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2006/12/14

半ズボンの足ががくがくと

東京電機大学の小林春美さんとお目にかかり、
お話する。
 
「日経サイエンス」の連載のための
対談。
 
 とにかく面白かった。
 幼児の言語発達は、私の研究室では
須藤珠水がやっており、
 私もいろいろ考えてきたが、
 さらに深く思索したくなってきた。

 小林さんが研究されているのは、
人間の志向性と名付けの間の関係で、
指し示しがどのように名付けの認知過程に
影響を与えるかという点。

 幼児の発達においては「この月齢で
この能力が現れてくる」というような
データが得られる。
 そのような知見を並べた時に、
どのような能力がどのような順番で生まれて
くるのか、
 その時系列の中に人類の知性の
起源を解明するための
重大なヒントが隠されている。
 
 小林さんとの対談は日経サイエンス
3月号(1月発売)に掲載される予定。

 二つの場所で話をする。

 サインを求められると、
私は、「お買い上げいただいた方には
もれなく」
とちいさな絵を描く。

 なぜ筆跡に魅せられるのだろう。

 ある人のことを思い浮かべると、
そこには生き生きと世界とわたりあう
能動的な姿が立ち現れる。

 かつて、確かにその人の手が動いて描かれた
跡には、なまなましい生の躍動の
残滓が感じられる。
 だから、その人を思い出すよすがとして
筆跡を求めるのだろう。 

 意識は、脳の中の神経細胞の
ネットワークのダイナミクスから
立ち現れる、世界とありありと
わたりあう能動性と関係しているが、
 同じような姿は細胞一つの中にも
あるように知覚される。

 狭義のメタ認知や言語、自己意識といった
属性が欠けていたとしても、
 一種の原始的な意識は細胞にもあるだろうと
私が考える理由はここにある

 ここに言う「能動性」は、必ずしも
外形的な運動として表出されるものに
限らない。

 「見る」ということが、志向的なプロセスと
感覚的なプロセスとのマッチングで起こるように、
 細胞内のメタボリズムが、何らの外形的
運動を起こさなくても能動性を担っている時、
そこにはひとつの原始的な意識が宿っている
のであろう。

 もしそうであるならば、意識は生命とほとんど
同義であるということになる。

 私がはじめて多くの人の前でトークを
したのは、小学校5年の時だった。

 校歌制定発表会でOHPを使って
10分間、「蝶の研究」について
話したのである。

 人口が増え、新しい学校が出来て、
私たちはそちらに移った。

 あの時は緊張した。半ズボンの足が
がくがくとなった。

 今となっては、このテーマで
これだけの時間話してください、といきなり
言われても、
 すぐに話し始めてぴたりと終えるような、
 そんな手練れのおやじになってしまった。

 それでも、魂がガクガクすることは
ときどきあって、
 そんな時階段をひとつ上っている手応えを
確かに感じる。


 人前で話して、足がガクガクとなった頃。

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12月 14, 2006 at 07:54 午前 |

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コメント

 最近、短時間でも、集中して眼を使うと、ひどい頭痛がするようになり、
自然と、一日の中で「眼で見て何かすることができる」時間に限りがあります。

 「眼に見えない」ものたちを見ようとする大切さも、「眼が見える」
という奇跡も、素晴らしいことなのだなあと、あらためて痛感して
います。
 想像する楽しさも、アイ・コンタクトでドーパミンがでるうれしさも!
 もっと、みたい、見たい、観たい!って、欲張りになってしまうけれど、「自分が本当にみたい」を選ばなきゃならない不自由さ…。

 そんな私が「みたい!」毎日の楽しみは「クオリア日記」。
読んで楽しい、そして、たくさんの気付きが得られること…
楽しいだらけで、うまく言えないよ…。

 ワイズのぽかぽかジャケットを着た、今の健ちゃんの可愛いお姿も、見たいわ(はぁと)。

 風邪は治りましたか?お身体大切に!いつも応援しているよーん!

投稿: | 2006/12/15 8:08:34

わ~、可愛い! 面影ありますねぇ~。

でも、モギヘアではなく、坊ちゃん刈り! ですね・・。
その頃は、声もちょっと高いめだったのでしょう。

縄跳びも一番と先日の日記に書いてあっただけあって、太ももに筋肉がしっかりついている感じ・・。

子供の頃の宝物ものですね。

先日、近くのお花屋さんで、喋の標本を売っていたので見入ってしまいました。モルフェ、という名だったかな?(違うかも)、全体がブルーで光沢のある・・この上なく美しいと感じさせる喋、あまりの美しさに、見せられる人の気持ちが分かるような、そんな蝶でした。

そういえば、昔、レモンの木に付いていた青虫をビンに枝を差して、羽化させたことを思い出しました。それはアゲハ蝶でした・・。
蝶って、全くのシンメトリーに生まれてくるのが、本当に驚きで不思議! 

投稿: | 2006/12/15 1:26:31

意識は何もニューロンの多集体である「脳」だけの専有物ではない、一つ一つの細胞(無論脳細胞も)もメタ認知や言語が伴わない原始的意識を持っているというのは、自分も同じ意見というか考えかたです。

細胞が1個1個の生命体ならば、仮令原始的であっても意識は持っているのに違いない。茂木さんがいうように、それが能動性を担っている時にその原始的な意識が発生しているに違いない。そうでなければ、脳を構成する脳細胞がメタ認知や言語を伴う、進化した意識を生み出すこともないだろう。

ここで思い出すのは、「ニューロンの回廊」に出演された荒川修作さんの言われたことだ。番組の中で確か彼は、我々が平素「脳」と呼んでいる、豆腐じみたピンクのしわしわだらけのカタマリだけが「脳」ではなく、「全身」の「細胞」が「脳」だと言われた。

このことは、きょうのエントリーで茂木さんが言及されている「細胞の中の意識」と深いつながりがあるのでは、と思っている。

ゾウリムシさえ意識を持っているかも。そのことを思えば、生きとし生ける我々の全身は意識をもつ極小単位の生き物の集まりなのだと思うしかない。

投稿: 銀鏡反応 | 2006/12/14 21:33:55

茂木少年の発表会写真、素敵ですね!(笑)

自分の小学校時代にも
そういえばそんな経験があったなぁ

投稿: | 2006/12/14 21:12:52

同じ年齢のはずなのに、また、わたしもいつも人前で話しているはずなのに、なかなか「手練れのおやじ(おばん)」にはなれず、いつもドキドキしています。

>意識は生命とほとんど同義であるということになる

生命は、明らかに「2」という数を使っています。例えば細胞分裂など。「2」を知っているか知らないかが、生物と非生物との境目ではないかと思うほどです。
茂木さんに、ぜひ、「2」という数の認識の根元を解明していただければうれしいです。

ところで、附高の思い出、またときどき書いてくださいね。

投稿: iroha | 2006/12/14 9:33:36

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