく火山爆発をするので
あって、そのようなマグマはいつも
潜在的に胸の中にある。

 アマゾンの書評やブログなどで
悪意に満ちた記述をたまたま見た時など、
腹を立てると同時に、
 「ああ、かわいそうになあ。この人が
もしボクとリアルに会ってしまったら、
徹底的にやりこめられるだろうなあ」
と想像して、にやにや、しんみり
してしまう。

 もっとも、日本のネットは匿名文化なので、
相手が見えない。だから始末におけない。

 しかし、個人がその責任において書くことは
自由だし、
 また、ネットの世界は次第に脳の神経系のように
興奮性と抑制性の結合のバランスが個性につながる
ような場所になってきているように思うので、
基本的には放置して、創造的なことに
集中するのが正しいと思うようになってきた。

 ただ、同じネット上の記述でも、
「パブリック」な側面を持つものは別である。

 しばらく前からwikipediaの私に関する
記述がひどいことになっていていることは
知っていたが、
 でもまあいいか、放っておこうと思っていた。

 昨日NHKの『プロフェッショナル
仕事の流儀』の収録に、
早稲田の付属校の生徒が取材に来た。

 「オレ、早稲田でも教えているんだよ」
と言ったら、「何を教えているんですか」
と聞くから、
 「現代の脳科学」という講座だよ、
と言ったら、
 「心の哲学じゃないんですか」と聞いた。

 それで、はああ、これはあのwikipediaを
読んできたなと直覚した。

 その瞬間、こんな素朴な高校生まで感化する
wikipediaに偏見に満ちた記述があるという
状態は、放置していてはいけないのだと思って、
即刻行動に移すことにした。

 wikipediaの指針には、本人に関する記述は
それ自体に直接手を入れず、ノートに記せ
とあるので、
 ノートを書いた。

 本人が直接記事に手を入れるのは
どうかと思うので、
 誰か、修正してくれないか。

 wikipediaの日本語版は、全体としては
良く出来ているけれども、英語版に比べて
時に恣意的かつ悪意に満ちた記述に満ちて
いると思う。
 日本人の心性に、「パブリック」とか
「フェアネス」という視点が乏しいことの
反映であろう。

 wikipediaに対する私の不満には、伏線がある。

 今でもずいぶんひどいが、一時期の養老孟司
さんに関する記述は全くのデタラメで、
 しかも底意地の悪い偏見に満ちており、
無茶苦茶だと思っていたが、私が口を出したら
余計混乱すると思って放っておいた。

 その後、ノートであまりのデタラメぶりが
指摘されて一部修正されたが、
 今でも公平を欠く記述であることには変わり
がない。

 英語版のwikipediaではあり得ない事態であろう。

 しばらく前に、「バカの壁ハウス」を
訪ねた時に、二人で庭の端に立っていた時、
養老さんが昆虫の分布に関する研究について
お話されて、
 その後、「ぼくにしては珍しく論文を書くことに
したんですよ。ははは」と言われた。

 何だか、ちょっと寂しそうだった。

 それで、ボクは、養老さんはひょっとして
wikipediaの記述を読んでいるんじゃないかと
直覚した。

 養老さんに、そんな思いをさせていい気に
なっている輩どもが、許せないと思った。

 どんな人でも、出っ張っているところと
引っ込んでいるところがある。

 養老孟司という人には美質や叡智があるから
人気があるのであって、
 現在のwikipediaの記述は、著しく
公平さに欠けている。

繰り返すが、英語版では、あり得ない事態であろう。

 wikipediaの記述については、
看過できないと決めたので、
 養老さんの項には、ノートを
付け加えておいた。

 近いうちに、適切に修正されなかったら
半保護の解除を申請して、オレが直す。

 こっちも忙しいのであって、
頼まれもしないのに他人のことに対して
偏見に満ちた記述をする人の相手を
している暇もないのであるが、
 この点については許せないと
思う。

 場合によっては、wikipediaの運営
母体自体に、一体どのような方針の下に
養老さんに関するあのような記述を放置している
のか、問い合わせることにする。

1月 12, 2007 at 07:13 午前 | | コメント (18) | トラックバック (5)

2007/01/11

Lost on the way to Florence

Lost on the way to Florence

The Qualia Journal

11th January 2007

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1月 11, 2007 at 09:15 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

BRUTUS 脳科学者だったらこう言うね!

BRUTUS  特集 脳科学者だったらこう言うね!

2006年1月11日 発売
500円

特集 茂木健一郎
脳科学者なら、こう言うね!

対談 1_中沢新一

モギ先生にききたい。初歩の脳科学。

ぼくの履歴書。

対談 2_羽生善治

ロシアへ愛をこめて。

空飛ぶ脳科学者。 ニューヨーク、サンクトペテルブルク

対談 3_平松洋子

インドでモギも考えた。

対談 4_大竹伸朗

初めて見るニッポン!?

密着 20061130

密着 20061202

こんなにたくさんの人と会って話して。

速く歩けば、それだけ多くのものを見ることができる。

http://www.brutusonline.com/brutus/issue/

1月 11, 2007 at 08:30 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

プロフェッショナル 仕事の流儀 村松謙一

プロフェッショナル 仕事の流儀 第37回

どん底の会社よ、よみがえれ
〜 弁護士・村松謙一 〜

倒産寸前に追い込まれた会社に駆けつけ、再建を助ける、再生専門の弁護士がいる。
弁護士・村松謙一(51)。東京佐川急便や長崎屋などの一部上場企業から街角の個人商店まで、再建した会社は100を超える。村松の弁護士事務所には、ひっきりなしに依頼者から連絡が入る。どれも、待ったなしの深刻なものばかり。夜逃げや自殺をほのめかす依頼者も数多い。 村松の一番の仕事は、追い込まれた経営者の代理人として会社の舵(かじ)を取り、再生の道を探ることだ。そのために村松は、自ら債権者に向き合い、法律にそって返済の猶予や債務の減額を交渉することも辞さない。
そこには、経営難を理由に命を絶つ悲劇を少しでも減らしたいという思いがある。「会社の救済は、人生の救済」。村松の信念は揺るがない。 この秋、一つの気がかりな案件があった。経営難に陥った、ある「そば屋」からの依頼だ。親子で経営をしてきた店をいかにして立て直すか。村松の真剣勝負の流儀に迫る。

NHK総合
2006年1月11日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

1月 11, 2007 at 08:22 午前 | | コメント (2) | トラックバック (3)

たとえ単一文脈では「S字型」に飽和していくにしても

相変わらず忙しいが、メタファーが
変わった。

 「ものすごく働いている」
というよりは、
 「猛勉強をしている」
という風に思うようになってきた。

 結局、全ては学習の過程であるということを
はっきりと自覚したのは、
 去年、たくさんの取材やインタビューを
受けて、いっしょけんめい喋っている
時のことである。

 その場で思念が生成する。
相手のバックグランドや、
媒体の性質、発せられた質問に触発されて、
思っても見なかった何かが立ち上がる。
 つまりは、それは一つの学習の過程であると
悟った。

 普通、「正解」や「最適値」
があり、そこに向かって飽和していく
「S字型」の学習曲線が描かれる。

 このような学習観は、ある単一の文脈に
おいて成立するに過ぎない。

 脳のシナプス変化を全体としてみれば、
開放的に、どこまでも変化し続けていく。

 たとえ単一文脈では「S字型」に
飽和していくにしても、脳全体としては、
それらが接続されて、ずっとつながっていく。

 つながる過程で何が起こるのかと言えば、
それはつまりは知性のビッグ・バンである。
 どこまでも、どこまでも広がっていく。

 宇宙論が専門の、東京大学の須藤靖さんと
「日経サイエンス」の対談でお目にかかった。

 ご専門はダーク・エネジー。
 ダーク・マターが宇宙の中で不均一に
分布するのに対して、ダーク・エネジーは
真空の「基底状態」であり、
 どこでも均一。

 アインシュタインの一般相対性理論に
おける「宇宙項」に相当する。

 今の超ひも理論業界は大変なことに
なっていて、
 可能な真空状態の解が10の150乗 個も
あるのだという。

 「それらの宇宙は、全てあるのです。」

と須藤さん。

 「昼間、青空を見ていると、その向こうに
何か別の世界があるとは思えないでしょう。
 一方、夜、星空を見ていれば、一体
あそこにはどのような世界があるのだろうと
想像力をかきたてられる。
 現在の宇宙論で問題になっているのは、
青空の状態で、見えないものをいかに
想像できるのかということなのです。
 ダーク・エネジーも、10の150乗 個の
宇宙も、確かにあるのです。」

 「月光写真を撮る石川賢治さんが、
まさに青空の遮蔽効果のことを言われていました。
 青空が、その向こうの宇宙を覆い隠す。
 月光で写真をとると、地上のものが
宇宙と直結するのです。
 それともう一つ。青空は、脳の業界にも
あるかもしれません。
 自分の意識は厚く膜に覆い隠されて
いるようなものだから、
 他の世界があることを想像できない。
 せいぜい、他の人間に意識があると
思うくらい。
 でも、本当はアメーバにも原始的な
意識があるかもしれない。
 第一原理に戻り、様々な目に見えないものを
想像することが大切なのは、
 宇宙論も脳科学も同じですね。」

 須藤さんによると、現代の宇宙論の結論は、
宇宙は永遠に膨張し続けるというという
ものだと言う。
 
 さまざまの美しきもの、あだ花、喜びと
哀しみを包摂した宇宙は、
 やがて静かな熱的死を迎えるのであろうか。

 しかし、それもまた10の150乗 個の
宇宙の一つでしかないとしたら。

 EckermanのConversations of Goetheを
読みながら移動。
 
 青春時代、ボクは岩波文庫で読んだ。

 人間の知性は限りなくビッグバンで拡大
していくが、
 自然人としての一人ひとりはやがて死を
迎える。

 それもこれも、まあ、仕方がない。

1月 11, 2007 at 08:17 午前 | | コメント (3) | トラックバック (3)

2007/01/10

The Dog and the violet

The Dog and the violet

The Origin of Consciousness blog

10th January 2007

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1月 10, 2007 at 08:03 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

『Progress』をかけて、腕立てふせ

『Progress』をかけて、腕立てふせ

プロフェッショナル日記

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1月 10, 2007 at 07:11 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

歩くキノコ

ボクたちが子どもの頃は、
学年が違う子どうしでも野球や缶蹴りを
して遊んでいた。

 小学校の高学年の時、ずっとリーダー格
だったスポーツのできる近所のお兄さんが
公園でぼんやりと遠くを見ていた。

 「どうしたの?」
と聴くと、
 「けんちゃん、大人になると、考え事を
することがいろいろあるんだよ」
と言った。

 何だかまぶしかった。
 その時、お兄さんは中学生になっていた。

 脳の中にさまざまな要素が蓄えられるほど、
それらの間の結びつきで様々なことが
生まれてくるから、
 意識の流れに浮かぶうたかたのごとく、
いろんなことを思うようになる。

 だから、蓄積が増えるほど、
脳の自発性に任せていても、いろいろな
ことが起こって、退屈しなくなる。

 代々木から、明治神宮の森を抜けて
NHKへ向かった。

 「光の川」が現れる、ボクの大好きな
散策コース。

 意識の世界線の問題についていろいろ
考える。

 何かぽこりと浮かぶと、手に持った
ICレコーダーにこっそりと吹き込む。

 できるだけ目立たないように
さり気なく、足早に進みながらやるが、
それでも挙動不審に見えるかもしれない。

 もっとも、他人にどう見えるか
という点について言えば、もう諦めている。

 森を抜けるまでの間に、12個の
短い音声ファイルができた。

 代々木公園を通り過ぎている時、
そうか、オレは「歩くキノコ」だな、と思った。
 頭の中に蓄積されたさまざまなものを
解し、結びつけ、浮かび上がらせる
 歩くキノコ。

 ただ歩いているだけでも、
ぽこぽこといろいろな傘が
無意識の地面から飛び出てくる。
 それだけ種々雑多のものが潜む
土壌とはなった。

 岩波書店で大澤真幸さんと対談する。

 お目にかかるのは久しぶり。

 志向性の問題を議論していて、
 authentic intentionalityというモティーフを
喚起された。

 これも脳の蓄積の中から浮かび上がってきた
何ものかである。

 大澤さんと一緒に座っていると、
頭髪爆発コンビになってしまう。

 それで、対談中一瞬笑いの発作に
とらわれたが、何とかがまんした。

1月 10, 2007 at 06:54 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/01/09

Mistaking milk for coca cola

Mistaking milk for coca cola

The Qualia Journal

9th January 2007

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1月 9, 2007 at 08:38 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

暗闇の中を何も見えずに飛び続ける渡り鳥のような

 長野の善光寺の戒壇巡りにはじめて
行ったのは、畏友、池上高志とだった。

 その時の体験を、
 自著から引用する。

 まさに、そのような、「暗闇の中を手探りで歩く」という思い出すことのできない記憶を、私は長野の善光寺で探り当てたような気がした。
 善光寺の本堂の下には、「戒壇廻(ルビ:めぐ)り」と呼ばれる場所がある。人々が暗闇の中を手探りで歩き、極楽につながる錠を触ることができれば幸せになれると伝えられる場所である。
 私が戒壇廻りを初めて訪れたのは数年前のことである。どんな趣旨の場所かも知っていたし、そこが暗闇であるということも知識としては持っていた。しかし、善光寺の本堂に入り、地下につながる階段を下りていった時に私を包んだ完璧な暗闇には、すっかり度肝を抜かれてしまった。不特定多数の人が出入りするような場所が、まさか本当に何も見えない暗闇になっているとは思っていなかった。その思っていなかったところにどんと暗闇がぶつけられたから、内心かなり動揺した。なぜか、額のあたりにチリチリと熱いものを感じながら(これは、おそらく、暗闇で前に移動する時に、突起物が額のあたりにいきなりぶつかる可能性をカラダが感じて身構えていたということではないかと思う)、私は壁伝いにゆっくりゆっくり歩行した。
 やがて、何とか錠を触ることができて、地上の光の下に出てきた。私は、錠を触ることができたということに喜ぶというよりも、あの暗闇から抜けられたことにほっとしていた。それくらい、完璧な暗闇の中で歩くという体験は、私を動揺させた。
 それまでの私の人生でも、暗闇の中を歩くという体験が全くなかったわけではない。お化け屋敷。神社にクツワムシを捕りにいった時。あの電柱まで、とふざけて目をつむって歩いた時。停電した時。そのような時、私の手は確かに暗闇を探っていた。しかし、善光寺の戒壇廻りのように、本当に何も見ることのできない暗闇の中を、全く光を持たずに歩くという体験は、初めてであった。
 戒壇廻りは、衆生に自らの置かれている無力な状態を自覚させ、釈迦の慈悲をこいねがう気持ちにさせるという趣旨の装置なのであろう。その場所で、私は、私たちの祖先にとっては間違いなくなじみ深い体験であった、暗闇の中を手探りで歩くという私の中の「思い出せない記憶」を探り当てた。
 新月の晩は、必ず一月に一回はやってくる。火を手に入れるまでの長い歴史の中で私たちの祖先が経験したのと同じことを、私は思い出せない記憶の中から拾い上げたのである。

茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮社)

 連休中の夜、コンビニから帰ってくる時に、
ふと「渡り鳥はずいぶん長く飛び続けるから、
そのうちに夜になったりするだろうな」
と思った。

 「鳥目」というくらいだから、暗闇で
遠くが見渡せるとは思えない。

 だとすると、渡り鳥は、何も見えない
漆黒の闇の中を、ただひらすら飛び続ける
のだなと思った。

 想像するにすごい体験だなと
思った。
 それで、善光寺の戒壇廻りを思い出した。

 島田雅彦と新橋の飲み屋で飲んでいて
そんな話をしたら、
 「この前NHKの番組で、シロクマが泳ぐ
ところを見たよ」
と文豪が応えた。

 「地球温暖化で氷が溶けて、シロクマが、
泳ぐ先に果たしてまた氷の大地があるか
どうかの保証がないままに飛び込むんだな。
まさに命がけの跳躍だよ。
 それで、24時間泳ぎ続けて、
対岸にやっとたどり着き、
 アザラシを襲おうとするんだけど、
 もうすっかり弱っていて、
力尽きて死んでしまうんだ」

 いつも斜にかまえているシマダにしては
珍しく「いい話」をするじゃないか、と思った。

 その前に、パークホテル東京のスイートで、
集英社『すばる』の対談をしていた。

 岸尾昌子さんが世界のいろいろな言語の
音声を集めてきて、
 それを聴きながら、多様性を称揚する
はずだったのだが、
 ビールを飲みながらシマダマサヒコを
前にすると、
 ついつい政治的な文脈に話が
及び、
 つまりは日本人のlanguange policyが
なっていないんだ、というような
怪気炎を上げることとなった。

 漱石や鴎外が活躍したのは、
日本語という制度が西欧との出会いによって
揺らいで、書法や文体が創造され、
新しい言葉も生まれた時代だった。

 イギリス文学のすばらしい水脈が隣国の
アイルランド(アイルランド語と
英語のバイリンガルの状況に
あった)からやってきたこと。

 ジェームズ・ジョイス、オスカー・ワイルド、
ジョージ・バーナード・ショウ。

 サミュエル・ベケットもそうだし、
 おおそう言えば、村上春樹もしかりであった。

 文学というものは、そもそも、
ある確立して安定した言語体系の
中で個人の創意工夫で生まれるものではなくて、
 むしろ、言語どうしが衝突し、
濁流が生まれ、
 渦巻き、引き込まれる中で
 個人が必死に泳ぐ中で
生み出されるものなのではないか。

 その筋で言うと、過去しばらく、
日本の言語状況というものは「べた凪」
ではないか。

 言語には遠心力と求心力がある。
 国語審議会がいうような
「美しい日本語」というのは
つまりは求心力の方だが、
 どんどん拡散し、異化し、
踏み越える遠心力とつりあって
初めて生命体としての言語が
いきいきと活性化する。

 文学を思うものは、
 積極的にバイリンガル、さらには
多言語状況の中に飛び込んでいく
べきだろう。

 『源氏物語』の頃も、
言語はおそらくは流動の中にあったのではないかと
推測する。

 暗闇の中を何も見えずに飛び続ける
渡り鳥のような、
 そんな生き方こそが今必要とされている。

リストを見ながら、多言語性について考察する島田雅彦氏

1月 9, 2007 at 08:11 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2007/01/08

Alligator night

Alligator night

The Qualia Journal

8th January 2007

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1月 8, 2007 at 06:24 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

キノコの時間

とにかく、脳と手足の動きとしては、
「次はこれ、次はこれ」
と畳みかけるように様々なことを
やり続けていた休日の一日。

 階段を下りている時に、
ふと、「キノコの時間」という
メタファーが脈絡なく浮かんだ。
「これだよ、これ!」
と至福感のようなものがじわーっと
広がっていった。

 発想というものは本当に不思議なもので、
瞬間的にどこからともなく現れ、
 そしてその直後にはそれが良きものであるという
確信がすでに成立している。

 もちろん、「どこからともなく」
と言っても、
 実際には自然の中のものは全て連続しているから、
無意識の過程を含めれば必ず因果的な
連鎖の中にあるわけであるが、
 その一部分しか表象しない意識から
見ると、あたかも不連続、あるいは
無から有が生まれたかごとくに
見える。

 目が覚めた
あともしばらく布団の中でぬくぬくと
しているような時。
 目の前にある綿毛をしげしげと
見て、
 それが巨大な構造物であるかのように
想像してみたり。

 あるいは、飛行機の中で、本を読むでも
なく、ノートを記すでもなく、
 パソコンも広げず、
 ただ目を閉じて想念の海に浮かんでいる
ような状態。

 そのような時間が、階段で稲妻のごとく
ひらめいた「キノコの時間」であった。

 「キノコの時間」とは何か? 
つまり、それは、「分解する」時間である。

 生産者、消費者に対して、分解者
が存在するということを昔学校の授業で
習った記憶があろう。

 キノコは、他の生物が創り出した
物質を分解して、また土に返して
いく上で重要な働きをする。
 またそのことで、自分の生命活動を
支えている。

 人間の生活の中にも、「生産」する現場も、
「消費」する現場もあるが、同時に
 「分解」するというプロセスも大事である。

 体験したこと、
感じたこと、思ったことを反芻し、
 解きほぐし、尖ったところがあれば
覆い、結びつけ、ちりちりと刺す要素を
丸め込み、硬いものをやわらかくし、
 やがて無意識の海へと沈めていくような
プロセス。

 昼間のうちに何かエキサイティングな
ことがあり、その記憶でわくわくしているような
時に、
 寝転がってしずかに反芻する。
 そのような時間が「キノコの時間」である。

 キノコは動かない。何もしない。だけれども、
背後では一生懸命分解している。
 そのような時間のしみじみとした滋味、
豊かさに
 忙しく立ち働いているうちに思い至り、
 私は恍惚となったのである。

 時にはキノコになろうと思う。

 大学生の頃、「光合成」というメタファーも
好きだった。

 何もせず、光を受けて、「光合成をしている」
という感覚が好きだった。

 手を広げて、「今光合成をしているの」
というような時間の流れ。

 光合成からキノコまで。そう考えると
随分存在のヴァイヴが広がっていく。

 人間の中に静かに目に見えない作用があると
すれば、その植物的な部分は案外本質を
担っているように思われる。

 人がひとを好きになる時には、
目に見える動きではなく、その植物的作用に
感応するようにも思うのである。

1月 8, 2007 at 05:50 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2007/01/07

日本人の身体が生んだ複雑系としての楽器

茂木健一郎と愉しむ 科学のクオリア

日本人の身体が生んだ複雑系としての楽器

ゲスト 中村明一(作曲家・尺八演奏家)

日経サイエンス 2007年2月号
(2006年12月25日発売)

http://www.nikkei-science.com/ 


1月 7, 2007 at 08:39 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

The chasm and qualia

The chasm and qualia

The Qualia Journal

7th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 7, 2007 at 06:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

言葉を獲得したというそのプロセスも

物理的な空間の整理をするのが
相変わらず苦手である。

 以前、岩波アクティヴ新書『私の整理術』
の原稿を依頼された時、
 周囲からは「お前に整理なんてできない
じゃないか、そんな原稿書けないだろう」と
散々言われたが、蛮勇をふるって執筆した。
 その時に書いた原稿がこれである。

 小学校の時のアルバムが出てくれば、しばし整理している手元を止る。写真を眺め、はるか昔に思いを寄せる。昔の回想などという「ムダなこと」などせずに、さっさと整理を終えてしまうのは、モノの整理としてはいいのかもしれないが、脳の整理としてはどうだろうか。手の動きが止まっている間、物理的な荷物の整理は止まっているが、より重要な「情報の整理」が脳の中で進行しているのである。その結果、友達の名前でインターネットを検索するような、新しいつながりへのきっかけが生じるかもしれない。そのようなプロセスにたっぷり時間を与えてあげることの方が、物理的な整理をせっせとするよりも、結果として自分と世界の関わり方が面白くなることが多いような気がするのである。(同じような理由で、私は、いわゆる「速読法」にほとんど関心がない。)
 私の言いたいことを要約すれば、「外部のモノの整理よりも、自分の脳の整理の方がよほど重要である!」ということになる。自分の脳は、どこにでも持ち運べる、もっとも優れた情報機器である。脳は自分が動けば世界のどこにでも持っていくことができるが、せっかく整頓した自分の部屋も机も、持つ運ぶことができない。仕事の場所も遊びの場所もどんどん広がる現代において、整理して一番トクなのは、結局、自分の脳である。
 人間本来無一物、とまで洒落るつもりはないが、一番大切な脳の整理を抜きにして、現代を創造的に生きることはできないと私は考えるのである。

(岩波アクティヴ新書『わたしの整理術』から、
茂木健一郎 『「脳」整理法—世界に開かれたプロセスとしての脳の整理』)

 目に見える外のモノの整理よりも、
脳の中の整理の方が
優先である、という基本哲学は変わっていない。
 しかし、それではニッチもサッチもいかなく
なることがある。

 朝、某出版社の方から電話があり、
 「ゲラの推敲は順調にお進みですよね」
と言われ、
 「はあ、必ずしも順調とは言えないのですが・・・」
と答えながら、私の脳はフル回転していた。

 ゲラ? 
 あれ、そんなゲラ送られてきたっけ?
 しまった、まだ開封していない郵便物の
山の中にあるに違いない。今日は少しは
モノを整理しないと、さすがに
 「地球最後の日」は近い。
 よしんば地球が終わらなくても、
 オレが終わってしまう・・・・

 「連休明けにまたご連絡します」
と何とか電話を切り抜けた。
 それから、よいっしょと一つ
意味もなくヒンズースクワットをして、
 仕方なく身辺整理を始めた。

 (回想シーン。
 うまくごまかせた! と思っていたが、
「お釈迦様」は本当は全てお見通しだったのかもしれない
なあ。はあっ。)

 未開封の郵便物の山。
 ああ、幾山河を踏み越えて。

 書類、本、著作権関係の連絡。エトセトラ。

 埋もれていたさまざまを発掘していたら、
たちまち70リットルのゴミ袋が二ついっぱいに
なった。

野口健さんはエベレストでゴミ集めをするというのに、
オレと来たら・・・ 

 しかし、件のゲラはまだ見つかっていない・・・

 話は変わるが、事態を切り抜ける
ために必要なのは一つの狂気である
ということについては確信している。

 心脳問題のように、どう考えても
ブレイクスルーの糸口が見つからないように
思われる事柄は、一つのよくマネッジ
された狂気によってしか
 打開できないのである。
 
 しかし、考えてみると、言葉を獲得
したというそのプロセスも、つまりは
狂気としか言いようがないんじゃないか。

 「真理」なんて概念に到達するのは、
あるいは「不安」などという名付けを
行ってしまうのは、
 ひとえに狂気の所以である。

 つまり狂気とは、現状から脱するための
必死のダッシュなのであって、
 しかし如何せんそのプロセスにおいて
思わずバランスを崩してしまうことも
あるということなのであろう。

 狂気の分類学において、世間にいわゆる
「狂気」というものは急性、劇性
のものに過ぎず。

 本当はそれに連なる様々なニュアンスの
スペクトラムがあることであるよ。

 だから、なんとかとなんとかは紙一重
と言うのであろう。

 ところで、あのゲラは、どこに行って
しまったのだろうねえ。

 と、ここまで書いてから、
トイレに立ち、
 ふとNHK出版からの封筒
の下を見たら、
 ありましたよ。探していたゲラ。

 いやあ、奇跡というものは起こるもんだなあ。

1月 7, 2007 at 06:04 午前 | | コメント (11) | トラックバック (4)

2007/01/06

もちつきの思い出

ヨミウリ・ウィークリー
2006年1月21日号
(2006年1月6日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第37回

もちつきの思い出

抜粋

 ところで、正月というと思い出すのは餅つきのことである。子どもの頃、両親は毎年餅をついていた。歳末になると、餅米を蒸し、庭に臼を出してペッタンペンタンとついた。近所の子どもたちが集まってきて見物していたから、どの家でもやっていたというわけではなかったのかもしれない。
 目が少し粗い大きめの布巾をあらかじめ餅米の下に敷いておいて蒸す。蒸し上がると、布巾に包んで次々と臼のところに運んでくる。臼の中に餅米を入れ、まずは腰を入れて杵をつかみ、少しこねてまとめておく。いきなりついてしまうと、餅米が飛んでしまうのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


1月 6, 2007 at 06:19 午後 | | コメント (2) | トラックバック (0)

Dreaming of Godzilla

Dreaming of Godzilla

The Qualia Journal

6th January 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 6, 2007 at 10:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

統計的有意差がないということは

恩蔵絢子、柳川透、小俣圭の
博士論文の公聴会。

 最終試験は先にあるし、
投稿論文の帰趨にも依存するので、
晴れて「博士」になれるか
どうかはわからない。

 だが、ベストを尽くしたと思う。

 三人の発表を聞いていて、
修士で入ってきた時に比べて
 随分成長したなあ
と思った。

 (センセイの方と言えば、最近はもっぱら
横に成長しているゾ。
 だから、腕立て腹筋発作的ランニングなどを
しているのでアル。)
 
 その一方で、審査員の先生方との
質疑応答の時などに
ちょっとしたミスもあり、
 見守っている方がドキドキした。

 一人だけ「代表選手」として
この日記に出てもらうと、
 小俣圭くんが、質疑応答の
時に、Right Ear Advantageの有無に
ついての宮下英三先生の「統計的
有意差がないということは、visualの刺激が
dominantなんじゃないか」という
質問に対して、
 「いや、あるんです」
と答えたのがまずかった。

 グラフを見れば、小俣だって、
combination pairの時には有意差が
ないということは簡単に了解
できるはずなのに、
 小俣の頭の中にはデータの方で
なくて、
 その背後にある神経回路のメカニズムがあり、
 そちらを含めて考えれば、
「このグラフに示されているデータ
だけでなく、それに付随するメカニズムを
考えると、やはりREAが重要なのです」
ということを言いたくなってしまったのだと
推定する。

 そのような、主観的な思いに
ついついとらわれてしまうということは、
 よくあることです。

 かくなる私めも、博士論文の審査の頃には、
まだまだ、科学において(そして
生きる上での思考全般において)大切な
 ディタッチメント(認知的距離)の感覚を
つかんでいなかったように
思うのである。

 若者には主張があるものである。
 ボクだって、博士号を取るころは、
酵素の共役反応のメカニズムについて、
 熱力学の第二法則について、
 知性の熱力学的基礎について、
 世間に対していろいろと訴えかけたい
「主張」というものがあった。

 博士の公聴会と言えば、自分が
長い間考えてきたことに対して、
 先賢たち(審査の先生方と、
いちおう、この私めのことであるぞ。
指導教官だし、主査であるからな。
おっほん)に訴えかける良い機会であるから、
ついつい主張が先鋭的になるのは
わかる。
 
 しかし、そこをぐっとこらえて、
ディタッチメントの神様に自分の魂を
捧げてほしい。

 私めの書いた文章から、
「ディタッチメント」に関する部分を、
博士候補者三人への、そしてついつい
熱い思いにとらわれて空回りしがちな
全ての若者たちへのはなむけの言葉として
引用いたします。

  科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立っています。そのことを、科学者たちは、「ディタッチメント」(detachment)をもって対象を観察する、と表現します。「ディタッチメント」は、もともとイギリスの経験主義科学を特徴付ける言葉であり、日本語に直せば、「認知的距離」とでも訳せるでしょうか。
 ある理論を巡って議論する時にも、その理論が誰によって提出されたか、どのような学派によってサポートされたかということには関係なく、客観的に見ることができる。そのようなディタッチメントの態度を取ることができることを、科学者たちは誇りに思っているのです。
 私は、1995年から二年間、イギリスに留学していました。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのハイテーブルや、生理学研究所のティールームで交わされる議論は、まさにディタッチメントの気配に満ちていて、時に感動的ですらありました。
 もちろん、科学者とて人間ですから、自分の提唱している説や理論がかわいくないはずがありません。ノーベル賞学者が、自説を批判され、顔を真っ赤にして反論している様子も目撃しましたし、他人の発表したデータのうちに、自説に有利なものを恣意的に選択するような、そのようなゆゆしき振る舞いもしばしば見られました。
 しかし、そのようなしばしば猥雑で醜い現実と、「科学はこうあるべきだ」という理想とは違います。たとえ自説について議論する際にも、ディタッチメントを持って、それが自分によって提出されたということを忘れたかのように、公平、かつ客観的に論ずるべきだという態度は、多くの科学者によって共有されているように見えました。
 「この理論は、あそこは長所だけど、ここはまだ弱いね。この部分は実験データによってサポートされているけれども、あの主張はまだ裏付けがないね」
 あたかも、自分の目の前の机の上に置かれたオブジェを眺めながら、皆で「ここはちょっと出っ張っている。ここは引っ込んでいる」と議論しているかのような、ある意味では狂気とさえ言えるような静かなディタッチメントの雰囲気がありました。その点こそに、少なくともイギリスの経験主義における科学の最良の伝統があるということを、私は思い知らされたのです。

茂木健一郎 『「脳」整理法』(ちくま新書)

1月 6, 2007 at 09:41 午前 | | コメント (2) | トラックバック (3)

2007/01/05

柳川くんの1172 wordsの問題

私は東京工業大学の大学院で
たくさんの大学院生をあずかっているので、
 実質的にはフルタイムで
大学の先生をしているのと
変わらない。

 午前中から柳川くんの論文をやり始めて、
終わったのは約16時間後だった。
 
 うーむ。

 この間、柳川くんと頻繁にメールの
やりとりをして、
 数えてみたら78通になっていた。
 苦しいなあ。

 以前は、他人の書いたヘタくそな(失礼!)
英文を読んで直したり、
 論理の脈絡がないのを、何を言いたいのか
理解したり、
 あそこが足りない、ここが足りない
などと指摘したりするのは
苦痛なことだったが、
 最近は随分慣れてきて、
 ある種独特の喜びを感じるまでに
至った。

 教師稼業も板についてきたという
ことであろう。

 比べるのもおごがましいが、
かのアインシュタインは、特許局にて勤務
している間、街の発明家が持ち込んで
くる案件をクビをひねって論理の
整った申請書類にする、
 その作業が役に立ったと
回想している。

 と思ったら、編集部からメールが
来ていて、1172words too longだという。

こまったなあ。
 
 とは言っても、シミュレーションに関する
細かい記述をさらにsupplementary materialに
移してしまうことで解決するしかなさそうで
ある。
 
 おほん。

 もう正月休みも終わりだ。もともと
なかったようなものけれど。

 オレタチの仕事をやっていないじゃないか、
と怒るあの編集者の顔、あのひとのこと。

 ごめんなさい、ベストを尽くしています。
しかし私の手も脳髄も光のスピードより
速くは動けないのです。

 そうですね、光のスピードというのは
大げさで、それよりはまだまだ
余裕がありますね。

 とにかく柳川くんの1172 wordsの
問題を解決しなければならないのである。

 それでは皆さん、ごきげんよう。

1月 5, 2007 at 06:02 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2007/01/04

A Capella Man

The Qualia Show video release

A Capella Man

01:03
A man dances to the a cappella music performed by a girls chorus on a street in Osaka

http://www.youtube.com/watch?v=pw5WXb9VsFY 

1月 4, 2007 at 09:26 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

The butterfly paradise

The butterfly paradise

The Qualia Journal

4th January 2007

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1月 4, 2007 at 08:15 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

淀川長治さんの時代の「日曜洋画劇場」のような存在

日本には
 受験の競争というものがあるから、
勉強というのは他人との比較において
どれくらいの位置にあるか
ということに重きが置かれがちだが、
 実際には「学ぶ」喜びというものは
プライベートなものである。

 伸ばしたい方向は一人ひとり違う。
 その総合的な知性の鍛錬において、
徐々に伸びていく、
 いわば「足元を見つめる」
喜びさえつかむことができれば、
人生怖いものはないと言っても
よいくらいである。

 あせる必要はない。
 ただ、自分が少しずつでも前に、
進んでいるという実感さえあれば良い。

 そのような絶対自己本位というものを
日本人も確立できないものか。

 塩谷賢に年賀の電話をした。

 「お前さ、今朝のオレのウェブの日記読んだ?」

 「人の日記を読むなんて趣味はないよ」

 「お前の趣味は知らないけれど、今朝の日記は
読んだ方がいいんじゃないかと思う(笑)」

 「何でだよ」

 「お前がフィーチャーされているんだよ。
大変な人気だぞ」

 「お前なあ。ネットの調子が悪いんだよ。
つながることはつながるんだけど、1分くらいで
切れちゃうんだ」

 「あれ、ダイアルアップだっけ?」

 「ADSLだけどね。12月中旬から調子が
悪いんだよ。メールをダウンロードしていると、
途中で切れちゃうんだよ。まいっちゃうよ。」

 「その一分の間に、今朝の日記だけは読んでおいた
方がいいぞ」

 塩谷は、修士表裏(4年)、博士後期課程に5年、
計9年いる間に、論考を書いたり、博士論文をまとめたり
といったそぶりは一切見せなかった。

 あそこまで浮世離れすると凄みが出て来る。
 成果主義だの何だのと、「お数えの時間」
に夢中な世間に対して、塩谷という存在自体が
一つの批評性を持っている。

 塩谷と最初にあった頃、駒場の教室の外で、
塩谷が
 「茂木さあ、無限という鉛筆の横にもう一つ
無限という鉛筆を置いたらどうなると思う?」
と言ったのはよく覚えている。

 ぼくも、熱力学の第二法則がどうのこうのと
生意気だった。

 適当な科学だったら、許さないぞという気概が
あった。

 あの頃の、若者らしい、「超えていくぞ」
という気概に、
 どんなにゆっくりでも、自分が前に進んで
いくという足元を見つめる確からしさが付け加われば
無敵である。

 世間と仲良くしても良いが、気概だけは
忘れてはいけない。
 ネットがつながらなくても、ふてくされては
いけない。
 お酒を注文して来るのが遅くても、
ハシをかたかた言わせてはいけない。
 紳士たるもの、それくらいの心得は必要である。

 近くのコンビニで『大脱走』が999円で
売っていたので、懐かしくて思わず買ってしまい、
 夜、最初から最後まで見た。
 近頃希なことである。

 昔の「日曜洋画劇場」などは考えてみれば
抜群の教育効果があったのだと思う。

 フィクションが混じっているとはいえ、
『大脱走』に出てくる連合国軍側の将校や
兵士たちのユーモアを忘れない、しかし毅然とした
態度を見れば、
 目をつり上げて金切り声で戦争しても
これは負けるわ、と納得が行く。

 イギリスはおよそ戦争というものに負けた
ことがない。同時にユーモア大国である。
 そのあたりの機微をきちんと見ないと
日本のおじさんたちはまたもや贔屓の引き倒しに
なりますぞ。

 藤原正彦氏の『国家の品格』はユーモアが
あったのが救いだったのです。

 話は「日曜洋画劇場」的なものに戻るけれども、
文化的にも、メンタリティ的にも完全に「日本的」
なものの中に閉ざされている
昨今隆盛のバラエティよりも、
 異質なものに接するという学習効果において
あちらの方が上だったと思った次第。
 
 今でも続いているようだけれども、
どうも文脈が変わってしまったようにも
感じる。

 かの淀川長治さんの時代の「日曜洋画劇場」
のような存在が、今でも必要だと痛感する次第。
 
 淀川さんの話を、一度だけ生で聞いたことがある。

 先日広告批評の学校に出講した時、東京タワー横の
まさにその場所が淀川さんその人に接したところ
だったと思い出した。

 こうして人生の時間は交錯していく。

1月 4, 2007 at 07:30 午前 | | コメント (6) | トラックバック (6)

2007/01/03

初もうで

初もうでは、

塩谷賢さまをおまつりしている、
霊験あらたかな「おしら様神社」へ。

http://intentionality.hp.infoseek.co.jp/osira.html 

http://6525.teacup.com/osira/bbs 

1月 3, 2007 at 09:42 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

Managing insanity in a proper way

Managing insanity in a proper way

The Qualia Journal

3rd January 2007

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1月 3, 2007 at 09:28 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

あの日と同じような気分がどこかになければ

青春時代は、とにかく大量の文字を
書き綴っていたものだなあと思う。

 インターネットの発達した今とは全く
違うと思うのは、
 誰かに見られたり、公開されたりする
ということがまずは考えられない
という点である。

 胸の中に熱いマグマがあり、
それが出口をもとめてさまよっている。
 しかし、その結果吐き出されたものは、
とてもひとさまに見せられるようなもの
ではない。

 痛々しい。
 しかし、あのような時代が
あって良かったと思う。

 古いノートの一つを見返していたら、
 23歳の時(法学部に学士入学していた時)
に書いた日記の断片のようなものがあった。

 大学時代の親友、塩谷賢の人生の
転機に接して、深く心を動かされた
ということが書いてある。
 このメモを発見するまで、そんな
ことがあったということを
すっかり忘れていた。
 
 人間の記憶などというものは、
そんな程度なんだろう。

1985年12月13日のノートから

 ショック!
  ショック!
   ショック!

 塩谷が厚生省に行くというのだ。こんなショックな
ことがあろうか。
 彼は「人類の中で最初の水の外に足を出すカエルに
なる」と言った男である。
 僕の大学1、2年の時の良き友人である。

 俗っぽい所など、一かけらもない男だ。とにかく、
踊っている男だ。はっきり言えば、天才だ。

 食堂(駒場)で彼は語った。

 「学者というのは、あるばくぜんとした、
未知の、わけのわからないもの、つまり山みたいな
ものに、いっしょうけんめいトンネルを掘っている
のさ。山の形はよくわからない。山が2つあるのか、
3つあるのか、それもわからない。」

 「数学は、あるきちんとした枠にあてはまっている。
その枠が次第に、細かくなってきた。数学者になるため
には、その枠に自分を入れなくてはならない。」

 「現代の学者は、みな知的労働者にすぎない」

 塩谷よ。お前の気持ちは非常によくわかる。
お前は、ガリガリのガリ勉ではない。お前の
精神はしなやかだ。

 しかし、これが人生というものだろうか。
お前も、内面と外面の分裂の中で生きて行く
のか・・・

 とにかく、お前の話はおれを厳粛な気分に
させてくれた。人生というのは・・・なんというか
・・・一面的には見ることのできないものだな。
 
 塩谷よ。お前は、いつか絶対に水の外にはじめて
足を出すカエルになると信じて待っている
からな。

 この日の後どうなったかというと、
塩谷は厚生省に入った。

 そこで知り合った女性と結婚して、
普通とは逆の「結婚退職」をして、
 駒場の科学史・科学哲学の院生となった。

 その後博士を「満期退学」して、
「在野の哲学者」として今に至っている。

 「最初に水の外に足を出すカエル」に
なるというのは、
 学生時代の塩谷と私がいつも言い合って
いたことだった。

 あてもなく歩きながら、喫茶店で、
酒を飲みながら、そんな途方もないことを
吹かして、怪気炎を上げた。

 その一方で、自分たちの将来が
どうなるのか、不安で仕方がなかった。

 だから、塩谷の生涯の帰結が、
わが事のように重なって、
 私は打ちのめされたのだろう。

 確かなものなど、一つもなかった。
ただ、自分たちにとって大切な問題が
いくつかあり、それらに寄り添うこと
だけを知っていた。
 そうすることだけがたよりだった。

 古いノートの断片を目にして、
将来が茫洋として雲をつかむような
ものであり、
 しかしだからこそ無限定な希望が
熱くこみ上げてきていた、
 青春の日々を思い出した。

 肝心なことは、私は、
いつまでもそうでなければ
ならないと信じているということだ。

 今だって、あの日と同じような気分が
どこかになければ、ボクは看板を下ろして
しまいたいと思う。

 久しぶりに塩谷に会いたくなった。

1月 3, 2007 at 08:19 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2007/01/02

Feeling as if eternal

Feeling as if eternal

The Origin of Consciousness blog

2nd January 2007

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1月 2, 2007 at 07:35 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

重い本格的な音楽を聴くのはそぐわない

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを
ちらちらと見た。

 ズビン・メータは、ミュンヘンで
『トリスタン』を振るのを見たことがある。
 ウィーンでは、スターツオパーで
一年に一度行われるウィーンフィルの
演奏会がやはりメータだった。

 どちらも、メータはスコアなしで
振っていた。
 昨日のニューイヤーコンサートも、
もちろんそうであった。
 
 メータはインド出身の人だが、
私の中では、なんとなく超絶的
かつ数学的なマインドを持った人
というイメージがある。

 ニューイヤーコンサートの構成は
良く出来ているといつも感心するが、
 演奏される音楽はライトウェイトの
もので、新年で気分が浮かれてでも
いなければ普段のコンサートで
あえて聞こうとは思わない
ものが多い。

 それが、あの特別な機会、設いの
中で接すると格別な味わいがある。
 ああいう時に、重い本格的な
音楽を聴くのはそぐわない。 
 
 思うに、シリアスな音楽というものは
どこか宗教的な風合いがあるのだろう。
 
 普段着の、日常的生活をこそ称揚したい
という立場からすれば、
 それにふさわしい音楽があるはず。

 ボクは、楽友協会ホール中のあの
コンサートは、ウィーンの人たちにとっては
かけがえのない「日常」に違いないと
思う。

 新年には、ふだん何気なくやり過ごしている
日々の生活をこそ褒め称え、味わいたいという
気持ちはどこの国でもあるのではないか。

 育った土地に帰り、子どもの頃の自分を
知っている人たちと挨拶をかわしていると、
 次第に精神のかたちが自然体で、
等身大になってくる。

 いろいろな概念や情緒が疾風怒濤のごとく
吹き荒れていた海がとつぜんナギとなり、
 そんなに肩肘張らなくていいじゃないか。
 もっとリラックスしろよ、となる。

 あぶないあぶない。正月が一年に一回で
良かった。毎日あってはつきたてのモチの
ようにふにゃりと延びきってしまう。

 まだ見ぬ土地へ、もっと遠くへという
遠心力でふだんは生きているから、
 一年に一回くらいは求心力の
日があっても良いのだろう。

 ヨーロッパでのコンサートというのは
随分行っていない。

 ミュンヘンの国立劇場や、
 ウィーンのスターオパーの入り口を
またくぐりたい。

 森閑とした雪の中を歩いてみたい。

 正月2日目にして、もう遠心力が働き
始めている。

 でも、その行き先はニューイヤーコンサート的
なものではないと思う。

1月 2, 2007 at 06:42 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2007/01/01

Japanese New Year

Japanese New Year

The Qualia Journal

1st January 2007

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1月 1, 2007 at 10:14 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

長き静かな準備の期間

考えてみると、年の始まりというのは
四季のうちいつでもよい。

 太陽の周囲を地球が公転している
軌道の任意の点を開始点としても
よいはずだ。

 それを、北半球で発達した文明が
年の始まりを
冬の真ん中にしたというのは、
生理的そして心理的理由があるのだろう。

 春は、生命の始まりにいかにもふさわしい。
 だから、もう少し遅い時季を一年の
始まりにするという手もあったはずだ。
 
 もし、蠢動が高まり、
春の息吹がいよいよたけなわになり始めた頃を
「新年」にしていたらどうなるか?

 終わりと始まりが、スリリングに交錯する。
 「麦秋」という言葉があるように、
それは一つのアンビヴァレントな情緒を
醸し出すことになっただろう。

 真冬に年の初めがあると、
ピュアで厳かな気分になる。

 年が改まり、生命の活動が始まるまでに
助走期間がある。
 だが、その長き潜在する蠢きの時間にこそ、
本質がある。

 考えてみれば、ビッグバンで宇宙が
開闢してから、生命が誕生するまでの
間にも、長い助走期間があった。

 そのような静かな準備の時間の中で、
生命はすでに蠢動していた。

 その間に起こったこと。たとえば、
恒星の内部で
次第に重い元素がつくられ、ビッグバンで
さらに新しい元素が創成される。
 そのような元素の化学的反応の長くて重層的な
積み重ねが、
 生命を支える上で欠かせないインフラストラクチャー
になった。

 生命は総合的なものであり、
様々な要素がロイヤル・ストレート・フラッシュの
ようにそろわないと成立しない。
 生命学が、すなわち複雑系の科学になる
ゆえんである。
 
 人間の知性もまた同じで、ある明示的に
表現できる目的を達成するためには、
 さまざまな「助走」が必要である。

 個人的に達成したい目的があるが、
そのための準備も随分いろいろあるなあと
思う。
 それが今年の念頭の所感。

 「私」という「意識」の「今、ここ」
のありようも、また、
 過去に起こった様々なことの
積み重ねの上に成り立っている。
 クオリアの一つひとつは、進化の過程で
環境の中にあふれる様々な偶有性の中から
一つの本質抽出の結果として「今、ここ」
に残ってきた。

 厳冬期に新年を
迎えるのは「長き静かな準備の期間」への
思いをはせるという意味において
 いかにもふさわしいのではないかと
思う。

1月 1, 2007 at 09:27 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)